ブログ記事13,249件
退院の付き添いを終えた私たち姉妹はそのまま実家へ泊り、宅配ピザを頼み一応退院祝い?をした。久々に食べたピザは母の口には合わなかったようで「美味しくないね」と言っていた。実家からバスで5分程の駅まで行き、20分ほど歩いた所に地域包括支援センターの分所のような「相談室」というものがあると分かった。退院の翌日、姉妹で行って来ようかと話していると母も同行すると言う。少し心配だったが脳以外は元気だし歩くのも運動になるので一緒に行くことにした。相談室に到着し、どういった病気か聞かれ「膠芽腫
よく見えない。それが主題である。それだけがわかるようにわかる。今まではジャングルの中の曖昧さに彷徨(さまよ)っていたと考えていたが、どうもそれはどの立ち位置にもある錯覚だったようだ。どの位置でもあるのだから、その位置を決めることによるズレの錯覚に過ぎない。それに気づける位置にまだいるということなのだが、そういう俯瞰が得られたのには理由がある。意識が飛んでそれは五感を失うことなく、見えたので、浮かんだイメージが言葉
退院してから、自宅でリハビリを開始しました。週2回でリハビリ病院に通って、外来リハビリを開始することになりました。4ヶ月の様子•普通に歩くこと(目標)出かけた日、9時から夜20時に帰るというのが、ある意味普通だったのに、出来なくなってた。3時間とか歩くと、明らかに疲れて足が上がらない。休憩しないと、動けなかった。▼リハビリ毎日毎日歩く練習をした。1時間は最低歩く。リハビリある日は、往復で2時間は移動。リハビリが終わって、ちょっとスーパーでお買い物して家に帰る。5時間ぐらいは
春日部市で開催されている『春日部失語症友の会』見学させて頂きました!参加者はなんと21名😳・当事者14名・ご家族4名・支援者3名大勢の皆様が『笑顔』で交流されていました😊最初に全員で『発生練習』次に、自己紹介も含めた質問に回答していくアンケート(私は子供の頃の記憶がないので大苦戦😅)その後、3〜4名のグループに別れて、ディスカッション。今回のテーマは『昔と現在のなりたい職業はなんですか?』を考えるゲーム。チーム事で話しあったのですが、本当に『失語症?』そんな風に思えない😳『
『記憶障害、そのあとで...』『アナタダレデスカ?』『ご主人逮捕します?』『クローゼットの中から出てきたもの』『旦那は変態なの!』『韓ドラあるある…な事件w』続きです『ちっちゃな嘘カテ』で…ameblo.jpでね、失語症だってことになったあと、さらにエスカレートして。相変わらず、してもいない浮気を疑ったり、セックル(ルをスに変換)強要したり...駅で喧嘩して公衆で暴言吐いたり、靴投げたり、走行中の車から飛び出たり...と、ヤバい女炸裂させてたみたい。本人は記憶失くしてたっていうんで、これ
前回の続きです『急性脳症②〜覚醒、再痙攣〜』前回の続きです8月5日息子が目を覚まして私たちのことを認識できるか、今後の心配や不安の中夜が明けました。朝が来ない日はないそんな言葉の通り、どんな出…ameblo.jp8月9日痙攣があったことを聞きショックを隠しきれませんでした。先生から再度痙攣が起こるか起こらないかは重要ポイントと話されてた記憶があります。今回の痙攣は点滴ですぐにおさまったそうですがこの日から追加でイーケプラという抗てんかん薬の内服が開始となりました。
久々に思いついたおいしくて、かんたんな料理。ついでにカロリー少な目でヘルシーだし。そういう意味でも満足できる料理ができると本当にうれしいな。※失語症の影響で、間違いなどがある箇所もあります。
一般病棟へ♡初めまして脳出血からもうすぐ10年のマキです^^集中治療室を出て一般病棟に移ってからは少しずつ起きている時間も長くなっていきました。右半身全ての運動麻痺・感覚鈍磨・高次脳機能障害・失語症という診断だったのでまだまだ頭の中はもやがかかったような思考回路はものすごくゆっくりだったしぼんやりした状態だったけど、やっと自分がどんな状況なのか自分自身で少しずつ把握できるようになっていきました。・右半身全て、手も足もどこもピクリとも自分の意思で動かない。(先生の話にあった
