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「世の中は、思い思いにかたよらず、よくねり合えば、みなが合(お)た福」住みよい世の中は、お互いが、よい考えを出し合い、よく練り合って、その出た結論を、みんなが力を合わせて、実行するところから生まれてくる。民主主義ということは、お互いに相手の人格を認め合い、相手の考えに心をかたむけ、そうして、すなおに自分の考えを述べ、腹をわって話し合い、練り合う。そして出た結論には、ともに力を合わせて実行する。これが民主主義だと思う。おれはおれ、おまえはおまえということでは、住みよい世の中は生まれてこな
人が幸せになれないのは、心が暗くなったり、重たくなるような考え方がクセになってる。そういう不幸グセが、不幸を呼び寄せるんだよ。幸せってね、現状が変わって、こうなったら幸せ、ああなったら幸せ、じゃないんだよ。自分を取り巻く、この現状を変えないで、自分がどうやって機嫌よくしてられるか。そこにかかってる。「日本に生まれて、幸せだな」とか、木造アパートに住んでいようが「住むところがあって、幸せだな」とか思って機嫌よく生きてる人って、自分の中から幸せの波動が出るんだよ。幸せの波動を出しながら行
般若心経をとなえたら、功徳がなぜあるのか。般若心経をひと口でいうと「みんなの幸せのために、一生懸命働け。わき目もふらずに突き進め。ちょっといいことがあったといっては心が踊り、ちょっとつまずいたといっては心が沈む。こんなことではだめである。もっと腹を落ちつけて、世の浮き沈みにあわてることなく、この世の極楽つくりという大きな目あてに向かって進め。みな与えられた職場(しごと)に心を込めて働け。心のこもる仕事をせよ。そして恩に着せたり、報(むく)いを求めたりするな。ひとは死んだら、終
たとえば、キレイな女の人の胸を見て「いいオッパイしてるな」と思ったから地獄に落ちるとか、そんなこと、全然ない(笑)。そんなことなんか、オレの神様、何でもないの。そんなくだらないことで、ごちゃごちゃ言わないんだよ。弱い者いじめをしちゃいけないよ、とか。承諾も得ないで女性の胸を触ったりするのはダメだ、って。だけど「いいオッパイ」と思ったのがいけないとか、神様、そんなこと全然言わないよ(笑)。人間を「万物の霊長」というけど、いろんなことを思う脳を神に与えられてるから「万物の霊長」なんだよ。
あし(葦)という字は、よし(善)と読み、あし(悪)とも読む。ここが面白いところである。冬の寒い日には、火は喜ばれる。しかし、夏の暑い日には、火は嫌がられる。時と所を得ているものは「善」として尊ばれ、これを得ないものは「悪」として遠ざけられる。これが見分けられるためには、自分の心を磨き、鏡のようにしなければならない。仏の心、大自然の心が正しくうつってくるまで、無心にならねばならぬ。からっぽなるがゆえに、全てを容(い)れうるのであり、全てが止(とど)まって、乱れないのである。わたした
瓦はどれほど磨いても珠(たま)のように光らないが、ひとは、もともと仏様となれるものを備えているから、修行と磨きようによって、仏様となることができる。しかしながら、仏様となるべきわが心は、ともすれば雲におおわれ、光を失う。在るといえば、在るに引っかかり、無いといえば、無いに引っかかる。だから宝のあるものは宝物に、学問のあるものは学問に心がとらわれるものである。ものみな、すべて徳(とく)によって、もたせてもらっているのである。ことの良し悪しは、ものにあるのでなく、使うひとの心にある。だか
とらわれない。縛られない。常に、さらさらと動き流れる心。何ごとも、神仏に任せ、明日のことにくよくよしない心。天命のままに生き、成ってくることや、できてくることを、有り難く、おし頂いて、明るく努める心。我がはからいをはさまないで、ありのままに、ひとを見る心。こうした心と生き方が、尊く大切である。黄色いめがねをかければ、白いものも黄色く見え、青いめがねをかければ、赤いものでも紫色に見える。すべて、とらわれの心をもって見るから、世の中の正しいすがたが、濁って見えてくる。いつも、とらわ
