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昨日は朝8:30に施設に迎えに行く。車椅子に乗って、看護士さんと介護士さんに付き添われて現れる。何とか車に乗せて出発。少し移動するだけで息が上がり苦しそうだ。途中、ペットのカフェオレが飲みたいと言うのでコンビニに寄り、息子と2人で付き添い無事に家に入る。家の中でも食事以外はベッドで寝てるしかできない。しかし、口は動くのであれこれ指図がスタート。フェイスタオルを持ってこい、扇風機をリビングの扇風機とチェンジしろ、と畳み掛けるように言うので、順番にやるから待っててね、と言うと
私が急死しなければ順番でいくと、ダンナがいなくなる。結婚して2人で暮らし始め、子供たちが生まれ4人家族に。大学を卒業して息子が東京へ行った。もちろん反対はしなかった。「好きにしなさい」離したくないけど、私たちを気にせず自由に生きて欲しいからね。息子と東京駅で別れてから新幹線の中で涙が出た。家に帰って、息子が使っていた部屋を見たらまた涙が。今でもあの頃を思い出すと、直ぐに涙が出る。娘は去年家を出た。ダンナが膵臓がんなってから、いろいろ
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。少し前に息子が彼女さんとお別れした話を書きましたその時のお話はコチラです↓『息子、破局したってよ(T_T)①』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameb
数日前に形式的な悔やみはやめてと書いておきながら舌の根もかわかぬうちに一言目で救われたなどとぬかす妻でごめん夫。生前も一貫性のなさを指摘されることがありましたが負けず嫌いな妻は状況が変わったのだから現況もかわるでしょ!という詭弁で応戦していました(つもりでした)😓そもそも言い争いでもなく妻の一方的ないいがかりに根気よくつきあってくれていました夫。私もわかってたんですよ。彼が正しいことは。だいたい正しい。もう夫はいないからめんどくさいひとの卒業をここに誓います🙏
診察室を出て、頭真っ白な私に主人は「俺、言われる事だいたい分かってたで。ステージ2か3やったら良いなと思ってたけど4やったな。分子標的薬使いたいと思ってたけどあかんかったわ。次は治験の話やな。治験してみようかな。俺、一番ショックやったのは肺に胸水溜まってるだけやと思ってたのにT病院で肺がんですって初めて言われた時。だから今日は全然大丈夫やで」って普通の話をしてるかの様に言ってきた。私はただうなづく事しか出来なくて絶望感でいっぱいだった。それに、大丈夫な訳ないやん。最
火曜日は面会でゆっくり話し、水曜日はちょっと苦しかったけど、薬が効いて楽になったとLINEがあり、洗濯物とリクエストのカロリーメイトゼリーを届けるねと返事して、木曜日のお昼頃届けるつもりでいたら、施設から連絡。夫の調子が良くなく、会いたがってるから今から来れますか❓カロリーメイトゼリーを買って11時前に着き、抗原抗体検査を受けてから入室。ドクターから説明。今から医療用麻薬を使うから意識がぼんやりして寝てしまうかも…と。長男が週末に面会に来ますと言うと、そこまで持たないから
昨日は、MCN(膵粘液性嚢胞腫瘍)の手術から3年目の検診でした。MCNとは、その名の通り、粘液を含んだ嚢胞腫瘍です。※比較的穏やかに進行するが悪性化しやすく、粘液が腫瘍から出てしまう、膵外浸潤が多く、浸潤癌となると、リンパ節転移率が高いようです。術後、嚢胞をとったのに、取る前と同じくらいの大きさの水たまりができてしまい、手術は失敗ではけど、この水が破裂したら大変(激痛らしい)だから、熱が出たり病んだりしたら、直ぐに電話して病院に来て!と言われていた代物。内科では、胃から針刺してこ
