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だうも、おちゅかれマンモス!!病気療養中で、段々と元気になって来たねえって言っていたら、急変するってこともありますよね。それで、昨日まであんなに元気だったのに?っていうことも。私も今の状態になって、約2年。ほんのちょっとずつ快方に向かっておりました。以前は、本当に寝たきり中年でしたが、昨年秋ぐらいからは、こうしてブログも書けるようになったし。これなら、今年の夏か秋にはホンマモンの仮病になって、温泉宿でウッシッシってなるんじゃないかと思っていました。が、先週の金曜日から急変
パパが亡くなり葬儀社の寝台車で自宅へ戻って来た。生前からお通夜無しの1日葬にしたいと思ってた。お通夜を葬儀場で過ごさせたくなかった。最期まで自宅で過ごさせてあげたかった。4月9日日曜日はパパの親しかった方、私たちの仲人ご夫妻、私の友人が自宅に弔問して下さった。晩は同居している私の84歳になる母と妹、そして娘とパパを囲みピザを頼んでパパと私が大好きな"世界の果てまでイッテQ"を観ながら過ごした。最近しんどくてテレビも観れなかったから多分楽しんでくれてたと思う。4月10日月曜日11時葬儀
職場での出来事です私は6年前から高齢者施設で働いています。高齢者施設なので入居されている方が亡くなることも多々あります。先週、いつも通りに食堂で夕食を食べていたAさん。車椅子の方で食べ終わったあと静かに座っていました。顔を見ると顔面蒼白あり。すぐに声かけし、バイタル測定。体温、血圧、脈拍、Spo2(酸素飽和度)全て異常なし。食べ物で窒息した様子もなし。「なんか調子悪いのよね…」と話されていました。「お部屋に戻って休みましょう」と声をかけ、車椅子を押しながらお部屋まで付き添いまし
おはようございます。夫が入院して、けっこう大変な状況なのに…なぜか💦睡眠障害の私なのに熟睡出来てる昨年、夫の余命告知を受けてから…、小さな目標を立てながら夫を見守ってきました。真実の病状を知らない夫は…、日を追って食欲や体重、体力の回復で自己中2歳児満載のフザケルナ👊いい加減にしろ💥の中で過ごしていました。去年の今頃の私の目標は…、無事にクリスマスを迎えさせる事。無事に新年を迎える事。でした。これはクリア🤗まぁ💦その影で家族は葬儀の準備をしてたけど2023年を無事に迎え
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
8月6日病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく時間が過ぎていった。娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの昨日の行動の後悔の話をした。先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなってもおかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの後悔が後悔でなくなればいい・・・そん
「お腹の精密検査」シリーズ過去のシリーズはこちら↓を御覧下さいm(__)m『お腹の精密検査・その1「本日夕方から始まる下剤地獄www」』皆様こんにちはぁm(__)mレジストリーでございまぁすヽ(^0^)ノさてさて詳細は『大人の階段昇る~♪赤紙が届いたのっさ♪』皆様おはようござい…ameblo.jp『お腹の精密検査・その2「検査前日からから始まるハードな1日www」』「お腹の精密検査」シリーズ過去のシリーズはこちら↓を御覧下さいm(__)m『お腹の
私のお気楽ブログにこの記事が必要なのかはわかりませんが今の気持ちを残して置きたい。という気持ちになりました。父が亡くなった日の事も綴っています。父はとてもお酒にだらしない人でした。いつもいつもお酒が優先でそんな父が嫌いでした。でも根はとても繊細でどんな人よりも人を気遣い、でもそんな気遣いまで不器用な人でした。健康的な事はほとんどせず、お酒を手放さない為年齢と共に食べられなくなり細くなり、ベロベロに酔っ払っちゃ転んでどこか出血したり、ケガしたり…と一時も気が休ま
これは過去のお話です時間軸が前後する場合があります。事情があって実家の父は要介護3の認知症で一人暮らしになりました。デーサービス、ヘルパーさんに入ってもらいどうにか暮らしていました。少し時間軸が戻っているかもしれません。10年前の話で、記憶が曖昧な部分があります。ある日。朝のヘルパーさんから電話が入りました。お父さんの様子が少しおかしいです。食欲もないし、フラフラしています。ご本人は大丈夫と言ってますが、転んで怪我をしても怖いので、心配なので救急車を呼びます。
