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給料日に真っ先にすることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう何もしなかったですね。ブログご訪問ありがとうございます。😃10円玉貯金、続けてますか?--銅の供給不足が到来https://schiffgold.com/commentaries/the-copper-supply-shortage-is-here/https://x.com/nesara_gesara_/status/1782760782260039690あっ!ま~た手が滑ってしまっ
一番好きな植物は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようタンポポですね。ブログご訪問ありがとうございます。😃日本でも「二重国籍」を認めるべき?なぜドイツは全面解除?パックン「外国人は帰化できるのに、日本人が海外の国籍を取れないのはかわいそう」(ABEMATIMES)-Yahoo!ニュース今年1月、ドイツで二重国籍を全面的に容認する法改正がされ大きな話題となった。これまでEU加盟国の出身者に認めていた制限を撤廃したかたちだ。ドイツの報道によると、「国籍
おすすめの邦画は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようブルースウィリスのKIDでしょうか?ブログご訪問ありがとうございます。😃11BanksWithQuantumBankingPrograms:1)J.P.Morgan2)HSBC3)BNPParibas4)CreditAgricole5)ゆうちょ銀行6)CitiBank7)WellsFargo8)Barclays9)RoyalBankofCanad
ご覧いただきありがとうございます。2021年2月にくも膜下出血を発症。治療とリハビリを経て4ヶ月後に退院。後遺症で右半身麻痺となり嚥下障害があります。言葉が出てこないことがあります。今現在は家事・育児・仕事を「普通っぽく」こなしながら高校生、小学生の2人の娘と生活しています。夫は単身赴任中でたまに帰ってきます。おはようございます。今期は忙しくあまりドラマは見ることができていないのですがこれだけは観ています。月曜10時からのアンメットです。これを書きたくてブログを再開しま
水分を摂る事ができなくなって4日目、妹が目をつぶった母におはようと声をかけ指でまぶたを開けてみたそうだ。するとしばらくそのまま目を開けてキョロキョロしており、だんだん焦点が合ってきたらしい。そして妹とバトンタッチをして母の様子を見ていると時々うっすら目を開けるようになった。もうすこしはっきり目を開けたら水分をとらせてみようと思う。翌日朝方に様子を見てみると目をしっかりと開けていて、視線も動く。喉乾いた?と聞くと少し頷いたように見えた。頭を起こし野菜ジュースをコットンにしみこませた
モノが落ちそうになった時にハッシ!!!と、キャッチできたらまだまだイケるんちゃうかと思ってしまうアラフィフ、ペガサスけいこです。最近、そんな瞬間多発。一回なんか、ちょっと弾いて、2・3回お手玉したのに無事キャッチ。かわい子ちゃん達との生活のおかげかしら。。ま、そもそもイケるって、ナニ?こちらのブログでは2021年度第24回ST(言語聴覚士)国家試験に向けての勉強の記録を綴っています!現在学生の身分での発信
一昨日の朝の話。ゆっくり起きた私も悪いんだけど。旦那は作業所、息子は放デイで、2人のお弁当をダッシュで作ってた。ゆっくり遊びながら準備が進まない息子。今日が何日かわからない旦那。2人に声かけする余裕もなく、バッタバタ。そしたら、私がバタバタしてる様子にムカついてきた様子の旦那『なんでそんなイライラすると?そんなら休めばいいやろ?』は、なんて??もう迎えに来る時刻なのに、今から休むとか、まじ迷惑。そして、休めないとわかると『わかった、行ってくる』と、手ぶらで出て行こうとする
