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🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸2024.4.8になりました🌸今日は岡田有希子さんのメモリアルデー「佳桜忌」ですね🌸小学4年生の秋「恋はじめまして」を歌唱してる時、大ファンになって以来ずっとに憧れ(ˊo̴̶̷̤⌄o̴̶̷̤ˋ)これからも永遠に憧れでいさせてくださいね😌💗🍀今までも、これからも、ユッコちゃんを思いながら1日1日を大切に過ごしていきます貴方は、私たちの心の中で永遠に生き続けます🌸X(旧Twitter)Instagram、ア
岡田有希子さんの5thシングル「SummerBeach」が12インチの45回転アナログ盤で4月20日に発売されることが発表された。当時で言う12インチシングル仕様ですね。カップリングは「くちびるNetwork」とのこと。岡田有希子、海外でも人気の楽曲「SummerBeach」が12インチ/45回転アナログ盤で4月20日に発売!新たなカッティングにより生まれ変わったような音像に!2024年でデビュー40周年となる岡田有希子。海外でも人気の楽曲「SummerBeach」を最新のデジタルリ
【5枚目シングル曲『SummerBeach』…5枚目シングル『SummerBeach』(サマー・ビーチ)は1985年4月17日、キャノン・レコード(現ポニーキャニオン)から5枚目のシングルとして発売リリースされた。その他、1985年6月28日、第4回メガロポリス歌謡祭ポップス部門賞を受賞。『SummerBeach』の楽曲はグリコ協同乳業(現・グリコ乳業)「グリコ・カフェゼリー」CMソングとして起用された。【追加】この他1985年5月5日放送のテレビアニメ「タッチ」(フジテ
4月8日名古屋出身のアイドル歌手ユッコこと岡田有希子さんが18才で早世してから38年の日を迎えました。前日4月7日の日曜日ユッコちゃんが眠る愛知県愛西市のお寺へ神奈川から来たユッコフレンズと一緒にお参りしてきました。ユッコちゃんは歌手人生は2年半と短かったですが、努力して歌手の夢を叶えたユッコちゃんが残した56曲は、今でも、ファンの心に生き続けています。4月6日から東海ラジオで毎週土曜日23時からの『ドットーレ山口のドキドキラジオ’84』で岡田有希子特集が放送されています。
ブログへの訪問ありがとうございます!もう何日か過ぎましたが、4月8日は、岡田有希子さんの命日なんですよね。人気アイドルであった岡田有希子さん(当時、18歳)が所属事務所のあるビルから飛び降りて亡くなるという衝撃的な出来事があったのは、今から35年前。私は12歳でした。中学の入学式が午後からで、フジテレビのお昼の番組「笑っていいとも」を観ながら制服に着替えていたら、テロップが流れてきました。「えっ⁉️」その衝撃的な内容に戸惑っていたら、次のCM(グリコ?)は岡田有希子さん出演のものでし
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
1985(昭和60)年3月24日、3月31日に2回目となる東京都千代田区外神田にある万世橋警察署の一日警察署長に岡田有希子さんが任命。パレードでは、あまりにもファンの多さにユッコがビックリしたそうです。万世橋警察署の職員と一緒に一日警察署長を務める岡田有希子さん。会場では警察署長のあいさつに続いて有希子ちゃんが登場「横断は目で確認して渡りましょう」「おもいやりとやさしさの安全運転」という交通安全標語を元気いっぱいに読み上げていたよ。(1985年7月
年が明け、1月もあっという間に過ぎてしまったような、そんな感じがします。さて、今日は2月8日です。4月8日まであと2か月。こう考えると1年の巡りも早いなあと。やはり歳のせいか?岡田有希子さんの良き親友だった荻野目洋子さん…あの日から長い年月を経た今もなお、名古屋に来た時はユッコさんのお墓参りにも訪れておられるということです。ありがたい話であるし、本当に頭が下がる思いです・・・これも何かの縁と勝手に思い込み(笑)、エントリーした荻野目さんのライブチケット、ゲットしました…!日にちは4月
1981年8月『ニコンフレッシュギャルコンテスト』オーディションに応募した佐藤佳代さん(岡田有希子)。翌年1982(昭和57)年3月7日、東京・池袋西武屋上特設イベント会場にて「ニコンフラッシュギャルコンテスト」が行われ岡田有希子さんは準グランプリ受賞を獲得しました。副賞としてグアム旅行。★ユッコデビュー前のまだ中学2年生14才ニコンフレッシュギャルコンテストで準グランプリに選ばれた時の写真です。ご存知の通り、写真雑誌「写楽」1982年3月号『立木義浩が撮った佳代、14才』のタ
