ブログ記事178件
★14歳の女の子のママです★4月(2019年)、娘の三回忌を終えました。我が家のいたるところに、娘の存在を現す物がたくさんあります。今でも私を呼ぶ声が聞こえるのに、どこにも娘の姿が見えません。いつも私のそばにいた娘と、以前と変わらず一緒にいると感じることのできるもの、それは小さな額の中で笑っている娘の写真です。私が仕事に行くとき以外は、必ず一緒に出掛けます。外食するときは、テーブルの上に写真を置いて食事は私と半分こ。一度だけお店の方が、そっと娘の分のお皿を持ってき
35年前、逆子だった子を経膣の普通分娩をしました。子宮の口をバルーン(風船)で徐々に広げて逆子ちゃんが足からスルッと出てくるという・・・分娩法。もしも危険な状態になれば帝王切開に切り替えますよ・・・と言われて初産で知識も経験もなくすでに破水しており・・・お願いしますと、了承して・・・たくさんのお医者さん、助産師さん、看護師さんに我が子の命を助けていただいた。産声を聞き、裸かんぼうの私が裸んぼうのAちゃんを抱っこしたとき生温かい、命のにおいがしました。その7か月
★14歳の娘さんを脳腫瘍でなくされたお母さん★Nちゃんにずっと伝えたい言葉があります。それは「ごめんね」です。4月に入りNちゃんの命日までの日々を思い出して、毎日がしんどいと感じていました。夫と、Nちゃんの元気な頃や闘病中の話になった時、夫しか知らないNちゃんの様子、私しか知らないNちゃんの様子を、お互い知る機会になりました。「逢いたいねぇ」と言う私に夫は「謝りたいなぁ」と言います。私は、ハッとしました。夫も同じ思いでいたのだと…
あの日、火葬場で、骨になったらあかん!!と泣き叫んで夫に取り押さえられた。私をこの世に引き留める者、物、何もない。後を追いたいという私に夫が言った『わかった。そうしよう。ただ、きっちりとAちゃんの供養して天国にたどり着いたとわかってからにしよう。』そうだ・・・Aちゃんが天国にたどり着けるように、供養をしなければ・・・供養というもの、いつまで続くんだろう。3回忌までだろうか。それならあと2年、生きないといけない。そこから先、自分がどんな生活してるかなんてましてや6年先
★絵本を作ったお母さん★「愛(めぐみ)が生きた証を残したい!」当時の私は愛を亡くした失望感を抱きつつも、1つ上の兄(小学5年生)や双子の片割れ(小学4年生)が通う学校や友人達との関係を切り離すことは出来ない状況でしたので(PTAの仕事をしていたので尚更)迷いつつも読み聞かせボランティアを立ち上げるに際して、私も参加することになりました。そこで色々な絵本に触れる機会、それを食い入るように聞いてくれる子供たちを目の当たりにする機会ができました。そこから、た
★フォトブックを作りました★9月のつどいに関西学院大学教授の坂口幸弘先生と研究チームの方々が来られました。グリーフケアに有効な知恵を集めたカードの制作を進めておられます。テーブルに並んだカードから、「好きな言葉」を選んでください・・・ということで私が選んだのは「宝物」。裏返すと、「思い出の写真の整理をする」というようなことが書いてありました。やっぱり!好きな言葉、今の私にぴったり。娘の27年間の思い出のアルバムを、つらくて見れずにいた。自分の終活よりも先に
★一番頑張ったのはNちゃん★今年は緊急事態宣言があり、お参りをお断りする口実ができました。3回忌が済むまでは、お参りして下さる方々のお気持ちを優先しようと受け入れてきましたが、私は訪問客を苦痛と感じていました。そう感じてしまうのは、長時間滞在されると、今の話し、これからの話し、そして最後には愚痴を聞かされる事になる。娘には「これから」がないのに。楽しそうに話す方の前で、悲しみを隠して笑顔で聞いている私。つらいです。ですが、娘が通った中学の担任の訪問だ
鯵と鱈の南蛮漬け鯵はダンナさんが釣ってきたやつ鱈は三割引のもの明日のために夜な夜な作りました。甘酢にあれ入れましたよ“酢玉ねぎ氷”いつもよりこくが出るかなぁ新玉、ピーマン、パプリカ、人参お野菜もたーーぷりです。今日は保険のお仕事向いてないよなぁて、落ち込んだ!でもね、Eちゃんが言ったんだよね「続けんとダメだよ」Eちゃんの闘病を支えてくれた保険看取りを支えてくれた会社もう少しがんばろう👊✨必要な人のために明日も笑顔で会いに行こう