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先日、可愛い可愛い珠ちゃんが、、、気がついたらぐったりして死ぬんですか?状態になって慌てました。たくさん乳飲み子を育ててる方々は、もしかしたら直面した事があるかもしれません。キャリーを開けたら死にかけてた。または死んでた。前の授乳の時は全くなんでもなかったのに、なぜ??というショッキングな事が起こるのが乳飲み子。寸前で発見して、なんとか助かった。という場合もあると思います。今回の珠ちゃんは、なんとか助かった組。脱力(ぐったり)、呼吸促迫(浅くて速い呼吸)、体温低下気味。写真に聴
ココも落ち着いてたから、末っ子と電車で梅田に行って、ボーネルンド行ってラーメン食べてイルミネーションのキラキラ探しに行った一緒に考えて予定たてたボーネルンドに着く前にキラキラ見つけて、最後に探す予定やったのに「見つかったなー!」って笑いながら話してラーメン食べ終わって、阪急百貨店に向かって歩いて、キラキラが見えてくると「ママー見て!!スゴイ!!」って末っ子が言ってすぐ、病院から電話かかってきた。嫌な予感がして出たら、昨日の夜から呼吸がしんどくなってきてて今は酸素5リットル使ってる状態です
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
11月2日に入院した3号のその後です。「風邪をこじらせて」と書いたけれど実はかなり重症でした。入院後、熱が続いて頻脈になってSpO2下がって…小児科病棟からICUへ。そして挿管して人工呼吸器管理、抜管、再挿管、抜管、再々挿管。一進一退。11月24日、気管切開してやっと小康状態。11月6日、2度目の挿管の直前12月6日、夜、急変。「肺か気管からの出血でもう危ない」と連絡が来て私も急いで病院へ。小児科の主治医からは「今夜がヤマです。回復は残念ながら難しい。」と言われた
8月9日容態が急変し今日で4日目。旦那は昨日まではそこそこ目を開けて、たまに会話ができたりもしていました。しかし、見た目には安定しているように見えても徐々に徐々に体の方は衰弱が進んでいました。寝ている時、目が半開きになっている事があります。看護師さんに「今の状態って目が開いてるように見えるけど、これは意識がある状態ですか?」「開いていても意識がある・・・とは言えないです。意識があって目を開けているなら目が合うと思いますが、今は半開きの状態で目を合わす事ができないので、おそ
おはようございます。夫が入院して、けっこう大変な状況なのに…なぜか💦睡眠障害の私なのに熟睡出来てる昨年、夫の余命告知を受けてから…、小さな目標を立てながら夫を見守ってきました。真実の病状を知らない夫は…、日を追って食欲や体重、体力の回復で自己中2歳児満載のフザケルナ👊いい加減にしろ💥の中で過ごしていました。去年の今頃の私の目標は…、無事にクリスマスを迎えさせる事。無事に新年を迎える事。でした。これはクリア🤗まぁ💦その影で家族は葬儀の準備をしてたけど2023年を無事に迎え
8月6日病室に戻った私は、まず友人や旦那の会社へ連絡しました。頭の中に「数時間~数日」という限られた時間だけが鮮明に残り、会って頂ける人がいるのなら、可能な限り会って頂こう。と思っていました。会社へ連絡して、事情を説明すると、先日の祝賀会の時の様子や最後に勤務していた時の様子から、驚かれている様子でしたが、「わかりました。みんなに伝えておきます。」と、おっしゃて下さいました。友人へは前日、札幌からわざわざ会いに来てくれた友達に連絡をしました。電話で急変したことを伝えると
8月10日急変後5日目。義母との関係が崩れた前日。私は病室での付き添いをしながら色々な事を考えていました。現状、旦那は徐々に弱っていき、その命の灯がいつ消えてしまうのかわからない状態で、義母と感情を入れずに付き合っていけるのか・・・。旦那が亡くなった後、すべてを引き受けてこれから生活していけるのか・・・答えは簡単でした。NO!です。今だけなら私が我慢すればいい事です。が、旦那が亡くなった後、いつまで続くのかわからない状態で、私に我慢は絶対に無理だと思いました。もう少し人の言う
顎関節症の洗浄療法中に急変した私『顎関節症パンピング(洗浄)中の急変①』かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうです…ameblo.jpガラガラとストレッチャーで救急科に運ばれました心電図をつけ直して、機器を色々セットされて…なんだか大勢で見られてるエレベーターも乗って違う階なのに、名医も来てくれてる。「ゆっくり休んでね」………看護師さんが覗いてくれました。「少し良
8月6日病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく時間が過ぎていった。娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの昨日の行動の後悔の話をした。先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなってもおかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの後悔が後悔でなくなればいい・・・そん
