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腎癌の情報が少ない中で自分の経験が同じように悩む方の役に立てば良いかなと思い、記事にしています。中には知りたくない情報もあるかもしれませんのでご自身の判断でお読み頂ければと思います。3月28日14時〜この日は次から主治医となるドクターにグレードについてお聞きしたく予約をしていた。時間通りに到着して受付を済ませる。外来のモニターを見ると、神主治医と噂のN先生は「混雑中」となまぁ2時間は覚悟するかと思ったら結果的に4時間待ちました途中で院内レストランで味噌ラーメン食べましたもう日
私は理系。高校の時も数学は得意だったし、大学生のときバイトで塾で教えてたこともある。確率の問題も好きでした。でも今はどうなんだろうと思っています。確率はただの数字で、なってしまえば本人にとっては100%なわけです。35〜39歳で癌になる確率900人に1人=0.11%大腸SMがんでリンパ節転移している確率10%以下ステージ3a直腸S状部がんの5年相対生存率85%→亡くなっている確率15%(私の場合、もう少し悪くない確率だとは主治医も言いますし、文献読んでもn数少ないながらもそ
まだまだ暑いですが、空の色や朝晩の空気が少し秋を感じるようになってきました。夏が大好きな私にとっては寂しくなる季節です。この夏も海に川にお祭りに、夏らしいことをいっぱい楽しみました。1歳すぎでコロナ禍となってしまった息子にとっては、お祭りもほぼ初めての経験でした。わたあめの美味しさを知ったようです。とっても楽しんだ夏ですが、楽しみと楽しみの間は感染症で撃沈でした。8月半ばに家族全員コロナにかかり、8月末は何かしらのウィルスに私と息子が感染し発熱。ひとつきに2回も39℃なんておそらく
3クール分まとめて書くのは、順調で副作用もほぼなかったから。少し出たのが足の裏の痛みと便秘とお腹を壊すこと。足の裏は、少し多めに歩いたあとや息子を走って追いかけると痛みが出ました。また、便秘とお腹壊すのは副作用か食べたものが悪いのかわからない程度でした。ネットで下調べをしているとゼローダの錠剤が大きくて飲みにくいと何人か書かれているのを見ましたが、私はそれも全く問題なしでした。前回上がっていた肝臓の値AST・ALTも正常値まで下がっていました。やはりオキサリプラチンの影響だったんです
私が小さい頃からある地元の銭湯♨️15年以上前にリニューアルして施設が綺麗になったスーパー銭湯と銭湯の間みたいなちょうど良い塩梅の入浴施設🛁もう10年以上行ってなかったケド、休日に家に1人で居る時間はドス黒い悪魔がやってくるので「よっしゃ風呂でも入りに行くか」って事でバイクすっ飛ばしていざ銭湯へ平日の昼間という事もあり、貸切状態色んな種類のお風呂があるので出たり入ったり、露天風呂で身体を冷ましながら、心地よい風が吹いてとっても気持ちいいサウナもあるけど、正しい入り方もわからないの
私は息子の保育園入園が決まり、入園するまでに癌告知を受けました。告知から3日後、保育園の入園説明会に涙を拭いて腫れた目で参加。慣らし保育のスケジュールを保育園の先生方と決めました。その時点では今後の手術や治療スケジュールは決まってなかったため、保育園の先生には私が病気になり、今後手術をしないといけないため慣らし保育のスケジュール変更をお願いするかもしれないことだけ伝えておきました。コロナで入園式はなしが決定していたものの、入園初日は息子に付き添う必要があったり、給食初日はご飯の時間には同席
明日は術後はじめてのCT。ここのところ復職もして、とっても前向きに楽しく生活してました。告知後のように息子の成長を見られないかもと思うこともなく過ごせました。落ち込むことなくCT用にブラトップを買ったり。でもやっぱり迫ってくると怖い。前回は告知直後で泣きながら受けました。明日は泣くことはなさそうだけどやっぱり怖いし、結果がわかるまでの1週間また何度も恐怖に襲われると思います。これを5年続ける。160cmの私が1.7cmの悪魔にずっと苦しめられる。やっぱり癌は恐ろしい病気です。
