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同じ班内の長老の方が亡くなった。昔は班の人が亡くなったらお通夜告別式等に、とにかくお手伝いに行ったらしい。今は葬儀屋さんが全てやってくれるのでお手伝いは不要なのだ。実際、義父が亡くなった時は家族葬だったしご近所の方にも告別式まで終わってからお知らせをした。義母は「𓏸𓏸さんが亡くなったからお手伝いの連絡くるから行ってね」と朝からなんだか1人でバタバタしていた。私は「連絡がくれば行くよ。きっとお手伝いもないよね」と仕事に行く準備をしながら返事した。それでも義母は帰らず「𓏸𓏸さんちは由緒あ
父が入院してから、毎日毎日『たこ焼き持ってきてくれるか』食べたいものを聞くと、『たこやきっっ』『たこやき10個なっ』10個も食べられへんやんって言うと、ちょっと怒って、『なんでやねんわし食べるよ。』『”持って来てー”言うたら持ってきたらええねん』とか、『食べられへんでも、置いといてくれたらええねん』とか、大人しく10個は諦めたかと思うと、『ほな”6個”でいいわ』一つも食べれないのに、”たこ焼き”食べたい欲望がす
先日、ママ友が亡くなったというお知らせをもらった。下の娘Nの小学校の時の同級生のママだから、ずいぶん前のつながり。男の子のママだし、今も同じ大学に通っているとはいえ、子供同士の付き合いが全く無いので、お通夜に伺わなくても家からお別れすれば良いかな…と漠然と考えていた。最近太っちゃって、喪服も入らなくなっちゃったし…でも、何となく引っかかって、まぁ、今後も必要なものだから…と昨日、喪服を調達しに出かけた。で、とりあえず、買うことは出来て。でも、今朝起きたら頭は痛いし、寒気はするし、これ
娘婿の弁護士から、娘の弁護士に連絡がきたとメールが旦那に届いた。14時12分の、FAX履歴が付いた”ご連絡”と、言う文面が、娘の弁護士に届いた。○○氏によると〇月〇日○○時頃、突然、我が旦那氏が娘婿氏の自宅を訪問し、通夜及び葬儀式の案内されたほか、娘の父親氏の訪問を当職へ報告するな、不貞慰謝料請求事件について原告代理人の助言を得て解決すること、我が旦那氏が故娘氏の遺産について相続放棄すること、を要求されたとの事です。
父は御焼香を済ませ椅子に座った私は喪主の席に戻ったしばらくすると母が動いた!父に近づき挨拶をした!(えぇーーーーっ!!!うそぉ)父はなんだかとても他人行儀ににこやかに挨拶をしていたが「初めましてですよね?」とマスク姿の母に言った(えぇーーーーーっ!!!うそぉ)母がフルネームを名乗るとやっと分かったようでお互いに爆笑長男に「これは、お母さんあそこに行くべきだよね?」と聞くと長男は笑いながら頷いた私はたまらず喪主の席から2人のところに駆け寄ったたぶんそ
朝の8時半。来望はお着替えと化粧など皆さんをお迎えするための準備をする為に車に乗って出かけて行きました。エンバーミングです。エンバーミングとは、専門の資格をもったエンバーマーによって、ご遺体を衛生的に修復保全することで長期保存を可能とする技術です。土葬が主流のアメリカやカナダでは、エンバーミングが一般的ですが、生前のお姿に近い形で心ゆくまでお別れできると言った理由で、火葬が主流の日本でも近年注目されるようになりました葬儀屋さんに勧められてお
医師に御臨終ですと告げられた途端、私は怖くなり離れて暮らす子供2人、主人の母、姉、妹、私の両親、妹、と手当たり次第泣きながら電話をかけた。皆、予想もしない連絡にしばし茫然。それもそうだろう年末年始に会ったり電話で元気に話をしたばかりだったのだから連絡を受け子供たち、私の両親が駆けつけた。主人の母、姉妹、私の妹も駆けつけると連絡をくれたが商売をしていたり小さい子供がいたり来るのに高速で3時間以上かかる場所に住んでいたりするので今後の予定がはっきりするまで無理しないでくれと伝えた。が、主人
