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元妻で、思い出したことです。結婚時代のこと・・まだ妻が、不倫(婚外)していなかったころのこと・・妻は、中学の同窓会で、遅くなって、最寄りの駅まで、車で迎えに行きました。終電でした。車に妻が乗り込んでくると、最初に、タバコの匂いが・・(私は、たばこは、吸いません)妻「楽しかった~」と言って、男子から渡された数枚の名刺を見せました。妻は、トイレに行ったときとか?ひとりになるタイミングで、「夜のお誘い」を受けた話もしました。
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
今日は仕事終わりに妻の病院へ面会に行った。ナースステーションには、たまたま主治医の先生がいた。少し話をいいですか。先生と面談室へ先生が妻の腹水について説明する。昨日撮ったレントゲンには、小腸にガスが溜まっている様子が写っている。さらに、お腹の中がぼんやりとしている。これは全て腹水で、だいたい2リットルくらいある。これを明日抜いて、ガン細胞を取り除き、点滴で体内に戻す。また、腸閉塞を起こしているので、静脈栄養法のための手術を早めたい。今麻酔科にできるだけ早く出来るようにかけあって
てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4の自分が、がんと診断されるまでの、生活と、その心の変化を書いています。未熟なところも多いかと思いますが、あたたかく見ていただけましたら、嬉しいです。一泊二日の検査入院、退院の日。9/29は、妻との結婚記念日だった。ちょうど、10年目の。そんな特別な日だったから余計に、妻と、2人で築いた家族で一緒に過ごす日にしたかった。身体は痛かったけど、咳止
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない
俳優の中尾彬さんが16日に心不全のため亡くなりました。81歳でした。中尾彬さん急死、最愛の妻池波志乃がコメント「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまった」-おくやみ:日刊スポーツ俳優中尾彬(なかお・あきら)さんが心不全のため亡くなったことが22日、明らかになった。81歳だった。所属事務所「古舘プロジェクト」が公式サイトで正式発表した。…-日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)www.nikkansports.com
こんにちはアラタです。再構築するにあたってよくぶつかったこと僕は妻を愛していると主張妻は愛しているなら不倫なんてしないあなたは私を愛していないと何回もぶつかり続けました。これについて書いてまいります。愛についての定義は私見です。ご了承ください。僕の言う「愛している」僕の言う愛している僕にとって妻が一番大事これからの人生において妻しかいないと考え結婚したまったくの本心でありここに嘘偽りは無いただし自分の次に大事である。僕の言う「愛している」は
昨日、お通夜が終わったたくさんの人が来てくれた。たくさん励まされて、たくさん泣いたたくさんの人が妻のために泣いてくれた。お通夜の間、長女はなんども泣きながらまま愛ちゃんと妻を呼んでいた。通夜が終わって、控室で子どもたちと妻と一緒に過ごす。お絵かきして、妻に見せる。寝る前愛ちゃんのそばで、子どもたちとたくさん泣いた。泣きつかれて眠った。今日は本葬
保育園から帰ったあと、こどもの雛人形を出した。そして夕食を作って食事をとり、私の父に電話した。用件は、抗がん剤をやめたあとのことだった。自宅で療養できるように介護ベッドをいれる。ただ、スペースを取るので家の整理を手伝ってほしいと言った。父は、実家に帰ってこいと言った。父の提案は、私、妻、こどもたちで実家に移り住む。妻は実家で療養こどもたちはしばらく保育園に行かず、空いたらその保育園にいれる私は実家から高速で40分の職場に通って、通常業務をするこどもと妻の面倒は全て母が仕事を
昼前に父が来た。妻のガンが発覚して、初めて顔を合わせた。父は食べられるものをたくさん持って来た。妻の体調も良かった。消化の良いものを食べていたが、吐き気などはなく、痛みもあまりなかったそうだ。父からは、実家へ帰らないかと言われた。家族皆で帰ってこい。空いている部屋を私達のリビングにしていい。ありがたい申し出だった。とりあえず年末にお試しで暮らしてみることになった。妻は、まだ父の家に帰らず、今の生活を続けたいと言う。父は、私や妻がパンクしてしまうと心配した。どちらの話も、正
