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子供の頃、大きくなったら目の整形がしたかった。祖母似の垂れ目があだ名になり、【パンダ】とか【レッサーパンダ】と呼ばれていた。社会人になっても、まだその頃は整形は芸能人がやる事で、一般人の私には怖くて手が出せなかった。今でこそ人懐こく見られるメリットになったが、やはりメイクで隠したいものである。私ほどでは無いが長女も垂れ目を気にしていて、先日帰って来た時に埋没法を受けたのがバレた。父親の主人を騙せても、母親の私は騙せなかった。歯の矯正と同様にまで一般的になった整形だが、娘となると微妙な
次女の声が聞けなくなって、5年目に入った。第一希望だった企業に一発で内定を貰い、次女は解禁を待って義母に知らせた。義母は孫の就職を喜んでくれたが、次女に対して放った言葉が悪かったのだ。「良い大学出身のお坊ちゃんを見付けて、早く子供を生まなきゃね。」今なら完全にアウトのセリフだ。次女は会社案内を取り寄せ四季報を調べ、早く就職を決める努力をしたし、顔合わせで幹部候補と言われたと舞い上がっていた。それをたった一言で、次女を潰してしまったのだ。私の働いていた時代、昭和は終わってもまだまだ封
ごきげんよう母の様子ですが、、未だに傾眠傾向が強く起きている時間がほぼありません。。このまま老衰期に入っていくのでしょうかとても不安でそして淋しく・・・ですがそれも人の生きる道無理なく少しずつ受け入れて行こうと思います■昨日からエンシュアを朝昼晩と一日に3缶摂取しています椅子に座らせてグラスを口につけると、、ほぼ眠っているように見えてもグビっグビっと小気味よい音を立て飲んでくれるのが不思議ですグラスはうがいなどによく
若いときによく言われた言葉は『苦労は若いときにしといたほうがいい』何が苦労か?どれが苦労か?若いときには全く検討もつかん‼️(笑)自ら険しい道を選ぶ人もそうなかなかおらんかも?しれんけど楽な道を選んでいつも楽しく笑顔でおれる時間を持つこともそれはそれでありかも?しれん。ここ最近家族の皆さまが(オヤジ含む)ひとときのお昼寝をしてるとき色々考えるんです。四肢麻痺の女王バチさま🐝→お母さんとがん闘病のうちの旦那さん。どっちも抱えまくって普通、泣きたいときもあるはずやの
こんにちは。ともこです初めての人は★家族紹介★を読んでね→こちら★はじめに★も読んでね→こちら【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!~★介護日記★~☆認知症ばーちゃん&うつ病長女&心身症孫のドタバタ話→こちらから☆姑はなぜ自分の家を追い出されたのか?→こちら(発端)大阪の家を鬼嫁👹に追い出されて、わが家に引っ越して来たばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりについては、こちらを見てね
私がTと出逢った頃まだ彼は現役で働いていた。2度も舌癌の手術を受けて奪われていく体力は相当なものだったと思う。大柄で恰幅が良かったTがその後、病気の後遺症だけでなく上手く栄養が摂れなかった事もあり逢う度に小さく萎んでいったのを記憶している。関東からTの暮らす関西へ通うには往復で3万円以上、片道は5時間近くかかる。私も仕事をしていたから中々逢いに来られなかったけどそして来てもあっけなく帰らなくてはならない事のくり返しだった。玄関を出て振り返り「又来るね」と手を振る私
母の介護プロ集団その名も‘チームC‘リハビリのプロも参戦してはや3回目母の現在の状態を把握してどんなリハビリをやるかしっかりと考えてメニューを組んでくれていますリハビリをやってみて私が感じた効果、やってよかったな!と思ったことをお知らせしますまず・・・開始前と後には必ずバイタルチェックをします・体温・酸素濃度・血圧ですねこれだけでも少し安心しますそしてどんないいことが起こったかと言いますと・開始前の上の血圧が100を切っていたときリ