手術なしで5年生きてるダンナ。告知されてから、ネットを漁り(あさり)調べまくった。統計的な情報に、やっぱりなと。良いことなんか書かれていない。そして辿り着いたブログ。悲観的なモノばかりではない・・・(案外楽しそうに生活してるんだー)という印象だったね。膵臓がんステージ4で手術不可のダンナは、半年から1年で居なくなると思っていた。膵臓がんは、あっという間に悪くなるイメージが強かったから。私の父親も、がんと診断されて半年で亡くなっちゃってる
おはようございます。昨日は………ムカムカムカムカ(*`Д´)ノ!!!な1日を過ごしてて💦ブログを書こうと思いつつも…、気分転換に友人が経営する店へ行って、おしゃべりでストレス発散てなわけで………ブログ更新なーーーし(笑)今日は、朝からの雨でワンコ散歩も行けずとりあえず、夫のゴハンをブログに一昨日の晩ごはん。※焼き魚(ゴマサバ)ほんとうは塩をふって焼きたいんだけど💦腎臓を休めてあげたいので塩は使っていません。…けど💦醤油をかけて食べる人なので、これで充分過ぎるかと(笑)※だし
こんばんは🌃日付けは変わりましたが、今日3月10日午後の柔らかな日差しが部屋に降り注ぐ中母が旅立ちました。ゆっくり息を吸って吐いて…そし最後は眠るように。父と弟と義妹とわたし、そして中学が午前で終わり帰宅していた甥っ子次男この5人に見守られて。最後の最後まで母らしいひと頑張りを見せて、大好きな孫達、家族に囲まれて幸せなカタチでの旅立ちとなりました。明日はわたしの娘の中学卒業式🌸そして明後日は高校の入学説明会と、そのどちらにも被らずにねお母さんは今日
上が小学生の時にイヤイヤといいますか逃げられず役員を受けたときのこと。同じ部に経験不足な私をやさしく導いてくれたお姉様(失礼かな💦)がいました。子たちが同じ中学に進学し3年生のときに違うクラスで同じ役につくことになりました。受験を控えている学年ですのでなかなかなりてがいません。私は呑気にも年が離れた下がいるから🙄などと逃げの姿勢でいましたがご指名を受けてありがたくお受けすることになりました💦必然と時間をともにすることが多く家族ぐるみでの付き合いとなりそれはたのしい時間をすごせました。ご実
今日は、いつもの泌尿器科の主治医の診察日。(連日、病院ばっかりで)いっつも血液検査に時間かかって予約時間超えになるので、今日こそは「目指せ❗順番一桁台❗」と意気込んで朝7時30分に家を出る。(病院までは車で15分🚗)向かう途中で診察券(カード❓️)を忘れた事に気付く😱😱私「すんまへん。引き返してくださいな」夫「なんで確認せんの?わけわからん。早く出た意味ないやん。肝心かなめのカード忘れるて、いい加減にあしらってるからやん云々、、、」(長いお小言がまたはじまっ
今回は「癌」でお世話になってる先生の事じゃなく、「心臓」でお世話になってる先生の事。定期的に循環器内科に通院するようになって2年目になる循環器のドクターは診察の度、パソコンの画面から目をそらす事はなく淡々と患者をさばくといった感じ。年のころは40代前半といった感じかまさしくあの有名なドラマの医師「白い巨塔」の財前五郎を彷彿とさせる。院内外の評判では「あんまり笑わない」「手術の腕はピカイチ」「受け持ちの入院患者をあまり見に行かない」「学会出席の為お休みですが多々あ
子供の頃は、仲良くもあり、ケンカ相手でもあった私の妹。至って凡人な私に比べ、破天荒な妹は、幼いころから周囲の人たちが一目置いている存在。身長も高く、小学校後半は、完全に私は身長を抜かれていた。デカいけど、よく泣く。感情表現もデカい。ずっと私の良き理解者。私の仕事スキルの協力者でもある。去年息子の招待で、東京へ遊びに行った時、妹にもお世話になった。『すい臓がんの夫、東京タワーへ行く2』息子から招待され、すい臓がんのダンナと一緒に東京へ行った続きで
在宅酸素の機械が突然2回もアラーム鳴ってびっくり。一旦切って入れ直してアラーム、また入れ直したらおちついて、ずっと落ち着いていたのに、3時間半くらい後にまたアラーム❗その後ひっきりなしにアラーム❗命の綱のアラーム、心配になる。一応業者さんに連絡。午後から様子を見に来てもらう。対応早くて助かる。機械そのものの不良らしく、取り換えていただき一件落着。よかった❗午後からヘルパーさんが来て、シャワー浴の介助。きれい好きからか、毎日シャワーしないと気が済まない夫の希望で、
