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「ひめぇ〜」「ん?なに?」…の顔若い時からの顎関節症が1年前から悪化して下顎の骨は変形し、クッション役の関節円板はズリ落ちて、水が溜まって炎症を起こしたことによる、開口障害と痛み1月、関節の水を出して、生理食塩水を入れて、出して…を繰り返す洗浄(パンピング)の最中に急変してしまった私『顎関節症パンピング(洗浄)中の急変①』かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうです…a
顎関節症の洗浄療法中に急変した私『顎関節症パンピング(洗浄)中の急変①』かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうです…ameblo.jpガラガラとストレッチャーで救急科に運ばれました心電図をつけ直して、機器を色々セットされて…なんだか大勢で見られてるエレベーターも乗って違う階なのに、名医も来てくれてる。「ゆっくり休んでね」………看護師さんが覗いてくれました。「少し良
2部に分けて投稿しています本文はこちらですいつもと違う高齢者をみたら❶終末期対応の実際⑴病院に向けた意思確認書は3つに分けて用意しよう・高齢者が病院に搬送されてきたとき、受け入れる側の病院がしばしば問題になるのは、何をどこまで治療すればよいのかの指示がわからないことです。・これらに対して「急変時や終末期における医療などに関する意思確認書」のような覚え書きを作っている施設も少なくありません。・治療行為をどこまで希望されるのか、ご本人の意思を事前
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)看護師長の慌てた様子に主人と2人で息子の元へ走る中へ入ると高い警告音が響いていたピーーーーーーーーーーッモニターは0になっていたなんで?!助けてくれたんじゃないの??1人の時は泣きながらも静かに見ていた私主人が来たから安心したせいか自分でもビックリする程泣き崩れ蘇生している医師達に必死にお願いしていた『いやーーー、りーたん、りーたん』『助けて下さい!!』りーたんに聞こえる様にりーたんがどこにも行かない様に
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
ももすくん。今朝も、ペレットを1番に完食。いつもの日常。1番食いしん坊くん。だが11時の時、おやつ拒否。きっとその時から体調は急変だったんだろう。トイレの上から動かず…でしたが…ペレット食べて、うんちもしっこも変化はない。繋がりうんちもなし。大きさの異変なし。だから、てっきり暑い🥵かな⁇と思いエアコン切ってた。換気して。夕方…変わらずトイレから動かず。なんか?違和感。ウーリーさんの大好きな牧草も拒否。お腹を触る。あ…触ってはダメだ。すぐ病院🏥に電話。18時30分くら
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)混乱する頭の中で色々な感情が溢れる一度も泣いた事のない私の目から止まる事のない涙…そんな中で目が覚めそうに動いたりーたんだが、その瞬間…一瞬で息子の体が真っ白になった…えっ?!気づいた看護師がすぐに医師を呼ぶ慌ただしくなる周りの様子モニターを見るとサチュレーション・心拍が一気に下がった急いでバギングが始まった…以前にも見たテレビを観ている様な光景この状態の時は客観的に見えてしまう今まで呼吸不全を起こしチアノーゼにな
おはようございます。夫が入院して、けっこう大変な状況なのに…なぜか💦睡眠障害の私なのに熟睡出来てる昨年、夫の余命告知を受けてから…、小さな目標を立てながら夫を見守ってきました。真実の病状を知らない夫は…、日を追って食欲や体重、体力の回復で自己中2歳児満載のフザケルナ👊いい加減にしろ💥の中で過ごしていました。去年の今頃の私の目標は…、無事にクリスマスを迎えさせる事。無事に新年を迎える事。でした。これはクリア🤗まぁ💦その影で家族は葬儀の準備をしてたけど2023年を無事に迎え
生後604日目。11月22日の朝、仕事で外に出ていた私の携帯に病院から電話が入った。主治医より朝から心拍数が低く、70を切った。もし病院に来れるようでしたら来ていただいて、個室に移動しますので、週末ご家族で過ごされてはどうでしょう。との電話だった。すぐ来てほしい、という電話ではなかったが、私は出先からすぐ戻り、会社で事情を説明して早退させてもらうことにした。帰宅して、念の為、夫にも連絡し、早退できるようであればしてほしいと伝えた。私の職場は家から5分、夫の職場は家から10分。最初の電
旦那…パパが4月8日土曜日急変して亡くなった。前日の訪問入浴では大好きなヘルパーの女の子が来てくれて笑顔も見れた。4月12日から半年ごとの腸瘻チューブ交換を1週間レスパイトに充てていたので訪問入浴前に散髪してあげて入浴後には爪切りや身支度を整えていた。4月8日土曜日朝からゴロゴロした痰の音はするのに中々吸引出来なくて。でもそれなりに吸引しながら過ごしていたらどうもサーチが80代から上がらず受け答えも出来なくは無いけれど反応が悪い様に思い昼間訪問看護ステーションに連絡して看護師さんに来ても