2018年9月、左前頭部に見つかった脳腫瘍(髄膜腫)の摘出手術を受けました。その後の症状、思い出した症状、今思うことなどを書いています♬先月の話題となりますが、4月25日が失語症の日と言うことで、いろんな方がそのイベントの記事をアップされていましたね「失語症の日」の初イベントは2020年に実施されたのですが、コロナ禍でもありWeb上で実施されていたので、私もWebから参加しましたよこの年は協賛者募集に乗っかって、少し協賛金を振り込んでみたので、協賛者一覧に私の名前が並んだことに気を良
2009年5月6日(水)MulagoHospital🏥ここはウガンダ最大規模を誇る病院。我が配属先の聾学校から徒歩で行ける所にある。この日はこの病院で活動しているイギリス人言語聴覚士の活動を見せてもらうことになっていた👀ちぃ~っす♪フレンドリー且つ軽やかに言語療法室に入った。(散らかりはご愛敬🎵忙しいのです)そして、この日担当している鼻ピア
乳がんから肺・骨・脳の転移を経験しました。2013冬にわかった脳転移の再燃により2度のサイバーナイフ。その後も壊死と再燃のため再び脳は大きく浮腫み緩和ケア(最期)のお話もされました。(2017/12)2018年10月開頭手術後あっという間にまたまた癌の再燃。そこからが速い。お陰でわたくしは右手足の麻痺失語症になっています。なるようになる死ぬかもしれないけど家族に囲まれて逝けるなんて私は幸せです※友達作りのためのブログはしていません。
ついに退院して、脳梗塞が発症してから5ヶ月目に突入したあたりで、仕事復帰をした。と言っても、脳出血した際まで働いていた職場は、他の人に変えて欲しいとの事で、戻れなかった。AVM(脳動静脈奇形)で治療が終わらないと、再度発症するかも知れないと言ったら、もう一度倒れられても困るから、という理由で契約を切られた。という事で、体が動いていたが仕事はお休みするしかなかった。難しい手術でもしたいと言ったのは、もうこんな思いをしたくなかったからだった。世界は冷たいって本気で思った。私の変わりはたく
意味性認知症の主人とダウン症の娘を持つ、くろーばーと言います。主人は、意味性認知症に加えて失語症もあります。今は、指をさしたり、「それ」「あれ」「ちがう」「うそ〜」という言葉だけで意思疎通をしています。考えている時間も多くなってきました。私としては、主人がイライラしないように穏やかに過ごせるようにしたいと思っているのですが、時々怒らせてしまっています😅そして、ダウン症の娘は特別支援学校に通う18歳の高校3年生❗️3月には卒業です。早いものです!これからいろいろなことがあると思いま
勉強やり直し!初めまして^^脳出血からもうすぐ10年のマキです一般病棟での生活もスタートして状態が安定してきてついにリハビリが始まりました。急性期に初めてリハビリが始まった頃は午前中にまずST(言語聴覚療法)から。最初にここはどこなのか(病院名がなかなか覚えられずしばらく苦労した覚えが)とか色んな図形のテストやなんかもやった気がするけど、あんまり覚えてない。記憶にあるのがまず驚いたのが、簡単な計算ができなくなってること。一桁+一桁の足し算・引き算ならなんとかできた
脳の病気が原因で言葉が話せなくなったり,人の言葉が理解できなくなったりする状態を失語症と呼びます.私はブローカ失語の症状が出ていました。ブローカ失語(運動性失語)は、言葉を聴いて理解する能力は通常ですが、話す際にたどたどしくなったり、音が歪んでしまうケースが多いです。単語を並べて文章を組み立てるのが難しいため、いざ話そうとしても言葉が出てこないことが多いです。結果として、言い間違いや、どもることが多くなるのが、運動性失語の特徴です。——————————————————リハビリを重ねて
