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腹膜播種感じで書くとなんかよく似た字が四つ。病気になって初めて耳にした言葉。私の場合はスキルス胃癌だから、胃の腫瘍(スキルスは胃の壁を浸潤している癌だから、壁)から臓器を突き破って溢れ漏れた癌細胞が、お腹の中で花の胞子のように散らばり腹水の中で浮遊する。そして、その浮遊した癌細胞が腹膜に着き、播種となる。最初は臓器への転移がなかったから、良かったと思っていたけれど、主治医の先生曰く、腹膜播種のほうが厄介なんだよと。臓器の裏や、腹水の中に目に見えていない癌細胞がたくさんいて、散らば
R4.9消化器外科の外来の日。前の日から先生に聞きたいことは他にないか?とか不安に思っていることを整理したりしながら病院へ向かった。パパに病院まで送ってもらい、道中も不安なことも話していた。パパは、「まぁな、、、不安やろうけど、娘の為にも頑張ろう。」という感じ。食べ放題とかいけなくなるねなんて話してた。ま、年齢も年齢だから食べ放題もしんどい年頃ですが😓外科の診察。番号を呼ばれ診察室へ入る。👩「先生、おはようございます!」👨⚕️「おはようございます。⚪︎⚪︎さん。どう?具合
フジテレビで人気絶頂をきわめた逸見政孝さんは、その人気の勢いのまま、フリーアナウンサーに転向。NHKを含む全ての大手キー局でレギュラー番組を持つに至りました。まさに栄光のさ中、1993年に入ってすぐの48歳の若さで、当時は「末期、手遅れ」、今日でも「ステージ4」と診断されることが大半の「スキルス胃がん」が判明しました。その後の経緯は、ウイキペディアに詳細に記述されています。ウイキペディアの記事の中でもとくに詳細、示唆に富む内容となっています。「ブティック型」の医療施設にこだわる
R4.9モヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごすのが嫌で、周りに家族に、友達に話してもみんな返事に困る内容だと思ったので、自分でできる範囲で動こうと思った。週に3回通っている丸山ワクチンのクリニックの先生に話を聞いてみた。この先生は消化器内科の先生で、以前大きな病院での勤務経験もあり様々な患者さんを診てらっしゃった。この前に治療が功を奏して腹膜播種が消えたことを伝えてます私「先生、お忙しいところすみません、あの、、、聞きたいことがありまして、、、スキルス胃癌、私のようなステージ4の人で
令和3年11月12日最初のクリニックから紹介された大学病院。待合の席で1時間以上待ち、大学病院はやっぱりすごく待つなぁと思っていたところ自分の番が来ました。初めましてのT先生自己紹介からはじまり、今の症状や、これまでの経緯を説明したり。両親のこと家族のことも聞かれたようにも思います。紹介状の情報からだと、ハッキリまだわからないから、詳しく検査しましょうと。私「先生は、今の段階でどうおもってらっしゃいますか??」先生「うーん、調べてないからわからないけど、胃炎か、悪性腫瘍か。どうだろ
病気を告知されてから一度も自分の病気を調べずにきて、癌という情報は(いい情報以外)ずっとシャットダウンしてきた。それで良かった部分もあれば、知らない事も多かった。自分がステージ4ということも、審査腹腔鏡手術で腹膜播種が消えてた結果を聞いた時に初めて知った💦きっと転移してた時に先生は説明してくれたんだと思うけど、初めはもう、混乱してたり辛い現実を受け付けないようにしてたのかもしれない。改めて自分がステージ4という病気になったとわかりここへきて怖さが増した。手術は答えが出てるようで、最後の
朝7時位に下剤や、浣腸をして排便し、身支度を整えて手術着に着替える。けっこう余裕な時間なのだけど、不安と手持ち無沙汰な気持ちでソワソワしている。余裕があるのに、手術室へいく直前でまた便意が💦手術中に便が出たらどうしようなんて考えながら、看護師さんに連れられて手術室へあー、ヤダヤダやだやだやだやだ緊張MAX!!!全身麻酔から醒めて、吐き気に襲われるのもやだやだやだ💦不安な中、スタッフさんはテキパキモニターつけたり、点滴つけたり。深呼吸して落ち着かせる。少し半泣きになる。フラッシュ
