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2人目の継母は日に日に私達姉妹の生活に苦をもたらしていく当時40歳ぐらいだった父が私達に‘’新しいお母さんだよ’’と言って連れてきた2人目の継母は19歳の若い女性だった。父はその女性を家に置いたままずっと何日も帰宅しない。そんな若い新しい母親からは食事も与えてもらえなくて完全に放置状態。自分の子どもが産まれてからは家にいるようになったんだけど。それでも、何もしてもらえなくて。。ある日。姉も学校へ行っていて私はあまりの空腹に「お腹空いた」って継母に言った。
アダルトチルドレンと関わりが深い概念に「インナーチャイルド」というものがあります。「内なる子ども」という意味です。インナーチャイルドは、精神疾患や心の問題でとり扱われるため、「子ども」といっても、無邪気さや元気さではなく、ネガティブな意味で使われます。自分の心の中にある、子どものころに子どもらしさを味わえなかった苦しみや、モヤモヤをひっくるめて表現するのがインナーチャイルドです。アダルトチルドレンは、子どものころの苦しみを引きずって、苦しんだまま大人になった人たちのことで、
名古屋に辿り着いた姉姉の持っている祖父母の情報は名古屋に住んでいる。。。ただそれだけだった10歳の姉はとりあえず駅のロータリーに停まっていた沢山のバスのうちの1台に当てずっぽで乗り込んだどこへ向かっているかもわからないバスに揺られながら外を眺めているとどんどん人気や建物が無くなっていく姉は不安になって名古屋駅からかなり離れたと思われるバス停でバスを降りた降りた先は人気がほとんどない小さな町だったどこへ向かえばいいかもわからず引き返そう
私は朝が来るのが待ち遠しくてあまり眠れなかった翌朝少ない荷物をまとめて父から「ママがバス停で待ってる」そう伝えられた父と継母は私達を玄関までしか見送らなかった家を出た姉と私は振り返る事もなく2人でバス停に向かったバス停で母が待っていたと。。。その後にもう1人女性がいたその人は私達の祖母だった祖母とは過去に何度かは顔を合わせた事があったらしい私の記憶には残っていなかったその時祖母はまだ40代おばあちゃんと呼ぶには躊躇してしまうほど若かった私
祖母に初めて叱られてからしばらくして突然祖母が私達子供部屋の本棚に置いてあった貯金箱のお金が減っていると言い出した姉と私どちらかが貯金箱のお金を持ち出したと。。。姉も私も身に覚えの無い事だったそれが貯金箱だと認識はあったけど触る事すらもなかったのに。。。姉も私も知らない私達じゃないと祖母に言った祖母はそんなはずはないお金が減っている2人のどちらかが盗んだと言い張った私達は嘘つき泥棒扱い祖母はいつも自分だけが正しいそんな人だった
祖母はとても神経質で厳しい人だった考え方にも物凄く偏りがあったもちろん躾という点に関しては大人になってから生きた事は沢山あるだけど祖母の圧みたいなものは母に引き取られてからずっと感じていたし私達が祖母に何かを意見する事自分の気持ちを言う事は自然と無かったというか言えないが正解だったかもしれない母も含めた私達3人共それが当たり前だと思っていたし祖母の言う事は絶対の様な雰囲気はいつもあったきっと姉も同じ事を感じたんじゃないかと思うこの家
こんにちは。アロマとインナーチャイルド愛のセラピスト、せきぐちさつきです。アラフォー女性の人間関係の問題を解決するお手伝いをします。インナーチャイルドカウンセリングで自分を癒して問題を根っこから解決。本当の安心感を手に入れ、貴方らしく生きていくお手伝いをしています。毎日頑張っているのに、何だか満たされない。。。。と感じている女性は多いです。専業主婦でも、ワーママさんでも、女性であれば誰でも「満たされたい」「幸せを感じたい」と思うのが当然。
