ブログ記事20,201件
新装移店後初となるあじ庵さんです♪現在話題になっている¥3000の喜多方SUGOIを提供するラーメン店で、麺屋信成さんとは大の仲良しです😆主なメニュー。あじ庵さんと言えばやはり「山葵潮ラーメン」でしょう😋ラーメンメニューは豊富です、極々一部のメニュー。潮ラーメン🍜シジミをメインに使用した塩ラーメンです♪多加水平太縮麺リフト🍜チャーシューが又美味しいのなんの❗️やはり喜多方のチャーシューはレベルが高いです♪メンマも好みの味と食感でした*\(^o^)/*
ある朝出勤したら相談員が大きな声で「施設の職員さんに相談してくださいね!!!」と一言ずつ区切りながら電話に向かって叫んでた…。電話の相手は外人さん????と思ったけど。どっかの施設に入ってる高齢者ご本人だった。今、どこかの施設に入ってる。(どこかは本人もわからない)でも生まれ故郷にある(らしい)うちの施設に移りたい…。どうやってうちの施設の電話番号、手に入れた~????料金が知
意味性認知症とは平成27年に国の指定難病に認められた事で、高度の喚語障害、言語表出障害、理解障害により実質的にコミュニケーションが不能な障害だと徐々に認知されてきました。意味性認知症の言語機能障害は、初期から言語の成り立ちに必要な音声・文法・意味の中の「意味」だけが徐々に消えて行き、失った言語機能は一生回復の見込みがない難病です。通常、意思の疎通が出来ない状態とは終末期で寝たきりの患者を想定すると思いますが、意味性認知症の場合は初期から出現します。見た目では極めてわかり難く、時々タ
義母は年に2回、故郷に帰ります。よく友人には義父も帰るのか?と聞かれますが、一緒には帰りません。買い物や夜ご飯なども夫婦で行っているところは見たことがありません。夫にも夫婦では行かないと聞いています。ちょうと一年前ぐらいに故郷に帰っていた時に、義母が「私のいない家どうなの」と夫にラインで聞いてきたことがありました。と言うのも嫁(私)がどう思っているかを聞き出そうとしたらしいのですが、夫は適当に「別に」と返信したそうです。声を大にして言いたい。快適で
6月23日金曜日平均年齢75歳の5人で行ったのは四国水族館修学旅行生に交じってペンギンを見て面白い顔だねー!とジジババ5人で笑ってそして水族館を出てまた「うどん」昨年母が逝ってしまいいつも母にくっついてきていた母の故郷に今回初めて一人で訪れ母の実家は母の従弟さんが継いでいてその従兄弟さん夫婦も、もう80代母の事を「ねぇさん」と呼び昔話を沢山聞かせてくれました「ねぇさんは居なくなったたけ
訪問ありがとうございます突然ですが、本日のブログはお休みします。今朝、舅が息を引き取ったと連絡がありました。体調が良くないのは知っていましたが、突然だったもので。。。今夫の故郷にいます。ここ数日はバタバタでしょう。しっかり長男の嫁の役割を果たしてきます。コメント欄も閉めさせていただきますのでよろしくお願いいたします。合掌
7月4日火曜日以前のブログに8000人以上の方にフォローしていただきその間に娘が逝き母が逝きそんな中励まして貰いながら進んできたのですが読んでくださる方が多ければ多い程様々なコメントがありそれが正しいコメントだとしたとしても私の思いは全くこの方には伝わっていないのだとブログを書く気を失いましたでも、ブログでの皆さんとの繋がりの無い日々は寂しくて再開し新しい気持ちで進んでいます主人が亡くなり父が亡くなり娘が亡くなったあ
皆さんこんばんは先日は日帰りでふるさと淡路島に帰省しましたまずはみーこちゃんに挨拶。相変わらずべっぴんさんでした🐈⬛🐈⬛午後からは近所のメジャーフィールドで数年ぶりのバスフィッシング♪使用した主なルアーはジャークベイト・・MoDOフェイス護岸に沿ってスクールしてくるプリメスをブラインドで狙う作戦でしたが・・・ヒットするのはオスばかり!別のジャークベイトでも・・・たくさんのバスがヒットしました今回は1つのフィールドだけでジャークベイトで勝負