私のメモ程度に書き綴っている無印のノート。今思えば・・・てきな気付きがある。2019年9月、膵臓がんを告知されてから始めたフォルフィリノックス療法。2021年8月まで約2年間、この抗がん剤を受けていた。2021年6月3カ月おきの造影剤CT検査で、腫瘍が微大しているかもと告げられた。次回は早めに造影剤CT検査を行い、結果次第で薬を変えて治療を続ける提案を。このころのダンナの態度・言葉は、いつものサイテーを凌駕するサイテーっぷりに仕上がっていた
昨日は、夫の癌告知後、初の造影CT、骨シンチの検査結果待ちで落ちつかない私めを励ましてくださり心から御礼申し上げます🙌おかげさまで、不安まみれでざわついた心がずいぶんと楽になりました。本当にありがとうございますで、今日3月27日結果を聞きに行ってまいりました結果は、骨シンチ10箇所➡️8箇所に減少転移の割合❓️1.79%➡️1.29%に減少CT肺、肝臓、転移なし。リンパ節、転移なし。ただ、骨の部分に影があり「悪化あり」と報告があるけど、これは
かかりつけ医から、病院を紹介され、膵臓がんとわかってからの今の主治医。30~40代くらい。芸人のニューヨークの屋敷(金髪じゃない方)が、もっと知的になった感じのドクター。告知の際も、その後も、私は特に不満の感情を抱いたことはない。クセもなく、高圧的でもない。ダンナの話しにも、耳を傾けくれる。私は、この先生が主治医で良かったなと思っている。事実を淡々と話してくれ、穏やかだ。勘違いの憶測で、無責任に調子良いことを言ったりしない。検査の結果なども、
ダンナは自分が膵臓がんになるまで、がんの情報を気に掛けたことは無かったのだと思う。そうだとは思ったけど、先日おいおいってことが。私の事はともかく、よそ様のことをどうこう言うなよダンナ治療が全てじゃないし、何が正しくて間違っているかなんて、他人が決めることでもないでしょーが。何だか私むしゃくしゃしちゃった。ダンナはね、、、治療したら3ヶ月じゃないかも知れないじゃん。何年も生きていられるかも知れないじゃん。そういう考え。先
結婚して子育ても終わりそれなりに人生終盤な自分です。ここに来るまでつまずきっぱなし親の面倒、子育て、夫との関係、癌患者の家族、振り返ればいい時より悪い時の方が倍以上あったそういう場合は相談できる場所が整備されている…ようでいて、私の場合は残念ながら助けてもらった記憶が少ないかもその都度に自分がしっかりしなくちゃ、自分を救う者は自分しかいないって思いました夫婦であっても夫には全然甘えられず、反対に常に甘えられる立場だったし、親も娘の私にずっと依存していました
今朝3時前に🏥から電話があり駆けつけました。4時前に私たちに家族が到着。血圧低下して上で30しかなく…義母も到着した5時前に到着直後。機械が測れなくなって…看護師さん、脳外科の先生が来て確認…2021年1月19日5時3分永眠いたしました本当に眠るように…フッと亡くなりました…
面会でお願いされたことで困ったのはSIMカード…我が家は全員auユーザーだったが、定年前、有給消化中に突然夫だけ楽天に乗り換えた。定年後は節約しないといけない❗とうるさく言いながらの乗り換えだった。しかし噂通り楽天は繋がりにくく、出先で電話が繋がらないケースが頻繁にあり、私はauに戻した方がいいのでは❓とよく言ったのだが、夫は今に不自由なくなると言い張った。がんセンターからスティーブンジョンソン症候群の治療のため6月に転院。転院先の名古屋医療センターの病棟で通話がつながりに
夫たっての願いによりシンプルそしてミニマムでしたがとてもよい式でした。亡くなってからの3日間は自宅で過ごすことができたので通夜として十分な時間もありました。今日のこと。黙祷と焼香後は夫を囲んで語らいの場になりました。BGMは好きなジブリシリーズのオルゴールバージョンです。皆で夫に触れ涙をながしながら、時には笑いもありあたたかい時間をすごすことができました。出棺のときの兄、弟、甥二人と仲人さん(大学時代の部活の先輩)達に運んでもらう様子をみていたら妻はもちろん上も感謝と嬉しい気持ちで胸が