私の当時の記憶はとても端的で印象に残ってる出来事も少ない幼過ぎたからか感情みたいなものが思い出せない辛さや悲しさや不安みたいなものを感じていたのかな?ただただ毎日を必死に生きるそれだけで精一杯だったのかもしれないそんな事を考えていたら姉はどうだったんだろう。。。ってふと思った2人で昔の出来事を話す事はたまにあっても姉の当時の気持ちを私は聞いた事がない私は生まれた時から隣には姉がいて姉が側にいる事がもちろん当たり前だった辛い生活を2人で乗
アダルトチルドレン専門カウンセラー父性カウンセリングの専門家大堀亮造です。私の天命は、三人娘の父親としての体験を活かしながら、お父さんに愛されなかったアダルトチルドレンの父親役として人生を応援して自立へと導くことです。お父さん役のできるカウンセラーNO.1を目指しています。なぜ、アダルトチルドレン専門カウンセラーになったのか?過去を振り返りながら、人生ストーリーを綴る世界観ブログの記事はこちら!↓記事を読む前に応援クリックをお願いします!クリックしたら、再度、ランキングの
誰にでも、知られたくないことや、思い出したくないことはあります。「恥ずかしい」という感情をわき起こす出来事です。この「恥の感情」を利用する人が、もっとも意地悪な人といえるでしょう。「あのときあんた、こんなことしてたよね〜」「え、でも昔はこうだったじゃん」という余計なことを、人がなにかにうまくいきそうなタイミングや、幸せそうなときにわざと言ってきます。恥ずかしいことを言われると、その瞬間に目の前のすべての幸せがかき消されるほど動揺します。恥の感情を利用する人には、意図的に人を
この頃の姉の生活は。。。部屋に1日中ずっと立たされ食事も与えられず何時間もの説教を受け殴られ蹴られそして夜中中また立たされるお腹が空けばゴミを漁り空腹を凌ぐ身体も心も疲弊して夜中に床に体を丸めて踞れば祖母がやってきてまた殴られる誰が想像できるだろか?人としての扱いを全く受けていない状況を。。。こんな姉の過酷な状況に私も母もなす術もなく家族全員が祖母の思いのままの行動をとる完全に祖母の支配下というこの異常な生活に私達は順応するしかなかっ
もちろん毎日誰かのお家でご飯をご馳走してもらえる訳ではなかったしゲートボールだって毎日集まりがある訳ではない何日も何も食べられない時もあった私達姉妹は空腹のあまりに公園に咲いているツツジの蜜を吸ったりして空腹を紛らわせる時もあった私は今になって思うけど空腹って普通に食べれる環境であるから感じるものなんだと思う毎日常に空腹だとそれが自分にとっては当たり前の事で空腹があまり辛いとは思わなかったし空腹を空腹と認識さえしていなかったかもしれない客観的に
母と祖母の住む家には私達2人の部屋が用意されていた勉強机が2つ2段ベット本棚や自分達のタンスこんな部屋に住める日がくるなんて思いもしなかった服も靴も下着も全部真っ新新しい学校の制服を買ってもらったりランドセルや筆箱体操服も準備してくれたやっと普通に学校に通える毎日3食の食事ができてお風呂にも入れた毎日洗濯された綺麗な服も着れるこれが普通の生活なんや。。。まるで夢みたいな環境だった今までとは全く違う生活違いすぎて始めは戸惑いも少しあった今まで
こんにちは、みーちゃんのお姉ちゃんです。いつも私とみーちゃんを応援してくれてありがとうございます。私はこのブログをきっかけに、精神を病んでいたのはみーちゃんだけでなく私も同じだったことに気づいていきました。とくに「アダルトチルドレン」に関しては、調べていくうちにどんどん自分が当てはまることにおどろく日々です。アダルトチルドレンはもともと親子関係や育った環境がきっかけで、大人になっても心の苦しみや人間関係のむずかしさを抱えます。他人の目を気にして生きていくのはたいへんですがそれはア
祖母からの許しが出て姉が普通の生活に戻ったのも束の間祖母の次の標的は私に変わった姉の時と全く同じ何時間も続くお説教から始まり正座食事抜き。。。。それが始まった時今まで姉がされた事を見てきた私は次その次と自分に降りかかる祖母の仕打ちは予測できた食事を食べさせてもらえなくなるのはいつ?布団で寝れなくなるのは?暴力は振るわれるのはいつ?学校へ行けなくなるのは?ほんとにデジャヴのように同じ事をされたこうして私達姉妹は祖母と暮らしている間2人共
