ブログ記事14,309件
先日、大阪の日本橋にある国立文楽劇場に初めて行った。以前、この劇場の前を通った時、ここが文楽劇場か!と思ったけど、文楽は自分にとっては縁遠い存在だった。近松門左衛門なら歌舞伎など芝居になっている。文楽が歴史ある芸能だとは思っていたけど、もう一歩が踏み出せないでいた。たまたま関西に行った時、文楽劇場40周年記念公演の初日だったので、これはいい機会と文楽劇場の切符を購入した。初めての文楽劇場。思ったより大きな劇場だった。寄席程度の大きさなのかと思っていたけど、劇場そのものは歌舞伎座程度
早朝御所に向かおうと歩いていたら本能寺の入口が開いていましたタイムスリップできそーなこちらの入口が好きです〜そばを通った時には立ち寄ってしまいますここへ来ると明智光秀に討たれるとは思いもしていなかったであろう織田信長の気持ちを察してしまいます時代とはいえ織田信長も明智光秀も家臣たちも望んでいなかった歴史となってしまいましたその当時の本能寺の建物もこんな風だったのかな早朝誰もいない本能寺は安土桃山時代にいるような不思議な感覚になれる空間です〜本能寺に
東京はね、ちょっと雪が降ると大騒ぎですよ。電車が遅れたり?首都高が閉鎖されたり?ツルッと転んでみたり(←わたし)そんなのどうでも良いじゃないですか。あまつさえ、今日2/13の天気予報でも、東京では降雪があるからなるべく外出を控えて在宅勤務でって、子供か??雪国の方々に笑われるっつ==の!!連休前にね、東京でも雪降ったんですよ。確か先週の2/10の木曜日。積雪量ですか?ベタ雪で1センチくらいかな
本能寺の変光秀は本能寺にいなかった殺人者つまり加害者は、殺された人間の、殺された現場にいなければならないことに、<密室の殺人>という例外を除いては推理小説でも、これは決まっている。ところが、信長殺しに限っては、被害者の側に光秀がいた形跡は全くないのである。殺害された日時は、今の暦なら七月一日だが、当時は太陰暦なので六月二日に当たる。時刻は、夜明け前というから、午前四時とみて、それから出火炎上する午前七時から七時半までの間。推定で計算すると、およそ三時間半の長時間であるが
このガチャは吟味した記憶があるのだが記事が見当たらん……と思って検索したが、コレ『【信長の野望20XX噺】光秀ガチャと『死せるガチャ運、怒るマトンを萎えさす』』手取川とは全く関係ないのであろうが、星5光秀ガチャが来たな。とりあえず、見ていこう。先ずは今回の主役。敵全体術ダメ0.85敵生命最多1体追撃2.00(以下対象…ameblo.jpと勘違いしていたのだな。ネタバレっぽくなるが、光秀さん狙いなら絶対にリンク先ガチャに突っ込んだ方が良い。では、見ていこう。最初の光秀さんはこちら。『
【京都】京都府亀岡市余部町古城の丸岡城跡西岸寺この地は古城と呼ばれる小高い平地にある丸岡城の城跡。天正年間波多野氏が丹波をほぼ手中にし福井因幡守貞政の守り拠点的城でしたが丹波進攻した明智光秀の軍勢が丸岡城を攻めて落城。勢いを増した光秀は丹波を手中にし荒塚山に亀山城を築きました。丸岡城の大手門はこの坂道あたりで天守閣は西岸寺のあたりだったとされています。【西岸寺見開き御朱
※こちらの記事は、令和2年5月16日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第13~14回)に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『麒麟がくる』の楽しみ方】・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4
2022・8月訪問奈良方面から和歌山へ向かう途中の葛城山の麓にある蕎麦屋さん。高鴨神社の門前にあるので参拝がてらというお客さんも多そう。店先の一本挽き(十割という意味であろう)という幟がただの観光客用の蕎麦屋ではないぞという矜持を表してますが果たしてその中身は。店内は広々キャパ20人くらいでしょうか。団体受け入れも可能なような。開店直後(朝10時からやってる)だったのでほぼ貸切。メニューはこれだけと潔い。日本酒も風の森の一択。もちろん注文は鴨汁で。夏場では
