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香川県の聖通寺山はもともと瀬戸内海に突き出た岬だったそうで、今は西に宇多津町、東に坂出市の市街が広がり、北には瀬戸大橋から岡山県までも望む標高122mの山。山頂一帯は「常磐公園」として整備されていて、北側に建つ結婚式場「サン・アンジェリーナ」からの眺望はひときわ絶景です。ここは展望台にもなっていますから、ちょっと覗いていきましょう。「聖通寺山展望台」–宇多津町観光協会:四国香川県(utazu-kanko.jp)うわー、瀬戸大橋が丸見え。瀬戸内海を隔てて本州までも望めま
(西条市小松町大頭方面へ向かう交差点から臨む剣山城跡の全景)昨年より、彼方此方の山城跡を登ってみるようになって、特に現在の西条市地域には、山城跡として立派なものが沢山あるように思いました。一体どうしてかな?という思いが湧きました。そういう思いで考えてみますと、朧気ながら浮かび上がってくるものがあります。先ずは西条市の立地条件です。愛媛県の東予地方と呼ばれる、旧宇摩郡(四国中央市)、旧新居郡(新居浜市・西条市の一部)、旧周布郡と旧桑村郡(西条市)は陸地を通じて他の四国地方の阿波や讃岐、
こんばんは!さてさて、どんどん行きます。【欧州レポ⑨リスボン】に続き、シントラ観光について書いていきます。リスボンからは車で1時間半くらいでした。道路は広く、基本的に120キロくらいは出せます。(私は運転しませんでしたが。)シントラは世界遺産に登録されている街なので、期待大でした。まず到着すると、駐車場を探すのに一苦労!フランスではあまり現金は持ち歩かないのですが、ポルトガルでは度々現金が必要に。特に、駐車料金に関してはぴったり入れないとダメという厳しすぎる機械のせ
けっこうな坂道コロコロ転がったら海へ💨💨💨😅
(剣山城跡手前の下城から中央の上城、そして湯浪の集落へと続いている)愛媛県西条市小松町にある剣山城跡は、愛媛県にある山城跡の中でも大きな縄張りを持つ山城です。黒川氏三代の居城だった訳ですが、黒川氏は元々は周敷郡千足村黒川というところの氏族でした。ここよりさらに奥の「湯浪(ゆなみ)」と呼ばれる地区、若しくはその近辺の「黒川」と呼ばれる山深い集落の出自であったと思われます。私は詳しくどの辺だとは分かりません。おそらくは地元の人には「あそこがそうだ」と知っている人がおられると思います。
児玉、雉岡城跡の桜R6,4,12児玉の千本桜を見た帰りに雉岡城跡にも桜があるというので駅に戻るついでによる。たいしたことはないのではと思いつつやって来たが思ったより桜は多い。というより目の前、全部桜だ。土塁のような所、谷になった所何となく城跡だと感じる。桜は満開で散り始めている。少しの風で弱い桜吹雪が起きる。そっと桜が舞って居る。残念ながら桜の散る様子は絵に出来ない。どこか城郭らしき景色はないものかと歩いて探す。自然の地形を生かした土塁の様な尾根の
しーにゃんでございますいつもしーにゃんブログをご覧いただき、ありがとうございます今日もいつもと同様、美濃新四国八十八霊場のお寺に向かって出発木曽川沿いに出ると天気も良いし寒くな〜い陽気が良いので自転車になってる人がいつもよりだいぶ多いように思いましたいつもの御鮨街道を走って交差点待ちした時に100m元町トイレ?通ってる道にあるはずなんだけど、分かりませんでした岐阜県山県市に入って大桑城跡に向かうと左手に桜の道がありますちょっと走ると芝桜があるのが見えたので行ってみることにしました
