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亡き親友の、おかあさんに母の日を先駆けてお花を。お花が、卸価格で手に入るようになったのでたくさん買ってあげられる❣️芍薬❣️何色のカーネーションがいい?って聞いたら「赤じゃないカーネーションが欲しい❣️」ってさ。初めて見た❣️カーネーションの紫系がこんなにあるのね~ってことで「どれがいい?」プリンセスブルーとライラックがお好みなんだそうです❣️紫が好き❣️家の中お花だらけお花屋さんよりお花あるんじゃないの(笑)リースを販売しています❣️お花好きは受け継が
子供たちと公園昨日とはまた別の公園。遊べ遊べ泥のように寝ろ(笑)今日はおかあさんも家にいると由香を想って泣くから強制連行しました。緑が多い場所で木や花を見せて美味しい空気を吸って鳥の鳴き声に「目白だわ!」「むくどりもいる!」😊自然の中でゆっくり過ごせて良き良き👍いい気分転換になったと喜んでます。「お墓参りいく?!」「今日は良いわ✨」一瞬の、墓離れ(笑)
京都南部で活動する東まゆみです今日来た生徒さんGW御殿場のキャンプ場へ行ってきたそうです写真を見せてくれてこの写真なんだかパワーあって思わず写真ちょーだいって言ってしまった(笑)6時間かかっていったってお父さんお疲れ様でした中学生二人アンサンブルの練習にきました同じクラブ中学になって仲良くなりましたタイプの違う二人ですが、ちゃんとお互いを認め合っていい感じエレクトーンの生徒ちゃんは骨折で弾けない時間があったので先週の土曜日のレッスンでは、右手しかひいてなか
寂しい思いをさせたくなかった。苦しい思いをさせたくなかった。ずっと24時間付き添って看護をしたかった。もっともっと頑張る決意でいたし、その場面を想像していたし、そのつもりでいたし、実際もっともっと頑張れた。おかあさん、ごめんね、ほんとうにごめんね。あれだけ大切にしていたのにねあれだけ宝のように大事にしていたのにね、あれだけ目を離さないですべてをつぎ込むつもりだったのにね。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんなさいこの気持ち、だれとも共有できない。
母が亡くなりそろそろ1ヶ月が経とうとしている。わたしの毎日は仕事で忙しく過ごしているせいか母が亡くなった実感はあまりない。遺影に手を合わせたりお水やお茶を供えたりすることはもう淡々とした日常だ。だけど何気ない日常の中でふと母を思い出すときがあってそんなときは「おかあさん」と声に出して、つぶやいたりする。そのときは切なくなる。今までは普通に「おかあさん」と呼ん
サトウハチロー。日本の生んだ偉大なる詩人、作詞家、作家である。童謡・歌謡曲の作品に限っても、「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」「リンゴの唄」「悲しくてやりきれない」など、今でも盛んに歌われたり、われわれの心に残っていりする歌が多い。今日取り上げるのは、1973年に亡くなったサトウさんの詩集『おかあさん』の中の詩の何編かを、宏美さんの歌と、ゲスト・落合恵子さんのナレーションで構成するという、デビュー・コンサート(1975)とは思えない力の入った企画である。この9分以
もうすぐ母の日。さてとお手紙でも書きましょうと、書き出したのは往復ハガキ。歳とった母へ送る手紙は往復ハガキ。なぜなら、返事が欲しいから^^質問形式にして書かせるの、ボケ防止にもなるかなーって。入院先からは出せないので、土曜日に見舞いに来てくれる夫に託し、ポストへ。「いつ届くかな…」と母に想いを馳せていたら、だんだんと悲しくなってきちゃって。大病してしまい、いつまでも心配をかけている私。こんな歳になっても世話焼いてもらってる。情けない。申し訳ない。時折「お母さんお母さん」って口に