こんにちは!骨折で、心が折れていましたが、ブログの更新を再開していきます。参拝記録が溜まっているので、どこから書いていこうかと混乱気味ですが…ボチボチアップしていきますので、よろしくお願いいたします。さて、前回の日記をアップしたのが、かなり前になってしまいましたが、滋賀旅の続きになります。親戚の別荘に行く途中、立ち寄った三井寺。そこから、有料道路を使って、比叡山延暦寺を通るということで、ここでも立ち寄らせていただくことに。今回の旅。5月からのリフォーム工事で家が使え
青春18きっぷを使ってお出掛けした4月5日。前回は春日局出生地である興禅寺(黒井城下館跡)を記事にしました。『春日局出生地興禅寺(黒井城下館跡)[丹波市春日町](23.4.5)』青春18きっぷがあと1回分残っていたので、4月5日にお出掛けしました。青春18きっぷは1枚で5回分になっていて、1度に5人で使ってもいいし、1人で5日に分けて…ameblo.jp黒井城へ登る前に、丹波市春日住民センターに寄りました。黒井城は続日本100名城に選ばれています。ここで続日本100名城スタンプを
『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票をして、記念ガチャに地雷をばら撒いた〇〇野郎ども…ameblo.jp『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(2)』『【信長の野暮20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票を…ameblo.jpこれらの続きである。先ず光秀さん(桔梗)はこち
2023年11月23日深見先生が旅館の施設に入った時、上から神様がふわっと降りてきたそうです。(亀岡湯の花温泉渓山閣)(巨大な龍の神様の言葉)ここ亀岡は地獄の住人を救う聖地である明智光秀は亀岡城を築き湯之花温泉に度々来て天来のひらめきを得たりすなわちこのまま織田信長の世が続けば時代は地獄の如き圧政と武断強権商業の時代となる天皇家は滅び古来より続く神ながらの伝統や文化家柄も全てなくなる日之本の御国は西洋の国と変わりなくなり国民の誇りや幸古来
織田信長の命日・本能寺の変(旧暦6月2日)が来ちゃいましたね。しばらくの間、連載中の、武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」はお休みにして織田信長追悼特集「戦乱の旅-本能寺の変~織田信長の首の行方は?」を連載します。炎とともに消えた織田信長の遺骸1582年6月2日、織田信長は明智光秀の謀反に合い、炎に包まれた本能寺とともに果てました。信長の遺骸は本能寺とともに灰燼に帰し、光秀は焼け跡から必死になって信長の遺骸を探しますが、発見する事はできませんでし
1580年、筒井順慶が織田信長に与えられ入城し、廃城となった多聞山城の大石を運び入れ大勢の奈良の大工たちを集めて築城が始まりました明智光秀も工事の様子を見回っていたようです市役所の駐車場に車を止めて大手掘を見ながら百寿橋を渡り柳御門跡の石垣を見て三の丸緑地を通り鉄御門跡まで行きます途中で近鉄電車が城の中を走ります
明智秀満⑲天正8年(1580年)1月9日、光秀は茶会を開いた。当時、織田家では相応の武将でなければ茶会を許されなかった。光秀は天正6年から年二回開催していたというから、茶会を早くから許されていたことが分かる。坂本の茶会には必ず津田宗及や今井宗久が招かれたという。宗及は連歌をよくしたため光秀とは気があったのかも知れない。茶会は単なる娯楽ではなく、高級武士の嗜みであり、人脈作りでもあった。光秀は和歌、連歌、茶の湯に精通し、茶道具や美術品にも造詣が深かったというから、当世