私の身近には今まで癌の人が少なかった。唯一、身近で癌になったのは母方の祖母ですが脳腫瘍により告知から7ヶ月で亡くなりました。だからこそ、癌=死というイメージが強かったのかもしれません。祖母の異変に気づいたのは、高校生だった私でした。過去にミス〇〇にも選ばれた美人でおしゃれなおばあちゃんでした。(私は父方に似ていますが..)おばあちゃんとデパートでご飯を食べる約束をしていたので、待ち合わせをするとそこに現れたおばあちゃんは服を後ろと前反対に着ていました。一緒に歩いているとどんどん私の方
今日CT撮ってきました。朝は毎日バタバタなので、あまり深く考えることなく受けられたのでよかったです。今日も保育園に行った息子は楽しく遊んできたようです。この子のおかげで強くも弱くもなり、深く考えたり、バタバタして考えなくて済んだりです。私の中心です。明日から10月。仕事も本格的になってくるので、ちょうど結果のことを考えずに済むのでいいかなと思ってます。私の不安を察して、夫も来週は仕事を休んでついてきてくれると言ってます。ありがたい。毎日続けていること。それは体重計にのること。私は、ず
大きな心配ごとはあるものの、週末を楽しみに平日を過ごすといういつも通りの日々です。天候もよく何をしようかな?と考えていた3連休ですが、息子の発熱により家でゆっくりすることに。発熱したものの元気だし、いつもは見させてないYouTube見て喜んでる横で私はまったり。イベント続きで忙しかったし、またここから年末にかけてイベント目白押しなのでたまにはいいかもしれません。体はゆっくりできるけど、ゆっくりしているといいことも悪いこともいろいろ考えてしまいますね。イベントじゃないけど目白押しの1つが
予定通りGWは息子を連れて帰省しています。年末年始ぶりに父と母にも会えました。抗がん剤治療中の母は、電話で聞いていた通り髪が無くなっていました。きっと癌をよくわかっていなかった3年前の私ならその姿にショックを受けていたと思います。でも私が先に癌告知されその時にいろんなことを調べましたが、その1つが脱毛でした。結果的に私は脱毛しやすい抗がん剤を使いませんでしたが、ご自身の脱毛した姿を載せてらっしゃる方のブログもいくつも見ていたため、それほど驚きませんでした。心の準備は大事ですね。ブログ
ゼローダは朝晩食後に6錠ずつ、2週間飲んで1週間休薬でした。大事な薬だし、種類も1つなんだから忘れることないでしょ?と思われるかもしれません。私のいい加減な性格もあるのか、半年間で2回飲み忘れがありました。言い訳ですが...息子と一緒にご飯を食べるとスムーズに食べてくれないことも多く、食べこぼしも半端ない。床や机の上に落としたのをそのままにするとグチャグチャにするので、すぐに片付けないといけません。そして、片付けに追われていると薬を飲むのを忘れそうになる。だからといって忘れないよう
退院の1週間後に外来の予約が入っていました。その時に抗がん剤をどうするか聞かせてほしいと主治医に言われていました。抗がん剤治療をやることは病理検査の結果を聞いた瞬間に決めていました。問題はどの種類をどれだけの期間やるかでした。主治医に提案されたのは・カペシタビン(ゼローダ)療法6ヶ月・UFT/LV(ユーエフティ/ユーゼル)療法6ヶ月このどちらかならゼローダというのも飲み方を聞いてすぐ決めました。迷ったのは、ゼローダ錠にオキサリプラチンの点滴を加えるXELOX療法にするか、ゼロ
年末は帰省することが多かったのですが、今回は1月1日に帰省することにしたので新居で新年を迎えます。この時期は音楽番組が多く懐メロが流れる機会も多いですが、癌が見つかった3年前の年末はテレビから流れてくる懐メロを聞くのが辛くてチャンネルを変えてましたが、今年は楽しく見てノリノリで歌っていたら、息子にママ歌わないで!聞こえない!って言われました。そりゃ、私よりプロの声の方がいいですよね。今年も楽しいことも悲しいこともありました。肺転移疑惑の中過ごす2ヶ月もありました。だけど1年を振り返れば昨年末
今回も息子は私の体調がある程度回復するまでは義両親にお願いしました。義実家でも義母に男の子なのに髪の毛くくってもらって喜んでいたり、同い年の従姉妹と遊んだり楽しく過ごしてくれていました。手のビリビリで食事の準備が辛くなるので、点滴の前に消化の良さそうなものや野菜のおかずを作り置きをして、あとは冷凍食品も多めに買い作らずに済むようにしていました。2クール目は、血管痛がひどかったため他の方のブログで手首付近ではなく肘付近に点滴した方が血管痛が出にくいと書かれていたので、主治医に肘裏あたりにし