月刊明星1986年2月号より。“告白”のタイトルでユッコさんのインタビューが掲載されています。この記事を読みながら当時のユッコさんに思いを巡らせてみました。まずは記事から。部分的に抜粋しようかと思いましたが、話が繋がらなくなりそうなので全文引用します。非常に長くて読むのが大変ですが、お付き合い頂けたら幸いです。ーー体の具合はどう?(有希子は、過労のため11月29日から12月2日まで入院した)ご心配おかけしましたけど、もう大丈夫です。もともと貧血気味だったので、気をつけてはいたんです
"十字架"を背負い続けた名脇役「峰岸徹」(故人)、汚名を着た俳優人生を全うした彼を覚えているだろうか。昭和芸能史を語るうえ上で伝説となっているのが、「有希子シンドローム」だ。当時のトップアイドル「岡田有希子」の投身自殺は、社会現象化した。まるで「冤罪」を受け入れたかのような「峰岸徹」ではあった。「岡田有希子自殺事件」を振り返ってみたい。1986年4月8日事務所ビルから身投げをした人気アイドルは、18年の生涯に幕を閉じた。芸能界に激震が走った「岡田有希子自殺」である。彼女
そう、8000歩ノルマです。天気は?汗ターターになるかも?リュックサックを背負って買い物!こんな感じ。もちろん、岡田有希子を聴きながら歩きます。
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
1986年4月4日。岡田有希子さんが生前最後のテレビ番組(収録)に出演された日です。2年ぶりにブログに取り上げます。ブログを始めてから2021年、2022年と4月4日の日付に合わせて投稿をしていましたが、昨年は飛ばしてしまいました。もちろん忘れていたわけではなかったのですが、今思えばその史実に少し目を背けてしまったというか、避けたような気がします。というのも、ファンになって以降は気持ちが入りすぎるとやや情緒不安定といいますか(表現がちょっと大げさですが)、心が揺さぶられザワザワするような
今日は、岡田有希子さんの命日です。わずか2年の活動だったので、知らない人も多いけど、今もファンは想い続ける儚くて純粋な女の子、人気絶頂のアイドルでしたが、1986年4月8日、所属事務所ビル屋上から飛び降り、春の日に18歳の人生を閉じました。私は彼女を知らなかったけれど、とても影響を受けました。いつまでも可愛い女の子のまま。
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
今年もまたこの日がやってきた。あれから38年。ユッコがいた頃とは世の中も随分変わった。いいことも、悪いことも。もちろん自分自身も。それでも変わらないものがある。岡田有希子さんの作品を愛し、佐藤佳代さんの心に寄り添う・・・それだけはこの先もずっと変わらない。その気持ちを再確認する日、それが4月8日。
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
少し前の話題になりますが、先週放送された「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」にユッコさんの映像が出ました。嗚呼、やっぱり可愛い(ため息①)嗚呼、やっぱり綺麗だ(ため息②)ユッコさんの姿が地上波で見られるというのはやはり感動モノです。しかし、ひとつワガママを言わせてもらうと…尺が短い!30秒程度じゃなかったかしら?次回またいつか放送して頂けるならば、もう少し長めに映像を流してもらえたら嬉しいなーなんて思ったりしちゃったりして。そしてワガママをもうひとつ。いつもくちびるNetwor
昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。あれから36年も経つんですね。あの日、そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。まだ18歳。若過ぎる死を多くの人が悼みました。岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージその
ドラマ「禁じられたマリコ」⑪/岡田有希子【禁じられたマリコ】…最終回禁じられたマリコはTBS系列で1985年11月5日から1986年1月28日の間に放送(全12話)されたサイコサスペンスドラマである。出演:杉浦麻理子(岡田有希子)杉浦元太郎(竜雷太)高木竜一(三上博史)黒木刑事(峰岸徹)TBS・東宝主題歌:「銀雪の浪漫~FollowYou」歌:藤ゆうこ作詞:内藤綾子作・編曲:水谷公生(バップレコード)◎【ナレーション】…「この世の中には、科学では解明できな