カエル姫です。去年の秋だったかの「ブラタモリ」で紹介された熊川宿に行ってきた。福井県と滋賀県の県境近く、海の幸を都に運ぶ鯖街道の宿場町江戸時代の風情を残す重要伝統的建造物保存地区である。全長約1.1kmの街道筋に伝統的建造物が並ぶ熊川宿の真ん中あたりの無料駐車場に車を停めて散策開始さながら時代劇に出てきそうな家並みここから一番賑やかな仲ノ町が始まる旧逸見勘兵衛家住宅(伊藤忠商事二代目社長伊藤竹之助の生家)現在は食事処、お茶処を営む元村役場の洋風建築
復刻シナリオイベント「ふたりの愛が歴史になる~逸話の鍵は私?~」開催中です。4月22日まで。信長様、光秀さん、信玄様から選べます。これ、復刻ですけどやったことあるかなあ…?パッと見、エピローグを持ってはないのでどれでも初見だと思うんですが…読んでたとしたらワタクシの場合、このメンバーで読むなら信長様を読んでるだろうと予測して、あえての信玄様でスタートしました。ちゃんと最後まで読めるといいんですが。
高野山「奥の院」には織田信長をはじめとする有名な戦国武将の墓が点在しています。ちょっとご紹介織田信長、豊臣家、徳川家、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信など、誰もがよく知る武将の名が連なります。伊達政宗、石田三成、明智光秀の慰霊碑今はお隣さん同士です戦国時代には考えられない隣人関係…何だか微笑ましいですね。立派な鳥居の墓群薩摩島津家の霊屋がありました。豊臣家の墓所は他よりも広い敷地で墓所に入れないように柵が設けられていて常にお供え物が置かれ、さ
石像寺の後は、帰るつもりでしたが時間がまだ早かったので、久しぶりに白毫寺に行ってみることにしました。白毫寺は九尺藤で有名なお寺ですが、今の時期は藤の花は咲いていません。桜はもうちょっと先かな~。(今週末なら満開かも)石門鐘楼右奥にあるのは太鼓橋があります。魔尼車こちらが山門でここから中に入ります。黄色水仙がきれいに咲いていました。桜も咲き始めていました。右正面が本堂です
先月末のイケ戦の本編応援イベあなたの心の声が聞こえる〜ことば以上に愛されて〜マダムは全コレしておりましたのよむふふー♡▷義元さん俺の心の声が聞こえていて嬉しいよだって心の声の分まで愛を伝えられるってことでしょ…からの"らぶりー攻め"…ご馳走様です♡▷信玄様君に溺れきった俺の想いをさらけ出すなんて恰好が悪いとも思っていたが君の笑顔の前では俺の小さな見栄なんて…♡▷幸村心の声が(めちゃくちゃ可愛い)なのに口に出すのは「おー」…幸村らしい。笑事情を知
(さすがに少し冷えるな・・・・・・でも、おかげで眠くない)夜明け前------私は光秀さんの御殿の門前で、光秀さんを待っていた。空が薄暗くなってきた頃、待ち人の姿が道の向こうに見える。(帰ってきた・・・・・・!)光秀「・・・・・・ゆう?」光秀さんは私の姿を認めるなり、目を見開いた。「おかえりなさい」光秀「・・・・・・」光秀さんは少し早足になって近づくと、さっと私の手を取った。光秀「・・・・冷たい。まさか夜通し待っていたのか」「はい」光秀「なぜそんなことをした、馬鹿娘」珍しく
明智秀満⑱「福知山市史」『光秀の支配は当然信長の方針に沿うたものであり、その信長も戦国末期、それぞれの地域に政権をうちたてていた群雄と同一の路線を一そう徹底させ、さらに広範囲に広げたものである。つまり楽市・楽座によって城下町の繁栄をもたらし、各地で通行税を徴していた関所を廃し、橋をかけ道路をよくする一方、重層的支配を単純化して耕作権を保証し、城の防衛と領国の発展に必要な人と富とを城下へ集めた。このことは当然物資の流通を盛んにし、一般商人の営利活動を促すものであった。』
昨日は安城大岡支部の練習でした神谷副館長&松浦指導員一般部の道場生子供達の指導、ありがとうございました練習後は級位者大会の出陣式も出来ました今から大会が続くので頑張ります写真を撮るのを忘れてた…そして今日は全体会議交流稽古前にその後ランチを食べに岐阜県恵那市の岩村駅へ河邉館長と黒川館長とツーリング行ったら臨時休業ここの焼肉丼、メチャ旨いのに残念でも、グッとタイミングで明智光秀電車が見れました笑笑道の駅なぐらにて桜がメチャ綺麗🌸関谷酒造経由で設楽道の駅にて遅いラ
