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8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
4/1814時53分病院から電話。急変して今、心臓マッサージしてるから今すぐきてください。着いた時には亡くなってました。4/19か20には退院かな。って言われてたのに‥死因はARDSでした。今日17時からお葬式なので落ち着いたら備忘録の為にもまた書きます。ティファニー。長い間、側に居てくれてありがとう。頑張ったね。母ちゃん、笑って見送るからね。
8月21日午前11時45分旦那は旅立ちました。52歳でした。また、後日改めて書かせて頂こうと思います。
昨日は夫の諸々の手続きに病院へ電車での通院でもいろんな事が思い出されて道々とても切なくなった電車でどれだけ通ったろう夫が急変しても家には猫達がお腹をすかせてる猫のご飯係だった夫よく、一手間かけて優しくあげてたなぁそんな夫は早く帰って猫にご飯あげてと言ってるに決まってる夫に一人で逝かないでよって言って祈って電車で往復三時間ご飯をあげてトイレを掃除してダッシュで病院へ戻るを何度かした走って走って転んだりもしたそれも想い出に変わった昨日病院の帰りの電車内
生後604日目。11月22日の朝、仕事で外に出ていた私の携帯に病院から電話が入った。主治医より朝から心拍数が低く、70を切った。もし病院に来れるようでしたら来ていただいて、個室に移動しますので、週末ご家族で過ごされてはどうでしょう。との電話だった。すぐ来てほしい、という電話ではなかったが、私は出先からすぐ戻り、会社で事情を説明して早退させてもらうことにした。帰宅して、念の為、夫にも連絡し、早退できるようであればしてほしいと伝えた。私の職場は家から5分、夫の職場は家から10分。最初の電
私の転座型腎細胞癌は珍しい癌だと言われていますネットで調べてもどこかの大学の研究発表があり…まだ不明なことがたくさんみたいですこのブログでもたくさんの方が癌についてのせていたりしますが検索で転座型腎細胞癌ってやると私の記事のみ旦那もTwitterで検索したら…1件だけあったようです載せていた方にコメントをしたらその方のお母さんがその癌だったようで今は亡くなったようです急変しやすいので我慢しないように言われました病院の先生方みんなで話し合い
6月22日の夜明け前、急変を知らせる病院からの電話がありました。「息子さんが急変して、今、心肺蘇生をしています。すぐ来てください。」病院に向かう車の中で、私はぶつぶつ言い続けました。「あんなに母乳を欲しがってたのに、飲ませてあげればよかった。最後になるかもしれないなら、我慢させずに思う存分飲ませてあげれば良かった。」今思うと、そのときの私は「心肺蘇生」という言葉から早とちりして「心肺停止」状態を連想していたので、病院に着いたら、息子は亡くなっているんじゃないかと最悪の事態を考えてしまっ
急変し、蘇生された後、5日目に人工呼吸器が外れました。絶食がしばらく続き、一段と痩せてしまいました。その間、肝機能もじわじわと悪化し、黄疸が出始めました。頻繁に徐脈が起き、心拍数が60台を切ることもありました。息子は急変する前に覚えた「指しゃぶり」をぱたりとしなくなりました。敗血症性ショックによる急変から、少しずつ回復して、新たにできるようになった指しゃぶり。小さなことかもしれませんが、私にとってそれは、厳しい状況の中でも息子が成長していることの証であり、一筋の光明でした。息子が指
翌日午前2時42分N病院から息子の急変を知らせる電話がありました。私は真夜中の搾乳の後、寝入っていて気づかず、主人が電話を受けました。「息子さんが急変しました。緊急で開腹手術をしなければならない危険な状態です。今すぐ病院に来てください」まだ夢の中にいた私は、主人から起こされて急変の話を聞き、一気に目が覚めました。「嫌だ。嫌だ」と信じられない気持ちでいっぱいでした。すぐに着替えて、車に乗り込み高速道路を飛ばして病院に駆けつけました。病院で私たちが目にしたのは、蝋人形のように青白く生気
2部に分けて投稿しています本文はこちらですいつもと違う高齢者をみたら❶終末期対応の実際⑴病院に向けた意思確認書は3つに分けて用意しよう・高齢者が病院に搬送されてきたとき、受け入れる側の病院がしばしば問題になるのは、何をどこまで治療すればよいのかの指示がわからないことです。・これらに対して「急変時や終末期における医療などに関する意思確認書」のような覚え書きを作っている施設も少なくありません。・治療行為をどこまで希望されるのか、ご本人の意思を事前
令和3年4月20日(火)朝起きて元気は無いけど、「バナナ食べようかな」と言う。具合が悪くなって4日間、ゼリーしか食べられずにいた。バナナの輪切り3個食べた。その後、アクエリアスとカルピスも飲む。この4日間を思うと食べれたし、飲むこともできた。前日の点滴が良かったのかな?このまま元気になってくれたらいいな…なんて思っていた。私は庭の草がヒドイことになっていたので、リビングのカーテンを開け、息子の様子を見ながら草むしりをしていた。時々声を掛けると、ソファでゴロゴロしながら返事をしてく
論文No2464UseofCombinedDo-Not-Resuscitate/Do-NotIntubateOrdersWithoutDocumentationofIntubationPreferences:ARetrospectiveObservationalStudyatanAcademicLevel1TraumaCenterCodeStatusandIntubationPreferencesJeffreyB.RubinsCHES
いつかは来る別れしっかりしろよ、あたし。自分の感情より…今は苦しくないように痛くないように怖くないように祈ろう🙏