ブログ記事4,498件
2部に分けて投稿しています本文はこちらですいつもと違う高齢者をみたら❶終末期対応の実際⑴病院に向けた意思確認書は3つに分けて用意しよう・高齢者が病院に搬送されてきたとき、受け入れる側の病院がしばしば問題になるのは、何をどこまで治療すればよいのかの指示がわからないことです。・これらに対して「急変時や終末期における医療などに関する意思確認書」のような覚え書きを作っている施設も少なくありません。・治療行為をどこまで希望されるのか、ご本人の意思を事前
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。昨日は朝から頭痛と口内の腫れがあったものの、食事もとれていつも通りのスタートを・・・のはずが、朝の分子標的薬のあとで眠ってしまうほど憔悴していたとおもったら11時に突然嘔吐。悪寒と全身の痺れ、ボーっとしてめまいもするし、なにより頭痛が・・・と、耐えられない状態になって、急遽病院に電話をしてオペ前の忙しい医師を頼って点滴で数時間眠ってきました。行きも帰りも仕事中の夫が駆けつけてくれて、車で送ってくれたけど、車内でまず吐いて、慌て
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)混乱する頭の中で色々な感情が溢れる一度も泣いた事のない私の目から止まる事のない涙…そんな中で目が覚めそうに動いたりーたんだが、その瞬間…一瞬で息子の体が真っ白になった…えっ?!気づいた看護師がすぐに医師を呼ぶ慌ただしくなる周りの様子モニターを見るとサチュレーション・心拍が一気に下がった急いでバギングが始まった…以前にも見たテレビを観ている様な光景この状態の時は客観的に見えてしまう今まで呼吸不全を起こしチアノーゼにな
【2023年1月19日の出来事】帰りに嘔吐した後、唇の色が真っ白になっていました。貧血??嫌な予感がしました。急いで自宅に向かいながら、訪問看護の方に連絡をしました。お帰りになられたらすぐに伺います。と。帰宅し、看護師さんが来て下さり、バイタルの確認。しかし、パルスオキシメーターがうまく感知しない。血圧もうまく測れない。手足がかなり冷たくなっていて、湯たんぽで温め、再びサチュレーションを測ると、酸素は96前後。脈拍が180超えていました。初めてみる数値でした。胸騒ぎがし
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)3日連続でサチュレーションが下がった!!産まれてから今までも何度となく起きている気切をする前なら毎日何度もあった事…りーたんは昨日もご機嫌で笑顔いっぱいなのに何故か気になった今日が最大と言われる台風が直撃するから?こんなにソワソワするのだろうか?『虫の知らせ』と言うものがあるのならこの感覚なのだと後になってわかったがその時は分からなかった…ただ早くりーたんの所へ行こう!!そう思い、台風で休みになったおチビ達を次女に任せ
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
ココも落ち着いてたから、末っ子と電車で梅田に行って、ボーネルンド行ってラーメン食べてイルミネーションのキラキラ探しに行った一緒に考えて予定たてたボーネルンドに着く前にキラキラ見つけて、最後に探す予定やったのに「見つかったなー!」って笑いながら話してラーメン食べ終わって、阪急百貨店に向かって歩いて、キラキラが見えてくると「ママー見て!!スゴイ!!」って末っ子が言ってすぐ、病院から電話かかってきた。嫌な予感がして出たら、昨日の夜から呼吸がしんどくなってきてて今は酸素5リットル使ってる状態です
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます絶好調から一変絶不調となってしまったりーたんいつも体調を崩すのは【突然】なのだが…体調を崩す時のタイミングが毎回と言っていい程【偶然】が重なる七不思議を持つそうかなぁ?有名なのは…イベント前後や手術前なのだが最近はもっぱら母の帰省直前前回は群発けいれんそして今回の不調も帰省予定前日マジか!!勿論母の帰省予定はりーたんには誰も知らせてないハズ…なのだけれど何故かいつもタイミングを合わせ
今は過去現在に向けて綴っております(2018.8)看護師長の慌てた様子に主人と2人で息子の元へ走る中へ入ると高い警告音が響いていたピーーーーーーーーーーッモニターは0になっていたなんで?!助けてくれたんじゃないの??1人の時は泣きながらも静かに見ていた私主人が来たから安心したせいか自分でもビックリする程泣き崩れ蘇生している医師達に必死にお願いしていた『いやーーー、りーたん、りーたん』『助けて下さい!!』りーたんに聞こえる様にりーたんがどこにも行かない様に
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