さて、おみくじガチャは数が多すぎる。よって、私が思う上位六人を選抜して吟味を行う形とする。ただし、この六人に特に優劣はつけない。吟味の順番はテキトーである。重ねて申し上げるが、個人の見解であるので、その点ご留意頂きたい。先ず利休さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】新春の宴〜幽玄〜』久々に登場の利休さんガチャ。実は未吟味だった。先ず利休さん。味方全体回復0.30+防バフ10%自信装填+30工夫次第でどんな兵器も毎ターン使用可能。もちろん、…ameblo.jp〈一言で言えば?〉兵
たくさんキャラ増えてきたからみんなの無双奥義・皆伝が見たくなって一気にやってみた竹中半兵衛半兵衛は強くてやりやすかったんだけど操作中ずっとポンポンポンポン鼓が鳴ってて頭おかしくなるかと思った静かにしてぇ武田信玄他のキャラに比べて動きが遅いから苦手中村一氏この人今までのシリーズに出てたっけ?初めて見たような気がするんだけど強くて驚いた!みつき忍者は素早くていいよね〜お市圧倒的かわいさ長政の奥さん…ぐぬぬぬぬ前田利家今までのシリーズより今作で印象が強くなった!たくさん出
盆休み最終日に、久しぶりの琵琶湖フローターに行ってきました、先日青野ダムフローターに行ってきましたので、琵琶湖にも行っておきたかったのですがお盆渋滞も気になり、自宅出発直前まで、一庫ダムか日吉ダムと悩みましたが、行かないとまた当分行けなく成りそうで琵琶湖にしました!!アクセス的にも渋滞回避の為にも、初場所の坂本から出船しました、駐車場から湖岸も近く砂浜からの出船はかなり楽させて頂きました~坂本はいつもお世話になっていたランカーハウスさんやKKRが有り懐かしい感じです、KKRさんはレンタル
今はもう四月なので先々月ですか、二月の下旬。ツレとランチしておしゃべり。このツレも私と同じく、けっこう波乱万丈な半生。必ずしも自責とはいえない不幸を受け止めている・・・同じく三人の子がいたし。色々と変わったところへ案内してくれるのがなんとも心にしみます。県外ナンバーが何台か停まっていたのでネット上では人気のお店なのでしょう。御嵩町の山の中の「ラ・プロヴァンス」というケーキが有名と思われるお店。
遅くなりましたが宴イベ「光秀誕生祭」特典ストのお裾分けです大好きな光秀さんの誕生祭にこれまで課金をしたことがなかったマダム復刻ストが多かったりとあまり触手が動かなかったのです。"宴イベ"という新スタイルを"お試し"課金その結果やいかに⁈全4話のスト〜悪戯心と愛の贈りもの編は(これまでの誕生祭の新シナリオ同様)豆インすれば読める仕様。それ以上の特典は課金してレベルを上げなければ手が届きません。2話に別れた"一問一答スト"はゲットしました!城アバの光秀さんはも
昨日は、柳美里の小説「JR上野駅公園口」(河出文庫)をめぐって少し綴った。その中で読んでいてひっかかった「加賀越中」という言葉について触れた。富山も加賀藩だったのか?❗って、驚いたと記した。(私は、中学校で国語のほかに社会も幾度か教えたことがあるというのに無知である。笑&恥)それにしても加賀藩である。加賀百万石といわれる。加賀藩が大きい藩だとはもちろん知っていたが、まさか富山まで入っていたとは知らなかった。(笑)それで、ウィキペディアなどでいろいろあ
今日、東京は上野公園辺りを舞台にして書かれた小説を読み終えた。その小説については明日にまわすとして、今日は上野公園辺り、東叡山寛永寺について綴りたい。寛永寺は天台宗の僧、天海が江戸時代がスタートしてすぐに創建した寺院である。その当時は今の上野公園の全域がその境内の、江戸では最大の寺院であったという。東叡山寛永寺。文字通り、「東の比叡山」である。京都の御所の鬼門(北東)の位置に比叡山延暦寺があるように、江戸の江戸城の鬼門の位置に上野の寛永寺が創建された