訪問ありがとうございます。自宅診療からまたホスピス病棟に戻り幻覚が見えるようになりました。暴れたりはしないのですがこれからブログは書けないと判断しました。まだ血圧、酸素値、対応、血圧ともに安定はしているのですが何が起きるかわかりません。ステキなことが起こるとよいのですが笑それはもう希望薄いしねたくさんの方に訪問いただきました。感謝でいっぱいです。スキルス胃がんなんて腹膜播種なんて病名を受け入れた時点でアウト。納得したら身体がそこに向かって行ってどんどん申
旦那さんと一緒に別室に呼ばれ、改めて手術の結果を報告されました。👨⚕️「手術お疲れ様でした。ご主人も今日はありがとうございます。改めてもう一度説明しますね。手術でお腹の中を見た結果、腹膜にポツポツと数カ所腹膜播種が見つかりました。この辺りとこの辺りとこの辺にも。大きさはこの位です。(紙で説明)これは、CT画像にも写らないことが多く、手術で見てみないとわからないのが現状です。」私「それは大きいんですか??数としては多い方ですか??」👨⚕️「大きさとしては、そこまで大きくはないです。
訪問ありがとうございます。ホスピス病棟退院記念品?に看護師さんから「小豆カイロ」いただきました。優れものです。電子レンジで温めて使います。ほんのり小豆の香りがするのも嬉しいホスピスを退院して翌日、総合病院から繋いでもらった個人病院の外来にビーフリードの点滴を受けに行きました。身体が弱ってるので、移動も一苦労そそうがあってはならぬとオムツして行きました。点滴用の部屋で吐き気とトイレ移動と闘い体位を探して大騒動し、点滴針もトラブルで3回挿す羽目に「もう来院点滴
全10回の放射線治療、本日ラストでした。無事完走いたしました!前半は、フレア現象という、放射線で腫瘍が傷付き、一時的に大きくなるため痛みが増す症状に悩まされ、後半は、下痢に悩まされました。でも、それ以外は副作用は無く、癌治療の中ではかなり楽な治療じゃないかなというのが感想です。うちの病院は、放射線治療の場合、月末or治療最終日がお会計というシステムで、4/2から治療開始した私は、本日が最初で最後のお会計日。限度額丸々支払うつもりで行ったのですが、合計4万ちょっとでした。初回だけ1万6
前回の審査腹腔鏡手術の検査結果を聞いた外来の日の夜、詳しくお母さんに伝える為に電話した。もちろん、審査腹腔鏡手術の当日もパパから、無事手術が終わったことや、わかってる範囲での結果は報告していたけど、外科の先生のお話と病理検査の結果など踏まえて改めてお母さんと話した。母はそれはそれはもう、電話越しでも伝わる程喜んでくれた。「⚪︎⚪︎ちゃん(私)よかったねぇ!!!あぁー本当によかったね!!!めっちゃくちゃ嬉しい!!!ほんまによかった!!!」と、何度も何度も言ってくれた。私「でも、、、、胃
HCUで泣いている私を見かねて、看護師さんが来て、「辛いね。辛いね。。。小声でなら少しくらい旦那さんとかに電話してもいいからね」と言って下さり、私は旦那さんに電話をかけた。先生達は旦那さんには既に電話してありますよと仰っていたので、転移してた事知ってるんだなぁと思いながらかけました。👨「もしもし、手術お疲れ様。先生から話は聞いたよ。ショックやろうけど、前向きに頑張ろう。」私「パパ、、、ごめんね。こんなんになっちゃって。。。ごめん。ごめんね。」👨「謝らなくていい。大丈夫。お母さん達に
2021.11.19前回大学病院でみてもらった胃カメラでの病理検査結果が、陰性だったらしく、先日の外来の次の日に消化器内科のT先生から電話がかかってきました。そして、先生曰くこの病理検査結果が陰性だったけど、僕は限りなく悪性だと思ってるので今度は胃の粘膜のもっと奥深くの細胞を取りたいとのことで、急遽一泊で入院して深部の細胞を取る胃カメラ検査をすることになりました。私は結果が陰性とのことで内心、"ほら!やった!何もなかったやん!"とちょっと嬉しかったのを覚えてます。とはいえ、先生はまだ疑っ
訪問ありがとうございます。台風でやられ諦めてた皇帝ダリア咲きました頑張ったねぇ負けないようも頑張るよ2023年12月11日造影剤を使ってのCT検査と血液検査を受けてきました。10月中旬から胃のつかえ感があるしCA19ー9(癌マーカー)が9月5日42.410月17日77.511月7日79.1と高く推移してて様子を見ていたので悪い予感しかない2023年12月12日🅱️先生の診察を受けてきました。娘が付き添いで来てくれました。CA19ー