彼が救急室に入ってから外の待合室で1人で待つ長い…不安だったどうなってるのか…上の子達もいるので主人と子供達は家で待機心臓はバクバク座ってられずウロウロようやく会えた2時間後…とりあえず痙攣は治っていたベッドに横たわる彼は意識なく、ものすごく苦しそうに喉がベコベコ凹むような呼吸しかし側に行った数分後また痙攣また外に出される…頭がおかしくなりそうだった次に会えたのはまた2時間後…ICUに移動する時だった先程と同じように意識なくベッドに寝て凄く苦しそうな呼吸している『こ
8月6日急変をあちこちに知らせて、たくさんの人が旦那に会いに来てくれていました。会社の方々が、病室を後にする少し前には友人達も駆けつけてくれていました。友人達も旦那の変わってしまった姿に驚いている様子で「この前会ったときは普通だったのに、いつから?」とがんであった事を知らない友人もいたので、これまでの経緯を話すと、「なんでもっと早くに知らせてくれなかったんだ・・・」と旦那が言えずにいた事やその時の気持ちを伝えると、黙って頷いていました。前日会っていた友人も、夜にはこ
先週6月3日土曜日容態が急変した義母が旅立ちました。朝10時頃、義妹から夫に『ホスピスから連絡が来て、容態急変で危ないからすぐ来てと言われたから今向かってる』と連絡が入り、、また直ぐに義妹から連絡が入り、『2.3時間の命らしい、、、』と。12時40分頃、再度義妹から、、、『亡くなった』と。夫は冷静だったが、私の方が泣き崩れ、悲しくて淋しくて、義母が可哀想で、、最後会えなかったのが辛かった。翌日会いに行く予定でいただけに、会えなかったことが悲しくてたまらなかった。ここに書ききれない
ブログを見て下さっている皆様♡2019年1月1日賀正あけましておめでとうございます本年もりーたんとみよしばファミリーをどうぞ宜しくお願い致します年末『痙攣』の症状を把握しておらず見逃されていたというダークな内容になってしまい皆さんにご心配をおかけしたにもかかわらず年明けまでも…ありえない事が起きてしまいましたその後も色々とバタバタでブログを綴るのも遅くなり沢山の方に年明けから『大丈夫?』と気にかけて頂けたのは申し訳ない中にとても嬉しい気持ちでした2019年新しい年を
美しいモノ大好きアラカン占い師過日、ポカポカ陽気につられてブラリ宝塚散歩奇跡的に「花のみち」を一人占め爽やかな風に揺れる桜の花や葉っぱを見ていると「揺れてもイイんやな~」「太い幹で大地に根を張っていれば」なんて・・・思って眺めておりました。今日のひらめき「幸運の変革期~今年一番の重要な出来事へ向かう。牡牛座木星と天王星コンジャクション」先日9日の牡羊座新月、いかがお過ごしでしたか。私自身も含めお客様にも友人達にも顕著に激しく前向
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
顎関節症の洗浄療法中に急変した私『顎関節症パンピング(洗浄)中の急変①』かれこれ30年以上?の顎関節症。もうズレ落ちてしまった関節円板は元に戻ることはなく、関節内のクッションは無いまま開閉の時のグジグジ音は消えることが無いそうです…ameblo.jpガラガラとストレッチャーで救急科に運ばれました心電図をつけ直して、機器を色々セットされて…なんだか大勢で見られてるエレベーターも乗って違う階なのに、名医も来てくれてる。「ゆっくり休んでね」………看護師さんが覗いてくれました。「少し良
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます今月から少しずつ本格的な【在宅】に向けての練習や今後の予定を立て始められる様になってきましたそんな中でも良い事も悪い事も日々色々あるりーたんLIFEですが書きたい事は山の様にあるのになかなか更新が追いつかずさらにこれからはもっともっと忙しくなると思うので更新方法も色々工夫しながらぼちぼちやっていこうかな…と思っていますいつも愛読・応援して頂いている皆様外はかなり暑くなってきたのでお身体には気をつけて下さ
今日、初七日が終わりました。バタバタと慌ただしい1週間が過ぎ、旦那の葬儀も24日、25日と無事に終わる事ができました。正直、もぬけの殻です。喪失感だけが残っていて、何もする気がおきません。入院中、付き添いなどで家にいなかったこともあり、家が掃除しないと汚いです。でも、気力がないのです。昨日は1日、掃除もせずに旦那の写っている動画をひたすら見ていました。もちろん号泣です。しかし、このままでいる訳にはいきません。なんとか気持ちを奮い立たせて、前に進まなければな
潰瘍性大腸炎の夫を持つ妻のブログへようこそ難病を持っていても明るく楽しく生きていきたい。私たち夫婦について赤裸々に綴ります。はじめましての方はぜひこちらからどうぞ!↓『はじめまして。』どんなきっかけであれこのブログを見にきてくださり、ありがとうございます!私の夫には難病があります。ここでは夫の様子や我々夫婦の日常生活を赤裸々にお伝えして…ameblo.jpつい最近まで調子のよかったはずの夫。下血しました…これが潰瘍性大腸炎の怖いところ。夫は体質的に特にかもし