一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。来週2月24日に開催されます「第8回浪江を語ろう!」の準備も着々と進めているところですが、同日午前中に泉田城をめぐるイベントが町内で開催されるようです。そこで今回の「第8回浪江を語ろう!」のテーマとも関わりますので、泉田城の近世後期について、史料を用いつつ、簡単に述べてみたいと思います。泉田城はもともと標葉氏の一族でありました泉田氏の居城でした。標葉氏による標葉郡の領有が終焉を迎えた明応元年(1492)以降も相馬氏の家臣として、同城に住しま
前回のお話『ドーミーイン甲府丸の内②【青春18きっぷで甲府へ⑥】』前回のお話『ほうとうと夜桜散歩【青春18きっぷで甲府へ⑤】』前回のお話『ドーミーイン甲府丸の内①【青春18きっぷで甲府へ④】』前回のお話『武田神社【青…ameblo.jp朝食を食べた後はさっさと着替えて甲府城跡を見に行くことに天気予報で翌日は関東大雨と聞いたので桜が見える期間はやっぱり短い見れるうちに見とかなきゃと思い重い腰を上げました📍舞鶴城公園舞鶴城公園·〒400-0
過日、いつも聴いてるラジオKissFMKOBEが、「9月19日は名字(苗字)の日」という情報を教えてくれましてね。なんでも明治3年(1870)、太政官が「平民苗字許可令」を発布した日なんだそうです。「へー」と思ったついでに名字についてちょっと考えてみたんですが、日本の名字で多いのは「佐藤」「鈴木」がツートップ。これは良く知られていますよね。佐藤さんに至ってはなんと全国で180万人以上いるみたいです。一方、私自身はわりと珍しい名字を名乗る身でして、調べたら全国でも1000人くらいし
さてさて………………【勝龍寺(しょうりゅうじ)】を出発し、ココロは次の目的地に到着した…………………「乙訓景観十景」にも選ばれている場所。【勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)跡】京都府長岡京市勝龍寺13−1その城の特徴は…………………■「山崎の戦い」に敗れた明智光秀が"最後の夜"を過ごした場所■明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が幸せな新婚生活を過ごした場所【勝龍寺城】は、南北朝時代から江戸時代初期にかけての日本の城。城名は付近の同名古刹【勝龍寺】に由来する。【安土城】に先行する「瓦・
天草市栖本町湯船原に所在する市指定史跡の栖本城跡です。天草市HPによると、栖本城は中世における天草五人衆の1人である栖本氏の居城です。天正17(1573)年の天草合戦後、没落し廃城となりました。城跡は湯船原の南側、標高60mの帯状の山稜で、南西方向に広がっています。山頂部分の台形状の平坦地が本丸で、長径60m、短径45mほどの広さとなっています。東側には堀切があり、2mほど下ると尾根が続いています。本丸です。※写真は2021年12月撮影
〇房総半島「ローカル線」旅房総半島をほぼ一周する外房線と内房線、これらの路線はかつては東京から特急も走り、通勤電車も走る大幹線でした。しかし、関東近郊のこの千葉県南部もまた鉄道衰退の傾向は止めようがなく、今ではすっかり特急列車の削減・駅の無人化・列車本数自体の削減とどんどんとかつてに比べても鉄道としての衰退が著しくなってきました。今回はそんな房総半島路線の現状と城跡巡りを兼ねて旅行へ行ってみました。朝一番に千葉駅から出発ここはもちろん東京から一番近いので、列車本数もそれなりにあ
昨日の続きです。今回で岩槻城の最終回です。城跡は今どうなっているかをグーグルストリートビューで調べました。岩槻城の復元想像図です。現在の岩槻城跡です。堀・沼は埋め立てられ、石垣も無かったので、何もない状態です。この観光案内地図は現在と江戸末期を重ねて描かれています。赤丸番号順に紹介します。最初に①の時の鐘です。上図①にある時の鐘です。1720年に初代の鐘にひびが入り、改鋳したのがこの鐘です。幕末には1日12回撞かれていました。城下城内