なんかネットを眺めておりますと、主に介護と育児にダブルケアラーさんや介護の会や、お看取り、グリーフ・ケアに関するサークルが数年前に増えてるような気がしますが、うちの末っ子が小学校に上がった時から私が参加している私が居住する市内の介護系サークルは介護に興味さえあれば経験、未経験問わず誰でも参加費100円(資料代と、お茶菓子代)支払えば参加出来まして、そちらの会はいつもだいた10人前後の参加者さんですがご家族を看取られた方もチラホラ参加されてるんですが、私が知る限りそういった介護系のサ
ごきげんよう一昨日、最後の母の代理受診を終えたので調剤薬局へ薬をもらいに行きましたラインでお友達登録し処方箋の写真を撮って調剤薬局へ送信しばらくするとご用意が出来ましたと通知が。。あとは受け取りに行くだけ時短が可能でとても便利病院のそばにも調剤薬局はありますがそこは利用せずわたしはいつもこの方法でお薬を受け取っていますお薬と言っても今現在、、母はもう飲み薬は一切服用せず保湿用のクリームと湿疹・傷用の軟膏そしてエンシュアをいただ
ゴールデンウィークだというのに、検査が一つだけあって支度をしていた。私には通院用の財布があって、義母から「自分の物を買いなさい。」と渡された2万円が入っている。これを主人は見逃さず、通院費の立て替え用として奪われたのだ。いつもこの財布から医療費を払い、主人が私に払い戻す。それが数年のルールだった。主人が私の誕生日に暴発してから、私は声色を変えず要件だけを伝えている。怒っているのでも怯えているのでも無く、淡々として。感情的になったら、主人に力でねじ伏せられてしまうからだ。クマを消し
義父の命日。主人は私の用事には行けないと言うが、埼玉までの帰省ならば行けると言って私はむくれた。私が皮肉を言ったら、なんとその土曜日に主人は出張を入れたのだ。まあ、私の為には時間を使いたく無いという事なのだろう。フン。別に今の老眼鏡でも使えなくは無いけれど、長い間使っていると頭痛がして来るだけ。連休中には作り替えたい。義母が出張中に泊まりにくればと言ったが、私に何かあった時に困るし、埼玉の先に出張している主人が実家に立ち寄らなければならなくなると嫌がった。自ら帰省を企てておいて、出
本日ひっそりとコッソリと3度目まして皆さん便秘解消の引き出し多過ぎじゃね!?便秘解消日記←私のよー分からんおやつよりもコメントを読んで欲しい起きがけに白湯を飲むのは直ぐにでも出来そうなのでやってみます今日の昼ごはんはばーちゃんと2人分なので朝旦那が食べなかったトースト厚揚げウインナーをバラバラぶち込んで中途半端に温めたクリームスープを投入そろそろ始末しないとねあぶない5分ほどパンにスープが染み込むのを待ってからチーズをパラパラトースターで200度15分こんがり焼き上
昨日は久しぶりに誘われて3人でランチ。2人とは以前一緒に仕事をしたことがあり気心が知れているし『ここだけの話』が通用するので面白い。1時間あっという間。しかしふと気付く。2人は独身。一度も結婚しなかった。若い頃から知っているので彼がいたことももてなかったわけではなかったことも知っているが、タイミングが合わなかったんだろうな、、、おそらくもう結婚はしないと思うが2人とも悠々自適なわけで可愛いペットがいたり友達やお母様と旅行していたり1人の生活を満喫していてと
母が3ヶ月ぶりに美容院に行きたいと言い出した。母の通う美容院は私ならば徒歩で8分なのが、腰が曲がった母には坂を登る事が出来ずバスに乗って行く。「慣れてる道だから、一人で行けるわ。」と言うけれど、母の場合は歩行を心配しているのでは無く、長い時間が掛かる美容院で尿失禁をする心配があったからだ。「たかが美容院くらい一人で行かせて。」と姉は言うけれど、デイサービスとは違い、老化現象に不慣れな美容師さんには迷惑は掛けられ無い。母を迎えに行きトイレを済まさせ、母にバス時刻を聞いた。バスに乗り込むと
3月19日この日は朝から夕方まで、私の検査と診察の日だった。前回、詐病と酷い言い掛かりを言った耳鼻咽喉科も回った。昨年の秋まで他院で免疫舌下治療を受けていたが、医療費を少しでも下げたくて丸3年をもって止めていた。舌下免疫治療を止めて初めての春。花粉症が爆発したのだと思うほど、鼻水が垂れ喉の奥がヒリついて診て貰うしかなくなってしまった。主治医を変えて欲しかったけれど、この病院は耳鼻咽喉科の層が薄く、他に診てくれる医師が見当たらなかったのだ。下手に騒がず前回は何も無かった顔をして診察を
