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5月26日(日)県アマ連の春の囲碁まつりに参加しました。コロナ以前と比べて、参加者はおよそ半減。さて、クラス別に手合い割り4局打ちの大会です。私はAクラスに参加。棋力は自主申告なので七段で挑戦します。1回戦は、学び舎ファミリーのU岡さん。互先白番。序盤は若干黒有利。中盤初めに白に疑問手があり全局的に厚くなり優勢。その後上辺の黒が頓死して中押し勝ち。第2局は、倉敷のО熊さん。向先。黒の厚みをうまく消して、中盤ではやや優勢でしたが、一気に勝負をつけようと技をかけて行ったのがまずく、見事
ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンドCAROL&COOLSその二つのバンドの名前を掛け合わせて僕が作ったCAROOLSという造語そんなCAROOLSの70年代の楽曲にスポットを当て当時の世相やグループやメンバーのエピソード僕の思春期の思い出等を書き記そうというシリーズ「CAROOLS70’s」と、いう事で前回のCAROOLS70’ではクールス編として舘ひろしさんがクールスに在籍した最後のアルバムである「Hello!Good-bye」を取り上げたCAROOLS
(映画アメリカングラフティーより)昭和38年生まれの僕の同世代辺りの元ヤンチャな人はよく御存じだと思うが1970年代の終わり頃から1980年代にかけて流行ったファッションにファラオコートがある僕はマニアではないから確証はないがファラオコートが一般的に知られるようになったのは1974年に日本で公開されたアメリカ映画「アメリカン・グラフティー」の劇中で不良少年たちで形成されてるカークラブ「ファラオ団」↑が着ていた事
写真は広島駅前を走り、呉本通六丁目を目指す昭和40年代の国鉄バスだ国鉄民営化から早約30年が経過した、もはや若い世代は国鉄を知らない国鉄を知る世代の人に「国鉄」と聞けば電車を思い出す人が多いと思うが国鉄は「国鉄バス」と言われたバス運行も運営していた呉の若い人は知らないと思うが昭和の時代に呉の本通6丁目には広島バスセンター行の国鉄バスセンターがあった呉の国鉄バスセンターは、ちょうど現在の休山トンネルの入り口の場所だった呉の国鉄バスセンターの写真を探したが見つける事が出来なかったのは残
安岡章太郎の短篇『ガラスの靴』を村上春樹が取り上げています。以前、新潮社の雑誌「考える人」で『村上春樹ロングインタビュー』のなかで安岡章太郎の短編小説を「うまい」と褒めていたことが気になり、本当はそれを探していたのですが、いまだ手に入らず、文藝春秋社が出している『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのですー村上春樹インタビュー集1997ー2009』を読んでいたら、そのなかに「考える人」No20.2007年春号「村上春樹氏への15の質問」があって「短編小説はどんな風に書けばいいのか」という項目があり
大分のH/Oで,「音飛びします.」でJANKとして売られていたものを保護しました.1988年発売,定価は59,800円でした.先日ご紹介したDP-8010の弟分に当たるCDプレーヤーで,脚部にはDP-8010と同様に「NEWマルチインシュレーターシステム」と呼ばれるサスペンションが採用されており,実質的にはDP-990SGの後継機に当たります.また,左右独立18BitD/Aコンバーター,8オーバーサンプリングデジタルフィルターが採用されており,スペ
どうも、引き続き「後編」お楽しみを。そして、このこのみちゃんと共に2011年の笑コラでほぼ準主役と言っても良い部員さんが居ました。「バリトンサックスのTさん」こと「ジーネ」さん。このジーネさん、この2011年の笑コラでは、わたし的にはこのみちゃんよりも彼女の方がメインであったと感じております。まず、新入部員が確定した直後、その1年生達だけが集まった教室へ入り、スタッフが聞きます。「橘高校に憧れて入った人」この言葉に、他の誰よりもいの一番で手を挙げたのが彼女…「バリトンサックスのTさん