今日は先週撮った術後はじめてのCT結果を聞きに行く日でした。CT撮る前はこの1週間は何度も恐怖に襲われるだろうと思ってました。でも仕事が本格的になってきたこと、義祖母が亡くなり葬儀などがあったこと、いろいろバタバタしてたのもあって恐怖に襲われることはほとんどなく済みました。きっと90歳を超えた義祖母は今年の悪いことを全部背負って、お空にいってくれたんだと思ってます。おばあちゃんに私をまだお空には呼ばないでね。私はまだ息子を育てないといけません。おばあちゃんみたいにひ孫まで見たいとは言い
最近思うのは、身体は日々回復して、少しずつでも働ける兆しが見えてきた。でも心は体とは逆で定期的に闇が襲いかかる癌がわかった頃は、身体はしこり位しか自覚症状が無くて元気だった。でも心が壊れた。その後も同じ状態、仕事もしてたから気は紛れていたけど、夜はほぼ毎日泣いてたと思う。入院数日前からはやっとだという気持ちで気持ちは明るくなった。でもコロナになってまた落ち込んだ2回目の入院〜入院期間中は手術も終えて安心感からか気持ちが上昇した。病院に居た事で周りはみんな癌患者だし看護師さんも居るし安
出産した産婦人科での新生児マススクリーニング検査と再検査でひっかかったため、まだヘニャヘニャな生後3週間の息子を連れて紹介された総合病院の小児科にかかりました。里帰り出産でしたので、母も着いてきてくれましたが私と息子がかわいそうと涙していました。小児科で病気の説明を受けましたが、まず聞かれたのは私たち夫婦が血縁関係にあるかということでした。もちろん、まったく血のつながりはありません。息子のひっかかった先天性副腎過形成は、劣性遺伝の疾患で両親ともにその遺伝子を持ってる場合のみ子供がその病気
気づいたら前にブログを書いてから1ヶ月以上たってました。元気で落ち着いた日常を送れているからこそ。GWは帰省せず、近場で早めの川遊びや魚との触れ合い、動物との関わりを楽しみました。先日、毎年受けている健康診断を受けました。4年前の健康診断の便潜血がきっかけで見つかった大腸癌。4年前は引っかかるなんて少しも思ってなかったので気楽な気持ちでしたが、その後は心配な気持ちを抱えて受診してます。さらに今回は、昨年の受診時を思い出しました。ちょうど受診の日に母から腹水が溜まっていることがわかったと
本日、約2年ぶりに出社しました。産休・育休・病気による積立休暇と有給で休み、先月復職していましたがコロナのため在宅勤務してました。久々に懐かしい人たちと会い、仕事に戻れるまで回復できたことを嬉しく感じると共にやる気も出ました。社内の人に大腸がんのことを伝えましたが、もちろん驚かれ心配されました。でも痩せてないし髪の毛フサフサだし、みんなに伝えられるし、やっぱり強いねって言われました。あんなに泣いて泣いての日々だったんですけどね。私、いろいろ強いイメージ(我も気も強いし、お酒も強いし、体
泣いてばっかいるとその自分より周りの人はもっとどうしていーのか解らないしそ~解っていてもなかなかね癌になったわたしは理解することに時間がかかったけどわたしで良かったよって思うようにまでなったあの頃だって人だったらどう声かけたらいーかわからないしわたしで良かったんよそんな風に心の中は留まることを覚えた私のまわりの人達
1週間後検査結果を聞きに行くと正常値に近い異常値。とても悲しかったですが、涙は出ませんでした。結果待ちの初めの3日間は息子を見ては息子を病気にしてしまったと泣いていましたが、何があってもこの子を守ると心に決めてからは涙は止まりました。異常値ですが、先生はこの子を見た感じからすると僕の経験では問題ないと思いますとおっしゃいました。ミルクの飲みが悪くなったり、体重が増えなかったり、皮膚の一部が黒くなるということがある疾患ですが、息子にはどれも該当しませんでした。問題ないと僕は思っていますが
先日息子が5歳になりました。毎日幸せだけど、記念日を迎えるとさらに幸せを感じます。1歳の誕生日直後に癌が見つかり、何回息子の誕生日を迎えられるだろうと泣き暮れていた告知後の日々。衝撃が大きく、残念ながら息子の1歳はところどころ記憶がありません。元気に成長している息子とこの目でしっかり見られる元気な自分の心身に感謝です。告知後は息子を叱れなかったり、元気でいてくれたらそれ以上望まないと思っていたのが、今ではこういう子に成長してほしいなと欲も出ていますが、欲はほどほどにこれからも成長を見守
