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前々回の9月の台風で、築50年近い我が家は雨漏りし(台所だけ)、天井を拭いたり洗面器を替えたりして夜~朝まで寝られず。ばあちゃんは焦ったり怖がったりもせず、無表情のまま床につき安眠。起きてウロウロされても困るので、助かりましたけれども。数日後、雨漏り修理屋さんが見積もり&チェックに来てくれた。梅宮辰夫的な日焼けの60代だった。シーリング材の劣化箇所などがあるとのことで。とても話好きな方でね。電話では「見積もりのあと、修理当日まで何とかなるよう、応急処置はしますのでね」と言ってくれ
ばあちゃんの介護には、プロや色々な方の手を借りて、タイヘンを分散したいと思っているのは前にも日記に書いた通り。都内在住の姉にも、ばあちゃんサポートメンバーとして声を掛けました。じいちゃんの時は、何も伝えずに雪崩れ込むように介護が始まり、姉が知った頃にはもう、介護したことない人が手を出せないレベルになっていました。本人も逃げ腰でしたし、完全に戦力外でした。しかしババはまだオムツ処理も少なく(便秘がち)、初心者も手を出しやすいレベル。私も年を取りましたし「今度は協力してもらうから」と言
朝早く、一旦家に戻り、猫の餌やりやゴミ出しなど。生活があるからね。お坊さんも到着。戒名を付けていただく為、電話でお話した時は、少しオドオドして頼りなく感じたけど。どんな方かしら。お布施の袋に「ハル家」と書くのをコロッと忘れていた私。戒名や、四十九日についての説明がありました。お坊さん優しそう。それでも少し緊張しつつ、お布施をお渡ししほんとハラハラしたわよ。「日にち、言い間違えたんじゃない?」なんて、姉を疑うしまつ。ただでさえ少ない会葬者が、余計少なくなっちゃうからね。そしてや
ジジの葬儀ですが、時節柄、決めるのが難しかったですよ。都内は緊急事態宣言中。うちの県はセーフだったかと思ったら「まん延防止等重点措置」とかいう、意味よく分からないのになっていた。そんな最中(モナカと読まないで)じゃないですか。今の、この時点での「一番いいカタチ」は何なのか、悲しみの中の決断って、難しいね。悩みました。親戚の多くは東北なので来れないし(田舎の人の方が、コロナに敏感)、うちのババには伝えずに「じいちゃんは、今でも施設にいる」ということにしたいと姉が言い。4人だけ?…そ
じいちゃんの、この世に残る最後の兄弟、100才の姉が先日亡くなりました。73才の独身の息子(私からみると従兄弟)の外出中に、心不全で1人倒れ。お医者さんは「老衰によるものですね」とおっしゃったそう。前の週、従兄弟のMお兄さんと電話した際オバに変わり、少しお話ししたのが最後となりました。うちのジジババより、よっぽど元気で頭もしっかりしていたのですが、ここ1年程、さすがに足腰が弱ってきていると聞いていて。「そろそろ介護認定を」なんて話していたけれど、結局認定を受けることなく旅立ち。「うち
金曜日、昼休みに一時帰宅すると…臭い。臭い、臭い!トイレから出てきてすぐ、私が並べた昼ご飯をガッツクばあちゃん。そっと近寄りクンクンと。だって。そこからは久々のウン様祭りでした。仕事以上に疲れる休憩って、ねぇ。シメにトイレ掃除をし、全ての処理を終えたあと、会社には「15分くらい遅れます」と電話をした。仕事から帰ると第二波が。金曜日でよかったよ。ババをゆっくりお風呂で洗いました。前の晩の不穏の原因は、これだったのか…と思う。夢でも見たか、それとも昔の記憶か。自転車を、ど
突然に災難はやってきます。主人が発病し3年くらいが経ちました。病状は物忘れがひどいですが、すごく手がかかるということもありません。家の中は張り紙だらけになりました。でも張り紙を見るとトイレ自分の部屋は、ちゃんとわかるのでまずまず生活はできているような感じ🤔でした。ケーブルを引いて将棋チャンネルで一緒に将棋盤を広げ、1日将棋をしてる日もありました。他に数読クロスワードパズル簡単なものに変わっていきますが、何気なく暮らせておりました。その当時は子供が一人増えましたぐらいの感覚で夜は、