うみです♪今、金星がキープラネットでパートナーとの関係や恋愛、金銭的な事での急な動きが起こりやすい!『9/27(水)月は魚座へ!&現在のキープラネット金星について』うみです♪すっかり空気が秋ですね!!涼しくなってきて娘と公園に行く時間も増えました帰りに満月に向かって膨らんできている月を見ながら帰って来ました…ameblo.jpという事をお伝えしていたところ芸能界でもそんな話題が出てますねぇ大抵ネットニュースで知る👀芸能人
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)3日連続でサチュレーションが下がった!!産まれてから今までも何度となく起きている気切をする前なら毎日何度もあった事…りーたんは昨日もご機嫌で笑顔いっぱいなのに何故か気になった今日が最大と言われる台風が直撃するから?こんなにソワソワするのだろうか?『虫の知らせ』と言うものがあるのならこの感覚なのだと後になってわかったがその時は分からなかった…ただ早くりーたんの所へ行こう!!そう思い、台風で休みになったおチビ達を次女に任せ
美しいモノ大好きアラカン占い師過日、ポカポカ陽気につられてブラリ宝塚散歩奇跡的に「花のみち」を一人占め爽やかな風に揺れる桜の花や葉っぱを見ていると「揺れてもイイんやな~」「太い幹で大地に根を張っていれば」なんて・・・思って眺めておりました。今日のひらめき「幸運の変革期~今年一番の重要な出来事へ向かう。牡牛座木星と天王星コンジャクション」先日9日の牡羊座新月、いかがお過ごしでしたか。私自身も含めお客様にも友人達にも顕著に激しく前向
旦那…パパが4月8日土曜日急変して亡くなった。前日の訪問入浴では大好きなヘルパーの女の子が来てくれて笑顔も見れた。4月12日から半年ごとの腸瘻チューブ交換を1週間レスパイトに充てていたので訪問入浴前に散髪してあげて入浴後には爪切りや身支度を整えていた。4月8日土曜日朝からゴロゴロした痰の音はするのに中々吸引出来なくて。でもそれなりに吸引しながら過ごしていたらどうもサーチが80代から上がらず受け答えも出来なくは無いけれど反応が悪い様に思い昼間訪問看護ステーションに連絡して看護師さんに来ても
6月22日の夜明け前、急変を知らせる病院からの電話がありました。「息子さんが急変して、今、心肺蘇生をしています。すぐ来てください。」病院に向かう車の中で、私はぶつぶつ言い続けました。「あんなに母乳を欲しがってたのに、飲ませてあげればよかった。最後になるかもしれないなら、我慢させずに思う存分飲ませてあげれば良かった。」今思うと、そのときの私は「心肺蘇生」という言葉から早とちりして「心肺停止」状態を連想していたので、病院に着いたら、息子は亡くなっているんじゃないかと最悪の事態を考えてしまっ
今日、初七日が終わりました。バタバタと慌ただしい1週間が過ぎ、旦那の葬儀も24日、25日と無事に終わる事ができました。正直、もぬけの殻です。喪失感だけが残っていて、何もする気がおきません。入院中、付き添いなどで家にいなかったこともあり、家が掃除しないと汚いです。でも、気力がないのです。昨日は1日、掃除もせずに旦那の写っている動画をひたすら見ていました。もちろん号泣です。しかし、このままでいる訳にはいきません。なんとか気持ちを奮い立たせて、前に進まなければな
現在、8歳になるマイペース自閉症のアラジンの日記です。特別支援学校に元気に通学しています。▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼暑すぎる日が続いていますが…今年は一段と暑かった気がしますコロナで自粛で、夏のイベント花火やお祭りは中止がほとんどで…寂しい夏でしたね。来年は、落ち着いていてほしいものです。ーーーーーーーーそんな中スタートしたアラジンの夏休みでしたが私の父が入院。初日から大変な1日でした…2日
8月6日急変をあちこちに知らせて、たくさんの人が旦那に会いに来てくれていました。会社の方々が、病室を後にする少し前には友人達も駆けつけてくれていました。友人達も旦那の変わってしまった姿に驚いている様子で「この前会ったときは普通だったのに、いつから?」とがんであった事を知らない友人もいたので、これまでの経緯を話すと、「なんでもっと早くに知らせてくれなかったんだ・・・」と旦那が言えずにいた事やその時の気持ちを伝えると、黙って頷いていました。前日会っていた友人も、夜にはこ
8月6日病室に戻った私は、まず友人や旦那の会社へ連絡しました。頭の中に「数時間~数日」という限られた時間だけが鮮明に残り、会って頂ける人がいるのなら、可能な限り会って頂こう。と思っていました。会社へ連絡して、事情を説明すると、先日の祝賀会の時の様子や最後に勤務していた時の様子から、驚かれている様子でしたが、「わかりました。みんなに伝えておきます。」と、おっしゃて下さいました。友人へは前日、札幌からわざわざ会いに来てくれた友達に連絡をしました。電話で急変したことを伝えると