寝たままの母の手を握りながら色々と母のことを考えるようになった。母は明るく面白い人で社交的でもあったので仲良くしている人は多かった。だが、かなり常識外れで傲慢さもあったので母を嫌いな人も多かったろうと思う。かくいう私も、子供のころは友達のお母さんたちとは様子が違う母が恥ずかしかった。大人になってからは母がもしただの知り合いだったら絶対に仲良くならないタイプだな・・・と思っていた。性格の合う合わないだけではなく詳しくは書かないが家族として裏切られたりしたこともあり嫌いだと思うこともあっ
癌がわかった時、どこでどんな治療を受けるか?…を初めて会うそのDrは「どうされますか?」と尋ねてくれた。「先生は、どんな方針ですか?」と夫は聞き返した。彼が、考え考え示した方針を聞くと、夫は「じゃあ、出来るだけ早く始めて下さい」と即決した。え?実は、弟は消化器癌が専門の外科医。私は、まず相談したかった。それは夫もわかっていたし、本人も相談するつもりでいたのだが、結構な進行具合で、多臓器転移も心配な状況。即決すれば、翌日にはPET、週明けには大腸ファイバー(木曜だった)、な
自宅とスーパーと病院の往復だけに明け暮れた濃厚な数ヶ月が終いになってプロジェクトが重なり怒声が飛び交う職場に戻った怒声には怒声返しがよろし、とガミガミ切り返す自分を俯瞰してあらダイジョウブじゃぁないのやってイケソウじゃぁないの、と思うそして久しぶりのプレゼンにチーム半分を引連れて出掛け訪問先の会議室でひと笑いなんか取りつつヤマ場にはぐっとひと押しをする順番がワタシに回ってくる1人遅れていた相手先の女性が「すみません」とやってきて最前列に加わりカーディガン
覚醒し始めた母は妹とバトンタッチ後、さらに覚醒度を上げた。介護ベッドで背中にクッションを当て側臥位でテレビの相撲を見ている写真がLINEで届く。それが介護ベッドでなければソファーで寝ながら相撲を見ている母にしか見えない。食欲も戻り、またヨーグルトやプリンなどを食べられるように。週明け私が実家へ行くとベッドの背もたれを起こした母はしっかりと起きていて、「ただいま」と言ったら「おかえり」と声を出して言ったので驚いた。会話らしい受け答えをしたのはいつぶりだろうか。さらに夜、私が缶のジン
年が明けた気がしないまま気が付けば2月になっていた。時間経過の感覚がおかしくて1週間があっという間に感じるのに母の病気が見つかってからまだ2か月しか経っていないのか・・・とも思う。妹担当の週末、前回は昏迷状態で入れなかったため久々の入浴サービス。入浴後に「気持ちよかった?」と聞くと母は難しい顔をしていたそう。その後咳が出てきて発熱。もしかしたらお風呂がぬるかったかもしれない。緊急で訪問診療医に来てもらう。「今の時点では肺炎などの重篤な状態ではない」とのことで咳止めのシロップを処方して
いよいよ退院の日が来てしまう・・・・・。ー退院当日ー案外、順調!私は、何も出来ないけど、サービスを使えば意外と介護ってなんとかなるんじゃない⁉︎・・・・・・。ところが、そんなに甘くはありませんでした。さらに、しばらくしてから、何やら父が何度も何度もおかしな行動を取るようになったのです。その行動は、私と母の怒りを買うものだったのです。続く(次回5/1更新予定!)⭐︎これまでのおはなし⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話を
アンニョン(^-^)/。日にちを越えたので、4月22日、火曜日です。昨日は、大変な日でした。朝書きましたが、義母の施設に、義姉と待ち合わせして行って来ました。義姉は、会った時から、少し不機嫌そうで、最初から気を遣い…。ずっと義母を放置してたのに、そんな事がなかったような、様子でした。往診前に、義母のお部屋に入ったのですが、義母は、私のことは、わかりますが、義姉のことは、どなた?って言う反応で、「こちらは?」と…。私が「お姉さんですよ!」と伝えたら、思い出したようで、名前を呼んでま