30年ぶりに宮崎県の大地を踏みました!高校1年の夏、全行程15泊16日奈良県を出発し瀬戸内海側を進み、九州は時計回りに一周した『西日本横断九州一周自転車旅行』の最終目的地が宮崎県だったのです。今回は仕事で来たので、とんぼ返りでこれより帰路に向かいますが、前日夜の最低気温2℃(国道19号沿い木曽町で計測)より、朝の時点ですでに気温21℃の宮崎県えびの市を訪れると温暖差に唖然としてしまいます。1300kmも離れているとこれほどまでに気温が違うもんなんですね(◎_◎;)えびの市
福岡県内にはいわゆる本格的な登山をするような『名山』は少ないものの、一方で登山の技術のない方でも山登り、山歩きを楽しめる『名低山』は色々あります。そんな『名低山』が中心都市の”福岡市内”にもいくつかあって、過去このコラムでもご紹介しているところですが、今回ご紹介するのは、その中でも「一番!」と言ってもよい、便利で、気軽で、しかも山登り気分が十分味わえる、福岡市東部にある『三日月山』と『立花山』です!!では、山登りにGO!!!『三日月山』『立花山』に登るには、新宮町の立花の方からの登
この日の休日は、昼過ぎに人と会う約束があった。週末(7月7日)には、吉野の【金峯山寺】に『蛙飛び』行事を見学しに行く予定もあり、南朝ゆかりの【吉水神社】にも久しぶりに行くつもりだ。そこでこの日の朝、阪奈道路を通る時に以前から気になっていた【楠公(なんこう)寺】に行ってみよーーーって思いたったのだ名前からして楠木正成ゆかりの寺であるに違いないブロ友さんのtomoさんからも【楠公寺】って名前が出てたし昼からの約束までに、週末の吉野に行く前に、サクッと楠木正成ゆかりであるであろうお寺に、菊水
天草市久玉町に所在する県指定史跡の久玉(くたま)城跡です。牛深にほど近い久玉浦の北側に所在します。説明板によると、中世に牛深を拠点としていた豪族久玉氏によって築かれた城と伝えられています。城域は主軸の長さ235m、幅50mに及ぶ規模で、5つの区画を階段状に造成しています。中心区画には高石垣が残っていて、唐津藩寺澤氏による大改修によって造られた江戸時代初期の遺構と考えられます。城の高台にあたる曲輪には土塁や土橋、切岸など中世城の様相を留めていて、久玉氏、天草氏時代の遺構と考えられます
は~い。移動すること168キロぐらい。大阪府南河内郡千早赤阪村、上赤阪城跡。ロッキーを駐車場に止めて行くよ。駐車場に説明板があるよ。さあ行くよ。掘りこまれた道だね。二の木戸の説明板だ。掘りこまれた道をどんどん進むよ。三の木戸の説明板。まだまだ余裕だよ。掘り込みの道じゃあなくなった。何か気になる場所だな。本丸の案内出てきたよ。もうちょいだね。分岐
ご訪問ありがとうございますブロ友さんを参考に、私も非公開フォローに変更しました。寝ている間の夢は覚えていますか?夢の中でいろんなことをしているんですが覚えてたらしんどくなるのですぐに忘れてしまいますつい最近、目覚める直前に見た夢です。どこかの家の庭を見ていました。庭は一面芝生で、プレイリードッグが1匹いたのです。地面に穴が1つあって、私が近づくとプレイリードッグは「ひっ!」とビックリして逃げてしまいました。そこで目
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県三戸町『三戸城山公園』へご案内致します(^^)※この辺。広大な領土を持つ南部氏の宗家だった三戸南部氏の居城ですね。その後、福岡城(二戸市)を経て盛岡城(盛岡市)に移動するワケですがずっと大切に守られていたそうです。ワタクシ、敵対する津軽側の住人ですが←せっかくなので攻め入ってみます!それでは早速凸していきましょう!レッツゴー👊