ブログを見て下さっている皆様♡2019年1月1日賀正あけましておめでとうございます本年もりーたんとみよしばファミリーをどうぞ宜しくお願い致します年末『痙攣』の症状を把握しておらず見逃されていたというダークな内容になってしまい皆さんにご心配をおかけしたにもかかわらず年明けまでも…ありえない事が起きてしまいましたその後も色々とバタバタでブログを綴るのも遅くなり沢山の方に年明けから『大丈夫?』と気にかけて頂けたのは申し訳ない中にとても嬉しい気持ちでした2019年新しい年を
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
【2023年1月19日の出来事】帰りに嘔吐した後、唇の色が真っ白になっていました。貧血??嫌な予感がしました。急いで自宅に向かいながら、訪問看護の方に連絡をしました。お帰りになられたらすぐに伺います。と。帰宅し、看護師さんが来て下さり、バイタルの確認。しかし、パルスオキシメーターがうまく感知しない。血圧もうまく測れない。手足がかなり冷たくなっていて、湯たんぽで温め、再びサチュレーションを測ると、酸素は96前後。脈拍が180超えていました。初めてみる数値でした。胸騒ぎがし
ブログをご覧の皆様いつも訪問下さりありがとうございますこの記事の内容はまだ気持ちが追いついてないまま現状を簡潔・省略的に自分の感じたままに書き綴っているのでブログ内容に状況全ては記していませんその為内容には私個人の偏った見方があり読む方の中には不快に思う方がいるかもしれません不快に感じた方は読まずにスルーして下さいしばらくはとても体調の良かったりーたんだけど…また分泌物が増え始め吸引・バギングが増え始めていたそれでもいつもの様にリハをこなし夏まで待てず坊主にし
さきの母です。先日は5/9の娘の誕生日に、たくさんのお祝いのコメントをありがとうございました。娘もとても喜んでいたと思います。10日の午前4時頃、さきの病院から電話があり、娘が急変したのですぐ来るように告げられました。コロナウイルスによる面会制限で、母である私も娘になかなか会えなかった中、久々に会えた娘は今、ICUにて、たくさんの医療機器に繋がれています。1月の急変、3月の手術からまだ日が経っていないにもかかわらず、また急変。先生方のおかげで、今回も命は取り止めました。しか
訪問ありがとうございます😊再び夕方、主治医から電話嬉しい話したとこでしたが、生着前の副作用なのか、炎症反応が高く、尿が出なくなってきていて腎機能がよくないと危険な状態で、いつでもこれるようにとなんとか連絡なく、朝を迎えれた時に電話で主治医から会いに来てやってくださいと📱面会したパパは尿がでなくなり、腹水がたまり、浮腫で目も閉まらなくなって半目状態になってて見てるのが辛すぎた😭😭声掛ける事すら出来なかった💦一旦帰宅して、14時過ぎに再び📱心臓が止まりかけているので、今すぐ来て
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます今月から少しずつ本格的な【在宅】に向けての練習や今後の予定を立て始められる様になってきましたそんな中でも良い事も悪い事も日々色々あるりーたんLIFEですが書きたい事は山の様にあるのになかなか更新が追いつかずさらにこれからはもっともっと忙しくなると思うので更新方法も色々工夫しながらぼちぼちやっていこうかな…と思っていますいつも愛読・応援して頂いている皆様外はかなり暑くなってきたのでお身体には気をつけて下さ
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)3日連続でサチュレーションが下がった!!産まれてから今までも何度となく起きている気切をする前なら毎日何度もあった事…りーたんは昨日もご機嫌で笑顔いっぱいなのに何故か気になった今日が最大と言われる台風が直撃するから?こんなにソワソワするのだろうか?『虫の知らせ』と言うものがあるのならこの感覚なのだと後になってわかったがその時は分からなかった…ただ早くりーたんの所へ行こう!!そう思い、台風で休みになったおチビ達を次女に任せ
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうですでも、炎症を起こしてる水を抜くと6〜7割の人は痛みが緩和するとのことで、関節の洗浄(パンピング)をすることになりました。『顎関節症MRIの結果』引きこもり、なっちゃん謎の嘔吐のことをまだ投稿してない色々忙しいなぁ整形外科は水曜日で、昨日は口腔外科に行きました。朝の渋滞にハマってしまい、2時間以上かかり…ameblo.jp高血圧の
今日は主人がくも膜下出血になってちょうど一年の日です。わたしたち家族の運命はこの日に大きく変わってしまいました。昼過ぎに主人は自室で嘔吐して倒れており、救急車を呼び病院に入りました。頭のCTをとり医師からくも膜下出血と説明をうけました。グレードは3だった。子供たちや親族に連絡し、翌日動脈瘤のクリッピング手術をうけました。子供たちと待つ間、雪がずっと降っていてとても長く感じてた。手術が終わり医師から説明を受け、主人と面会してまだもうろうとしてたけど、わたしたちがいるのをわかっていたので