2018年9月20日、多分手術は1時からの予定だったと思いますあんなに大変な経験をしたのに、誰も予定時間を覚えていないんですよね「多分1時から」と書いたのは、手術の立ち会いに私の妹も来ることになっていたので、過去のラインで待ち合わせ時間を確認し、推測したものその日のライン情報では、朝から頭が痛いと、氷枕で頭を冷やしていたようです。あれですね、脳腫瘍に特徴的な早朝の頭痛そして、当事者の私、多分、緊張してたんでしょうね失語症が出始めてから4日目手術日も失語症の症状が出ていて、話をしたい
リハビリ5ヶ月目週5で仕事を始めたので、週1で外来リハビリに通う。外来リハビリでは下記のような事を取り組んだ。【右麻痺】ペグボート最初中くらいのだったのが、マッチ棒のようなペグに!!粘土を使ったりして、ひたすら手のひらを使って訓練。手の分離が中々出来なくて、スーパーボウルを薬指、小指で掴んで他の3本を動かす訓練とか。【失語症】発音と頭の訓練(脳機能障害対策)などを開始。数字の簡単な計算(時間がかかる。間違える)脳機能を鍛える(クイズ形式で答える)(時間がかかる。わからない
母はどんどんおかしな様子が見られるようになった。失禁はもちろん、ズボンを頭から被ったり、リハパンを重ね履きしたり、茶筒にお湯入れたり、歯磨き粉の蓋を入れ歯のように口に入れたり…喋ることもできず会話にならない。その度に姉に怒られて姉を睨みつける。更に姉が怒る💢もちろん認知症状が進んだのは姉のせいなんかじゃない!絶対に‼️でも顔つきがどんどん悪くなってしまっていた。私が何か尋ねても反応がハッキリせず2度3度聞くと「うるせー‼️」なんて言われて驚いたそんな事言う人じゃなかったのに…💧
診断は脳梗塞。症状は右麻痺、失語症、高次脳機能障害あり。発症から1か月の様子です。●発症時・携帯のロックが外せない。・ひらがな表を渡されたけど、訳わからなくて、見てるのも辛い。混乱。「あ」の次は「い」というのがわからない。・手が全く動かない。鉛のように思い。・足は動くけど、歩けない・何か言いたいんだけど、考えがまとまりきらない。・例えば、のどが渇いたと伝えたいとしても、ナースコールを押して看護婦さんが来た時には覚えていられない。・かがみを持って、ハンカチの左に移動して下さい
覚醒し始めた母は妹とバトンタッチ後、さらに覚醒度を上げた。介護ベッドで背中にクッションを当て側臥位でテレビの相撲を見ている写真がLINEで届く。それが介護ベッドでなければソファーで寝ながら相撲を見ている母にしか見えない。食欲も戻り、またヨーグルトやプリンなどを食べられるように。週明け私が実家へ行くとベッドの背もたれを起こした母はしっかりと起きていて、「ただいま」と言ったら「おかえり」と声を出して言ったので驚いた。会話らしい受け答えをしたのはいつぶりだろうか。さらに夜、私が缶のジン
記憶を遡って、、、2019年9月18日の11時少し前、娘に市内の病院の脳外科(脳神経外科)に連れていってもらいました。振り返ってみると、この日の病院でのこと、よく覚えてないことが多かったです。私の調子がそんな感じ、、、ブログを書くのに、娘に当日のこと確認してみたところ、受付は11時迄なのに、病院に着いてもメモ帳に訳のわかんないことたくさん書いてて、車から降りてくれなかったのよ言葉が出なくて会話が成立しなかったし、記憶が曖昧みたいだったから、何か不安になってメモしてたとは思うけど、時間
前回からの続きですヒーリーに出会い購入をして次にメタトロンを受けに行く事になりました前回のお話はこちらニュースキャンにヒーリーに…と次から次へと出会いせっかくなら全部してみようか。。と言う好奇心もでてきてメタトロンを受けましたしかし…これもまたヘッドホンをしなくてはならず難しいかもしれないから…とはお伝えしていたのですしかも今回は1時間と言う限られた時間しかありません。姫ちゃんが寝てくれるのを待つわけにもいかず強行突破ですいざしてみると…一瞬手で払い避ける
