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職場での出来事です私は6年前から高齢者施設で働いています。高齢者施設なので入居されている方が亡くなることも多々あります。先週、いつも通りに食堂で夕食を食べていたAさん。車椅子の方で食べ終わったあと静かに座っていました。顔を見ると顔面蒼白あり。すぐに声かけし、バイタル測定。体温、血圧、脈拍、Spo2(酸素飽和度)全て異常なし。食べ物で窒息した様子もなし。「なんか調子悪いのよね…」と話されていました。「お部屋に戻って休みましょう」と声をかけ、車椅子を押しながらお部屋まで付き添いまし
【2023年1月19日の出来事】帰りに嘔吐した後、唇の色が真っ白になっていました。貧血??嫌な予感がしました。急いで自宅に向かいながら、訪問看護の方に連絡をしました。お帰りになられたらすぐに伺います。と。帰宅し、看護師さんが来て下さり、バイタルの確認。しかし、パルスオキシメーターがうまく感知しない。血圧もうまく測れない。手足がかなり冷たくなっていて、湯たんぽで温め、再びサチュレーションを測ると、酸素は96前後。脈拍が180超えていました。初めてみる数値でした。胸騒ぎがし
『自己紹介とお願い』(2022年12月8日更新)自己紹介初めまして。生チョコぽん酢といいます。ブログに来てくれてありがとうございます!私は首都圏で民間救急事業所を経営して1…ameblo.jp『シェディング体験を語るスレ(例の臭いの情報も募集)』『自己紹介とお願い』自己紹介初めまして。生チョコぽん酢といいます。ブログに来てくれてありがとうございます!私は首都圏の民間救急事業所で患者搬送乗務員とし…ameblo.jpこんにちは、ヘトヘトの生チョコぽん酢です。今日も中々
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
3/3朝、末っ子がテスト中のためクラブ休みで朝ご飯コンビニ買いに行くと言ったらコロッケ買ってきて〜とお母さん。朝ご飯おかゆとおいも食べたあとだったけど食べたくなったみたい。私もピザまんお願いして買ってきてもらった。お母さんはパクパクと全部コロッケ食べて美味しかった〜♪と満足してましためっちゃ今日は食べたな〜と3人で話しながらテレビ観て、薬飲んでベッドへ。私が午前中用事あったので何かあったらすぐに電話してとお母さんに伝えたら寝てるだけやから大丈夫やよ〜と。末っ子にリビングに居てもらうよう
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
生後604日目。11月22日の朝、仕事で外に出ていた私の携帯に病院から電話が入った。主治医より朝から心拍数が低く、70を切った。もし病院に来れるようでしたら来ていただいて、個室に移動しますので、週末ご家族で過ごされてはどうでしょう。との電話だった。すぐ来てほしい、という電話ではなかったが、私は出先からすぐ戻り、会社で事情を説明して早退させてもらうことにした。帰宅して、念の為、夫にも連絡し、早退できるようであればしてほしいと伝えた。私の職場は家から5分、夫の職場は家から10分。最初の電
おはようございます。夫が入院して、けっこう大変な状況なのに…なぜか💦睡眠障害の私なのに熟睡出来てる昨年、夫の余命告知を受けてから…、小さな目標を立てながら夫を見守ってきました。真実の病状を知らない夫は…、日を追って食欲や体重、体力の回復で自己中2歳児満載のフザケルナ👊いい加減にしろ💥の中で過ごしていました。去年の今頃の私の目標は…、無事にクリスマスを迎えさせる事。無事に新年を迎える事。でした。これはクリア🤗まぁ💦その影で家族は葬儀の準備をしてたけど2023年を無事に迎え
今日は主人がくも膜下出血になってちょうど一年の日です。わたしたち家族の運命はこの日に大きく変わってしまいました。昼過ぎに主人は自室で嘔吐して倒れており、救急車を呼び病院に入りました。頭のCTをとり医師からくも膜下出血と説明をうけました。グレードは3だった。子供たちや親族に連絡し、翌日動脈瘤のクリッピング手術をうけました。子供たちと待つ間、雪がずっと降っていてとても長く感じてた。手術が終わり医師から説明を受け、主人と面会してまだもうろうとしてたけど、わたしたちがいるのをわかっていたので
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