おはようございます。ただの自分の独白です。ここで書かさせてください。私の中に刺として残っていることの一つです。妻が亡くなった時に、妻の従姉妹達、甥、姪にはきちんとお別れをさせてあげれませんでした。顔を見せてあげることが出来なかったのです。化粧をしてあげることも出来ませんでした。私とお義父さん、兄弟、従姉妹の年長者、叔父さんは顔を見てお別れをしました。私自身放心状態だったので、なぜその時に抱き締めてあげれなかったのかと、今にして後悔だらけです。亡くなった日、眠れないまま身体が震
葬儀屋さんにかけて欲しい曲はありますかと聞かれていた旦那は玉置浩二の「あなたに」と言う曲を聞いて「染みるぅ~」と涙していたことがあった病気前にも病気後にも会場には「あなたに」が流れたメモリアルコーナーには祭りの笛を並べてもらった家族旅行の写真や動物園チャレンジをした時の写真など楽しい思いでの写真をたくさんスクリーンに流してもらった遺影の写真はスタジオで家族写真を撮った時の物にした家族に囲まれていい笑顔の写真会場が旦那一色だったお通夜が終り皆が帰ったあと
2023年7月18日(火)今日のこと今日も外は暑くていいお天気でした。3連休が終わり、家は静まり返っていた。朝はゆっくり起き、息子にお線香を上げて、花の水を変える。供えていた夕飯のお肉が乾いている。チョコパンの消費期限も切れている。減らないお供え物を見て、悲しくなるけれど仕方がないね。スーパーにも行きたいけど、何を作ればいいのか何を買えばいいのか分からない。1人で外に出る勇気がまだ出ない。いつも息子のリクエストでご飯を作っていた。パート帰りにLINEをして、「スー
友人のお姉さんが、今朝、出勤途中に倒れ、亡くなったと連絡がきました。49歳。死因を調べたところ、卵巣癌。ステージ4。卵巣破裂で倒れたらしい。相当痛かったんじゃないだろうか。他にも転移があったのか。7月、スーパーで偶然友人に会い、私の癌の話やあれこれ話している時、お姉さんも1ヶ月生理が止まらないと言っていた。お姉さんは『更年期なんだわ〜』と言っていたそう。乳がんも含め、子宮も検診行った方がいいよーって話したけど…お姉さんは病院に行かなかったのだろうか?あれ
国立中高や公立中高一貫校は警報が出るとお休み。三女ちゃんは華の女子高生、警報が出ると思ってわくわくしている。7時を過ぎ、7時半を過ぎ、タイムリミットが近づいてくるとだんだんブルーになっていく。👨そんなに学校に行きたくないの?👩びしょぬれになるのが嫌なの。あと、電車に乗ってる途中、とか到着する直前、とかに休みがわかるのも嫌。ま、頑張ってくれ。今日は叔父のお通夜だ。
GW最終日皆さまはどんな休日を過ごされましたか私は、家族(夫抜き)や友人と過ごしました夫はGW中は家に居たのですがそんなのはお構いなしに私は私の約束を優先しました夫はまたいつもの如く家族で外食しよう、と誘って来ましたが(夫のルーティンであり単なる自己満足)私は「うん」と言ったきりで予約もしませんでしたそんな一回の外食で禊ぎを果たしたと思われたくもないしまた、お通夜のような無言のままの外食に何の意味があるのかさっぱりわからないので…夫は夫私は私もうここまで来ると
【2023年2月14日〜17日の出来事】娘を家に連れて帰り、すぐに決めないといけない事がありました。それは、葬儀の事。悲しんでいる時間もなく、急いで葬儀場の手配をしないといけませんでした。家から割と近くで、それなりに広いところがいい。と、思っていたので、候補にあった中から、ある葬儀場にお願いしました。早速、自宅に来てくださり、ドライアイスを持ってきてくれました。そして、担当の方から、『今、予約がいっぱいで葬儀が立て続けにありまして、早くても葬儀が19日の日曜日になります。すみま
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫は友人が少ない(と本人が言っていた)年賀状のやり取りもそれほどなく葬儀は火葬のみでほぼ親族亡くなった知らせは喪中はがきその知らせで連絡を下さる方もいらっしゃった名前だけは知ってるけどお話したことがない方もお電話い