✨ご訪問いただきありがとうございます✨アルツハイマー型認知症の母を近くに呼び寄せ認知症の疑いの義父と同居し介護日記を書いています。どうぞよろしくお願いいたします。母がケアマネさんに文句を言う様になり毎回ケアマネさんが訪問に来てくださる度に「なんであなたが来るの?変えてくれる様に言ってある」と追い返したり、「勉強不足って言うなら勉強しなさいよ💢給料泥棒が💢ちゃんと仕事しろ」とケアマネさん②に酷いことを言いケアマネさん②に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当に申し訳
母さんが退院前に作った下清拭用タオル。オムツ交換都度拭く予定が…。退院後、すぐにリハビリパンツ&パットになり…排泄もポータブル介助になり…あまり活躍の場がなし…タオルウォーマーも準備したけど…必要?ポータブルで排尿できるなら、いらないかな…。無駄な事はやめていかなければ。💦
昨年の7月。突発性難聴になった。そして、突然の復調。発症直後にステロイド治療を受けたが効果が無く、主治医の紹介で転院して2週間の入院生活を送った。高気圧酸素療法は少しでも早く治療を受けた方が効果があるらしいが、私の場合はステロイド治療に1週間掛かり間が開いた。そちらの医師は、発症から時間が掛かったから効果が無かったと言ったのだ。結局40万以上掛けた医療費は無駄になって、元の病院に戻り基本治療を続ける事になった。現在、難聴を発症してから半年経つ。この半年は忙しく、ただただ忙しく過ご
生命保険の請求が多い私は、毎年人間ドックの結果を提出しなければならない。なので春になると人間ドックに行っている。人間ドックと言っても、胃も大腸も他で治療中にチェックを入れると、パスされてしまうのであまり意味が無いように思う。単なる告知義務を守る、それだけの為に受けている。一昨年は希少病のランゲルハンス組織球症の疑いから始まり、某・国立研究所まで行って検査を受けて、今は悪性リンパ腫の疑いに変わった。その疑いも、来月には晴れそうな気がする。最初はビビったけれど、段々と【オオカミが出た】と
耳鼻咽喉科来るのを迷って10過ぎまで🏘️に居てお茶をしてから耳鼻咽喉科へ来てみました◆耳掻きし過ぎ◆喉がいがいがしてた症状としてはそんなところ10時まで待ったのには父親が通院中で連絡が来るかも知れないのもあった優柔不断も下手に来てコロナとか余計なものを貰う可能性もあるしなとまた考え過ぎも大したことないから様子見にしようかとも思ったけど我が家からコロナ2人も出て私まで体調崩すわけにもいかないのもあったから意を決してやっときました先生からは娘もお世話になってる耳鼻科なの
仲良し先生から励まされ、少しだけ期待を持ってS病院に向かった。S病院に私のカルテはあっても、今まで診て貰っていない症状の場合、新患と同様に手続きをしないとならない。すでに10年以上診て貰っているのに、私はS病院のK先生と反りが合わないのだ。K医師「今日は、どうしたの?」「地元の病院で検査に引っ掛かってしまって。そちらの病院では、手術が出来ないので紹介状を渡されました。」検査結果の映像を拡大したり、戻して見ながらブツブツ言っている。この言い方が威圧的で私は苦手なのだ。「そちらの病院で
ポストに切手の無い封筒が入っていた。闘病に入る直前まで、私はこの街の自治会の幹部をやっていて、会長、副会長に次ぐNo.3だった。横浜の中でも古参の巨大自治会で、住民の意見を汲みながらイベントを作りあげて行くのが楽しかった。どんなに正しいと思う事も、100%の賛成が得られ無い。へそ曲がりは、必ずいるものだ。それを時間を掛け説得し、賛成を得て行く。それが乳がんと脳動脈瘤が同時に見付かり、家族の事を考えると辞めざるを得なかった。私は闘病に専念するつもりで辞めたが、辞めるのを待つように次々
✨ご訪問いただきありがとうございます✨アルツハイマー型認知症の母を近くに呼び寄せ認知症疑いの義父と同居し日々の介護日記を書いています。どうぞよろしくお願いいたします。母が実家で一人暮らしをしていた時の話になります。購入したのがコロナ前でコロナ渦で一番下がっていたころに判明したのでもう少し待ってから売却をするように母と相談しておりましたが損をした事に腹を立てた母は、一番の底値で全て売却をしておそらく半分くらいの金額になっていたと思います。一人暮らしだった母は自
