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山﨑拓巳氏の心に響く言葉より…すごくいい情報を教えてもらったとき、あなたならどうしますか?「わぁ、こんないい情報、絶対ほかの人に教えたくない」「わぁ、こんないい情報、早くほかの人にも教えてあげないと」「独り占めしたい!」も「みんなでシェアしたい!」も、どちらの感情も持っているのが私たち人間というものです。しかし、そこでいったん、1.この情報は未来のどんな可能性を秘めているのか?2.この情報は誰に有益か?誰に教えてあげる
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…こういう話を聞いて慄然(りつぜん)としたことがある。アメリカの家系調査報告に残る記録である。ジュークは一七二〇年ニューヨーク州に生まれた。怠惰な無頼漢であった。一八七七年の調査では、彼の家系は六代を経る中で約千二百人の怠け者、背徳漢、漁色(ぎょしょく)、貧窮、病弱、知的障害、精神病者、犯罪者が生まれた。この間、三百人が嬰児(えいじ)期に死亡、四百四十人が病的な行為で肉体的に破滅、前科者は百三十人で、六十人が窃盗、七
【2024.04.14】海辺で読書先週の週末は土曜が「お一人さま」ということで近場の海辺の公園にお弁当を買ってコーヒー道具と椅子と机を持ち出して一日中読書ここ最近は読みたい本がどんどん出てくる。しかも内容がかなり偏りつつあるので・仕事の合間用・リビング用・寝る前に読む用でジャンルを分けて少しずつ購入この日は数冊持ち出し軽トラの荷台で読書TIMEです。ここのところ読書キロクを残してなか
安岡正篤師の心に響く言葉より…東洋人、つまり日本人でも中国人でも心ある人々、民衆が敬慕するような人の奥深くには虚無的な人生観があります。古来の名宰相と言われたような人を深く観察してみると、共通して良い意味の無常観がある。例えば、宰相になって得意になるような人、宰相になって非常に派手にやるというような人は、名宰相の中には入らぬ。東洋古今のこの宰相学というものを学んでみると、そういう宰相はだめだ、落第である。本当の宰相は共通して、宰相たることに淡々として
ご訪問ありがとうございますただいま、未来を切り開く鍵は、ここに詰まっていたシリーズとして、娘達が胎教からやっていた七田式について書いています。資格試験勉強も記憶術があれば、脳に電動アシストが搭載されたようにスイスイ進む魂が喜ぶ生き方のヒントは、偉人の人生や言葉にあった○○セラピーの基本は、繰り返し行ってきたイメージトレーニングにあるのかも?!健康でいられる食事は、全ての命を尊重し、霊性を高める食事と同じだった!今日は三つ目の、○○セラピーの基本は、繰り返し行ってきたイメージト
六中観六中観(りくちゅうかん)は、陽明学者であり、昭和史の黒幕と言われた安岡正篤の座右の銘である。安岡は著作で「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」と述べる。一、忙中閑あり「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」二、苦中楽あり「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある
「言必信、行必果」言うことには嘘はなく、行なうことは潔い論語・子路編の言葉です。田中角栄総理は日中国交回復に際して、当時の周恩来首相からこのような墨筆の色紙をもらいました。田中氏は、言葉の意味がよい事もあり、大変気に入ったようで、マスコミ各社の前で自慢げに披露したわけですが、それを知った安岡正篤先生は怒り心頭で憤慨したそうです。後日北京で、周首相の側近だった中国の高官に聞きましたところ、周首相は学識深く、古代の文献についても造詣があったとのことでした。ということは、意図的
『政財界の指南番・安岡正篤』-須田耕史●総理の指南役について-⑩昭和46年2月には、全国師友協会顧問の酒井忠正がなくなった。4月には、関西師友協会会長・小田原大造が他界した。10月には、戌年三人組の一人・西松三好が死亡した。戌年三人組というのは、明治31年生まれの安岡・今東光、西松三好(西松建設社長)の三人のことを指す。三人は戌年生まれというので意気投合し、季節ごとに席を設けては友情をあたためてきた。「こんなにまわりの人が死んでゆくって、どうしたことだろう」安岡には、気にかかること