仕事中、突然「ストロベリージュース」というワードが頭に浮かび、その瞬間、不覚にも目に涙を滲ませるという失態を犯しました。「仕事中なのに何やってんだよ、自分〜!」と思いながらあわててティッシュで目を押さえました。他の人に見られると恥ずかしいから悟られないように。ストロベリージュース・・・あの日、病院から事務所へ移動してきたユッコさんに「ストロベリージュースでも飲んで気持ちを落ち着けなさい」と言って近くの喫茶店へ出前を頼んだ飲み物。ユッコさんはこのストロベリージュースが好きだったらしい。でも、
エイプリルフールで笑った嘘は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようもう2日になりましたが…(ノ∀`)アチャー1日の夜中、ぼーっとニュースを見ていたら、こんなのが!嘘ニュースのようで嘘ニュースじゃないニュース(笑)何とも飛躍した…というか突拍子もないニュースつまりは、日本では夫婦別姓が法律上認められていないため、結婚によって日本人の名字の種類?が減ってきているのだそうです。このままだと、約500年後には日本人全員が国内で一番多い佐藤姓になってしまうというもの。
★今回は3月28日にお亡くなりになった音楽家「坂本龍一」さんの追悼企画です。多くの方に楽曲提供された坂本龍一さん。4月21日は坂本龍一さんの6作目となるアルバム「未来派野郎」の発売された日です。1986年(昭和61年)4月21日に発売されたアルバム「未来派野郎」には岡田有希子さんに楽曲提供した原曲「WONDERTRIPLOVER」のオリジナル「BalletMecanique」が収録されています。歌詞は書き換えられましたが原型となる曲はあえて変えずに「WONDERTRIPL
倉敷チボリ公園のビデオテープをパソコンでHDキャプチャーしようと思ったら・・・。何か認識しなくて・・・。なので、仕方が無いので、HDMIでメモリーに録画!お~、何か古いビデオテープが発見されました。1986年5月って・・・。岡田有希子は生きていないのか?ちょっと再生してみるか?お~、まだ行ける!VHDカラオケ!おっ、直ちゃんの好きなのも入っている!1984年か!これはどうか?うわっ、古い!50メガの6エレ八木!お~、誰か昇っている!伊藤麻衣子は貼ってあるけど、岡田有
8日ユッコちゃんの日、今月で終わりです。次回より22日になります。ロンサム「ユッコちゃん何やってんの危ないよ」ユッコ「今日は、岡田有希子さんの命日だから、ロンサムさんが大切にしているパネルをお掃除してるの」ロンサム「落ちたら怪我するから、早く降りてきなさいジェニーちゃんが花見行こうって誘いに来てるよ。」ユッコ「偶然だけど今日がユッコの日というのは、4月だけはちょっと複雑な思いなので、先月お願いした通り今度から22日に変えて欲しいの」ロンサム「もうそれでOKしたんだから、早く降りてきなさ
風街散歩愛を知る県⑥数年前から一度はお墓参り訪問したいと思っていました岡田有希子さん(1967年8月22日-1986年4月8日)生存していたらこの8月で49歳を迎えていました日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤佳代(さとうかよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm。愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひ
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
「ジプシークイーン」に憑依した岡田有希子の幽霊伝説中森明菜が「ジプシークイーン」を唄っていたとき岡田有希子と思しき幽霊が映し出されていたという。トップアイドルの突然の死は、50人を超えるファンの後追い自殺が起こり、これらの社会現象は、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれる。「ジプシークイーン」は、奇しくも、彼女が自殺した4月8日にレコーディングされていた。ここで、その歌詞を振り返ってみたい。自殺を暗示していた、と裏読みできなくもない。♬125ページで終わったふたり|飛び降
🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀昨日3月17日はメモリアルBOXの発売記念日㊗️1999年3月17日発売なので、今年で発売から25周年になりますね(*'ᴗ'*)ヴィーナス誕生、贈り物、贈り物Ⅱ、1986年5月14日発売予定だった花のイマージュ、4枚のCDが収められいて、とても豪華な内容です🎶✨🎼.•*¨*🌟¸¸🎶✨🎼.•*¨*🌟¸¸🎶✨🎼.•収められてる曲は、デビュー曲「ファースト・デイト」「リトルプリンセス」「-DreamingGirl-恋初めまして」学園