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職場での出来事です私は6年前から高齢者施設で働いています。高齢者施設なので入居されている方が亡くなることも多々あります。先週、いつも通りに食堂で夕食を食べていたAさん。車椅子の方で食べ終わったあと静かに座っていました。顔を見ると顔面蒼白あり。すぐに声かけし、バイタル測定。体温、血圧、脈拍、Spo2(酸素飽和度)全て異常なし。食べ物で窒息した様子もなし。「なんか調子悪いのよね…」と話されていました。「お部屋に戻って休みましょう」と声をかけ、車椅子を押しながらお部屋まで付き添いまし
8月6日病室に戻った私は、まず友人や旦那の会社へ連絡しました。頭の中に「数時間~数日」という限られた時間だけが鮮明に残り、会って頂ける人がいるのなら、可能な限り会って頂こう。と思っていました。会社へ連絡して、事情を説明すると、先日の祝賀会の時の様子や最後に勤務していた時の様子から、驚かれている様子でしたが、「わかりました。みんなに伝えておきます。」と、おっしゃて下さいました。友人へは前日、札幌からわざわざ会いに来てくれた友達に連絡をしました。電話で急変したことを伝えると
8月6日急変をあちこちに知らせて、たくさんの人が旦那に会いに来てくれていました。会社の方々が、病室を後にする少し前には友人達も駆けつけてくれていました。友人達も旦那の変わってしまった姿に驚いている様子で「この前会ったときは普通だったのに、いつから?」とがんであった事を知らない友人もいたので、これまでの経緯を話すと、「なんでもっと早くに知らせてくれなかったんだ・・・」と旦那が言えずにいた事やその時の気持ちを伝えると、黙って頷いていました。前日会っていた友人も、夜にはこ
8月9日容態が急変し今日で4日目。旦那は昨日まではそこそこ目を開けて、たまに会話ができたりもしていました。しかし、見た目には安定しているように見えても徐々に徐々に体の方は衰弱が進んでいました。寝ている時、目が半開きになっている事があります。看護師さんに「今の状態って目が開いてるように見えるけど、これは意識がある状態ですか?」「開いていても意識がある・・・とは言えないです。意識があって目を開けているなら目が合うと思いますが、今は半開きの状態で目を合わす事ができないので、おそ
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。昨日は朝から頭痛と口内の腫れがあったものの、食事もとれていつも通りのスタートを・・・のはずが、朝の分子標的薬のあとで眠ってしまうほど憔悴していたとおもったら11時に突然嘔吐。悪寒と全身の痺れ、ボーっとしてめまいもするし、なにより頭痛が・・・と、耐えられない状態になって、急遽病院に電話をしてオペ前の忙しい医師を頼って点滴で数時間眠ってきました。行きも帰りも仕事中の夫が駆けつけてくれて、車で送ってくれたけど、車内でまず吐いて、慌て
8月9日急変5日目になり、付き添いのペースも体に慣れて、時間をうまく使えるようになってきました。義母をお昼前に迎えに行き、病院へ連れて来る事さえも日課になっていたある日の事。いつものように義母を迎えに行き、車を少し走らせた所で義母が私にこう話しかけてきました。「あんた、香典とかはどうするの?」「・・・?」何を言ってるのか意味がわからず「香典は葬儀費用に使いますよ。」「そうでなくて。近所の町内の人が家に香典とか持ってくるしょ」「それは近所の方が旦那にって持ってきてくれ
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
【2023年1月19日の出来事】帰りに嘔吐した後、唇の色が真っ白になっていました。貧血??嫌な予感がしました。急いで自宅に向かいながら、訪問看護の方に連絡をしました。お帰りになられたらすぐに伺います。と。帰宅し、看護師さんが来て下さり、バイタルの確認。しかし、パルスオキシメーターがうまく感知しない。血圧もうまく測れない。手足がかなり冷たくなっていて、湯たんぽで温め、再びサチュレーションを測ると、酸素は96前後。脈拍が180超えていました。初めてみる数値でした。胸騒ぎがし
8月10日急変後5日目。義母との関係が崩れた前日。私は病室での付き添いをしながら色々な事を考えていました。現状、旦那は徐々に弱っていき、その命の灯がいつ消えてしまうのかわからない状態で、義母と感情を入れずに付き合っていけるのか・・・。旦那が亡くなった後、すべてを引き受けてこれから生活していけるのか・・・答えは簡単でした。NO!です。今だけなら私が我慢すればいい事です。が、旦那が亡くなった後、いつまで続くのかわからない状態で、私に我慢は絶対に無理だと思いました。もう少し人の言う