現在、8歳になるマイペース自閉症のアラジンの日記です。特別支援学校に元気に通学しています。▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼暑すぎる日が続いていますが…今年は一段と暑かった気がしますコロナで自粛で、夏のイベント花火やお祭りは中止がほとんどで…寂しい夏でしたね。来年は、落ち着いていてほしいものです。ーーーーーーーーそんな中スタートしたアラジンの夏休みでしたが私の父が入院。初日から大変な1日でした…2日
うみです♪今、金星がキープラネットでパートナーとの関係や恋愛、金銭的な事での急な動きが起こりやすい!『9/27(水)月は魚座へ!&現在のキープラネット金星について』うみです♪すっかり空気が秋ですね!!涼しくなってきて娘と公園に行く時間も増えました帰りに満月に向かって膨らんできている月を見ながら帰って来ました…ameblo.jpという事をお伝えしていたところ芸能界でもそんな話題が出てますねぇ大抵ネットニュースで知る👀芸能人
8月10日急変後5日目。義母との関係が崩れた前日。私は病室での付き添いをしながら色々な事を考えていました。現状、旦那は徐々に弱っていき、その命の灯がいつ消えてしまうのかわからない状態で、義母と感情を入れずに付き合っていけるのか・・・。旦那が亡くなった後、すべてを引き受けてこれから生活していけるのか・・・答えは簡単でした。NO!です。今だけなら私が我慢すればいい事です。が、旦那が亡くなった後、いつまで続くのかわからない状態で、私に我慢は絶対に無理だと思いました。もう少し人の言う
それからママに抱かれパパに見守られありがとうと言わんばかりに娘は母の日に息を引き取りました。お疲れ様。よく頑張ったね。偉いね。と声をかけずっとマスク越しだったためできなかったキスをお顔にたくさんしてあげました。数日間泣いてばっかりで励ましてあげることができずに申し訳ないと思った反面もういいよ、と辛くないようにしてあげたいと思う気持ちでいっぱいでした。それでも本人は痛かったし辛かっただろうなと思います。小さな身体にしてよくがんばりました。すごい強い子だと
寂しいですが残りは家族と過ごす時間にあてたいと思っています。面会に関しても24時間いつでも許可します。心肺蘇生のお話もさせて頂きますが、胸骨圧迫は痛みを伴うので、やりたくありません。ご家族が不在のときは最期の時間を過ごしてもらうために心臓の動きを少し強化させるお薬のみを使わせていただきます。できれば、明日会わせたい家族がいれば上の子達含め全員会ってほしいとそう告げられました。
なぜ、我が子の死亡確認を聞かなければならないのかこんな残酷な現実になってしまうなんて一緒にお家でワイワイしたかった将来家族みんなで旅行に行ける日が来ることを目標にしていたのに。もっと一緒にいたかったな今日も面会に行けば会えるぞという気持ちがなくなってしまい心が寂しいですが娘と出会えて笑顔が見れて抱っこができてミルクがあげれてとっても幸せでした。
8月9日容態が急変し今日で4日目。旦那は昨日まではそこそこ目を開けて、たまに会話ができたりもしていました。しかし、見た目には安定しているように見えても徐々に徐々に体の方は衰弱が進んでいました。寝ている時、目が半開きになっている事があります。看護師さんに「今の状態って目が開いてるように見えるけど、これは意識がある状態ですか?」「開いていても意識がある・・・とは言えないです。意識があって目を開けているなら目が合うと思いますが、今は半開きの状態で目を合わす事ができないので、おそ
お腹の張りは見るからに強くなり人工呼吸器で管理されてはいるも呼吸がすごく苦しそう。触ったり話しかけると反応はしてくれるが辛そうな娘をみるのがとても辛かったです。そして先生より夫と揃ってお話を聞きました。お腹が大きくなり他の臓器を内側から圧迫している。特に腎臓が圧迫されておりおしっこが出ていない。尿が出ないということは毒素が溜まり血液の循環も悪くなっていく。しかしもうこれ以上は救命としての治療はできません。
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
8月6日病室に戻った私は、まず友人や旦那の会社へ連絡しました。頭の中に「数時間~数日」という限られた時間だけが鮮明に残り、会って頂ける人がいるのなら、可能な限り会って頂こう。と思っていました。会社へ連絡して、事情を説明すると、先日の祝賀会の時の様子や最後に勤務していた時の様子から、驚かれている様子でしたが、「わかりました。みんなに伝えておきます。」と、おっしゃて下さいました。友人へは前日、札幌からわざわざ会いに来てくれた友達に連絡をしました。電話で急変したことを伝えると