昭和の時代から「城」は地域によってバラつきがありますが、「観光資源」として整備されてきました。その中で多くの建物が復元もしくは復興という形で、建造されてきましたが、しかし建物とは形あるものはいつか壊れるもの。特に問題となってきているのは「史実考証」基準で言えば、「本当にこれあったの?」と言われるような建物が老朽化の時期を迎えているということです。しかし、現在では多くの自治体は財政的に苦境に立たされており、よほど知名度の高い城か、城郭整備に熱心な自治体や住民がいる地域でないとこの老朽化問
2024年4月9日こんばんは夕方から一気に冷え込んできました明日の朝は氷点下の予報が出ている信州各地高原地帯などではマイナス10℃の予報も…春は行ったり来たり、かと思えば夏も近いようで気温の変化には気を付けていきたいですねさて、一足早く桜前線がやって来た南信地域の伊那市の桜をシリーズでお送りしてきました高遠から伊那市街地へと下り伊那市編のラストにお送りするのは地元の方に長年愛されている伊那市の桜の名所、春日公園です先ほどの伊那公園とはうってかわってこちらはまだまだ咲
2024年4月16日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。かなり多いんで何回かに分けて書きます----------------------------------------稲荷〈正一位〉・金毘羅二神合祀、宮方二間、在古城、社料四斗五升〈貸地〉、旧在南幾世橋十日林、文化元甲子年遷于古城、別當修験泉田山来祥院、------------
鉾田市に来ています烟田城跡があるので来てみました烟田城跡には新宮小学校がありましたが今は廃校になっています廃校がどこも増えています見事な土塁良くわかりますね奥へ進むと小学校の校庭にでます奥には鳥居が見えます小学校の校庭に氷川神社小さなお社がありました本殿が見えた烟田城は烟田氏
車で移動し見物することをテーマにあちこちから集めた浜松情報。↓↓↓↓↓~エリアごと~(リンク選択してください)■浜松市天竜区①■浜松市天竜区②■浜松市天竜区③■浜松市浜名区/旧浜北区■浜松市浜名区/旧北区①■浜松市浜名区/旧北区②■浜松市中央区/旧東区■浜松市中央区/旧西区■浜松市中央区/旧北区③■浜松市中央区/旧中区■浜松市中央区/旧南区~テーマ別~■浜松市の桜の景色■新・浜松の自然100選■浜松市の紅葉景色■浜松市の年間行事■井伊家にま
潮来市で遊んだ時これなんだ?広がる畑は・・・さつまいもの苗これから育つところです行方市に近い潮来市もさつまいも畑が多いかな行方市もさつまいもの産地です最近は種類も豊富から食べ比べが楽しいですよ干し芋もいもの種類により食感や甘さ等全然違う今年は昔ながらのイモを買って食べましたやや硬めで甘みも少ないけれど懐かしい味がしましたついいも談義しちゃったいも好き城跡と
これが国司も見ていた高浜の風景釣り人も多し高浜というと舟塚山古墳も有名ですね結構写真を撮りに来る方を見かけます清々しい先は霞ヶ浦へと続くもうちょい先かな鹿島神社へ着きました三村には三村城跡もあるのよねなんやかんやで参拝してきます寛政のものですね少し奥まったところにあるので車の通り少なく静かです森の木々が華や
栃木県小山市に来ています着いたのは網戸神社延喜式内網戸神社網戸城跡でもありますねみんな網戸だ城の築城は鎌倉時代ですかでは参拝へ拝殿大きそうですね主祭神田心姫命いつ勧請したのかはわからないようですが社殿の再建が大同元年というから相当歴史ある神社です境内広いわ美しいです良く育っていま
こんにちは、翔渓丸です日曜日、暑かったですねえ26℃と夏日になりました家にいても暑いばかりなんで、諫早市の諫早公園で行われたつつじ祭りに師匠と行ってきました諫早公園近くの高城神社眼鏡橋眼鏡橋は長崎市浜町のが有名ですけど、こちらもりっぱ公園付近は出店もあって、結構な賑わいでした肝心のツツジはというと、それほどおお~って感じじゃなかったですけど、チラホラ咲いてました諫早城跡から諫早市街や雲仙普賢岳を一望でっかいクスノキは見ごたえあります帰りに