私はお酒が大好きでした。特にビールが好きで、独身時代はほぼ毎日飲んでました。飲んでる楽しそうな写真がいっぱいあります。結婚後は夫があまり飲まないのもあり、週の半分くらいに減りました。息子を妊娠してからも、つわりも全くなかったためずーっと飲みたくて飲みたくて。授乳中も完母じゃなかったのもあり、間隔が開き始めた産後3ヶ月くらいから週1くらいで少しだけビールを飲んでました。(息子よ、すまぬ)そんな私が、告知後から全くお酒をほしいと思わなくなりました。お酒がいけなかったのかなというのが心のどこ
2020年も終わりが見えて来ました。本当に辛い1年でしたので早く終わってほしい年になってしまいました。投資だとか確定申告だとか、お金関係のことは弱い私。会社員なので今年も年末調整の案内が会社からありました。年末調整は毎年提出していますが確定申告はしたことがありません。賃貸で住所ローンもなく、扶養もなく、生命保険も給料天引きにしていたので年末調整もほぼ資料なし。今年は収入が読めなかったので、今日現在ふるさと納税はしていませんが、産休前はふるさと納税はしていました。でも、それもワンストップ
メインは働く理由①なんですが、もう1つサブの理由があります。そのもう1つは夫に安心してほしいから。夫はもともと妻にも働いてほしいし、その分家のことや子育てを自分もするというのを理想としていました。私もそのような形を望んでました。夫と付き合う前、2回目のデートの日私は急遽休日出勤が入り、仕事帰りスーツにヒールで夫に会いました。その姿を見てキャリアウーマンだと思い、それがよかったと言っていました。私は決していわゆるキャリアウーマンじゃないし、スーツとヒールだけでそう思った夫のこと笑ってし
こういう内容ってタブーとされている感じがあるので迷いましたが、私が抗がん剤前にとても気になってブログやTwitterやインスタで経験談調べまくった内容でした。今後同じような人がいたときのために一事例として書き残します。抗がん剤の影響で生理が遅れたり止まることもある、抗がん剤終了後元に戻ることもあればそのまま閉経することもある、不妊になる可能性もあると事前にいただいた資料にはあり、主治医と産婦人科医からもそのように説明されていました。まだ子供を諦めてないので抗がん剤中、毎回規則正しく生理が来
先日、東京に住む主人の親戚のおじちゃん夫妻(80代)から、息子への合格祝いが届いた。子供が小さい頃からとても良くしてくれて本当に温かくて大好きなおじちゃんとおばちゃん。コロナで中々会いに行くこともできず、ここ数年電話で話す位だった。今回もお祝いのお礼の電話をした。病気の事は言わないでおこうと思ったけど、久々に聞くおばちゃんの「元気かーーー?!」っていう優しい方言に胸が締め付けられて、「あのね、おばちゃん。私ね。癌になっちゃったんだよ。。。。!」って溢れる涙を止められずにやっと喋った。
XELOX療法を始めるにあたり、いろんな方のブログを参考にさせていただいていました。事前にこんな副作用が出ると勉強し、心の準備をしていました。準備していてもずっと続く気持ち悪さ、手足のビリビリが辛く5日間ほどはずっと横になっていました。小さな息子がいるのに、横になっていられたのは母のおかげです。日中、夫は仕事なので食事や洗濯、息子のオムツ替えやお風呂、遊び相手とほとんどのことをやってくれました。母も若くなく、慣れないことばかりで疲れるだろうに何も言わずにやってくれました。私は唯一どん
もう1月も折り返しましたが、今年もよろしくお願いします。年始は帰省し、父や大好きな友達と会い、息子の好きな水族館にも行って楽しみました。11月の診察のあと3月の大腸カメラ、CT、血液検査、診察が本来の検査予定ですが、引越しによる転院のため受診してきました。よくしゃべる先生でした。うちも大腸がんの手術も抗がん剤治療も多くやってますよ。と言われました。治療経験豊富ということで安心させるために言われたと分かりつつも、もう手術も抗がん剤もやりたくないからそこは関係なくありたいんだよ!!と思いまし