高次脳で思春期な娘〜番外編〜夢4月13日(土)は娘の専攻科の入学式でしたこの学校の入学式に出て(卒業式もそうだったのですが)今までの中で一番良い入学式だったなと感じました型に捕らわれないこの学校らしい式でした「僕は中学校の3年間不登校でした」から始まる新入生代表の言葉はとても素晴らしかったです娘も待つばかりでなく、周りに期待するばかりではなく自分で色々な事にチャレンジして様々な経験をして欲しいそう思いましたそう願っているのですが、、、なかなか難しいかな、、
今日はANZACDayでお休み。そもそもこの日は、戦争で命を失ったオーストラリア人とニュージランド人への敬意を示すためのもので、お店は午前中は閉まり、シティではパレードが行われるのが通例。でも、私にとっては今日は別の意味を持った日。2015年の4月25日の朝、旦那は脳梗塞を起こした。4月14日に心臓発作で救急入院し、9日日間の入院後、家に戻り、その2日後の4月25日。ちょうど日本からホリデーできていた母も含め、4人で朝食を食べている時だった。退院後、食欲のなかった旦那がその
父、一人介護2度目の木曜日。11時半に訪看さんが来る予定なので安心していた。お昼すぎに父からLINEで「母、またうんち失敗。自分でおむつを引っ張り出してしまった。」と連絡が・・・10時半頃、母は左手で便のついたオムツを引っ張って外してしまったらしい。父ではどうにもできず訪看さんに電話をし予定より早めに来てもらいオムツの処理から汚れたシーツの取り換えまですべて行ってもらったそうだ。すべて終わって安心して家族LINEで連絡してきたようだ。母も汚れたオムツを取り換えてもらえず相当気持ち
母は意識がはっきりしてきて苦痛が出てきたのかしきりに頭や耳を押さえる仕草をする。こちらから聞けば「痛い」「右の耳が聞こえない」と声を出して答えられるようになった。言葉で答えられるようになったのは嬉しいが、苦痛があるのは可哀そうなので初めて処方されていたカロナールの座薬を入れてみることに。事前に訪看さんに教えてもらっていたが実際にやるのはなかなか難しかった。なんとか挿入に成功し、痛みが和らいだ母はウトウトし始めた。状態が安定しているようなので私は一度自宅へ戻り、大晦日は妹に任せて元旦
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
私が持ってる問題と同じ問題を持っているはずの愛犬。日本語を上手にしゃべれない、こと。同じこと、と言っていいのか…?で、今日のブログの主役♡彼の発言は、こんな感じだと思われる。「で、なんの話の件?言ってみ?」「そのお茶を、僕も舐めたいです」「くれるまで、待ちます」「え?今なんか言った?」※失語症の影響で、間違いなどがある箇所もあります。
母の覚醒度合いがかなり高くなった。日中ははっきりと目を開けているし聞いたことに「うん」「違う」と声に出して答え、少しだが表情が変わるようになった。「私が誰か分かる?」とふざけて聞くと”わかってるわよ”というような顔をしてフフッと笑う。そんな母に少し安心してしまったのか私が風邪をひいてしまったので一旦自宅で休むことに。その間は母の様子をLINEで送ってもらっていたのだが、とにかく良く食べるらしい。食べるのはプリン・ヨーグルト・ゼリーというようなものだが、飲み込みの調子が良ければ蒸しパ
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思いますセカンドオピニオンは自分で勝手にできないと判断していた進行が速すぎたこと標準治療が始まっていることいろいろな理由を考えてそして何よりも治療をしてくださっている
脳のクセというか、思考のクセというか。イイんだか、ワルくなったんだか、わけがわからなくなることもある。脳とか、思考とか、以前はほぼ考えたことがなかったけど、今は考えてみることが多い。脳とか、思考とか、アタマ周辺全般(脳出血とか失語症になった人)の、・医学の知識を持ってて・私と同じ経験をしてて・考えてることを理解してて・話が上手くて・優しくて・私の疑問に回答を示してくれるそんな方(神様か!)がいたらいいのにな。※失語症の影響で、間違いなどがある箇