パパが亡くなり葬儀社の寝台車で自宅へ戻って来た。生前からお通夜無しの1日葬にしたいと思ってた。お通夜を葬儀場で過ごさせたくなかった。最期まで自宅で過ごさせてあげたかった。4月9日日曜日はパパの親しかった方、私たちの仲人ご夫妻、私の友人が自宅に弔問して下さった。晩は同居している私の84歳になる母と妹、そして娘とパパを囲みピザを頼んでパパと私が大好きな"世界の果てまでイッテQ"を観ながら過ごした。最近しんどくてテレビも観れなかったから多分楽しんでくれてたと思う。4月10日月曜日11時葬儀
4/1814時53分病院から電話。急変して今、心臓マッサージしてるから今すぐきてください。着いた時には亡くなってました。4/19か20には退院かな。って言われてたのに‥死因はARDSでした。今日17時からお葬式なので落ち着いたら備忘録の為にもまた書きます。ティファニー。長い間、側に居てくれてありがとう。頑張ったね。母ちゃん、笑って見送るからね。
主人は昨年2月にくも膜下出血を起こし手術してから二回急変しています。一度目は手術して10日後、動脈瘤がいびつで残存瘤から再出血をし、右の前頭葉も出血を起こしていました。意識不明となり、ただちに足の付け根からカテーテルを入れて出血している残存瘤にコイルをいれる治療をしてもらいました。処置が終わるまでずっと救命病棟の前の寒く暗い廊下で長女と二人、最後には無言で待ち続けました。治療が終わり、救命病棟で主人に面会しましたが、あまりにかわいそうで涙が出るばかりでした。体力もかなり使い、栄養も経菅
再び急変するICUから戻ってから3日目。深呼吸はできないし、酸素を上げないと息が苦しすぎると訴えていました。苦しくても息を深く吸えないので、これが結構しんどいんです。主治医もおかしいと思い、呼吸器内科に緊急コンサルをしたらしく、そこからはすごい速さで展開していきました。私は知らなかったのですが、私の両親と夫に「急変しました。挿管したら話せなくなるので、出来るだけご家族ですぐ来てください」という連絡があったらしいです。ただ、私は割と落ち着いていたので、ICU入ったらまた水し
11月2日に入院した3号のその後です。「風邪をこじらせて」と書いたけれど実はかなり重症でした。入院後、熱が続いて頻脈になってSpO2下がって…小児科病棟からICUへ。そして挿管して人工呼吸器管理、抜管、再挿管、抜管、再々挿管。一進一退。11月24日、気管切開してやっと小康状態。11月6日、2度目の挿管の直前12月6日、夜、急変。「肺か気管からの出血でもう危ない」と連絡が来て私も急いで病院へ。小児科の主治医からは「今夜がヤマです。回復は残念ながら難しい。」と言われた
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。昨日は朝から頭痛と口内の腫れがあったものの、食事もとれていつも通りのスタートを・・・のはずが、朝の分子標的薬のあとで眠ってしまうほど憔悴していたとおもったら11時に突然嘔吐。悪寒と全身の痺れ、ボーっとしてめまいもするし、なにより頭痛が・・・と、耐えられない状態になって、急遽病院に電話をしてオペ前の忙しい医師を頼って点滴で数時間眠ってきました。行きも帰りも仕事中の夫が駆けつけてくれて、車で送ってくれたけど、車内でまず吐いて、慌て
だんだんとひかたんがいない生活に慣れてきてしまいました。それはこっこちゃんのおかげもあるかもしれません。しかし慣れてしまうのがいいことなのか…。慣れてしまうことで忘れたくないひかたんとの思い出が薄れていくようで怖いです今はまだひかたんのことを考えて過ごしたい気持ちでいっぱい。ひかたんのことを想い涙を流す時間も愛しい時間だったりします。ひかたんはいなくなっちゃったけど、自分のお腹の帝王切開の跡を見てはちゃんとひかたんがこの世に生まれて来てくれた証を感じることができ、そんなことさえも愛おしく
私のお気楽ブログにこの記事が必要なのかはわかりませんが今の気持ちを残して置きたい。という気持ちになりました。父が亡くなった日の事も綴っています。父はとてもお酒にだらしない人でした。いつもいつもお酒が優先でそんな父が嫌いでした。でも根はとても繊細でどんな人よりも人を気遣い、でもそんな気遣いまで不器用な人でした。健康的な事はほとんどせず、お酒を手放さない為年齢と共に食べられなくなり細くなり、ベロベロに酔っ払っちゃ転んでどこか出血したり、ケガしたり…と一時も気が休ま
24日、家内は、病状が急変し、救急車で移送され入院しました。肝臓転移によると思われる食欲不振があり、弱っている上に、脳転移か、あるいは全脳照射の後遺症によると思われる痙攣が発症し、薬も飲めない状況となってしまいました。(全脳照射から、4.5ケ月程経っています)今は、点滴による薬剤投与で麻痺はなくなりましたが、ほとんど意識がなく、時々微妙に手足を動かすだけです。認めたくはありませんが、残念ながら、最期が直近に迫っている状況と判断せざるを得ません。小細胞肺がんの進行、特に肝臓転移の広がりの速