25日21時頃市内のB病院に、救急車で移送して頂きました。とても古い病院。ここは一昨年の冬、私が自転車で転んで頭を打ったとき、救急車で運ばれた病院です。看護師さんは、「お母さんの服があのままでは可哀想なので着替えさせたいのですが。動かしたら痛いと思うので、ハサミを入れてもいいですか?」と。血を洗おうとしたのか水で濡れている服。多分失禁もしていただろう。上半身は血だらけで。「大丈夫です。切って下さい」と言いました。泊めてと懇願したわけでもないのに「頭のケガの救急で来たんだから、
11月25日18時頃。バイトから帰ると、台所の電気が付いていなかった。不思議に思いつつ玄関ドアをあけると、突き当たりの風呂場手前で、ばあちゃんが頭から血を流し、倒れていたのです。頭の下に血溜まりが。起きようと、何か言おうとしますが「起きちゃダメ!」といい、慌てて救急車を呼びました。救急隊員が大勢来て、質問やら何やらのもどかしい時間が流れ。やっとストレッチャーが。頭を打っているので、脳が診れて一番近くは、隣の市の病院と言うので、お任せ。顔は血だらけ。もう乾いていて、何時間倒れてい
つづきです包括センターのMさんからの電話は、ばあちゃんの要介護認定の区分変更の件でした。役所からの通知はまだ届いていなかったけど「お母さんは要介護2になりました」と教えてくれ。(しかし要介護2は妥当だと、納得しています)そうっすか。じゃ早速ケアマネを決めないと…という話となり。以前、要介護だった時のケアマネAさんは、ジジババ共に大変お世話になったのですが、ばあちゃんが要支援に下がっている間に定年退職されました。チッキショー前の電話の時「次、どうするの?」と聞かれ「Aさんの
月曜日、要介護認定調査がありました。2年なんてあっという間ですね。ケアマネのAさんからはといわれていました。ということはどちらの方向でいくかを考えなければ。しかしボンヤリしてる間に当日になり、行き当たりばったりでいいや、と。そして…。じぃちゃんは嬉しくて嬉しくて。調査が始まり「はい、ではお名前言えますか?」と聞かれてもとか言って答えません。別にじぃちゃんのプロフィールを聞きたい訳じゃないんだけどねぇとりあえず名前、生年月日は答えられたけど、何月かはダメ。季節はどうに
早いですね、1年。知らぬ間に年末です。皆さんはどんな1年でしたでしょうか。私は一言で表すと「ドタバタ」。2月に取引先の「協力企業スペース」に異動になり、午前と午後で2つの課を行き来するという、どっちつかずのポジションになったことでドタバタ。ホットフラッシュ対策用の、電池式扇風機を持ち、ウロウロする毎日でした。週末はじいちゃんの老健へ。土曜持ち帰った洗濯物は、日曜置きに。家の洗濯物に取られ干すスペースなしだし乾かないしで、結局コインランドリーへ行くのが習慣に。チャリで走り回る姿を、よ
日々忙しく、更新が遅れております。なのでこれは6月半ばの話です。墓石の完成が間に合い、四十九日の法要と一緒に納骨出来ることになりました。良い天気に恵まれた当日できたばかりのお墓を見るのが楽しみで楽しみで。霊園の方にお任せでお願いしたお坊さんは、年配のベテラン住職。「ベテラン」といっても偉そう感は全くなく、気さくで面白いお爺さんという感じで接して下さいました。まず四十九日の法要。持参したご本尊様と位牌を開眼していただきそしてお墓に移動して納骨。お墓は?…どんな仕上がりかしらワ