昨日はかなり調子が悪いと言いながら日曜日に持ってくるものをあれこれLINEで指示、細かいことまでいろいろと…高圧的な雰囲気が文面を漂う。やっぱり…どれだけいろいろあっても、死期が近くても、本質は変わらないんだ…。私の生活の心構えを批判される。余命2ヶ月の家族がいるのにまだジム行ってるのか‼️僕の命も軽くみられたもんだね‼️私は息抜きにジム通いをしていたがさすがに最後の余命宣告されてからは行かなかった…土曜日、午後少し行こうかと思ったけど調子が悪そうなので家にいるねと言った
愛する夫と書けない私がいる。愛しているのだろうか…夫が逝く日が刻一刻と近づいている現実に、胸が張り裂けそうで、辛くて辛くて、眠れない夜が続く。愛しているからだろうか…夫は結婚してからずっと自分勝手な愛を伝え続けた。私を束縛し、いつも隣に置いておくくせに、育児、子供の教育、家のこともろもろはワンオペ、仕事だけやってればOKだと思ってる感じだった。仕事ばかりで自分の時間も家族の時間もほとんど作らず、友だちもいなくて、私が友だちと遊ぶことをすごく嫌がり、だんだんと私も友だち
子供の頃、テレビで生物の心臓が動く回数は、生涯決まっているっていうヤツ見た。私は、その番組を見て以来、わりかし本気にしている。小動物は小さくて、心拍数が多い。大きな動物は心拍数は少ない。心拍がゆっくりな動物は長寿なんだって。人を含めて、生涯の心拍数って決まってるらしい。だとしたら私はダンナより、生涯心拍数は遥かに多い。この3連休。そう、月曜日のこと。心拍数が爆上りした。『本当の自分がわかるダンナの大切な友達』家族
夜中、咳が多く、呼吸も荒い。本人もだけど、私も寝不足。月曜日、9:30に施設からお迎えが来るので準備リスト片手に朝から持ち物用意。午前中長男に留守電してもらってディーラーさんへ。延ばし延ばしの1ヶ月点検。本当なら車を置いて息子の車でがんセンターにお見舞いに行く予定が、急展開で退院したので…。これ以上点検延ばしたくないので予定通り。車を契約した時は夫が間質性肺炎の入院から戻って来たタイミング。こんなに短期間に急変するなんて…。結局1度も運転せず終わりそうだ。ディーラ
2022年10月6日家に帰って娘達に主人の最悪な結果だった事を話さないといけない。気分が物凄く重かった。「ただいま」って元気に入れたと思う。だけどリビングに入った私を見た次女は「また泣いたん?」って微笑む様な顔を見せ、直ぐに何とも言えない顔をした。長女は泣いていた。え?何?結果知ってんの?頭の中は?マークだらけだったけど真っ赤な目をして、冷静を装って「パパ肺がんだった。ステージ4やって」そう言うのか精一杯だった。次女は看護師。「嘘付くの下手くそやなー。癌って分かって
壊れたモノを直すことが苦手なダンナ。夫婦の修復も苦手と思われる。。。ずーっと暑い私は毎日チャリで通勤してる。明日から連休(お盆休み)、がんばれ私。ようやく家に着き、チャリを物置に入れようと、引き戸を。重い最近3枚引き戸の調子が悪く、シリコンスプレーをレールに噴いても重い。無理に開け閉めすると、こちらの方が壊れそうな感じよ。先にお盆休みに入ってるダンナに言ってみた。「レールから扉が外れてるの、下の方が」
こんにちは(*´︶`*)ノ今日から新学期!クラス替えのない娘は担任の先生が誰になるか不安なようで…夜中、1時間起きくらいに起こされた🤣手を繋いでもう少し寝よう?と。何回も何回も。大きくなったけどこゆ所が子供っぽいのと…私に似て心配な所でもある😅😅春休み中は1日も学童へ行かずにお家で留守番していた娘さん。じーちゃん水曜定休日なのと母の命日休暇などでまるまる1日のお留守番は、、少しだけだったかな❓朝は大量のおにぎり🍙作って声掛けて出勤。起きたーとLINEが来てま