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道具は目的に対して作られるものです。巻藁(畳表巻)を切るなら薄くて幅広にカミソリのような刃の刀が良いでしょう。竹を斬るなら分厚くて重い刀が良いでしょう。でも、刀って人を斬るための道具のはずなので、そういう刀でモノを切るってのも何か本筋ではない気がするんですよ。竹を斬るのに最適な刀は持ち歩くには重すぎるし、巻藁を切るのに最適な刀は強度が足りないわけです。居合は武道なのだから人間を斬るのに最適な刀で巻藁とか竹を斬って修練するから意味があるのではないのかな?と思うのですが
4月9日(日)からフジテレビ系列およびその他放送局で放送されます。印刷用ジャケット鬼滅の刃柱稽古編「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ「上弦の陸」妓夫太郎・堕姫との戦いに辛くも勝利し、生き残った炭治郎。2ヶ月の療養の末、体力も戻りつあった炭治郎でしたが、肝心の刀が一向に届きません。それもそのはず、何度も戦いの中で刀を破損させてきた炭治郎は、担当の刀鍛冶である鋼鐵塚の怒りを買ってしまっていたのです。刀の代わりに呪いの言葉が込められた手紙が届くばかりで、一向に埒が明きません
日本刀の注文打ちで作る場合の、できるだけコストパフォーマンスの高い構成と価格について考えてみたいと思います。はじめに最安値の構成まず刀身。とりあえず、これより安い注文打ち刀身は絶対にないと思います。https://bizen-osafune.shop-pro.jp/?pid=1354554241発勝負君(打ち卸し刀身のみ)-刀鍛冶長船助光bizen-osafune.shop-pro.jp180,000円商品を見る↑試斬用の刀身のみ。これとセットで白研ぎ
まず初めに、コメント・DMありがとうございますすごく勉強になりました、より自分の御刀がすきになりました、大切にしていきたいとおもいます。早速わかったことから、中子にある銘(包永)関の元陸軍受命刀工の一人で、本名、天池銀次郎さん、が作刀されたものでした銘の上にある(関)の刻印は、関刃物工業組合の検査を受け合格品に中心に「関」の検査刻印を打ったみたいです、関の刻印次に桜の中に昭の字の刻印もあるみたいです(すみません大分と話を端折ってしまっています)↓に続くわかったこと①現在刀で
昨日の記事で紹介した拭いについて語られていた研ぎ師の方動画では「研ぎC」と名乗られていたのですがどういう人なのか気になって少し調べてみました。調べるというほどの事もなくすぐに見つかりました。というか動画内にしっかり本名が出てました。https://www.youtube.com/watch?v=J3HE48tvp0Q&t=516shttps://www.touken.or.jp/Portals/0/pdf/gijutsudensyo/2022%E5%B9%B4%E7%8F
戦国時代中期の文亀・永正年間(1501~1521)、相州鍛冶の刀工・山本周重(やまもとちかしげ)が武州多摩郡下原(したはら=現・東京都八王子市下恩方)に移住して作刀をはじめました。山本一族はやがて恩方村、横川村、慈眼寺村などに散在し、彼らの作る刀は「下原刀」と呼ばれました。下原刀・山本一族は、はじめ山内上杉家の重臣で滝山城主で武蔵国守護代であった大石氏の、次いで関東に覇を唱えた北条氏康の次男氏照が大石氏を継ぐと北条氏の、更には徳川家康が関東に入封すると徳川氏の庇護を受けることになり
幕府御用鍛冶となった下原刀・山本一族でしたが、天下泰平の世が長く続くと、必然的に刀の需要は次第に減っていくことになります。外記利長家の分家であった山本安知家でも、実際に刀を打っていたのはどうやら二代宇源太までだったらしく、三代小文太は拝領地を耕作して生計を立てていたようです。ただ、下原刀の需要が減ったのは、何も天下泰平の世が続いたからだけではなかったようです。これはある刀屋さんのコラムで読んだ話なのですが、刀屋は客が下原刀を持ち込んで来ると、「なんだ、下原か」と舌打ちすると言われているそう
↑昨日のこのブログのアクセス数3日前に書いた刀匠の炎上tweetの記事がすごく多いです。3日前に書いた記事なので一昨日はもっと多かったです。この記事↓『刀匠の投稿が炎上気味』「拡散希望」です。刀鍛冶に弟子志望の人はおりませんか?育てられる環境はあります。受け入れる気持ちもあります。ダイレクトメッセージなどでコンタクト…ameblo.jp刀匠の弟子募集の要項が大衆の反感を買い炎上してしまったわけです。しかし多少でも業界の事を知っている人であれば、令