今日の主人ちょっと落ち着かず、2階に行ったり.リビングを出たり入ったり…ウロウロ…ウロウロ…主人は以前、心筋梗塞になったことがあり、そのためにたくさんのお薬を飲んでいる💊今日は、その病気の定期検診!だからかな今日落ち着かないのは…(病院に行く日は、カレンダーに書いてるんだけど、これだけは理解しているような気がします。)病院って早く行くとおじいちゃんやおばあちゃんがたくさんいるからゆっくり行こうと思っていたら、9時くらいにはスタンバイOK行く気満々です!(いつもなら、私が行く
2018年9月23日、手術後3日目です今日の記事は、娘のラインに残ってた情報から。今日はとても元気だクリームパンとあんパンを食べ、ご飯もペロリと完食の様子一緒に病棟の廊下を歩いてみたが、掲示物を見て、あーだ、こーだと言っている頭は回転してそうだ手術の後遺症はなさそうだなどと、私の妹に報告しておりました髄膜腫摘出の開頭手術だったので、どんなに大変な状態になるのやら?と心配してましたが、回復が早くてびっくりしますねただね、退院してから感じる、あれこれ脳を触ったから一過性で出て
脳梗塞になった日から2年経過した。記録の為に残そうと思う。リハビリ病院を退院した時は…『入院中は気づかなかった出来ない事』退院して、普通の生活に戻ってみていろんな事が出来ない事に気づく。•右手の指一本じゃ何も出来ない扉を閉める時、開ける時、蛇口をひねる時など、指が引っかかって、…ameblo.jp一年半は…『脳梗塞になって一年半』AVMの血管内治療のカテーテル手術を受け、合併症で脳梗塞になって、片麻痺、失語症、高次脳機能障害(注意障害)と診断された日から1年半過ぎました。1年〜1年半
仕事に復帰して5ヶ月。リハビリを初めて9ヶ月がたったころ。外来リハビリは終了となった。作業(手)のリハビリ出来ない事、困っている事はありますか?の質問に、「ないですね…」と答える。もう一通り右手は動くようになってた。包丁を使って、じゃがいもの皮剥きとかも何個も出来るように。普通に料理も出来るようになった。手首が上手く動かなかったけど、日々リハビリしてたからか、ドライヤーも上下に動かして乾かす事も出来るように。後、字を書くスピードも早くなった。普通に遅い人と変わらないくらいで書
病院に運びこまれた時はちょうど、東京がオリンピック開催地に決まって沸き立っていました。脳出血発症当時、文字を書くこと、話すことはほぼできませんでした。急性期の頃リハビリ病棟の担当医から現状と将来についてお話しを伺いました。既に発症から二週間経っていたので、だいたいの記憶は残っています。担当医の話は「カルテに書かれている年齢を見て、もう歳が歳なので、複雑な仕事や、苦労などをせずに、ゆっくりした余生を過ごせばいい」というニュアンスでした。手元においてある私のCT画像と見比べながら、
病室ではテレビを見るしか楽しみはありませんよね。私は4人部屋だったので、イヤホンを使用する必要があります。しかし、開頭手術後であり、イヤホンで音を聞くことがとても苦痛でしたどうにもしんどいのです。すごく不快感があり、テレビを見ることができなかったですでは、何をして暇をつぶすのか、、、と言うことになりますが、ず~っと、スマホで、「髄膜腫」を検索していました。腫瘍で脳が圧迫されて脳が浮腫み、失語症が出て、意識がここにあらずの状態で、脳外科に連れてこられ、即、入院、手術となったので、「髄
退院して、普通の生活に戻ってみていろんな事が出来ない事に気づく。•右手の指一本じゃ何も出来ない扉を閉める時、開ける時、蛇口をひねる時など、指が引っかかって、一本では激痛がはしるレベルで痛い事。まだ指一本では扉を閉める事すら出来ない事が結構衝撃だった。•お金をスムーズに出し入れ出来ない自販機にお金を入れるとかが難しい。小銭を手に掴んで1枚ずつ出す動きが出来ない。指が連動してしまい、各指が思うように動かない。薬指と小指だけ曲げるとか、人差し指だけで小銭を入れるとかが出来ない。小銭