今日は2022年大晦日振り返りながらのブログ開設をした先日。今年はどんな1年だった?と聞かれたら、人生最大の激動の1年だと言えると思います。手術を3回し、入退院を繰り返し、治療に励んだ1年。色んな事を学べた1年。死生観ががらりと変わった1年。辛くてよく泣いたかと問われたら、辛い中でもよく笑っていたと思います小さな奇跡をたくさん拾い集めて感動し、たくさん感謝した1年でした。決して忘れない2022年。今日は実家に帰省して母の手料理を食べながら、こたつに入ってまったり中横にはパパと、娘
あれよあれよという間にスキルス胃癌は確定して、じゃあこの癌の進行具合を見るという目的での診査腹腔鏡手術。なんでCTやレントゲン、エコーとかでわかんないの手術しないとわからないとか怖すぎるでも、この結果によって治療方針がかわってくるので前に進まないと。事前にS先生にはパターンを聞いてました。①胃の中にだけ癌細胞が留まってる状態②胃➕お腹の中で浮遊している癌細胞がある状態③胃➕浮遊癌細胞➕腹膜にも転移している状態(腹膜播種)この3パターンだそうで、①の場合→2、3週間空けて胃全摘手
先日も記載しましたが、毎日のように頑張れ!頑張ろう!!大丈夫!!と唱え続け、時間がある限り実家にも足を運ぶようにしていました。父にも私が元気な姿を見せてあげたかった。父は「お母さんにありがとうな。」と言ってくれてました。この言葉はけっこう救いでした😢それでも父は、「お母さんに電話してあげてくれな。お前の声聞いた後は元気そうにしてるから」と言ってきてました。そんな最中、実家に帰省していた時私の抗がん剤投与2、3日後くらいだったかな。副作用がまだキツイ日。実家で私もゆっくりしていました
9日の診察で告知されました。3回目の内視鏡検査でやっと分かりました。粘膜固有層内を増殖する腺管形成に乏しいStomachadenocarcinoma,sig=por2を認めます。つまり塊を作らない胃がん=スキルス胃がんでした。大腸の方はポリープはあったけど切除断端は陰性と考えられ悪性初見なしでした。担当女医は「今回は絶対にガン細胞を採取しようと検査チームが頑張ったから見つかりました」と前回の検査で見つけられなかったことは置いといてでした。胃壁を針でべしべ
今日は婦人科を受診しました。前回外科を受診した時に指摘された、お腹の中のできもの。お腹側にあるやつと、骨盤の辺りの背中側にあるやつ。お腹側のやつはただの血腫で、問題なさそうとのこと。1週間くらい続いた謎の発熱もおそらく血腫が原因だそうです。問題は背中側にあるできもの。こいつはどうやら新しい癌らしいです。こいつのせいで腹水も溜まってきてて、右の腎臓の機能が落ちてきていると。右の腎臓はいずれ機能を失うでしょうとのことでした。左の腎臓は元気だから、右だけなら問題ないみたい。手術直後
人間の身体って本当に素直ですごいです。癌の告知当初はしっかり食事をしていたつもりでも、ショックと前代未聞の不安にスルスルと痩せていってしまっていたのに、(検査続きもあったのだけど💦)半年も経つ頃には、50〜51キロあった体重が、告知後47キロ程になり、すっかり51キロに戻りました。えぇ💦太っていってる💦だって、食べることが幸せで幸せで〜🤤病気になり、生きてる事の奇跡や、感謝、食べれる喜びを噛み締めて過ごしていたら、マルマルと太ってきて、病気前の体重を超しそうな勢いにあ、、あの、
私が大病院の泌尿器科に入院してる時看護実習の学生さんがたくさん来てました。「学生を受け入れて貰えますか?」と看護師長さんから頼まれ受け入れました。私の部屋に来たのは朗らかなぽっちゃりした20歳の学生さん話相手出来て足湯したり清拭のお手伝いしてくれたり頑張ってました。将来素敵な看護師さんになれそうだなって応援したくなる子でしたしかぁしその学生達の指導、監査する先生が人として心配りが欠けてる年配の女性だったのです私の所に来ていきなり「