その日の夜も先生からの電話です。状態は変わらないがお腹の張りがさらに強くなってきている。もし、何かあれば夜中でも連絡しますのでよろしくお願いしますとのことでした。なんで、ひどいこんなに頑張ってる子になんでなんで急にこうなった、、?展開が早すぎてただそれだけでした。
翌日午前2時42分N病院から息子の急変を知らせる電話がありました。私は真夜中の搾乳の後、寝入っていて気づかず、主人が電話を受けました。「息子さんが急変しました。緊急で開腹手術をしなければならない危険な状態です。今すぐ病院に来てください」まだ夢の中にいた私は、主人から起こされて急変の話を聞き、一気に目が覚めました。「嫌だ。嫌だ」と信じられない気持ちでいっぱいでした。すぐに着替えて、車に乗り込み高速道路を飛ばして病院に駆けつけました。病院で私たちが目にしたのは、蝋人形のように青白く生気
29日に緊急で脳の手術をしました。翌朝には問題なく徐々に覚醒していきますと連絡をいただきました。その夜急変の連絡があり急いで病院に駆けつけました。当直の先生から説明をしてもらいましたが、もうわけわからない。なぜ急にこんな事になったのか。手術に行く前に声をかけてあげたかった。既に朦朧としていたらしいけど…ギュッと抱きしめてあげたかった。もう一度目を覚まして欲しい。話をし
わかりました。とその日は面会を終了し帰宅しました。翌日、面会に行くと個室に移動していました。主治医からお腹が張ってきていてヘモグロビン(貧血がわかる血液データ)が3しかありません。(こどもは11以下だと貧血といわれるそうです)壊死性腸炎になっていると思います。おそらく、腸管内で大量に出血していて、貧血になっているんだと思います。その貧血を改善するために輸血をしています。結構な量の輸血をしているため、肝機能は今よりもさらに悪くなりますが、ここを乗り越えなければ治療ができませ
さきの母です。先日は5/9の娘の誕生日に、たくさんのお祝いのコメントをありがとうございました。娘もとても喜んでいたと思います。10日の午前4時頃、さきの病院から電話があり、娘が急変したのですぐ来るように告げられました。コロナウイルスによる面会制限で、母である私も娘になかなか会えなかった中、久々に会えた娘は今、ICUにて、たくさんの医療機器に繋がれています。1月の急変、3月の手術からまだ日が経っていないにもかかわらず、また急変。先生方のおかげで、今回も命は取り止めました。しか
よし!ゴールデンウィーク!!といきたかったけど息子くんの体調見ながらだなーと天気が良かったら公園で遊べるのに…今日も明日も雨おでかけするにも大学病院方面でないと不安…いつ急変してもおかしくない明日は、何しようか…
ツツマルハナサンゴ溶けたのその後の経過です今朝、起きてから早速、水替えしました1日おいて水替え間隔短い期間のはしばらくぶりです(x_x)三分の一の水替え水替え前にツツマルはこんな状態だったのでほぼあきらめてました一房はまずダメかと‥それでも水替えはやってみましたそれでも、結局変わらず右の二つは、奥に萎んでそうなので望みをつないでハナガササンゴは少し、ポリプが出ています水質に強いレッドのハナガサでさえこれでは周りはあまり変わらないのだけど不調の原因は、三日前
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます今月から少しずつ本格的な【在宅】に向けての練習や今後の予定を立て始められる様になってきましたそんな中でも良い事も悪い事も日々色々あるりーたんLIFEですが書きたい事は山の様にあるのになかなか更新が追いつかずさらにこれからはもっともっと忙しくなると思うので更新方法も色々工夫しながらぼちぼちやっていこうかな…と思っていますいつも愛読・応援して頂いている皆様外はかなり暑くなってきたのでお身体には気をつけて下さ
8月21日午前11時45分旦那は旅立ちました。52歳でした。また、後日改めて書かせて頂こうと思います。
8月9日急変5日目になり、付き添いのペースも体に慣れて、時間をうまく使えるようになってきました。義母をお昼前に迎えに行き、病院へ連れて来る事さえも日課になっていたある日の事。いつものように義母を迎えに行き、車を少し走らせた所で義母が私にこう話しかけてきました。「あんた、香典とかはどうするの?」「・・・?」何を言ってるのか意味がわからず「香典は葬儀費用に使いますよ。」「そうでなくて。近所の町内の人が家に香典とか持ってくるしょ」「それは近所の方が旦那にって持ってきてくれ