第1回めのペアレント・トレーニングは、「独裁者」でした。映像を見せられ、親が子に向かって、「まだゲームやってたの!目が見えなくなってもいいの!?宿題やりなさい!聞いてるの?10秒以内にゲームをやめないと、取り上げるよ!10、9、8…」親の本心は、「ゲームをやりすぎると視力が悪くなるので心配だよ。宿題をしないと、今や将来にあなた自身が困るので心配だよ。」と、子供の心配をしているんです。しかしその心配が、何故かイライラと怒りに変換されています。しかし、子供には当然、
私も6歳になると1人でいる時の行動範囲も広がってきて姉が学校に行っている間1人で近所をウロウロするようになった。午前中〜お昼頃にかけての公園は子供達は幼稚園や学校に行っているからか誰もいない。。。いつも貸切状態1人ぼっちの公園で私はよく遊んだ行動範囲が広がったと言っても6歳の私にとっては自分の住む住宅街がとても広く感じたしその1画から1人で出る事はなかったいつも通り公園に行ってみるとお爺さんお婆さんがゲートボールをしていた私は1人滑り台の上からじ
この記事は下書き段階で姉から公開するのを控えようかと話がありましたが、コレまで読んでくださった方の応援もあり引き続きよろしくお願いします。※このブログはフィクションではありません。私達姉妹が歩んだ実録です閲覧内容に辛い気持ちになる方も多くいます。心してお読みください。私はこっそり姉に聞いた事があった「お腹空くやろ?どうしてる?」姉は答えた「学校行ってる時は給食のパン残して持って帰ってきてちょっとずつ食べてた。今はベランダのゴミの中に食べれる物あったら食べたりみ
姉は毎日毎日祖母から同じ仕打ちを受けていたそしてついに祖母は暴力という力を使うようになった殴る蹴るは当たり前髪の毛を掴まれ家の廊下を引きずり廻される祖母は当時まだ50代前半で体力があった小学生ではもちろん何も抵抗できない一度暴力を振るったのを皮切りに祖母は止まらなくなった姉はされるがままに毎日祖母に殴られ続けたこの暴力も日を追うごとにエスカレートしていくこの頃にはどうして祖母がそこまで怒り狂うのか姉が何をしてこんな仕打ちを受けるのかわ
姉はというと始めの頃は私と同様家の近所で身を潜めなら過ごしていたけれど何度も祖母や母に捕まえられている間にもっと遠くへ逃げなければ。。。そう思うようになったそして姉は電車に乗り幼少期父の元へいた時にお世話になったクリーニング屋のお姉さんの所へ逃げた勿論電車賃なんて持っていない無銭乗車だったその時の気持ちは見つかったら殺される。。。と思うぐらい追い詰められ命懸けで逃げないといけない子供ながらにその恐怖から逃げるためならなんでも出来たんだと
祖母は度々私の表情に苛立ちを見せたお説教中や殴られている時の私の目や態度に更に怒りが増す事がよくあったこの時もそんな事がきっかけだった突然台所へ私を連れて行き刃先を私の方に向け私のお腹に刃先を突きつけ私に包丁を持つように指示してきたそして「早く刺せよ!!早く死ねよ!!」と何度も怒鳴りつける時折祖母がその包丁を押してくる私はその時裸でお腹に刃先が何度も触れたでも。。。私はこの時心の中で「何で私が自分で死ななあかんの?あんたが刺して
我慢なし・力みが抜けて自分を好きに✨ココロが自由になれるカウンセリングを行っています⭐️1200名が登録中の公式ラインはこちら⭐️こんにちは。心理カウンセラーみかです。夫に対して出てくる不満‥"何で私の気持ちを察してくれないの?"想いの底にあるこの悲しみ⇆怒り今日はここについてちょっと一緒に考えてみませんか☺️❓旦那様に対してもっと手伝ってよこれくらい言わずにわかって欲しい‥仕事に家事に育児に私