心を奪われると、自分がつかんだつもりのものに反対にとらえられ身動きできなくなるものである。たとえば、手で扇子を握ったとしよう。手はそれを握ったつもりであるが、かえって扇子のため、手はその自由を失ったことになる。なぜなら、扇子を握ったことで、その手はもう他のものを握ることができなくなるからである。このように、ひとつのことに心をとらわれたものは、他の何も見えなくなる。心が澄み切っておれば、ひとつのことに縛られず、さまざまの働きをする環境(まわり)にともなって、自由な働きができる。千にも万
みんなに教えたいなと思ってることの一つに因果論というのがあって。因果とは何ですか?って、そんなオドロオドロしいもんじゃないんだよ。オレンジを絞ったらオレンジジュースになる、っていう、ただそれだけの話でさ。たとえば、嫌いな人がいるとするよね。「あの人の話、自分は聞きたくないんだ」ってやってると、耳が聞こえづらくなっちゃう。言わなきゃいけないことがあるのに、言わないでいると、声が出づらくなっちゃう。逆に、人に言っちゃいけないことを言っても「やめなさい」って、声が出づらくなる。それか
最高についてるうさじです!みなさん、お盆休みはいかがお過ごしでしょうか?わたくしついてるうさじは休みなく働いております。休みが取れないほど仕事が忙しい。。ツイてますね〜。お陰さまで、お金は雪崩のごとく、わたくしのところに舞い込んできます。ありがたいことです。ところで、昨日は相方がパクチー系の食事をしたいと言うので、久しぶりに梅田茶屋町にあるベトナム料理店、BIAHO'Iで夕飯を食べました。半地下にある、このお店は、オーナーがベトナムに行ったときに食べた料理が美味しくて感動し、梅
1匹(コブラ)!2匹(ハクビシン)!3匹(クロちゃん)!ついてるうさじです。最近、会長宅に、コブラが2匹の仔猫を連れてきて、奥さんが用意した餌を食べさせています。多分、コブラの腹違いの仔猫たちと思います。2匹の仔猫たちは、慣れてきたせいか、背中や尻尾を触らせてくれます。野良猫の仔猫たちも、ここまで大きくなると家の中で飼うのは無理なので、コブラ同様、餌だけ与えるようにしています。コブラを主人公に絵本の原作を書いているのですが、これでストーリーをちょっと書き加える必要が出てきま
魂を成長させるために人は何度も生まれ変わります。人は、今世だけでなく、前世も来世もあると思うと、今世を大切に生きようとするものです。今世だけで終わりと思っている人のほうが、今世を大切にしなかったり、自殺を考えたりするものです。何かあったとき、地獄に行かないような考え方、天国に行けるような考え方で行動をとったとき、人はこの世でもしあわせになり、この世が天国になる生き方ができるものです。全ては、死ねばわかることです。死ぬ前にわかったあなたは、とても運のいい人ですね。「福の神がついてる人、
いつもいうように、働くとは、はただく(傍抱く)ことで、ひとが喜ぶように努めることをいう。わたしたちは、ひとを楽しくさせることが、大切だ。乗ってくれるひとがいるから、タクシーの運転手は成り立つ。タクシーがあるから、ひとは乗せてもらえる。どちらもが、相手によって、立ててもらっている。立て合っているというのは、このことである。「この実をば、サルに食わせて、その身をば、サルに食わせてもらう、サルひき」という歌がある。世の中は、みんなこの通りで、立て合い、助け合いで成り立つ。これを忘れて
明日があると思うから、死にものぐるいでやれない。力が出しきれない。そうして、明日がくると、また、その明日に望みをかけ、結局はなんにも努力しないで、一生を終わるようになる。今日、できないようでは、明日、できるはずがない。今日という日は再びまわってこない、と知れば今日というこの一日が、かけがえのない日であることが悟れるはず。何もしなければ、その日だけは、死んだことになる。死んだ日が、いくらもあるようでは、80年生きても実際は半分も生きたことにはならない計算だ。悪因縁を残さぬように生き抜