2024年5月28日(火)朝、お線香をあげに行く前に義母から電話がありました。義母の体調が悪いのかと思ったら、近所の親しくしていた奥さんが亡くなったと電話があったそうです。私もその奥さんとは顔を合わせれば、挨拶してちょっと立ち話をしたりしてたので、びっくりして義母の所へすぐ行きました。お通夜や告別式はまだ決まってないみたいなので、とりあえず話を聞きに行ってみるというので、私も一緒に行きました。ご主人が出てこられて、お風呂場で亡くなっていたとか。病気はあったけれど、死に関わるような病気
皆様お疲れ様です先週の月命日に息子が地上波で帰ってきたという話を息子の友達にしたんですけどそうしたらえ!?実は来週俺もその番組出るんすよ!ってすっごい偶然!そもそも2人ともテレビに出るような人達じゃないしねお前ら持ってんなーって勝手に2人の運命を感じてた私です笑さて、今回は告別式の出棺時の挨拶について書いていこうかなと思います。出棺の時に挨拶があるそういうものがあるということはもちろん知ってます。知ってはいたのですがなにぶん息子は急に亡くなったものですか
アメトピ掲載ありがとうございます『敢えて言わない死別シングル』夫がもう亡くなっている事を知っている人は私の周囲にはほんの一握り。それどころか人によっては私が既婚者なのか知らない人もいるし、離別シングルじゃないのかって思っ…ameblo.jpパートナーの癌闘病ってわざわざ言いたくないんだけど、聞いて、聞いての人もいたなぁ『#ブログを始めたきっかけそして誰にも言えなくなった』私がブログを始めたきっかけは誰にも言えず夫の闘病生活を背負う日々に限界を感じたから…です。夫の病気発覚から手
2日がお通夜、3日が告別式で時間はまだ未定でした。2日の朝、9時から打ち合わせがあるので🧓と急いで家を出発しました。9時ギリギリに到着したら、葬儀場の方が控室の前で待っていました。「もうすぐお寺さんが枕経あげに来てくださるんです。」部屋にはジジイがいるのにやっぱりヤバイとわかったみたいです。お寺さんが来られるまで、部屋で打ち合わせする事になりました。いろいろ決めてる隣で大きな音でテレビ見るは独りぼっちで寝かされてました。間もなくお寺さんが来られて枕経が始まりました。枕経が始ま
20日、お昼前に母のところへ。天気は雨。【湯灌】のため‥母の大切な友人1人と、私と妹で立ち会った。一緒に立ち会ってくれた母の友人は、入院中、1日も欠かさず病院へ来てくれた。「よく、髪洗わされたよね‥。」「きちんと乾かさないと怒られるよね。」と母の友人と話をした。身体を洗ってもらって、髪を洗ってもらって、母らしい服装に着替えさせてもらい、軽く化粧をしてもらった。化粧をした後に、「少しお顔整えますね‥」と言われ、母の鼻や口に大量の詰め物をした。妹はその光景が辛かったよ
通常モードになりましたねで、昨日は火曜日だから治療の日なんだけどお世話になった方のお母様がGW中に亡くなられて😥そちらを優先で病院はお休みしました世間では円安にも関わらず海外だ国内だと旅行に行ったりしていますがうちは息子が帰ってきたので😉近所に食事と映画を見に出掛けた位でした息子が帰ってくると食べることを始めとして家事に追われるんですが母としては息子の世話は楽しい時間でした☺️離れると余計に感じますお通夜はGW最終日でしたのでお参りを早めにさせてもらい息子を寮に送ってきました。車で片
6/22に、相葉雅紀仲間のMちゃんが短い闘病の末に亡くなりました。娘ちゃんから、明け方に連絡をいただいてから、私の時間軸は狂ったままです。最後に会ったのが、年末の相葉サンのお誕生日会。5月には会う予定だったのに。15年来のヲタ仲間で、ライブやワクワク学校、舞台も一緒に行ったし、ハワイでも一緒に遊んだり…世界体操やマーチングJも行ったよね。甲子園にも行った!!なんか信じられなくて…お通夜に仲間2人と一緒に新潟まで行って来ました。Mちゃんがカドリードミニオンまで行って買って来てくれ
