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小諸城址懐古園へも行ってきました。桜の満開の時期は一瞬なので今回の軽井沢は忙しい桜まつり🌸日時:4月1日(月曜)~4月25日(木曜)懐古神社例大祭日時:4月24日(水曜)・25日(木曜)三の門前から黒門橋まで屋台がでます☆駅からくるとここから入りますそしてこちらに出ます濃い紅色の花をつける小諸特有の「小諸八重紅枝垂」懐古神社⛩️藤村記念館人力車で園内回られている方もいました。散策券は300円(小中学生100円)動物園と散策の共通券は500円(小中学生200
こつこつ書いてきたブログも、もうというか、ようやくというか、140回を過ぎました。この間、たくさんの方に読んでいただき、ありがたいことです。御礼申し上げます。まだまだ続けようと思っていますが、次はどこを紹介しようかと思いましたので、今まで触れた所を地図の上にまとめてみました。大雑把なものなので、あまり綺麗ではありませんがご勘弁を。色を付けてみましたが、わかるでしょうか?「城跡を歩く」と言いながら、圧倒的に城の中心部、特に三の丸と稲荷郭の辺りが漏れています。城の外周の土塁でいえば、
いつの間にか4月も半ばを過ぎていました。このところ気忙しくて城攻めにも花見にも温泉にも行けず、記事の更新もできずくすぶっておりました。が、いい気候になってきましたね。神戸では桜も散ってしまった今日この頃、せめて過去に訪ねた城と桜の写真でも愛でて、花見の代わりにしてみようという本日の趣向でございます。当ブログを覗いて下さるのはきっと城好き歴史好きの方々。せっかくなのでちょっとクイズ形式に並べてみますんで、よかったら一々ご覧になってどこのお城か当ててみて下さいませ(^^)
昼休みに、職場仲間と桜🌸散歩に行って来ました。丁度満開です☺️職場は、城跡なので建物の周りは整備され、庭園風公園になっています。仙台枝垂れ桜も満開でした。ウグイスやトンビが鳴いています。梅は、新芽を出すところです。赤松と桜のコラボ芝生も緑が濃くなってます。来年も桜が見られます様に☺️
前回のお話『ドーミーイン甲府丸の内②【青春18きっぷで甲府へ⑥】』前回のお話『ほうとうと夜桜散歩【青春18きっぷで甲府へ⑤】』前回のお話『ドーミーイン甲府丸の内①【青春18きっぷで甲府へ④】』前回のお話『武田神社【青…ameblo.jp朝食を食べた後はさっさと着替えて甲府城跡を見に行くことに天気予報で翌日は関東大雨と聞いたので桜が見える期間はやっぱり短い見れるうちに見とかなきゃと思い重い腰を上げました📍舞鶴城公園舞鶴城公園·〒400-0
〇千葉の勝浦にある断崖絶壁の公園千葉県南部の太平洋沿岸には勝浦という町があります。和歌山県にも紀伊勝浦がありますが、いずれも海岸の絶景の町。ただこちらには勝浦城と言われる城跡があります。今回はそんな勝浦城の城巡りからお届けしましょう。安房鴨川駅から到着ここは内房線と外房線のそれぞれの終点駅。東京湾沿いを走っていた内房線から太平洋の沿岸を走る外房線へ。ここは鴨川シーワールドもある南国のイメージが強い観光の町。かつてはここで列車は完全に分断されており、内房線と外房線それぞれの列車の終着
おうちに関するモヤモヤを暮らす人の目線で整理して可能性を一緒に探します。住まいのよろず相談承ります。32年間勤めたハウスメーカーを辞めて、関西から長野県伊那市の茅葺き古民家に移住準備中長野県伊那市で古民家の改修のことで業者さんたちと打合せに今週も遠出。中央道ののどかな景色と雪を被った山々を見ながら走ってたら、なんだか武者震い。ほんまに引っ越してくるんか?ほんまにここで頑張るんか?って、一人の車中で独り言。散り始めた桜と、鮮やかなピンクの桃や木瓜の花が