11月2日に入院した3号のその後です。「風邪をこじらせて」と書いたけれど実はかなり重症でした。入院後、熱が続いて頻脈になってSpO2下がって…小児科病棟からICUへ。そして挿管して人工呼吸器管理、抜管、再挿管、抜管、再々挿管。一進一退。11月24日、気管切開してやっと小康状態。11月6日、2度目の挿管の直前12月6日、夜、急変。「肺か気管からの出血でもう危ない」と連絡が来て私も急いで病院へ。小児科の主治医からは「今夜がヤマです。回復は残念ながら難しい。」と言われた
ツツマルハナサンゴ溶けたのその後の経過です今朝、起きてから早速、水替えしました1日おいて水替え間隔短い期間のはしばらくぶりです(x_x)三分の一の水替え水替え前にツツマルはこんな状態だったのでほぼあきらめてました一房はまずダメかと‥それでも水替えはやってみましたそれでも、結局変わらず右の二つは、奥に萎んでそうなので望みをつないでハナガササンゴは少し、ポリプが出ています水質に強いレッドのハナガサでさえこれでは周りはあまり変わらないのだけど不調の原因は、三日前
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
皆さん温かいコメント、ありがとうございました。おひとつおひとつじっくり読ませていただきました。ばあちゃんも青空の向こうで喜んでいると思います。さて。先週の日曜日。平日はいつも大体5時半には目が覚めているけどお休みだから朝寝を決め込んでいたワタシ。そこへ携帯のバイブ音。慌てて飛び起きて見てみると老健フロアからではないか。こんな時間にかけて来るなんて床屋がどうとかパジャマの替えがいるとかそんな話ではなかろうて。半分寝ぼけてる上に
8月11日急変後6日目。今日から早いところはお盆休みです。私の会社も旦那の会社も休みに突入しました。旦那の様子は落ち着いてると言える状態だったと思います。しかし、落ち着いてるとはいえその病状は快方に向かうことはありません。主治医が言っていた通り、徐々に徐々に衰弱していました。急変直後はまだ、体を起こす事も話す事もできていました。しかし、この辺りから体を起こすことはなくなり、会話も途切れ途切れで、話すというより単語で訴える・・・と言った方があっているかもしれません。腹水も溜ま
急変し、蘇生された後、5日目に人工呼吸器が外れました。絶食がしばらく続き、一段と痩せてしまいました。その間、肝機能もじわじわと悪化し、黄疸が出始めました。頻繁に徐脈が起き、心拍数が60台を切ることもありました。息子は急変する前に覚えた「指しゃぶり」をぱたりとしなくなりました。敗血症性ショックによる急変から、少しずつ回復して、新たにできるようになった指しゃぶり。小さなことかもしれませんが、私にとってそれは、厳しい状況の中でも息子が成長していることの証であり、一筋の光明でした。息子が指
潰瘍性大腸炎の夫を持つ妻のブログへようこそ難病を持っていても明るく楽しく生きていきたい。私たち夫婦について赤裸々に綴ります。はじめましての方はぜひこちらからどうぞ!↓『はじめまして。』どんなきっかけであれこのブログを見にきてくださり、ありがとうございます!私の夫には難病があります。ここでは夫の様子や我々夫婦の日常生活を赤裸々にお伝えして…ameblo.jp夫急変です…ここ最近風邪なのかアレルギーなのか、不調は続いていたものの、潰瘍性大腸炎の悪化は見られませんで
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)混乱する頭の中で色々な感情が溢れる一度も泣いた事のない私の目から止まる事のない涙…そんな中で目が覚めそうに動いたりーたんだが、その瞬間…一瞬で息子の体が真っ白になった…えっ?!気づいた看護師がすぐに医師を呼ぶ慌ただしくなる周りの様子モニターを見るとサチュレーション・心拍が一気に下がった急いでバギングが始まった…以前にも見たテレビを観ている様な光景この状態の時は客観的に見えてしまう今まで呼吸不全を起こしチアノーゼにな
職場の所長の奥さんの話膵臓がんが肝臓に転移し週一回の抗がん剤に通っていた一度は数値が良くなったと喜んでいたか、最近また数値が悪くなり来週、CVポートを埋め込み、新しい抗がん剤(65才までしかダメだったが、使えるようになったとかで)を3日間投与を開始しこれを二週間ごとにやっていくという次のステージにって事なのかなもうウイッグの生活をしてるし抗がん剤後の2日間は発熱とかで寝ているというでもこれ以上の副作用があるんだろうなそうなると所長も落ち込むし仕事どころじゃなくな
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