正月三が日が過ぎ、1月4日は私も妹もどうしても実家には居られないため母が寝たきりになってから初めて父一人で1日過ごさなければならなかった。父から「訪看さんに浣腸をしてもらってかなりの量の排便があった。看護師さんに飲む栄養剤を医師に処方してもらうと良いと言われた。」とLINEで連絡がきた。「痛がった」と父のメモにあるので自力排便ではなく摘便をしたのだろう。次の日の朝5時ごろ、父から「夜中1時いきなりうんち。準備不足だった」とLINEが届く。前日の浣腸で出きっていなかった分が出てしまったの
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月2日今日は私の知人で高校時代からの友人、結婚してからも家族付き合いをしていたI家族と会った長男は男同士同級生次男はI家の長女と同級生(高3)長男と次男は生まれた時から、I夫婦には可愛いがってもらっていた。子供同士は幼なじみである小学生の頃は、次男はI家の長女と仲良く、お互いの家に泊まりに行ったり来たりしていた今回も私からI家に次男と会ってもらえないかと誘ったのだが快く受け入れてくれたこの病気になり、次男が人に会う事や、外出するこ
退院の付き添いを終えた私たち姉妹はそのまま実家へ泊り、宅配ピザを頼み一応退院祝い?をした。久々に食べたピザは母の口には合わなかったようで「美味しくないね」と言っていた。実家からバスで5分程の駅まで行き、20分ほど歩いた所に地域包括支援センターの分所のような「相談室」というものがあると分かった。退院の翌日、姉妹で行って来ようかと話していると母も同行すると言う。少し心配だったが脳以外は元気だし歩くのも運動になるので一緒に行くことにした。相談室に到着し、どういった病気か聞かれ「膠芽腫
葬儀を終えて帰ると私と子供達、4人連名宛の手紙が行政から届いていた「世帯主を変更してください」葬儀の翌日、役所へ行く世帯主変更を終えると子ども関連の課へと案内されたひとり親家庭への支援について1時間ほど説明がしたいとの事あ。そうか、私、ひとり親なんだ・・・そこで初めて自分の状況に気が付いたなんで何も考えてなかったのか不思議なくらい次男と娘の2人が未成年という事で児童扶養手当・遺族年金について説明を受けた遺族年金の支給額が児童扶養手当額より低
介護ベッドが入った翌日12/17は用事があったため私は帰宅し夜遅く妹が来ることに。その日の母は日中ずっとベッドの上にいて、トイレに行きたくなると起き上がろうとするので父が介助しながらトイレに入る。どんなに具合が悪くても毎日湯舟に入りたがる母のため、父が支えながらなんとか入浴もさせたそうだ。【その日の父からのLINE】5時前に後ろから抱きかかえるように支えてトイレに行った。ベッドに帰った後で白湯をコップ1杯飲んだ。これから風呂に入れる。後ろから抱きかかえるようにしながら足から母の自
~プロフィール~福岡出身。現在39歳。2010年大阪にある情報システムへ就職。2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。失語症・失行・注意障害・記憶障害など。身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。こんばんは。先月、最終回と名付けたが、その記事を書き終えてから思い出したことがある。それをエピローグとしたい。最終回を書いた2月22日の翌日からは、3連休だった。妻は、家族4人で京都に遊びに行
乳がんから肺・骨・脳の転移を経験しました。2013冬にわかった脳転移の再燃により2度のサイバーナイフ。その後も壊死と再燃のため再び脳は大きく浮腫み緩和ケア(最期)のお話もされました。(2017/12)2018年10月開頭手術後あっという間にまたまた癌の再燃。そこからが速い。お陰でわたくしは右手足の麻痺失語症になっています。なるようになる死ぬかもしれないけど家族に囲まれて逝けるなんて私は幸せです。※友達作りのためのブログはしていません。