はあ~、気分がいいね~♪高い所から見下ろすの大好きw可愛い子猿さん達が枝から枝へ遊び回るのを微笑ましく眺めながらしばし一息いたしました。しかしその後の事です。歩く道の脇の木にかなり大きなサルがいて道を見下ろしてる。こ・・・怖いぞ( ̄▽ ̄;)奥多摩のおサルさん達は穏やかですが、なんかオーラが違う💧これを殺気と言うのか?どうしよう、とびかかってきたら心臓バクバクしながら目を合わさない
(もどる)北東から南下。旧河道。全景図で。外大溝を見るが全く解からん外郭東辺まで480m。政庁跡の方を見る。外郭築地塀跡に沿って南下。振り返る。さらに南下。外溝跡。築地塀を妄想。全景図で。東南隅から北を見る。西を見る。木が外郭築地塀跡。外大溝。櫓跡。正面から。西へ進む。櫓跡。西へ進む。櫓跡。西へ進む。櫓跡。西へ進む。ここから復元された築地塀と櫓。築地塀跡を西へ。櫓跡。振り返る。外大溝。東を見る。西を見る。外大溝から戻る。外郭
この日の休日は、昼過ぎに人と会う約束があった。週末(7月7日)には、吉野の【金峯山寺】に『蛙飛び』行事を見学しに行く予定もあり、南朝ゆかりの【吉水神社】にも久しぶりに行くつもりだ。そこでこの日の朝、阪奈道路を通る時に以前から気になっていた【楠公(なんこう)寺】に行ってみよーーーって思いたったのだ名前からして楠木正成ゆかりの寺であるに違いないブロ友さんのtomoさんからも【楠公寺】って名前が出てたし昼からの約束までに、週末の吉野に行く前に、サクッと楠木正成ゆかりであるであろうお寺に、菊水
一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。6月23日、西台墓地側から権現堂城址に行ってきました。↑上の写真は東側の平場から見た権現堂城です。↓下の写真は西台墓地側の入口です。浪江町の皆さんのお蔭で「登城」することができました。あと、堀はふたつ確認されて、曲輪が3つあるようでした。↓下の写真は堀のひとつです。曲輪には雷神社が鎮座しています。
11日(月)はサンダーバード7号で福井駅まで8ー8ーA蟹かに出張なので無関係恐竜新幹線開通で人が増える?山へ行くときは「ヤマレコ」を使っていますが契約をっ切った古いスマホをヤマレコ専用に家のwifiで、地図ダウンロードしておけば屋外でGPS昨日でログも記録出来、計画も入れてるのでルートを外すと「予定ルートを外れました」と警告してくれるので遭難防止が出来ます。ガーミンは音声が無いので自分で確認していました。3月16日は、青春18切符で
そろそろこんばんは!これを書いていたら電話による説教予告のLINEが来ました。「今電話していい?」田中「!!!???」訪問2023年3月上旬野上駅から徒歩20分小さな神社の隅に入り口があるわかりづらいがこの獣道を登っていく森林伐採用の通路っぽい雰囲気で途中丸太が残っていた。現役当時に使われていたものだとは一切思えない狭さと暗さであった。近くの宝登山の後におまけで行ったのだがこちらの方が難易度は高い迷って道でもない平場から落ちそうになったりと結構危なかったので気をつけること
昨日の続きです。今回で岩槻城の最終回です。城跡は今どうなっているかをグーグルストリートビューで調べました。岩槻城の復元想像図です。現在の岩槻城跡です。堀・沼は埋め立てられ、石垣も無かったので、何もない状態です。この観光案内地図は現在と江戸末期を重ねて描かれています。赤丸番号順に紹介します。最初に①の時の鐘です。上図①にある時の鐘です。1720年に初代の鐘にひびが入り、改鋳したのがこの鐘です。幕末には1日12回撞かれていました。城下城内