2023.11.10(金)昨日、おかんとお父さんが「娘ちゃんを見に行く」と夜ご飯を持って家に来ました。たまにこうやってやって来てくれるのを娘も楽しみにしています。私が帰ってくる途中に家族のグループLINEに「お爺ちゃんが先週風邪を引いて、今容態が凄く悪くなっています。少し体調を持ち直したので2〜3日は大丈夫そうです。土日の面会も大丈夫なので、一度会ってきたらと連絡しました」とメッセージが入りました。家に帰ってから、詳しく話を聞いたところ、風邪を引いて一気に容態が悪くなり、意識も無いとの
職場での出来事です私は6年前から高齢者施設で働いています。高齢者施設なので入居されている方が亡くなることも多々あります。先週、いつも通りに食堂で夕食を食べていたAさん。車椅子の方で食べ終わったあと静かに座っていました。顔を見ると顔面蒼白あり。すぐに声かけし、バイタル測定。体温、血圧、脈拍、Spo2(酸素飽和度)全て異常なし。食べ物で窒息した様子もなし。「なんか調子悪いのよね…」と話されていました。「お部屋に戻って休みましょう」と声をかけ、車椅子を押しながらお部屋まで付き添いまし
生後604日目。11月22日の朝、仕事で外に出ていた私の携帯に病院から電話が入った。主治医より朝から心拍数が低く、70を切った。もし病院に来れるようでしたら来ていただいて、個室に移動しますので、週末ご家族で過ごされてはどうでしょう。との電話だった。すぐ来てほしい、という電話ではなかったが、私は出先からすぐ戻り、会社で事情を説明して早退させてもらうことにした。帰宅して、念の為、夫にも連絡し、早退できるようであればしてほしいと伝えた。私の職場は家から5分、夫の職場は家から10分。最初の電
私のお気楽ブログにこの記事が必要なのかはわかりませんが今の気持ちを残して置きたい。という気持ちになりました。父が亡くなった日の事も綴っています。父はとてもお酒にだらしない人でした。いつもいつもお酒が優先でそんな父が嫌いでした。でも根はとても繊細でどんな人よりも人を気遣い、でもそんな気遣いまで不器用な人でした。健康的な事はほとんどせず、お酒を手放さない為年齢と共に食べられなくなり細くなり、ベロベロに酔っ払っちゃ転んでどこか出血したり、ケガしたり…と一時も気が休ま
8月6日病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく時間が過ぎていった。娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの昨日の行動の後悔の話をした。先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなってもおかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの後悔が後悔でなくなればいい・・・そん
8月9日容態が急変し今日で4日目。旦那は昨日まではそこそこ目を開けて、たまに会話ができたりもしていました。しかし、見た目には安定しているように見えても徐々に徐々に体の方は衰弱が進んでいました。寝ている時、目が半開きになっている事があります。看護師さんに「今の状態って目が開いてるように見えるけど、これは意識がある状態ですか?」「開いていても意識がある・・・とは言えないです。意識があって目を開けているなら目が合うと思いますが、今は半開きの状態で目を合わす事ができないので、おそ
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
4回目の抗がん剤治療。この治療は1日目に数時間だけ大量のメトトレキサートを投与します。その後はロイコボリンって薬で副作用を抑えるというか、そんな感じで一週間かかります。月曜日から始まって木曜日あたりから調子が悪くなり、まともに話せなくなってきました。全身状態が良くないので、きつめのせん妄が出てました。医師からの説明があり、抗がん剤治療の副作用である骨髄抑制がかなり深刻なレベル。ここで、万が一急変した時の対処法を聞かれました。「昇圧剤は使ってよいか」「気管挿管はしてよいか」「
8月9日急変5日目になり、付き添いのペースも体に慣れて、時間をうまく使えるようになってきました。義母をお昼前に迎えに行き、病院へ連れて来る事さえも日課になっていたある日の事。いつものように義母を迎えに行き、車を少し走らせた所で義母が私にこう話しかけてきました。「あんた、香典とかはどうするの?」「・・・?」何を言ってるのか意味がわからず「香典は葬儀費用に使いますよ。」「そうでなくて。近所の町内の人が家に香典とか持ってくるしょ」「それは近所の方が旦那にって持ってきてくれ
4/1814時53分病院から電話。急変して今、心臓マッサージしてるから今すぐきてください。着いた時には亡くなってました。4/19か20には退院かな。って言われてたのに‥死因はARDSでした。今日17時からお葬式なので落ち着いたら備忘録の為にもまた書きます。ティファニー。長い間、側に居てくれてありがとう。頑張ったね。母ちゃん、笑って見送るからね。