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。昨日は朝から頭痛と口内の腫れがあったものの、食事もとれていつも通りのスタートを・・・のはずが、朝の分子標的薬のあとで眠ってしまうほど憔悴していたとおもったら11時に突然嘔吐。悪寒と全身の痺れ、ボーっとしてめまいもするし、なにより頭痛が・・・と、耐えられない状態になって、急遽病院に電話をしてオペ前の忙しい医師を頼って点滴で数時間眠ってきました。行きも帰りも仕事中の夫が駆けつけてくれて、車で送ってくれたけど、車内でまず吐いて、慌て
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)看護師長の慌てた様子に主人と2人で息子の元へ走る中へ入ると高い警告音が響いていたピーーーーーーーーーーッモニターは0になっていたなんで?!助けてくれたんじゃないの??1人の時は泣きながらも静かに見ていた私主人が来たから安心したせいか自分でもビックリする程泣き崩れ蘇生している医師達に必死にお願いしていた『いやーーー、りーたん、りーたん』『助けて下さい!!』りーたんに聞こえる様にりーたんがどこにも行かない様に
24日、家内は、病状が急変し、救急車で移送され入院しました。肝臓転移によると思われる食欲不振があり、弱っている上に、脳転移か、あるいは全脳照射の後遺症によると思われる痙攣が発症し、薬も飲めない状況となってしまいました。(全脳照射から、4.5ケ月程経っています)今は、点滴による薬剤投与で麻痺はなくなりましたが、ほとんど意識がなく、時々微妙に手足を動かすだけです。認めたくはありませんが、残念ながら、最期が直近に迫っている状況と判断せざるを得ません。小細胞肺がんの進行、特に肝臓転移の広がりの速
先週6月3日土曜日容態が急変した義母が旅立ちました。朝10時頃、義妹から夫に『ホスピスから連絡が来て、容態急変で危ないからすぐ来てと言われたから今向かってる』と連絡が入り、、また直ぐに義妹から連絡が入り、『2.3時間の命らしい、、、』と。12時40分頃、再度義妹から、、、『亡くなった』と。夫は冷静だったが、私の方が泣き崩れ、悲しくて淋しくて、義母が可哀想で、、最後会えなかったのが辛かった。翌日会いに行く予定でいただけに、会えなかったことが悲しくてたまらなかった。ここに書ききれない
翌日午前2時42分N病院から息子の急変を知らせる電話がありました。私は真夜中の搾乳の後、寝入っていて気づかず、主人が電話を受けました。「息子さんが急変しました。緊急で開腹手術をしなければならない危険な状態です。今すぐ病院に来てください」まだ夢の中にいた私は、主人から起こされて急変の話を聞き、一気に目が覚めました。「嫌だ。嫌だ」と信じられない気持ちでいっぱいでした。すぐに着替えて、車に乗り込み高速道路を飛ばして病院に駆けつけました。病院で私たちが目にしたのは、蝋人形のように青白く生気
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
2020年の闘病記をもとに綴っています1月23日※前回からの続きです夕方になって急変した私心機能が一気に低下して心エコーでのEFは5~10%(正常値は60%以上)になっていて、急性心筋炎→劇症型心筋炎に移行してた一刻を争う事態になり、ECMO/PCPSを入れるために心カテーテル室に運ばれた。画像・藤田医科大学HPより引用ECMO(体外式膜型人工肺)は重症呼吸不全や重症循環不全・重症心不全に対して行われる生命維持法で、心臓と肺が生命を維持するのに十分な機能を
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
8月9日急変5日目になり、付き添いのペースも体に慣れて、時間をうまく使えるようになってきました。義母をお昼前に迎えに行き、病院へ連れて来る事さえも日課になっていたある日の事。いつものように義母を迎えに行き、車を少し走らせた所で義母が私にこう話しかけてきました。「あんた、香典とかはどうするの?」「・・・?」何を言ってるのか意味がわからず「香典は葬儀費用に使いますよ。」「そうでなくて。近所の町内の人が家に香典とか持ってくるしょ」「それは近所の方が旦那にって持ってきてくれ
8月9日容態が急変し今日で4日目。旦那は昨日まではそこそこ目を開けて、たまに会話ができたりもしていました。しかし、見た目には安定しているように見えても徐々に徐々に体の方は衰弱が進んでいました。寝ている時、目が半開きになっている事があります。看護師さんに「今の状態って目が開いてるように見えるけど、これは意識がある状態ですか?」「開いていても意識がある・・・とは言えないです。意識があって目を開けているなら目が合うと思いますが、今は半開きの状態で目を合わす事ができないので、おそ