ブログ記事7,409件
今回も考えさせられたわー。いつもながら動物と話してるだけあってストレートにくる美香さんの話動物は建前とか世間的とか社交辞令とか忖度とか普通はとか一般的にはとかないからストレートにくるね。幸せか幸せじゃないかなんて、後(あと)。充実していたか充実していなかったのほうが優先なの。幸せか?なんてそのあとに自然についてくるもの。って美香さんがブログで書いてた。飼主さんって
大量出血により夜間病院へ。しかしピヨちゃんはしっかりとしがみついてくれていました。振り返り記録、前回の記事⑩大量出血、そして病院へ死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆12週を超えると流産の心配はぐっと下がります。妊婦ならきっと誰もが一度は耳にした言葉。「12週の壁」流産する時期は93%が12週までに起き、12週以降の流産は7%以下になる。さすがに7%の方には入らないだろう。あんな大量
「余命1カ月」。今夏、そう医師から宣告を受けた千葉県船橋市の男性がいる。「残された日々とどう向きあえばいいのか知りたい」。しかし、がんを克服した人の話は多々あれど、死を覚悟した人が必要とする情報がほとんどない。「治らないがんもあるのに」。やせ細った体から言葉を絞り出して話す男性が、自身の命をかけて取材に応じ、死と向きあう心のうちを明かした。「治らない人のための情報」がない東京で医療機器関係の仕事をしている田端健太郎さん(46)8月27日、医師から「余命1カ月」と告げられた。約1年に及
前回、楽しくて心地が良かったので1ヶ月後にリピートした。女風を利用し始めてからセラピストさんをリピートするのは始めてだったリピートしたいと言った時もセラピストさんの方も「俺でよければ歓迎します」と言ってくれたし、他のお客様に比べて私は短い時間しか予約を取れないけど出来るだけ一緒に居られる時間は確保したリピートしたセラピストさんのお客様はお泊まりが多いそれでも気にせずにその時間を楽しんでたから幸せだったセラピストさんは向上心が強く、真面目な所もあり私の前では優しかったし施術も満
1984年9月17日に生まれて、2008年2月27日に逝って・・・。この23年間・・・。ゆうくんは幸せだったんだろうか今思うと・・・。ゆうくんに対して一番悪かったと思う事は・・・。母親と離婚した事かな・・・。ゆうくん自身、母親は恋しかったと思う。両親揃った状態で逝かせてあげれば良かった。これも・・・。俺が選んだ人生だから・・・。ゆうくん・・・。ごめんねゆうくん・・・。性格は優しかった学校でも泣いてる子がいたら、そばに行って頭をなでたりしてた。まぁ、俺に似たのかなぁ(
そんなこんなでクマオと付き合うことになった。私は、14歳も年下のクマオと付き合っていくことに最初のうちは警戒していた。それでも付き合っていくうちに、クマオの真面目な気持ちを知ることになる。クマオはブランクのあった10年間、一度も私のことを忘れたことはなかったと言った。私の車をどこかで見かけたら、同じ曜日の同じ時間帯にそのあたりに行ったこともあるとさえ言う。「あの時、実は・・・」という答え合わせは、恋愛が成就した二人の熱い寝物語だ。当然、私たちは会うたびにセック
こんにちは、yoshinoです昨夜のデートではめったに行けない高級店に連れていって頂き、芸術的とも言えるお料理の数々を堪能してきました✨個室の鉄板焼きで、目の前で専属のシェフが2人の為だけに焼いてくれるフォアグラや鮑や蟹やステーキ💕も〜、目と鼻と舌で楽しめて幸せだったわうっとり💗サービスも素晴らしく、素敵なおもてなしを受けるとまた更にセルフイメージが上がってしまう✨デートのお相手はわりと年上の経営者さん。帰りはこちらから何も言わなくても「タクシーでお送りします」と、スマートな対応で
たまちゃんの流産についての記事はこれで最後です。今回、たまちゃんは、私に沢山のことを教えてくれました。・私がお母さんになれる可能性があること。・実は、つわりで結構辛かったこと。たまちゃんが居なくなってから、体が軽くなり、ご飯が美味しくなって…吐きはしなかったけれど、つわりで体はキツかったんだって事が分かりました。「ママ、頑張り過ぎだよ」って…。だから次の妊娠では、辛かったら気のせいや我慢しないでちゃんと休もうと思います。・たくさんの頑張りをくれました。たまちゃんは、ただひたすらに
こんばんは。今日は一日中うとうとしてました。ガチで寝てた訳ではなく。連絡あるかなー?と思ってたんですよね(笑)今日行く筈だったから。でも、結局昨日の朝、既読付いただけで、おはようすらないまま。さっき、指輪外しました。LINEもブロックして削除しようかなぁ?まぁいいか。放置で。幼稚園児が「⚫⚫ちゃん好きー」ってのと変わらない。それほど想われてなかったんですよ。幸せだったけどね。普通のデート、二人のクリスマス。ありがとうね。思い出を。さよなら。
幸せだったんだ私だって旦那さんがいたんだよ
家族としてしか見れない。性的対象として見れない。30代後半になった頃に夫から言われた。前半の頃だってほとんどセックスはしていない。1番していたのは学生の時だろう。それでも多い方ではなかったけど私という人間を好きになってくれてからのセックスだったから、幸せだった。アプリでの出会いはそうではない。
旦那と出会って15年。本当に沢山の辛いこと、幸せだったことがありました。私が一番辛かった時、家族の誰でもなく、旦那はつねに私のみかたであり、支えてくれました。15年の間に、私は、子供を授かることも、抱くことも諦めていた私に、自分の子供をもう一度抱きたいと思わせてくれました。そして、10年目に子供を授かることができました。子供を授かってからも、切迫早産、産まれてからも、心臓に穴が空いているなど、沢山のことがありました。どんなときも、喧嘩もしながらつねに14年一緒にいてくれてありがとう。15年目
最後の日の勤務が終わりました!出勤すると夜勤者から胃ろうのおばぁちゃんが痰絡みあり、頻脈発作。もう一人のおばぁちゃんは夜間に嘔吐し喘鳴があると!嘔吐したおばぁちゃんは心不全の持病があるため病院へ受診する事になりました!私は最後の受診の付き添いに!回診に来られる先生の病院へ!先生にも本当にこれが最後です!と挨拶して来ました。午後から介護職員さん達が入所者さん達と一緒にお別れ会を開いてくれました。一人のおばぁちゃんが私に手紙を書いてくれました!内容は私が始めた野菜作りへの感謝の言葉でし