再投稿です。昨年の話です。家族でお花見に行きました。お城と桜と菜の花がきれいでした。家族で写真を撮っていた、ちょうどその時、私の弟からLINEが来ました。弟家族と母が、実家の近所の川べりでお花見をしている写真でした。毎年、同じ場所で、母や弟家族と花見をしていました。6年前まで、私は子どもや夫と共にそこにいました。その写真には、見慣れた満開の桜と、いつもの母の巻き寿司の重箱が写っていました。涙が溢れそうになりました。私はもう、一生、故郷の満開の桜の下で、母の巻き寿
6月27日火曜日昨日、姉からラインが着ました「故郷のお土産のお陰で懐かしく美味しく毎日ご飯が食べられているよ」と喜んでいました一方義兄は口からも胃からも出血していて胃瘻の手術は出来ず腕の静脈カテーテルで栄養を入れることになり出血が続いているので輸血もして輸血のお陰で状態も少し落ち着き姉が声をかけると、かすかにうなづくそうです「大丈夫?」と聞くとまるで「うん」と言っているかのようにかすかに、かすかにうなづくと姉の
私の生まれ故郷は、とある県の片田舎です。高齢化が進み、年々人口が減り続けています。私が子供の頃小学校は6クラスありましたが、今は2クラスしか無いそうです。その辺りには、乳腺外科の専門医が1人も居られず、ご年配の方の乳がん診療はとても大変な状況にあります。そこで、私を育ててくれた故郷に、少しでも恩返し出来ればと、休日の可能な範囲で、その地域の病院で診療の手伝いをさせていただいています。その代わり、私が診療に携わるからには、手抜きや妥協は一切致しません。検診(健診)も精密検査もしっかり行
皆様こんにちは八事の憩です今朝はすこしじめじめしていましたねかたつむり君の出動に最適な季節出勤前施設の渡り通路の真ん中をゆっくり横断するかたつむり君があぶないあぶないここは急いで出勤する八事の憩職員とリハデンタル職員のあるく(走る)道踏みつぶされてしまう~安全地帯に退避しましょう施設入口の紫陽花の葉の陰にここは絶対安全バラの花も咲いています可愛いでしょかたつむり君も憩の葉影に…ところで今日はN様が補聴器の作成でちょ
(取材日:4月7日,2024)故郷福島はいわきのお花見と言えば「松ヶ丘公園」でしょう。なんか相当久しぶり、たぶんン10年ぶりに行きました。凄く賑わっていてワイワイしてます。子供の頃に見たお花見の風景みたいです。お客さんは相変わらず子連れが多いです(というか前回は自分が子供だったか…)。違いはゴミが少ないことと、遊園地的な乗り物がないこと、あと犬がいっぱい。
7月2日日曜日目が覚めて窓を開けると昨日の雨の水滴が残り空は晴れていて久しぶりに気持ちの良い朝です今年初めて庭に種を蒔いたヒマワリが大きくなりもう少しで咲きそうですなんだか少し気分が停滞していたら先日故郷で合流した大阪の従弟からメールが着て元気のないmasaが心配と気遣いのメールでした「元気にしてるよ~!お母さんの庭に向日葵が咲きそうだよ~」と写真を送ったら「安心した、良かった」と返事があり
週末は、多肉の植え替えに根詰まりした花鉢の植え替えでクタクタになりました土曜は午前中はずっと植え替えしていたものの、赤玉土が足りないのではと思っていたところに、優さんが「一緒に園芸店に行こう、俺の赤玉土がなくなった」と誘ってくれたので思いがけず楽しい時間を過ごしました。園芸店のハウスの中で様々に息吹き始めた春の花々を見ていると、幸せでなぜだか自然に涙が溢れていきて、優さんに知られないように離れてブラブラしていました。気がつくといつも2時間は園芸店の中にいて、二人で「なんでこんなに長くいたん