朝、おばさんと二人で病院に行った。妻は、病室のベッドで寝ていた。目を開けているが、声をかけても反応は薄かった。おばさんは、痩せた妻を見て、たくさん泣いていた。会う前は泣いたら愛姫がかわいそうなんて言ってたが、止められるわけがなかった。徐々に、妻の正気が戻ってきて、おばさんと話す。おばさんは、妻を優しく抱きしめた。たくさん、抱きしめた。互いが互いの背中をさする。優しく。愛おしく。おばさんは、私は娘のように思っているよと優しく伝えた。そして、愛していると伝えた。何度も
夕方のお母さんとの交代はなくなった。夕方の回診を受けたところ、微熱で血中酸素濃度が92%だった。初めてだった。妻の体調は悪くないが、少しクラクラするらしい。妻に聞くと、心配だからそばにいてほしいと言うので、一緒に過ごすことになった。過ごしてみれば、平和な夜だった。夜はほとんど寝ていた。翌朝も体調は良く、私はお父さんと交代して帰った。帰宅して、とりあえずお母さんに謝った。昨日は、言い過ぎた。その後子どもたちの準備をして、お母さんに送り届けてもらう。私は、泥のように眠った。昼
夜妻は、1時間に1回飲み物を飲んでいた。寝ては起きて、水分をとっていた。アイスボックスが食べたいと言った。スプーンで食べさせた。ストローで飲み物を飲めるようになって、ゴクゴク飲んでいた。朝方には、アイスミルクティーを飲みたいと言い、ゴクゴク飲んでいた。美味しいと微笑んでいた。昨日の昼より、何倍も元気だった。喋れるし、目もしっかりしていた。回復していた。でも、日が昇り始めて、昨日のお母さんとの話をした。私が謝ったことを伝えると、妻は、強い目で命の限り生きるよ。とハッキ
自分が使う言葉は、とても大切です、言い方一つで、喧嘩になることも、愛が芽生えることもあります。この言葉を書けた女性は、幸せな人です。Thepowerofwordspic.twitter.com/gdO6CLnpXj—TheKing(@xxxxTheKing)May25,2024私は目が見えない助けてください同じことだけど言葉が違う素晴らしい日だけど見えない
夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてくれた。その後一度だけ、呼吸が変になったが、すぐに落ち着いていた。夜は、30分寝て、身体を起こしてと言って、身体を起こし、水分をとっていた。一緒に食事がしたいと言って、アイスを一
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4と診断された自分の生活と、その心の変化を日記として書いています。肝臓の数値が急激に上昇して、レットヴィモが休薬になった。そんな中でも、自分の生活のルーティンを変更するつもりは、全くなく、いつも通り過ごしていた。レットヴィモを飲まず、5日間が過ぎて、体の変化はというと、痛みはなく、咳も出ない。今の所は、大丈夫そう。11月29日血液検査になり
てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4と診断された自分の生活と、その心の変化を日記として書いています。4月8日今日は、長女の入学式!天気は、曇で、雨がすぐにでも降りそうな空模様。前日から、長女は、入学式を楽しみにしていた。小学校には指定のブレザーがあり、男の子はズボンタイプ。女の子はスカートタイプ。で、売られていた。………が、実は、娘はこのスカートが嫌だと、大泣きした。娘は
てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4と診断された自分の生活と、その心の変化を日記として書いています。5月19日【朝の体調チェック】今日は、天気も悪く湿度も高いので、なんとなく身体が重い気がする。頭痛にならないからいいけど。これから梅雨の時期になるが、湿度が高いと頭痛になる回数はなぜか増えて、仕事行く時に、市販の痛み止めを常用してたな。ガンになって治療はじめてから、頭痛になってない
今日から、妻は抗がん剤治療だ。朝の妻の体調は、少し悪かった。夜中に少し吐いたらしい。妻に、ガンで今まで一番痛かった時を30にして、今どれくらいか聞いたら、5だと言っていた。それでも、妻は布団から動けなかった。今日、妻とお母さんと子どもたちでゆっくり朝出て、こども園や病院を案内する予定だった。しかし、妻の体調不良で、急遽私が皆を連れて行く。お母さんには、馴れない道を覚えてもらい、子どもたちの送迎方法を教える。嫌な顔をせず、付き合ってくれた。私も職場に送ってもらい、仕事をする。病