皆さんお使いのCDプレーヤーは再生時(小音量)回転音が気に成った事はありませんか、P-2sが我が家に来た時はその音をかなり感じました、そもそもモーターがなめらかに回転すればそんない大きな音がするはずはないのですが、調べてみるとモーターとピックアップに掛かるサーボの音の様です。このサーボ音(シュシュシュ、サササ)はどうして起こるのか、特に読み取りエラーを起こした際回転数を変えたりピックアップのコントロールをしたり、異常が発生居ている証拠の様で、サーボの音は大きく成ります。その異常はなぜ起こるの
TheVincents-朝が来るまで絵に描いたような、バンドであった。シャツの襟の立て方、ギターの弾き方、ベースの弾き方、酒の飲み方まで・・・・・・昨日に引き続き、偉大なロカビリースターの悲報です。荒井謙ザ・ヴィンセンツ等で活躍!!あのストレイキャッツまでぶっ飛んだ、本物のロカビリーバンドとして、日本で確立されていた。90年代初頭、同期のブランキージェットシティというバンドが大ブレイクし、人気を二分に分ける程であった。俺は、断然、スタイリッシュで硬派色の強いヴィンセン
アンタエウスオオクワガタ幼虫の菌糸ビン交換の様子です。今回は4本のビンが交換タイミングでした。まとめて交換できるときは同腹幼虫の成長推移を比較できたりするので楽しいものです。この写真を見て、「食痕が8割どころが、9割以上でビン交換が遅いんじゃないの!?」と言われそうですが・・・・・、『アンタエウスオオクワガタ』に関しては、これで丁度いいのです。この種は新しい菌糸を好まず、一旦崩して食べながら掘り進み、1度通った場所のオガをフンと一緒に二度喰いします。7~8割くらいの食痕での早
昨年の12月15日に享年64歳の若さでお亡くなりになったクールスのマチャミさん事、玉川雅巳さんの死は全国のクールスファンにとってはあまりにも突然でショッキングな出来事だったマチャミさんの死については広島という地方に住む僕にとってはSNSを通して同志から寄せられる断片的な話しか知る由がなかったクールスのBOSSである舘さんを始めメンバーが発信するSNSを注意深く見守ったがなぜかメンバーからはマチャミさんの死については何も聞こえては来ないおそらく軽はずみに口を開く事は出来ないという事な
昭和50年代の日本は化粧品会社が華やかな時代だった昭和50年代も半ばになると戦後生まれが人口の半分を超え人々の意識から戦争が遠のいた、高度経済成長も終わり物は溢れているが工業製品の質に大差はない・・・そんな時代に言われ始めたのが「ライフスタイルの多様化」「感性の消費」といったキーワードイメージによって商品に差をつける事が最も顕著だったのが化粧品だったそんな時代にライバルだったのが大手化粧品メーカーの「資生堂」と「カネボウ」であり美容部員という仕事は当時の女性にとっての花形職業
(怪人二十面相店内)今から遡る事49年前の1968年(昭和43年)、東京新宿にその後伝説となるROCKSHOP「怪人二十面相」がオープンした店のオーナーは後にファッションブランド「クリームソーダ」を創設し彼の人生を讃え原宿ゴールドラッシュと言われた山崎眞行氏だった北海道の炭鉱の町で生まれた山崎氏は高校卒業後に上京し当
2017.2.12~174泊6日でイタリアに友達と旅行に行きました2日目はヴェネツィア観光に出掛けましたサンマルコ広場~リアルト橋周辺を散策、行きたいショップにも行きました~ランチはリアルト橋の近くに有る「トラットリアアッラマドンナ」に決めていて、人気店なので並ぶ事も有ると聞きガイドブックには11:30~OPENだったので行ったのですが12:00~でした。人気店なのに裏路地に有り意外とシンプルな作り。日本で言うと老舗なんでしょうね~近くを散策して11:50頃行くと、店内のテーブルに
雑誌クリッピング57スターのふるさと①渡辺真知子ミナト・ヨコスカ月刊マイハッピーライフの掲載記事。「マイハッピーライフ」は芸文社が出版した占い専門誌で、1ヵ月間の毎日の星占いとその日生まれの芸能人の運勢を掲載するという徹底したもの。いつまで続いたのかわからないが、ネットで検索しても出てこない。「スターのふるさとレポート」はその中で、数少ない占い以外の記事。この記事は、私立緑ヶ丘学院高校の渡辺真知子の後輩が横須賀の街を案内するという趣向で書かれている。駅を降りたら海の匂い背後は自然いっ