台湾からの安倍晋三元首相の故郷訪問団との交流会。昨夜、日台未來を考えるシンポジウム後、日台友好の集い懇親会開催。今回は安倍晋三元総理の墓参を中心に160名の台湾の方々が。そのトップの陳唐山先生。台湾安倍晋三友の会会長である。萩生田前自民党総務会長も参加。山谷えり子党拉致問題対策本部長も。あれだけ騒がしいほど盛り上がった懇親会、昭恵元首相夫人が締めの挨拶に立たれると、サッと静寂に。「総理をやめたら台湾に行こう。」との言葉が胸に残る。
たまさかです何度も書いてきましたが、私の故郷は長崎県の五島列島です。生まれ育ったのは、五島の真ん中の奈留島です。中学を卒業するまで親元で暮らし、その後は長崎や福岡の学校に進学しました。就職してしばらくすると、奈留島に支店が出来たので転勤して、また生まれ故郷で暮らすことになりました。7年ほどでしょうか。人生61年のうちの、20年ちょっとの間奈留島に住んだことになります。三分の一ですね。その後、私は結婚して五島を離れ、離婚して戻る時には実家は両親の故郷の福江島に移っていました。奈留
やはりやはり昨日ママ友にはまだ言えなかった…何度も言葉を飲み込む2時間もたわいない話をしていたがまだ私は夫の病気を言葉には出来ないみたいだこのママ友は信頼している人だし絶対力を貸してくれる人と分かっているのだけど夫本人は職場や友人と色んな人に伝えているのに弱虫の自分がほとほとイヤになる明日から夫は一人旅に出る夫は横浜生まれそのあと義父の仕事の都合で引っ越し、小学校までを千葉県で過ごしたそうだずっとここ何年も言っていた『小さい頃過ごした
五年前、父はゴルフ場の泥濘に足を取られ、脚が有り得ない方向を向いて倒れた。その時に大腿骨骨頭を骨折してしまい、人工関節の置換手術を受けた。独居歴25年の大ベテランだけれど、男一人の侘しい暮らしは栄養なんか考えなくて、好きな物を好きなだけ食べる生活を続けて来ただけだった。骨頭骨折して初めて父が骨粗鬆症になっていると分かり、もう五年もカルシウム注射を受けに行っている。父の通院の付き添いに行くと、デイサービスの理学療法士さんから「そろそろ杖より歩行器にした方が良いですよ。」とアドバイスを受けた
田山出版に勤務するきくちゃん(栗坪菊)と周りの人々の各駅停車の物語。桜が終わって残念がるきくちゃんに、永井がかけた言葉が、思いがけない方向へ…?『きくちゃん』81話「葉桜へ」終読んで下さりありがとうございました。関連するお話1話「菊ちゃん」(宿とのご縁)5話「N(永井)前編」「後編」(女子校での2人)24話「ブンジさん」(永井が連れ帰る)36話「幸福駅」(ブンジさんの本出版)37話「おるすばん」(永井のやきもち)56話「サプライズ日和」(かぼちゃ届く)57
義母が故郷に帰る前にも呼び方の話題が持ち上がり、義父に義母がなんて呼ばせたいのかと聞いていました。(またこの話題😅)その時も私はばぁばだよね〜と結構大きな声で娘にいいました笑耳が遠いのもあるのか、聞いていないのか無反応でしたが。このあだ名で呼ばせる云々の話のくだりは2回目です。もっとか。よく話題になる。良い加減諦めて。うざい。写真を使って娘に呼び方の練習をさせていますが、今日は写真を使い、これ誰?って聞いてみたら、ばぁば!と言いました。褒めながら何回か練習したら結構な確率で言えるよう
こんばんは夫の妹が2月に亡くなってから早いもので気がつけば桜の季節5人兄弟の兄弟そして妹ここ2、3年で4人を送ってしまいましたとうとう1人残されて凄い悲しみになっています寂しい寂しいと遠く離れた山口故郷に行くことがあるだろうか日曜日にでも桜の花見にでも誘ってみようかな
10年位前2つ上の姉が肝硬変で肝性脳症昏睡状態になり危険な状態になったことがある病気が先々進行すると…内科的治療でよくならない場合は肝移植しかないその当時わたしも脂肪肝があり完全な健康体ではなかったが生体肝移植のドナー条件は2親等以内の親族か夫65さい以下とても大好きな大事な姉だったいつもいつもわたしが困った時には助けてくれたウルトラマン姉だったこの先生体肝移植が必要なときがくるかもしれない一大決心わたしが姉のドナーになろう