緩和ケアで自宅に戻った兄は、徐々に落ちていく体力を感じつつも、自分らしく頑張っていたようです。でも、せん妄状態もあり、在宅医より「急変もあり得る」と言われたと兄嫁さんのKちゃんからLINEが来たのが、亡くなった当日午前中のこと。本当なら直ぐにでも飛んで行きたかった。だけどKちゃんの「来て貰っても食事や布団の準備が出来ないから」の言葉。「お客さんじゃないから!雑魚寝でも何でも良いんだよ。食事だってコンビニに行って勝手に食べるし」って言ったけど…結局は兄が「大袈裟にしたくない」って言っ
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
翌日午前2時42分N病院から息子の急変を知らせる電話がありました。私は真夜中の搾乳の後、寝入っていて気づかず、主人が電話を受けました。「息子さんが急変しました。緊急で開腹手術をしなければならない危険な状態です。今すぐ病院に来てください」まだ夢の中にいた私は、主人から起こされて急変の話を聞き、一気に目が覚めました。「嫌だ。嫌だ」と信じられない気持ちでいっぱいでした。すぐに着替えて、車に乗り込み高速道路を飛ばして病院に駆けつけました。病院で私たちが目にしたのは、蝋人形のように青白く生気
2020年の闘病記をもとに綴っています1月23日※前回からの続きです夕方になって急変した私心機能が一気に低下して心エコーでのEFは5~10%(正常値は60%以上)になっていて、急性心筋炎→劇症型心筋炎に移行してた一刻を争う事態になり、ECMO/PCPSを入れるために心カテーテル室に運ばれた。画像・藤田医科大学HPより引用ECMO(体外式膜型人工肺)は重症呼吸不全や重症循環不全・重症心不全に対して行われる生命維持法で、心臓と肺が生命を維持するのに十分な機能を
29日に緊急で脳の手術をしました。翌朝には問題なく徐々に覚醒していきますと連絡をいただきました。その夜急変の連絡があり急いで病院に駆けつけました。当直の先生から説明をしてもらいましたが、もうわけわからない。なぜ急にこんな事になったのか。手術に行く前に声をかけてあげたかった。既に朦朧としていたらしいけど…ギュッと抱きしめてあげたかった。もう一度目を覚まして欲しい。話をし
8月6日病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく時間が過ぎていった。娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの昨日の行動の後悔の話をした。先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなってもおかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの後悔が後悔でなくなればいい・・・そん
『自己紹介とお願い』(2022年12月8日更新)自己紹介初めまして。生チョコぽん酢といいます。ブログに来てくれてありがとうございます!私は首都圏で民間救急事業所を経営して1…ameblo.jp『シェディング体験を語るスレ(例の臭いの情報も募集)』『自己紹介とお願い』自己紹介初めまして。生チョコぽん酢といいます。ブログに来てくれてありがとうございます!私は首都圏の民間救急事業所で患者搬送乗務員とし…ameblo.jpこんにちは、ヘトヘトの生チョコぽん酢です。今日も中々
おはようございます。夫が入院して、けっこう大変な状況なのに…なぜか💦睡眠障害の私なのに熟睡出来てる昨年、夫の余命告知を受けてから…、小さな目標を立てながら夫を見守ってきました。真実の病状を知らない夫は…、日を追って食欲や体重、体力の回復で自己中2歳児満載のフザケルナ👊いい加減にしろ💥の中で過ごしていました。去年の今頃の私の目標は…、無事にクリスマスを迎えさせる事。無事に新年を迎える事。でした。これはクリア🤗まぁ💦その影で家族は葬儀の準備をしてたけど2023年を無事に迎え
私のお気楽ブログにこの記事が必要なのかはわかりませんが今の気持ちを残して置きたい。という気持ちになりました。父が亡くなった日の事も綴っています。父はとてもお酒にだらしない人でした。いつもいつもお酒が優先でそんな父が嫌いでした。でも根はとても繊細でどんな人よりも人を気遣い、でもそんな気遣いまで不器用な人でした。健康的な事はほとんどせず、お酒を手放さない為年齢と共に食べられなくなり細くなり、ベロベロに酔っ払っちゃ転んでどこか出血したり、ケガしたり…と一時も気が休ま
8月21日午前11時45分旦那は旅立ちました。52歳でした。また、後日改めて書かせて頂こうと思います。