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9月18日に母は家族、友人、みんなに見守られながら旅たちました。何とか草津から名古屋に戻り、慣れ親しんだ病院で、大好きな主治医のところで。驚くぐらいの人が母の最期に会いに来てくれました。夕方に、みんなにお別れをして、ミタゾラムを使いました。母が望んでいた終末期鎮静。セデーションです。それからは、意識がない中、友達と同窓会の中に居るような賑やかな時間を過ごし、家族や、親友たちが、みんな部屋に入った数分後に、静かに息を引き取りました。この時間を待っていたかのように。ともちゃん。もう痛く
予定時刻を大幅にこえて、銀色の小さなトレーを持って主治医は戻ってきた。『お待たせしました‥。予想をはるかに超えた状況でした。』『摘出した腫瘍などは、ご家族にきちんと見せます。こちらが卵巣です。』と主治医が言った。銀色のトレーの上には、私の掌ぐらいの大きさの卵巣‥だったものがあった。卵巣は破裂していて、直接的な死因は、ここからの出血だったらしい。破裂した卵巣の中にはBB弾のような黒い塊がいくつもあった。『この、黒いのが、癌です。』主治医はそう言った。‥こんなも
皆さま、説得力のあるコメントや、励ましのお言葉やメッセージ、本当にありがとうございます。おっしゃる通り。家族の望みよりも、やっぱり最後は本人の気持ち。ツライのは母本人で。その母がまだ治療を望むのなら。それは尊重してあげる。それ以外の選択、私には無いです。だから、昨日の迷いや不安はなくなりました。祖母の望み、パパの望み。それぞれ思う事はあるかもしれないけど。ここまできて、私は、母が決めた事がしたい。母が決めた事が、私の決めた事。今日は朝から、採血をして、炎症の数値はある
9月15日。母が亡くなる3日前の事です。iPhoneのメモに記録していたのでブログに残していきたいと思います。朝、👓くんの運転で家を出た。今回は、母の母(ばぁちゃん)と👓くん、私と、娘1と娘2と、弟(5歳♂)で草津へ行くことにしました。嫌な予感がしていました。これが、最期になるような。。途中サービスエリアで休憩しながら、病院に着いたのはお昼過ぎ。病室に入ったら、母の姿が見えました。そして、隣には簡易ベッド。パパが前日から泊まっていたので‥。先週よりも、痩せた母がそこ
今回紹介する映画はこちら、「グッドナイト・マミー」2016年に公開された、オーストリア映画。映画の予告編が怖すぎると話題にもなりました。映画のあらすじはといいますと、、森と畑に囲まれた田舎の一軒家で母親の帰りを待つ9歳の双子の兄弟。ところが、帰ってきた母親は顔の整形手術を受けており、頭部が包帯でぐるぐる巻きになっていた。さらに性格まで別人のように冷たくなってしまい、兄弟は本当に自分たちの母親なのか疑いを抱くように。そして正体を暴くべく彼女を試しはじめるが、その行為は次第にエスカレートして
たくさんのコメント、メッセージ、イイね、ありがとうございました。もうすぐ母が旅立ってから1ヶ月‥。やはり、時間がたてばたつほど辛くなる。ってのは本当ですね‥。母の癌は、不思議な事ばかりでした。最期は、母の病理解剖をしました。9月18日の21時少し前に息を引き取り、病理解剖は、0時頃に始まりました。軽々豊富な解剖医も驚いたそうです。結果は、年末か年始に出てくるそうです。母は、今年の1月に【胆嚢がん原発】【肝臓、胆管、膵臓、十二指腸に浸潤あり】【腹膜播種あり】ステージ4
久しぶりにブログを開くと何やら仕様が色々と変わっていて、不安になりますね😅お久しぶりです。もう、更新するつもりは無かったのですが、有難い事に、心配してメッセージをくださる方、同じ境遇の方、治療や草津総合病院の質問など…たくさんの方からメッセージやコメントなどを母が亡くなった3年弱経った今でもいただいております…(本当にありがとうございます😭)私は、元気にやっています😊母が亡くなって、しばらくは落ち込んだり眠れなくなったり泣いたり…情緒不安定になって辛くなって正直死んでしまおうか。と思っ
母の日大好きなお母さん心よりおめでとうございますヽ(^。^)ノ(私から母へ)母よりお花をありがとうございます。バウムクーヘンがとっても美味しかったです孫と長女がなんと、私の母のおばあちゃんにもプレゼントです(^_^)可愛いメッセージも(^_^)v三女からも届きましたありがとうございます(^_^)全国のお母さまおめでとうございます次女からのプレゼント
あやだけでも、戻ってこれないか?とパパに言われた。運転して、妹達を送って、パパの車を置きに行って‥今やっと帰ってきて、、また名古屋から草津を1人で運転、、。冷静に無事辿り着ける気がしなかった。私は断った。あぁ‥また後悔が一つ増えたなぁ。また後悔するんだろうなぁ‥。【じゃあ‥薬、使うな‥】とパパ。【わかったよ‥】と私。あぁ‥名古屋、帰ってこれなかった。もう、仕方ないね‥。さっきが最期のお別れか。もう話す事も。生きたまま名古屋に戻ってきて、温もりをもう一度感じる事も
9月17日朝から病院へ行った。明らかに調子が悪そうだった。眠る‥痛がる‥眠る‥痛がる‥その繰り返しだった。草津総合病院での主治医の話を聞いて、家族でセデーションについて話し合った。セデーションは水曜に名古屋で行う。‥今日は月曜。明日火曜日に名古屋に戻って‥会いたい人に会って‥セデーションで眠らせてもらう‥。母の希望だった。主治医との話を終え、一人で母の側に行った。やせ細った手を握って眠るばかりの顔を見てたら涙が止まらなくなった。母の前では泣かないと決めたのに。母
死亡確認がされて、残された家族や、友人達はみんな泣いていた。不思議と私は涙が出ませんでした。お出かけが大好きなともちゃん。食べる事が大好きなともちゃん。人と話す事が大好きなともちゃん。癌は、ともちゃんから何もかもを奪いました。大好きだったお出かけも、できなくなった。最後のお出かけは、最初に草津を受診した時。あの時、もう末期の症状が出てきていて、身体はとても辛かったんだろうと思う。でも、自分の中でこれが最後のお出かけになるかもしれない。って、わかっていたよね。だから、行
母は少し頷いてくれるだけ。時々痛みで顔を顰める。母が会いたかった人。母の祖母。私の、ひいおばあちゃんです。癌になった事を伝えていませんでした。【必ず良くなる】そう信じていたから‥伝えられずにここまできてしまった。【ともちゃん、おばあちゃん来たよ。】私が伝えると、母は目を開けて【おばあちゃん‥来てくれてありがとうね。】と笑った。しっかり、おばあちゃんの顔を見て。病院着を整えて話をした。(ともちゃん‥かわいそうに‥ごめんね、おばあちゃん知らなくて‥。変わってやれたら
『~sora~』のブログを開設してから「相談」で頂くメッセージが2日間で『30件』を超えました。(現在は“sora”から“空”に戻しました)どれだけ多くの方が、深い悩みを抱えているのかを痛感しました。メッセージの返信は、すぐには出来ないかもしれません。それでも必ず、私が伝えたいことを伝えていきますので焦らずに、待っていてくださいね。共通している悩みや苦しみはブログでも、伝えていきたいと思っています。人生、生きていると突然、苦しいことが訪れますよね女性の方な