愚痴です。今日の妻は、機嫌が悪い。お腹が痛いというから、病院に連れて行くと言えば、どうせ治らないだとか、疲れるから嫌だと言う。痛みが落ち着いたというので休んでいたら、夜になって、ずっと痛みを我慢していたと言い始める。じょあ病院に行こうと言えば、それは嫌と言う。痛み止めを飲んだか聞けば、飲んでないと言う。結局痛み止めを飲ませたら、痛みが引いた。今は寝ている。この今の妻の気持ちが、全くわからない。そんなに病院を信用していないなら、セカンドオピニオンを受けようと言っても、これも嫌がっ
竜司に調教を受ける美優。竜司が搾乳機のバルブに新たなチューブを取り付けた。「美優、このチューブを何処に繋ぐか分かるかな」漂う快楽から呼び戻された美優が、遠い目をしてチューブを見た。「これ*****に繋ぐチューブだ」段々と焦点があった目でとらえたチューブの先端には、乳首用のモノより小さなトックリのゴムが付いていた。「バージョンアップした搾乳機には、*****吸引用のチューブがついている」竜司が先端部にローションを塗ると、小さなトックリの口からジュブジュ
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
子どもたちを送って職場へ妻は、カートで腹水を抜くので午前中の面会は控えた。お父さんも気晴らしに温泉に行った。職場で皆さんに挨拶みんな背中を押してくれた。職場を午前であがると、先生から電話患者さんの体調が日に日に悪くなっている。緩和ケアに移る日どりはまだ決まっていない。そこで、外科病棟にいても子どもたちと会えるように取り計らう。ただ、条件があって、患者さんが危篤状態になっても、長時間の心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命措置を行わないことを承諾してほしい。すぐに答えが出
昨夜テレビ番組を観ていてあなたにとって奥さんはどういう存在?ってな街中アンケートみたいなのしてましてすかさず横にいるダーリンに聞きましたよ笑ダーリンにとって妻の私の存在はずばりゆるキャラあん?どー言う意味!つまり癒しの存在🍀とにかく傍に居てくれるだけで癒されるらしいですあ〜良かったダーリン助かったわね最近インスタで見つけて良く聴いてます5年前の曲らしいですhttps://youtu.be/MDwfa7XRUqQ?si=qMOWOCP1JNDiDmz5幸せとはP
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
朝から隣町に行く。2年前まで住んでいた町。妻のママ友のかいちゃんママが妻のためにお守りを買ってくれたので、それを受け取りに行く。妻には内緒だった。驚かせたかった。道に迷いながらかいちゃんの家に着くと、かいちゃんママとお父さん、子ども3人が出迎えてくれた。お姉ちゃんとかいちゃんと生まれたばかりの赤ちゃんみんな可愛かった。長女は一度遊びに来たことがあり、玄関を開けると子どもたちに連れられて中に入っていく。少し立ち寄るだけの予定だったので戸惑う。すると、戸惑っている私にかいちゃんマ
自分は結婚するまで自分からゴムを付けてエッチをしたことがほとんどありませんでした。理由はただ一つ、うまくつけれなかったから。何故うまくつけれなかったかはここ数年でわかったのだが、若干アソコがでかいみたいで、きつくてゴムがはいらないから。ちなみに調べて分かったのだが、トイレットペーパーの芯がきつくて入らない人はでかいそうです。そのこと妻に教えたら、絶対無理でしょと言われた独身の時、浮気は相当していた。妊娠は確かに心配だったが、若かったのと遅漏気味ということもあり、あまり深く考えていなかっ
「はっ…!!」十一娘は小さく叫ぶと上掛けをはねて飛び起きた。違う!…ここは徐家の西跨院。その声に令宣が目覚めた。「どうした!?十一娘」令宣も起き上がった。「…はぁ…大丈夫です…何ともありません…」令宣は妻の肩を抱くと心配そうに顔を覗き込んだ。「大丈夫じゃないだろう…冷や汗をかいている」令宣は自分の袖を持って十一娘の額を拭った。「…怖い夢でも見たんだな?」頷いた十一娘の瞳は遠くを見るように霞んでいた。「旦那様…お起こししてすみません。夢で昔の…板打ちを思い出しました…」令
妻が居なくなって三週間が経った記憶が薄れてしまわないうちに妻が息を引き取る前の、二日間のことを書いておこうと思う痛み止め持続皮下注射の為1日だけの入院から帰宅したのが6月22日の朝その日中、うっすら、まどろんでいた様子はブログにも書いたでも、じつは、その夜中ぐらいから妻は痛みを訴えていたお腹に入っている注射から常に痛み止めは注入されていたでも、痛みが増したときは、手元のボタンを押せば薬が、追加注入されるただし、15分以上の間隔を空けて