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。昨日は朝から頭痛と口内の腫れがあったものの、食事もとれていつも通りのスタートを・・・のはずが、朝の分子標的薬のあとで眠ってしまうほど憔悴していたとおもったら11時に突然嘔吐。悪寒と全身の痺れ、ボーっとしてめまいもするし、なにより頭痛が・・・と、耐えられない状態になって、急遽病院に電話をしてオペ前の忙しい医師を頼って点滴で数時間眠ってきました。行きも帰りも仕事中の夫が駆けつけてくれて、車で送ってくれたけど、車内でまず吐いて、慌て
今日でさえが家に帰ってきてから1年です。長かったような短かったような…幸せなこととか楽しい嬉しいと感じることもたくさんあったけどやっぱりどうしても辛かったり悲しかったりすることのほうが多い1年でした。まだまだ全然前は向けないです。向けるときもたまにはあるんですけどね。未だにお産の日の前後を思い出してしまったり…最近さえの体調は不安定で落ち着いて1週間を過ごすことができない日々です。それに伴って私の精神状態も不安定で。ご飯を食べてる途中で突然悲しくなって泣けてきたりさ
4回目の抗がん剤治療。この治療は1日目に数時間だけ大量のメトトレキサートを投与します。その後はロイコボリンって薬で副作用を抑えるというか、そんな感じで一週間かかります。月曜日から始まって木曜日あたりから調子が悪くなり、まともに話せなくなってきました。全身状態が良くないので、きつめのせん妄が出てました。医師からの説明があり、抗がん剤治療の副作用である骨髄抑制がかなり深刻なレベル。ここで、万が一急変した時の対処法を聞かれました。「昇圧剤は使ってよいか」「気管挿管はしてよいか」「
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
8月6日急変をあちこちに知らせて、たくさんの人が旦那に会いに来てくれていました。会社の方々が、病室を後にする少し前には友人達も駆けつけてくれていました。友人達も旦那の変わってしまった姿に驚いている様子で「この前会ったときは普通だったのに、いつから?」とがんであった事を知らない友人もいたので、これまでの経緯を話すと、「なんでもっと早くに知らせてくれなかったんだ・・・」と旦那が言えずにいた事やその時の気持ちを伝えると、黙って頷いていました。前日会っていた友人も、夜にはこ
主人は昨年2月にくも膜下出血を起こし手術してから二回急変しています。一度目は手術して10日後、動脈瘤がいびつで残存瘤から再出血をし、右の前頭葉も出血を起こしていました。意識不明となり、ただちに足の付け根からカテーテルを入れて出血している残存瘤にコイルをいれる治療をしてもらいました。処置が終わるまでずっと救命病棟の前の寒く暗い廊下で長女と二人、最後には無言で待ち続けました。治療が終わり、救命病棟で主人に面会しましたが、あまりにかわいそうで涙が出るばかりでした。体力もかなり使い、栄養も経菅
美しいモノ大好きアラカン占い師過日、ポカポカ陽気につられてブラリ宝塚散歩奇跡的に「花のみち」を一人占め爽やかな風に揺れる桜の花や葉っぱを見ていると「揺れてもイイんやな~」「太い幹で大地に根を張っていれば」なんて・・・思って眺めておりました。今日のひらめき「幸運の変革期~今年一番の重要な出来事へ向かう。牡牛座木星と天王星コンジャクション」先日9日の牡羊座新月、いかがお過ごしでしたか。私自身も含めお客様にも友人達にも顕著に激しく前向
私の転座型腎細胞癌は珍しい癌だと言われていますネットで調べてもどこかの大学の研究発表があり…まだ不明なことがたくさんみたいですこのブログでもたくさんの方が癌についてのせていたりしますが検索で転座型腎細胞癌ってやると私の記事のみ旦那もTwitterで検索したら…1件だけあったようです載せていた方にコメントをしたらその方のお母さんがその癌だったようで今は亡くなったようです急変しやすいので我慢しないように言われました病院の先生方みんなで話し合い
【2023年1月19日の出来事】帰りに嘔吐した後、唇の色が真っ白になっていました。貧血??嫌な予感がしました。急いで自宅に向かいながら、訪問看護の方に連絡をしました。お帰りになられたらすぐに伺います。と。帰宅し、看護師さんが来て下さり、バイタルの確認。しかし、パルスオキシメーターがうまく感知しない。血圧もうまく測れない。手足がかなり冷たくなっていて、湯たんぽで温め、再びサチュレーションを測ると、酸素は96前後。脈拍が180超えていました。初めてみる数値でした。胸騒ぎがし
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうですでも、炎症を起こしてる水を抜くと6〜7割の人は痛みが緩和するとのことで、関節の洗浄(パンピング)をすることになりました。『顎関節症MRIの結果』引きこもり、なっちゃん謎の嘔吐のことをまだ投稿してない色々忙しいなぁ整形外科は水曜日で、昨日は口腔外科に行きました。朝の渋滞にハマってしまい、2時間以上かかり…ameblo.jp高血圧の