私には、家族ぐるみの友人だった夫婦がいた。海外赴任が決まり涙々に別れ、国が離れても子供の物や海外では手に入らない物を送ったりと、関係は続いていた。ところが十数年経ち、オープンマリッジと言って双方が不倫OKという考えられない夫婦になったと知り、私から離れてしまった。その原因は、ご主人のJさんが赴任国の風俗に通って性病になり、子育てに熱心だった奥さんのMさんの気持ちが離れた為。それから任期中にМさんは子供たちを連れ帰国し、会社からは非難轟々にあったが沈黙を貫いた。数年ぶりに帰国したJさんは
✨ご訪問いただきありがとうございます✨アルツハイマー型認知症の母を近くに呼び寄せ認知症疑いの義父と同居し日々の介護日記を書いています。どうぞよろしくお願いいたします。正現ケアマネさん副保健士さん?の二人でサポ―ト体制をとっていただける事になり(大変申し訳ございません。)偶数月ケアマネさん②奇数月保健士さん?訪問とさせていただき偶数月、現ケアマネさんだけで訪問していただくと母の脳内で訪問は保健士さん?に変換されているのかすぐ保健士さん?に電話をし、「なん
母は今でも実家近くの美容院に行っている。腰が曲がった母には実家までを歩く事が出来ず、バスを乗り継いで行っていた。昨年から付き添うようにしていたが、昨日、母は予約を知らせず一人で行ってしまった。まさか母が一人で美容院に向かっているとは、私は知りもしなかったのだ。歯医者に行く予定で歩いていると、母からの電話が鳴った。「何処にいるのか、分からない。」と母が半狂乱で叫んでいる。ああ、ついに来たかと呆然としたが、兎に角急いで母を見付けなければならない。何処に居るのか尋ねてみても、母はパニック
母の事で振り回され出すと、方や義母が「足が上がらなくて、お風呂に入れ無い。」と言い出した。今ではピンピンしているけれど、義母は5年前にクモ膜下出血で2度危篤になり、今も少しだけ手に力が入り辛い。夏頃から膝が痛いと言って通院し始めたけれど、すり減った軟骨が戻るわけも無く、子供騙しに湿布を貼って誤魔化していたのだ。それがついに膝を曲げて座る事も、浴槽を跨ぐ事も出来なくなって騒ぎ始めた。義実家の浴室は古く、高さが77センチあり幅が狭い。義母の背では元々跨ぐのに一苦労していたので、尚の事。
昨年の11月でブログをやめた私が、どの面下げて戻って来たかと云うと、肝細胞がんの診断を受けて考えが変わったから。義父一人看取ったなら、あと3人も平等に看てやらなければと密かに思っていた。ところが悪性リンパ腫と言われた時は、余命10年と言われたが、肝細胞がんは5年生存率が14%に下がってしまったのである。5年前、降って沸いたように3人同時に介護が始まり、馬鹿な私は八方美人に誰にも手抜きをせず、ひたむきに世話をした。身も心もボロボロにすり減らし、自分の治療時間を削ってまで。残り5年と聞いた
意味性認知症とは平成27年に国の指定難病に認められた事で、高度の喚語障害、言語表出障害、理解障害により実質的にコミュニケーションが不能な障害だと徐々に認知されてきました。意味性認知症の言語機能障害は、初期から言語の成り立ちに必要な音声・文法・意味の中の「意味」だけが徐々に消えて行き、失った言語機能は一生回復の見込みがない難病です。通常、意思の疎通が出来ない状態とは終末期で寝たきりの患者を想定すると思いますが、意味性認知症の場合は初期から出現します。見た目では極めてわかり難く、時々タ
だと私は思うのです😐たまに親を在宅で暮らさせるのは最高の親孝行だと仰る方もいらっしゃるようですがうちの母、お蔭様で特養さんにてお世話になれてますが、先日、私が母の面会に施設に足を運んだ際に、私が何度かお見掛けしたことある恐らく私より年上の穏やかそうな50代くらいの女性とエレベーターに乗り合わせまして、お訊きしましたら、そちらの女性も親御さんの面会に来られたそうで注、母の特養さんは面会は基本的に事前予約制ですエレベーターの行き先ボタンを押すのにそちらの女性に何階かお訊きしましたら母