私達は家で食事を与えてもらえなかった。姉は学校がある日は給食があった。だけど朝も夜も家での食事はない。私には給食もなかった。何も食べれない日もあった。姉は私の手を引いて毎日考えてくれてたんだろうな。今日はどこでごはんを食べさせてもらおうか。。。家の真向かいには幼馴染の子が住んでいた。姉と同級生の男の子そこのお母さんは優しい人だった。よくお家に入れてくれた。冬は暖かいコタツがあった。ゴハンを食べさせてくれたり。。。おやつを食べさせてくれたり。。。みんなでT
しばらくして祖母は自分達が出かけて留守にしている間に炊飯器のごはんが減っている事に気がついたそしてもちろん姉を問い詰め激怒した祖母はその日から出かける時は台所のドアに内側からつっかえ棒をして外側から開けれないようにしたそして姉は水を飲む事も許されていなかったから「トイレに行かせてください」と祖母に頼みトイレの手洗いから出てくる水を飲んでいた食事も与えられず水分も与えてもらえないのにトイレで出るものなんてない。。。トイレに行くだけなのに家の
どうして祖母はこんな悪事を思いつくのだろう祖母に殴られている最中に突然祖母からここへ手を置け!と台所の引戸のサッシに手を置くように言われた手を置いた瞬間祖母は思いっきり引戸を閉めた木でできたガラス窓の入った重たい扉は私の手に容赦なく襲いかかった怖くて手を引っ込めると手を退けるな!と怒鳴られる何度も何度もそれを繰り返してくる祖母もう指が無くなるんじゃないかと思った。。。痛みよりも扉が自分の手に向かってくる恐怖心の方が大きかった様な
姉の過酷な日常はしばらく続いたそんなある日姉は祖母から逃げるために家を飛び出した行くあてもなくとにかく祖母からこの生活から逃げるために。。。小学4年生これが姉の初めての家出だったとは言え行くあてもなくどうしようか考えてたどり着いたのは家から1キロ程しか離れていない総合病院の待合室だった姉は1日中その待合室で過ごした夜になって病院の職員さんが姉を不審に思い声を掛けてきたそして家に帰るよう促された姉はしぶしぶ病院を出たそしたらその職員さん
姉はそれからも何度か家出を繰り返したその度に祖母と母に見つけ出されて連れ戻される母に見つかり服を掴まれその服を脱いで逃げた事もあった祖母に見つかり走って逃げようとして姉の目の前を歩いていたカップルに祖母が「その子捕まえて!」と叫びそのカップルに捕まえられた事もあった母の弟に見つかり担がれて車に押し込められた事もあったそれでも姉は何度も祖母から逃げた捕まればその後は地獄それでも逃げたかったそして姉が祖母から虐待を受け始めて数ヶ月。。。突然姉
※このブログはフィクションではありません。私達姉妹が歩んだ実録です閲覧内容に辛い気持ちになる方も多くいます。心してお読みくださいしばらくすると姉は学校へ行くことも許されなくなった祖母は自分の暴力でアザだらけになった姉を外に出す事ができなかったからだ学校を休まされずっと家で監禁されたその間ももちろん祖母からの暴力は止まない。。。むしろ学校を休ませているから祖母は誰の目も気にする必要がなくなりさらに暴力はエスカレートしていくこの頃にはトイレへ行く時すら
姉は毎日祖母からの暴力を受け身体はアザだらけになっていたある日学校の担任の先生に今の生活の状況を打ち明けた当時の姉の担任先生は姉の事を気にかけてくれる様になり姉は毎日保健室で朝食を食べさせてもらったけれど先生は姉の身体のアザを見て家に連絡をしてしまったもちろんその結果祖母は自分のしている事を話されて激怒したただ学校へは姉が悪いから躾の為だと。。。自分の体裁の良くなる様に話をした虐待をしている人間は大抵自分の体裁が良くなる様に
よく、DVする親は、その親もDVだった、というエピソードを聞きます。子どもを殴っていると、その子も子を殴る人間になってしまう、、、ということです。とても悲しいですよね。殴られて育ったのなら、よけい「自分は殴らないようにしよう」と心に決めそうなものですが、そうはいかないのでしょう。他人には理解できない事情や、精神的な闇があるのかもしれません。でもやはりダメです。どれほど自分が傷つけられて育っても、傷つけてしまってはしけないし、傷つけられたからこそ、傷つけないように気をつ