僕、ソラですここのおうちの仔になった僕と小麦今日で1ヶ月になりました。たくさん遊んだ僕たち野良寝してたらおかあさんがもうおやすみしようねって僕を抱っこしたの。起こされて、僕まだ遊ぶーっておかあさんの手を思い切り噛んじゃったまだ遊びたかったんねーっておかあさんと猫じゃらしで遊んだよ。お腹も空いたやろーってケージに入った僕たちごはんも食べずにこむソラ寝ちゃったね
昨日は保育園から戻るとすぐに私に飛び込んできてばぁばだいじょうぶ?『こし』いたいの?心配してくれてありがとういい〜え〜ぇ可愛い手で私のコルセットを撫でてくれました😭でね『めばえ作戦』は大成功✌️😁新しいもの➕大好きなアンパンマンは喜びました。その前に組み立てる準備はありましたけれど、6時のご飯まで遊びました。そしてばぁば1と2になったよ〜🕕トイレに行ってちゃんと出て…(はじめて旦那さんがサポートしてくれました🚽『どうやって拭くの?』って💦)さっと座って写真撮る前にト
元々、私達夫婦は共働であったため、妻は休日にまとめてご飯を作って冷凍してました。平日は娘を保育園へ迎に行き、お腹をすかせた娘に、すぐにレンチンして晩ご飯を食べさせるためです。それは、療養のための休職中も変わりありませんでした。妻の通院していた病院は、妻の実家のすぐ近くにあります。抗がん剤治療の時は、疲れて実家に泊まってました。家でご飯を作れない日の為に、レンチンで食べれるおかずをいつもストックしていました。今宵はその最後の一品です。(※大事に置いていましたが、6月1日付のご飯なので、そ
こんにちはブログ訪問して頂きありがとうございます移植周期D17今回は卵胞育つの時間かかるー前回、D14にてE2148卵胞15ミリまだ時間かかりそうだったので3日後のD17の受診です🏥本日のホルモン値です卵胞19ミリまで育っていました🐣移植の日程決まったけどLHサージ上がってきちゃってるーーーこのパターン、嫌なのよねぇ。今日の先生は念の為、17時頃にスプレキュアして。
☆モラハラ夫との過去のお話です☆流産後、少し落ち着いてから彼の親に挨拶に行きました。挨拶とか初めてで、失礼の無いようにめちゃくちゃ検索して、何度も1人でシュミレーションしていましたwググって学んだ事は、·結婚していないのに、『おかあさん』と呼ぶのはまだ早い。『〇〇さんのお母様』と呼ぶ。·手土産の菓子折りを渡す時は、手提げ紙袋ごと渡さないで中身だけ渡す。·靴を脱ぐ時は相手にお尻を向けない。など。初めてお会いした場所は、とあるご飯屋さん。彼のお父さん、お母さん、彼
もう7日目1週間早いっさて7日目はりーくんのおかあさんに少し早いけど母の日のお祝いおとうさんおかあさんを食事に招待しました🍽2人とも海鮮が好きということで海鮮が美味しいお店をネットで探して予約して行ってきました🚗³₃もう何度も会ってるので話も普通にできて楽しい時間(≧∇≦)他にも色々頼んだんだけどなかなか写真を撮るのは撮りにくくて💦りーくんがおかあさんに日傘のプレゼントを渡すと「こんなん、もらったことないのにありがとう」って、おかあ
通夜、告別式、全て終了し初七日もお願いしていたので、それも終了し母の遺骨と共に、わたしは自宅に戻ってきた。仏壇は実家にありわたしの家には何もないので白木机にローソク立てや線香立て等を置きお花を飾り、遺影を飾りなかなか立派にできあがった。出棺される前最後のお別れのときの母は淡い色の口紅が似合っていてかわいらしかった。たくさんのお花とお菓子と飲み物と添え書きを入れた。愛犬の写真も入れた。
ついにこの日が来てしまった。。。CTの結果が出た。。。治療を始めて10ヶ月目を迎えようとしているが、始めて進行、転移の文字が目に入ったでも、肝臓も肺も骨もまだ大丈夫そうだから、やっぱり第一選択肢は両方の卵巣の摘出ってこと腹腔鏡手術だそうで、入院は1週間から2週間くらいかなって心配していた退院後の仕事だけど、わたしならすぐ働けそうとの太鼓判付き転移は悲しいし胃と腸の具合も悪くなってきてるっぽいけど、体自体はまだ何の悲鳴も聞こえてきてないから今まで通り、頑張りまーす癌と共存して、あまり