おはようごさいます😊故郷(ふるさと)っていいもんだ‼️そんな名前がありました‼️漢字は違うけど古里さん下の名前もかっこいい〜^^わっぜ美味しい〜ボトルに書いてます何処の出身って聞くと鹿児島の方でしたちょっと前にも、鹿児島の方が来店ご縁感じます最近ボトルキープの本数が多くなりすぎて見つけ出すのに時間がかかる時がありますが古里さん来たらボトルすぐに見つけられそうですふるさと思い出してさぁ〜顔晴ろうぜ〜🎵今日も楽しんで素敵な1日になりますように😊俺って最
父のところに行ってきました。認知症もあるのかな?と思ったのですが私たちが道に迷ったと勘違いしていたり叔母が亡くなったと伝えたけど自分の長兄が亡くなったと勘違いしてました。父も感受性が強すぎるとこあるとは思ってたけど自分は葬儀にでると混乱するから、といってました。少し間が空いてしまったなぁと気になってましたが父の身の回りのお世話をしてくださる方が最近来ないねと気にして下さってたみたいです。おそらく父の恋人なんじゃないかな。私たちのお菓子とフルーツも用意してく
皆さんこんばんはまだまだ寒い日もありますが、寒さの出口は見えてきましたねそろそろフィッシュイーターたちも、徐々に動きを変え始める頃♪♪またまた”しんちゃん“からのお便りが届きました。夜、友人と海へパトロール♪そして短時間キャスティング♪♪するとベイトがルアーに当たるエリアを発見!ここで大き目のミノーをルアーセレクト!ジャークを入れながらリトリーブすると・・・シーバスがヒット!友人に借りたタックルでのシーバスらしいです(笑)ノーカウントとは言っていたものの、
連日の暑さで桜も葉桜になりつつあります。先週、やっとみられた駒桜へ。まだ今、ぎりぎり見られるかな~。かねてから行ってみたかった「巨石探訪」。桜ではなく、巨石がメインでしたが、久しぶりに飯野町~二本松をうろうろ。公園とかじゃない山里に映える巨石を探訪してきました。駒桜は最後にみてきたのですが、先に桜を。何度か春に登っている小手姫の女神山帰る時にいつも「駒ザクラ」の小さい看板はみかけていましたが、スル―してました・・・きっと、ただ、大きい・・だけの桜・・・なんでしょう。
従姉妹は電話先で驚いていた。私より一回り以上年上の従姉妹も経験したことがなかったからだ。私は泣きながら、どうしていいかわからず、そればかり訴えた。従姉妹はとにかく故郷に帰って、しばらくゆっくりしたらどうかと言ってくれた。従姉妹とは、母親同士が兄弟で、小さな頃から従姉妹の家によく遊びに行っていて、その伯母が一人でくらしていたので、そこでのんびりしたら子供たちも変わらないかと。でも、それも遠く離れているので、娘の学校もあるし、そういうわけにもいかなかった。しばらく公園で時間をつぶし、恐る
なんと10月も今日含めあと2日で終わりですと…先日、息子達に誘われて久しぶりに神楽坂の大好きなお店に🧄このところわたし自身も忙しくそもそも海外に居ることも増えて多忙な息子達と予定を合わせられず…なかなか行けませんでした本当になにを食べても美味しくて居心地がよくて大好きなお店なんですこれこれ名物【にんにくの丸揚げ】これを…こうして…熱々の皮からスルッとにんにくを取り出すのはわたしの役目パクパク食べる息子達こんな時決まって「ママも食べてね」と長男「最後の一個食べて良い?」と
今、故郷に帰っている義母。毎日家族ラインにラインが来る。次帰る時(10月)は一緒に帰ろうと。持ち家を売ろうという話になったらしく、詳しいことは知りませんが、10月次帰る時に私の夫も一緒に行こうと。は?私はもちろん行きませんが、夫だけ呼ぶとか気持ち悪い。自分の旦那呼んだら?夫は多分、家売るのに中のものとか捨てたり移動させたりするのを手伝って欲しいんじゃ?と言っていたが、仕事もあるし、私たちを置いて行かない。もし行ったら、義父の面倒は私が見るのか