矢板に用事があったので、話題の橋を見てきました。“話題の橋”とはauのCMに出てくる一休ちゃんのあの橋。○テレビCM三太郎シリーズ「一休ちゃん、登場」編矢板市のともなり橋で撮影したと、以前このブログでも紹介しました。県道からすぐ見えるところにある「ともなり橋」。道沿いから見えるので、すぐ見つかりました。川崎城跡のほう広い遺構が残っているんですね。時間があったら巡ってみたい。今回は時間がないので橋だけ。
常陸太田市ですまだまだ行くわよ今度は利員竜貝城跡と天満神社案内板あり奥に天満神社があるようです着いたわ鳥居の右手に行くと利員城のようですまずは天満神社からこちらも良い感じに石段のぼり慶應元年だわ光輝く社殿が見えてきた石段はそれほど崩れていないので上り
2月に屋島山頂に、宿泊したばかりなのですが気に入ったので、また、同じ所に宿泊しました~👍️この宿から見える、高松市内の夜景が素晴らしい✨駐車場🅿️が狭いので💦相方のMARCH「マー兄さん」で❗(笑)前回2月に、部屋の窓から見えた、老木の桜が気になってました。しっかりと、🌸桜の花を、咲かせてました🎵🎵🎵部屋の窓からは、こんな感じに見えますよ🎵窓から、北側を眺めると、山桜が沢山咲いてましたこのホテルが有る場所自体、昔の屋島城跡らしいのですが❗城といっても昔の砦跡。
先日、家族で、埼玉県行田市にある、忍城(おしじょう)に行ってきました。テレビのお城ランキングなどでよく見かけていて、ずっと気になっていたお城。我が家から車で日帰りでいけたので、長男が中学生になって部活で忙しくなる前に…と、この度行ってきました長男(小6)は日本史が好きで、教室に先生が置いておいてくれた本『のぼうの城』を6年生に進級してすぐ読み終えていました。のぼうの城Amazon(アマゾン)1〜3,500円私と夫も映画『のぼうの城』を事前にみて楽しみながら予習しました。
亀城公園から移動しまして亀城稲荷にきています街中の小さなお社古い桜の木が1本植えられている確かに広がる枝花芽があるかな八幡宮参拝してきますそれほど大きくはないですが貫禄ありますねきつねさんかわいいですちゃんと巻物くわえていますあら、やだんもう、
潮来市で遊んだ時これなんだ?広がる畑は・・・さつまいもの苗これから育つところです行方市に近い潮来市もさつまいも畑が多いかな行方市もさつまいもの産地です最近は種類も豊富から食べ比べが楽しいですよ干し芋もいもの種類により食感や甘さ等全然違う今年は昔ながらのイモを買って食べましたやや硬めで甘みも少ないけれど懐かしい味がしましたついいも談義しちゃったいも好き城跡と
御主殿の滝の石碑のそばには花やお供え物がたくさんありました。供養の心は悲しい魂の慰めになっているのでしょうか。長い年月を苦しむよりも、次の世に幸せになっていてくれることを心から祈る。この時滝つぼを黙って眺めていた娘の心には何がよぎっていたのかはたまた疲れ切っただけだったのかそれは聞かず、黙って過ごしました。木造の橋、て美しいですね。下から見上げても思わず見とれてしまう
鉾田市に来ています烟田城跡があるので来てみました烟田城跡には新宮小学校がありましたが今は廃校になっています廃校がどこも増えています見事な土塁良くわかりますね奥へ進むと小学校の校庭にでます奥には鳥居が見えます小学校の校庭に氷川神社小さなお社がありました本殿が見えた烟田城は烟田氏
過日、いつも聴いてるラジオKissFMKOBEが、「9月19日は名字(苗字)の日」という情報を教えてくれましてね。なんでも明治3年(1870)、太政官が「平民苗字許可令」を発布した日なんだそうです。「へー」と思ったついでに名字についてちょっと考えてみたんですが、日本の名字で多いのは「佐藤」「鈴木」がツートップ。これは良く知られていますよね。佐藤さんに至ってはなんと全国で180万人以上いるみたいです。一方、私自身はわりと珍しい名字を名乗る身でして、調べたら全国でも1000人くらいし