ご訪問ありがとうございます。東洋占星術で忘れていた使命を思い出し、魂が喜ぶお手伝いをしています。日曜日に二十四節気の「立夏」がきて、暦の上では夏です。春の土用も終わって、風薫る5月になりました。九星氣学でみると今月は二黒土星が中宮になります。開運行動二黒土星といえば「お母さん」。奇しくも今週の日曜日は母の日に当たります。お母さんに感謝を捧げることが開運行動になります。あとは家の中を整えること。衣替えやフローリングの水拭きなどは、暑くなる前にやっておきたいです
5月14日ふたりが空に還って3年経った仕事は12日から3連休まぁゴールデンウィークなんて全く関係なかったからいいよね行きたいところがあったしなによりもわたしがわたしでいられるようにそう思ったから去年三回忌は済ませただから今年はとくに年忌の供養とかそういうのには当たらないけれどやっぱりちゃんと供養をしてあげたいだから数日前に電話したおとうさんとおかあさんの田舎のお寺ふたりにこの上ない戒名を下さった住職様に「お塔婆をお願いしたいのですが…」12日の日曜日にとお約束し
つづき。『「おれは怒ってる」って、表すおとうさんは昭和』つづき。『なんなの。こっちはむかついて、無言でごはん食べたのに。』つづき。『おとうさんが嫌いなわけじゃない。』お父さんのことが嫌いなわけじゃない。やさしいっ…ameblo.jp「ねえ、おかあさん・・・」「おかあさんはどうしてそんなにやさしいの?」と、言ってあの子は泣きながらハートを手で形づくった。「いっつも、わたしの話を聞いてくれるよ
今日は夜、仕事帰りにお母さんがお家に来ましたお寿司、お肉弁当、焼きガニ、イカ、ホタテ、おつまみ、お菓子など…た〜くさん持ってきてくれました昆布ががんにいいとかそれを届けに来たのにお店の人が忘れちゃったんだってその代わりとろろ昆布食べなっだって甲状腺がんだったので、昆布はほとんど食べていません。一緒に食べて飲んでお母さんにパパが泊まって行って〜って言ったら、明日仕事早いのに泊まっていってくれましたみんな何年くらい会ってなかったかなぁ私の育った家庭環境がちょっと複雑で…親子・姉妹関係が普
愛しいAnnieviviとジュリアのおかあさん🐶一月前の健康診断では全く異常が無かったのに5/3に咳をするので休日診てもらえる🏥へ肺水腫の診断、夜苦しそうで夜間救急入院、5/4かかりつけの🏥へ入院5/5朝診察時間開始とともに🏥から危篤の電話、🏥に着くとAnnieの口元から血、心臓マッサージ?夜間ひとりぼっちでゲージの中で亡くなっていたと思うとAnnieが可哀想で、肺水腫に対して無知な飼い主でごめんねと謝るしか無いAnnieの命日はちゃんと診てあげられなかった後悔と反省の日ごめんね無
口うるさいお母さんだと自覚しています。もともとの性格もあるけれど、ステージ4、転移がわかってからはこの先私がいなくても常識を持った人間として育って欲しい気持ちで時には叱っていました。子供は子供、私が産んだけれど、私ではない。失敗したらそこから学んで成長すればいい。でもその時に失敗から成功に導いてあげたくても私はいないかもしれない。だから今のうちに!!という焦りが、悪循環になってしまって、せっかくの親子時間も険悪になるという、、、本末転倒。見守ると見張るは違う。も
2022年7月3日(日)あの日、お母さんとお父さんは龍を見ました。(実際、目に映ったのは龍雲ですね)あなた達には、家に帰ってからすぐに話しました。上の子には、LINEで写真も送りましたよね。あなた達はどう思ったのでしょう。今までも、一緒に生活していた中で、『不思議な体験』はいろいろありましたよね。「そう思った」「そう感じた」という目に見えないものではなく、目に見える不思議なこと、実際ありえないこと。お母さんはあなた達が私のように
引っ越してきて義母と同居しています。一見穏やかな方ですが天然です。ある時、定期検診的に通っている都心の病院に検査的入院をし退院して今度は歯医者に通いはじめたのですが退院した都心‼️の病院から心臓の薬を処方されているにもかかわらずその事は告げづずに歯医者の鎮痛薬を服用していたので心配してた矢先家で倒れてしまいました。また都心の病院食が口に合わなかったので自分は塩分と水分の制限を受けていると思い込み極端な制限をしていたせいかもしれませんその後