火曜午前、じいちゃんが亡くなりました。職場からタクシーで駆け付けましたが間に合わずコロナで最後の1年が思うように会えなかったこと。そして看取れなかったことは残念ではありますが、共に戦った介護生活の方が頭に濃く残っており、意外に悔いがありません。遺影には使えないのですが、デイサービスに通っていた頃の写真が、あまりに楽しそうなので(家族といるより楽しそう)、絵にして、このブログに残します。これは春のお出掛けの写真だったかな。ピースが下手くそですよ。そして夏。そして冬もイベントが。ぜひ
2017年から綴り始めた、この我が家の介護記録日記。じいちゃんは亡くなり、ばあちゃんは特養へ入所しました。介護が完全に終わったワケではありませんが、在宅介護も一区切り…という事で、この介護ブログはここでひとまず終了し、整理に入ろうと思いますダブル介護生活は、時に戦いのようであり、綱渡りのように危うくもあり。ブログを書き始めた頃、私には余裕がなく、自分1人が頑張らされているように勘違いしていたのですが。過ぎた今だからこそ思える事ですが、ジジもババも認知症や老いという、逃れられない状態でも
おひさしぶりです9月に終了した、この介護ブログですが、2021年は我が家にとって、転機ともいえる年となったので、年の終わりに思わず書きたくなってしまい、超久々のアップです。振り返り&近況報告です。ということで在宅介護が終了し、私は築50年のボロ家で、ついに1人暮らしとなりましたじいちゃんの四十九日を過ぎた後から業者さんに、ベコベコの床やビリビリの壁紙の張り替えやら何やら…と、もうアチコチを直していただき。古い家具などの不要品も、だいぶ処分しスッキリしました仕事の方では4月半ば、じじの事
介護を終えられた皆さんって、お仏壇は購入されたんでしょうかね。元々ある家、「ないけどいらない」という方、色々かな。我が家には仏壇というものがありません。「キリスト教ではないから仏教徒だよね」程度の、無宗教感覚で今まで来た感じで。じいちゃんは長男ではないので、お墓は本家のある東北。なのでお盆の時期も、ご先祖様の供養は田舎任せ。なにも意識せずに、この年令まで来てしまった。家族が亡くなり供養を通して初めて仏教に触れるという。こんなニワカ仏教でいいのかしら…と思う今日この頃。神様仏様は
11月28日(木)12時30分入院3日目病室に行くと、ばあちゃんはベッドで横になり、苦しそうに眉間にシワを寄せていました。枕元の棚の上に、湿布がたくさん積んであり。看護師さんを捕まえて、「昨日、胸のレントゲンをお願いしたのですが」と聞き、調べてもらいました。骨折はしていなかったそう。じゃ、打撲とかそんな感じ?痛みのせいか機嫌が悪く、持参したミニストールも拒否。それでも少しすると、落ち着いてきたのか「…電話…教えて」と言うので「病院に言ってある。お姉ちゃんの電話番号も、
退院したばあちゃんを「キチンと洗ってあげなければ」と思ってはいたけど、夜になるとグッタリ疲れ「寝る」と言う。私も正直面倒だった。しかし昨日はリハパンにをしたまま座っていた為、オムツ替えたら干し芋みたいのが尻にベッタリ張り付いていた。入れ時の御告げか…と覚悟を決める。ばあちゃんを風呂に入れるのは初めて。いつもの入り方を知ることになった。掛け湯せず、いきなり湯船に入ろうと、足上げにトライするばあちゃん。ストップをかけました。すると洗面器から垂らしたお湯を、もう片方の指に少量かけ、ピシ
昨日の朝、起きて一階に行ったら、婆さんが変なとこに横たわっておりまして。。。めまいがして動けないと😱💧あわてて救急車🚑️の前にまず、近くに住む親戚をたたき起こし家に来てもらってたらやっと119📞意識はあるし、会話もできてるし、なんせ、私が救急車🚑️に乗ってく訳にはいかないもんだから、、、し~さまの朝ごはんやし~さまの介護ができないからね~💦💦で、病院でCTとか色々検査してもらったけど特に問題ないからと、帰らされましたがなで、めまいの薬やらもらって少しはましになってたんやけど今日また午