診査腹腔鏡の手術をうけるにあたって、消化器外科のS先生からこのような説明を受けました。もし、手術で中を見た時に①か②のパターンだった場合、(①は浮遊癌細胞、腹膜播種なしパターン、②は浮遊癌細胞アリ、腹膜播種なしパターン)こちらの病院では治験に参加することができると。その治験が腹腔内ポート。もう、こないだ癌宣告受けて、まだまだ心が追いついてないし、宣告以降も自分の病気を一度もググってもいなかった私には????状態でした。お腹の中に直接抗がん剤を入れるポートを造る治験に参加しますか?的な
夫と娘と3人で総合病院に行きPET検査の結果を聞きに行きました。今日も担当の女医先生です。モニターに映ってた私の画像は脳と腎臓と膀胱が真っ黒胃にうっすらと点々と黒い影胃の右下に小さな塊の黒い影がありました。「先生、脳と腎臓、ヤバいですか?」と慌てて聞いたら女医「それは普通だれでも真っ黒に映るので心配ないですよ」そうなんですね。良かった女医「スキルス胃がんと腹膜播種からくる傍大動脈リンパ節転移が認められますね」と容赦なく告知「そうですか」「腹膜播
R3.11.25人目を憚らずわんわん泣いた。もう悲しくて悲しくて、絶望でした。本当に誰かに「嘘だよー!」って言ってほしかった本当なのかな?本当に転移してたのかな、、、?だって、ものすごく元気だったし、お腹もいたくなかった。転移してた。。。。なかなか受け入れられなかった。私「先生、、、😭私死んじゃうんですか泣、、、うぅぅぅ」S先生は泣きじゃくる私の肩をポンポンと叩いてS先生「辛いね。2年後のさ、冬季オリンピックをまず目指そう」(2年後の、オリンピック、、、、??何、、、5
こんばんはまあ子です。昨年10月に夫がステージ4の胃がんが発覚半年の闘病の末4/1に夫が他界し週末に49日の法要を終えました。今の気持ちは時々寂しいとか辛いとかあることはあるけれど。。。亡くなった実感がなかなか持てないんです旦那はいないけどいない感じもしなくて夫に線香をあげてることにすごい違和感があるというかお芝居でもしているようなそんな気分になるんです。お葬式の時なんて周りの人には大変なのにしっかりしてて偉いねとかまあ子はすごい人だとかたくさん
腹膜播種に効く?腹腔内投与について主治医に聞いてみた。私の行っている大学でも3年程前までは治験としてやっていたらしいが行っても生存期間は延長しないという結論が出ており、治験は終了している。との事。どの薬もどのやり方も効く人には効く。やる価値はあると思いますよ。と言われたが、やるとなったら東京まで行かなくてはならない。どこも治験は終了しており自由診療。我が家は決してお金持ちではない。老後の為の貯蓄を切り崩し治療し、もし乗り切れたとして、その先にカツカツの老後と人より老化した身体、再発への恐怖
こんにちは。訪問ありがとうございます。少し気持ちが落ち着きました。19日のCT検査結果と20日の診察の話を書きますね採血の後、CT撮影用に造影剤入れるのに準備した状態w大袈裟過ぎる20日は娘の付き添いありでした。CT検査の結果を私が「大丈夫だから」と誤魔化すのが見え見えで納得いかないからですw🅱️先生「おはようございます。娘さん就職したんだって!おめでとうございます」おお雑談から入った。今日はSOX治療の抗がん剤治療実行か?と思いきや🅱️「3月に撮った画像と
こんにちは訪問ありがとうございます。妹がうちに来た話観光編です。妹は3泊4日我が家に滞在で2日間はフリー行きたい所はあるかと聞いたら「有名な温泉に行きたい」とリクエストされた県外観光客あるあるである。残念だがそこはうちから片道85kmもあり高速道路は途中までしかないオーバー還の夫とスキルス胃がんⅣのアラ還の私そしてバセドー氏病持ちの妹(ミドルフィフティ)では日帰りは無理と言うことで却下近場で遊ぶことにしました1日目この日は雨だったのでまずは私たちがいつ
検査前日は食物繊維の多い野菜など避け消化の良いものを食べて下剤(センノシド)を飲む検査当日は絶食胃の内視鏡検査はここで準備なんだけど大腸検査はそこからが地獄内視鏡検査準備室では今回は私を含め、8名が大腸内視鏡検査の準備してたまず粉末をコップ1杯の水に溶かした下剤を飲んで1リットルの水?を15分毎に飲みます。それを繰り返して排便を促し大腸が空になり排泄物が透明な水になるまで頑張ると言うすっごく大変な準備が要る検査検査出来る状態かどうか排泄物を看護師さんに見せて貰