別件で電話して来た次郎🧓にさっきのババアの電話の話しました。🧓「俺、今から警察🚔に電話📱するわ。」真顔で即座にこう言いました。🧓が真顔でこう言う時は怖いです😱「いやいや、そんなすぐに電話📱しなくてもいいんじゃない?」鍵置いていけ!鍵開けとけ!の話も🧓「そんな事する必要ない!鍵は渡したら駄目だよ。もうその家はママだけの物ではないんだから勝手に他人入れないでくれるかな?」マンションの相続もまだ出来ていませんが多分私が二分の一残りが子供が四分の一ずつの持ち分になると思います。相続
先日祖母が亡くなりました。祖母にはとてもかわいがってもらいました。一緒に料理をしたり長期休みは祖母の家に泊まって遊んでもらったり。親とは不仲でしたが亡くなった知らせはもらいました。でも私はお通夜もお葬式も来なくていいと言われました。「遠方(東日本と西日本の距離)だから」と。私は「大丈夫だから行きたい」と言いました。表向きは遠方だから、と言いたいのでしょうが私が不登校だったこと離婚したことそ
告別式の前に火葬場に同行する車🚙の台数確認しました。「私は火葬場行きません。親は子供の火葬場には行ってはいけないんです。ここで待っています。」という事はもお留守番なので、葬儀場の方に連絡しておきました。今だけ送料無料奥野晴明堂「和花」6種アソート桐箱ご注文者様へ同じ香りをプレゼント贈答お線香進物線香新盆見舞喪中見舞御供御霊前お盆お彼岸ギフトお悔み法要帰省土産喪中はがき供養贈答用お線香お悔やみセット楽天市場楽天市場で詳細を見るAmaz
2019年1月7日に、肺がんステージ4と診断され、治療を続けていた夫ですが、2023年8月7日に亡くなりました。闘病4年8ヶ月。48歳。とてもとてもがんばりました。病気と診断された後も、もともとマメな夫は家族のために家族を思って過ごしてくれました。気持ち的にも辛いことも多かったと思うけど、子どもたちの成長を見たいから、家族と過ごしたいからと、積極的に治療をして、常に生きると前を向いていてくれました。本当に優しく、可笑しく、強い夫でした。夫が結婚してくれて、2人の子どもに恵まれ、家族になって
おはようございます、なおです。ふつーに生まれた私がどうやって今まで生きてきたのか?について綴っています。。。前回はここ↓【わたしの世界観34】父の命の電池が切れた直後からせわしなくなった。兄や弟は病院の公衆電話から親戚中に電話をかけまくった。その光景だけが私の覚えていること。私は一体その時何をしたのだろう。次に覚えているのが、実家の中を掃除している光景。義理の妹と一緒にほこりにまみれていた座布団をコインランドリーに持っていって洗った記憶。そして、乾燥まで自動
わが家にお越しいただきありがとうございます夫と二人暮らし、笑夢(えむ)と申しますふたりぼっちですが結構楽しくやってます昨日はお通夜に行ってきた三年ほど前までパート勤めしてた会社でお世話になった先輩が亡くなったまだ60代後半なんで?突然すぎてピンと来ない聞くと4月にがんの手術をしたらしいそのあと無事退院したものの数日後に倒れて再入院したんだとか心筋梗塞。。。もともと心臓に持病があるのは知っていた手術が持病を悪化させるってことがあるのかなぁ同居してた娘さんか
これは、義父の葬儀の時のお話です。突然のことで、家族皆が動揺していました。義父が病院に運ばれてすぐの家に、それも深夜に、親族が押しかける光景は異常でしたが、この辺りでは普通なのかとスルーしておりました。義父が可愛がっていた従姉妹の娘が、ダイニングの椅子にどかっと腰掛けて、脚を組んでいる様は、今でも鮮明に覚えています。私の心中では、(こいつら何なの?)でした。その後、すぐに解散となり、何がしたかったのか意味が分かりませんでした。私は寝ている子ども達を置いて、お茶汲みのためだけに往復1時
今朝、心療内科にお薬を貰いに行くため、駐車場に行くと旦那さんに出会った。どこ行くの?と聞かれたので、病院。と答えると、買い物に行く予定はない?と旦那さん。行かないけど、どうして?と聞くと車のブースターが安くで売ってたよ。と教えてくれた。旦那さんはいつも、私が必要としてるものを私のいない時に、探して見つけておいてくれる。案の定、昨夜のお通夜でメンタルダウンして、今日の告別式は欠席することを話してくれた。かなり、こたえたらしい。午後から旦那さんは、孫ちゃんのお誕生日のお祝いのお金を持ってき