〇房総半島「ローカル線」旅房総半島をほぼ一周する外房線と内房線、これらの路線はかつては東京から特急も走り、通勤電車も走る大幹線でした。しかし、関東近郊のこの千葉県南部もまた鉄道衰退の傾向は止めようがなく、今ではすっかり特急列車の削減・駅の無人化・列車本数自体の削減とどんどんとかつてに比べても鉄道としての衰退が著しくなってきました。今回はそんな房総半島路線の現状と城跡巡りを兼ねて旅行へ行ってみました。朝一番に千葉駅から出発ここはもちろん東京から一番近いので、列車本数もそれなりにあ
ど〜も〜どもども〜今年は時間作ったら満開じゃなくて葉桜だったとしても出来るだけ桜を見に行くと決めて出かけがちだった青森のなるめんです🍥🌸ここ数年まともに花見も行けなかったから今年は行動制限解除されたのでならばと県内各地周りましたが・・・まぁ満開と行ける日のズレが生じてブログ的にも映えないんですが🌸💦出かけれることに意味があると信じて行ってたので備忘録として上げます✍️何年後かに記事見返してあぁこの数年間はなんだったんだと笑い飛ばすことができたらなぁと思ってます🍴👿😷😈🍴
栃木県小山市に来ています着いたのは網戸神社延喜式内網戸神社網戸城跡でもありますねみんな網戸だ城の築城は鎌倉時代ですかでは参拝へ拝殿大きそうですね主祭神田心姫命いつ勧請したのかはわからないようですが社殿の再建が大同元年というから相当歴史ある神社です境内広いわ美しいです良く育っていま
車で移動し見物することをテーマにあちこちから集めた浜松情報。↓↓↓↓↓~エリアごと~(リンク選択してください)■浜松市天竜区①■浜松市天竜区②■浜松市天竜区③■浜松市浜名区/旧浜北区■浜松市浜名区/旧北区①■浜松市浜名区/旧北区②■浜松市中央区/旧東区■浜松市中央区/旧西区■浜松市中央区/旧北区③■浜松市中央区/旧中区■浜松市中央区/旧南区~テーマ別~■浜松市の桜の景色■新・浜松の自然100選■浜松市の紅葉景色■浜松市の年間行事■井伊家にま
牛久市のお目当て小坂城跡に着きました公園になっています整備されていると案内板があるのでわかりやすいです結構大きいな小規模な城だったと思うがこう見ると広いわ他がもっと大きいってことかしらね小田氏から分かれた岡見氏が築城さすが城登るんじゃ~整備されているから上りやすいんだがやはり・・・きついわぁあ
ご訪問ありがとうございます😊西洋占星術ほしよみサロンMINOAKA代表澄川めぐです今の世の中が酷すぎるので社会の裏側や真実も伝えていっています。フラットアースを完全解説「本当の宇宙の教科書」note有料記事こちら★◆なぜ今コロナが流行って、大変な世の中なのか?!昼夜転換のお話◆鬼滅の刃はリアルだった?!夜の時代では何が起こっていたのか…◆三浦春馬くんの死から見えてくる、世の中の裏側。星読みメニューはこちらのHPから申し込みフォームはこちらからフラッ
公園として整備され、観光客で賑わう金沢城公園。実は、金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていない。というのも、この金沢城公園、以前は金沢大学のキャンパスだったのである。金沢城公園にある石碑。「金沢大学誕生の地」と記されている。城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったそうだ。そもそも、金沢城公園は時代とともに宗教・政治・軍事・学術の拠点として移り変わってきた歴史を持つ。幕藩体制が終わりを告げ、明治に入ると、金沢城跡には