あるタクシー運転手の奥さんが一人息子を残して死んだ。父親は夜遅くまで仕事なので困り果てていると、アパートの隣の部屋のおばあさんが、「夜9時までなら預かってあげる。」と言ってくれた。「わたしも一人暮らしだし、孫みたいなものだから・・・。」と言っておばあさんは笑った。父親は午後4時から出勤する。子どもはおばあさんの部屋ですごす。夕食と風呂を済ませ、9時になるとおばあさんは子どもを部屋に戻し、寝かしつけて帰る。年寄りなので9時にはおばあさんも床につくのだ。父親が帰宅する明け方まで、子どもは一人っき
昨日は、久しぶりにクロ助を外に出してみました。「ここはどこだ?」「あなたの家の前です。」最初は、怖くてほふく前進で移動していましたが少しづつ、興味が出てきたようで自ら移動して、いろいろな臭いをかぎ始めました。そんなクロ助の様子を、散歩中に発見したゆめは心配して走って戻ってきてしまいました。「大丈夫?怪我しなかった?」「心配しなくても大丈夫だよ。」いつもは、じゃれあってばかりで、姉弟のような関係でしたがクロ助を心配して走って戻ってきて
ブログを見にきてくださってありがとうございました✨私には一人息子がいます。小学生になったばかりです。昨日息子が初めてお友だちの様子を教えてくれました。息子は、小学校に入ってから自分のことに必死すぎて昨日まで全然周りが見えていませんでした。クラスの子の名前も言えないし息子からしかクラスの様子を聞けないので早く周りが見えるようになればと思っていました。すると昨日帰り道『今日ねぇ○○ちゃん泣いてたよ。初めてみた…。ぼくねぇ、大丈夫??って言ったんだぁ』と話して
新しいアパートに引っ越してしばらくして、夜、押し入れの奥の方から、何か声がするのに気付いた。よく聞こえる日と聞こえない日があるんだが、どうも子どもの泣き声のような気がする。夜は怖いので、次の日の朝、友達のタカシに来てもらって、押し入れの戸をそっと開けてみた。布団や段ボール箱などを全部出してみたが何もない。「気のせいかなあ」と言って荷物をしまいかけているときにタカシが変なことに気付いた。「おい、なんか、こっちがわの押し入れ狭くないか?」「なんで、ここに壁があるんだろう。」確かに、そ
今日、わたし誕生日なんです☺️60歳になりました✨感慨深いですね~卵巣がん虫垂がんそして難病この時40歳「え?わたし死ぬ?」と、チラっと頭をかすめた夫が、わたしの知らない女を抱く妄想したり子どもたちが、その女を「おかあさん」と呼ぶの妄想したり・・・・それはイヤだと思ったわたしは、闘うことを決めた闘い、敗れたなら仕方ない。と諦めもつくなにもしないで、最期を待つだけの人。にはなりたくないと思い至った45歳で再発した他県に治療にゆく決意を支えてくれたのは家族当時父は
1月9日(日)前回からの続きで向かった先は、小野寺青果さん。〈写真は4月に撮影させていただいた時〉小野寺のおかあさんが覚えてくれていた。元気な笑顔に、嬉しくなる。初めて訪れた時、神子田朝市の見どころや人気店を教えていただいたのだ。おしゃべりしながら、レモン(50円)とずっしり入った干芋(250円)を買う。「そういえば、南部鉄器のホットサンド食べた?」「え!そんなお店ができたんですか?」と言うと、「こっちこっち!!」と案内してくれたのは……「神子田商店」さん。普段は岩手県庁の地下でお
人間の息子くん、お土産持って帰ってきましたみなさんご存知の通り、9️⃣にゃんのおかーしゃん、人間の息子も1️⃣人おるのだが復興支援しようと友達と旅って帰ってきましたどこ行ったのか知らなかったんだけど…いつのまにか立派な大人になってた…なー確かに昨年の母(息子からしたら祖母)の介護の時もかなり助けてくれた。血のつながりありの6個上の人間(兄と言いたくない)なんぞくその役にもたたずどれほど、息子の存在がありがたかったか。おばばの急な入院もついてきてくれて