いつ死ぬかも知れない。だから、明日があると思っていたら、とんだ間違い。今日一日を生涯(かぎり)と心得て、努める。今日だけと思えば、なにごとにも、親切にさせてもらえる。相手が死んだあとでは、なにをしてあげても役に立たない。生きているうちに、親切にしてあげる。また、今日一日と思って、あとに心の残らないよう、なにごともさせてもらうことが大切だ。今日一日と思えば、やりたいこと、やらねばならないこと、いっぱいある。懸命に励まずにはいられない。蓮(0号キャンバスに油彩)ついてるうさ
ついてるコブラです。じゃなかった(・・;)ついてるうさじです。瀕死の重傷を負ったコブラですが、会長の奥さんの手厚い看病のおかげで完全復活しました。あれだけ酷い傷も化膿せずに、完全に傷口はふさがりました。ついてるね〜、コブラ。心配して頂いた読者の皆さんにも感謝します。う〜ん、ちょっと顔が穏やかになったかな?それでも、いい面構えです。会長がお気に入りだけのことはあります。最近、このコブラを主人公にして絵本用の物語を書いていますが、なかなか絵を描く時間がありません。私の夢ですが、
地獄に行っている人がいるとしたら、その人が知り合いだとしたら、「かわいそうだ」と思う。とくに自分の身内とか、ご先祖でそういう人が、もし、いるとしたら、なんとかして助けたくなるのが当然だって。・・・・この世では、犯罪を犯した人は刑務所に入る。そこで反省して、「もう悪いことはしません」って、心を入れ替えて世の中に出て行く。今後、まっとうに生きていける人間になるため刑務所に入るんだよな。地獄もそれと同じなの。生きてたときに自分がやったことを反省して、心を入れ替えてまた出て行く。そのため
ついてるうさじです。仕事も忙しく、なかなか休みが取れない状態でしたが、今日やっと休みが取れ、高野山までお墓参りに行ってきました。高野山の気温は約25℃で、我が家のエアコン効いた部屋よりはるかに涼しい。お墓参りをすませ、帰りは関空周りで帰りますが、途中、紀ノ川市の藤桃庵に寄って、桃パフェを食べます。ここの桃は減農薬の自家栽培で皮ごと食べられます。その桃が丸ごと一個乗った桃パフェは絶品です。う〜〜ん、パフェ好きの私にとっては最高の幸せを感じるひとときでした。大変、美味しゅうございました
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)。お釈迦さま(ブッダ)が、生まれてから、七歩歩いて、天を指して言ったといわれる、有名な言葉です。当たり前ですが、私たちが生まれたのとは、ずいぶん違います。やはり、すごい人は生まれたときから違うんです。「天にも地にも我より偉い人間はいない」この言葉には、深い意味があるのです。でも、お釈迦さまは一回しか言っていません。いつも言っていたのではないんです。いつも「俺は偉いんだ」と言っているやつがいますよね。とくに一杯飲んだりすると・・・
超成功者、超お金持ちが教える、簡単なお金のため方です。お金に関心のない方、お金は汚いものだと思われている方、世の中お金じゃないよって思われてる方は、どうぞスルーしてくださいね。それでは・・・収入が月30万の人は1割の3万円を別に貯金してください。そうすると1年で36万円たまる計算になりますよね。お金を貯め出すと不思議なことにお金を呼び集め、加速して増えていきます。1年で36万、10年で360万と思うでしょうけど、お金はお金を呼び集める性質があるので、実際にはもっと増えるのです。お金
苦しい時に受けた情(なさけ)、いたわりほど、身にしみて一生忘れられないものはない。楽な時には、それほどに思わない。だから、ひとが苦しんでいる時は、見て知らんふりをせず、温かい言葉を、そっとかけてあげる。ほんのちょっとした親切が、万金に勝るいたわりになって、言った本人はそれきり忘れてしまっているのに、受けた方のひとは、その一生を変えることだってある。ついてるうさじです。関西は梅雨明けしたのかな?それにしても、大阪は蒸し暑いです。上の茶トラは、預かった保護猫が里親さんにもらって頂いてか
ひととひととの交際(つきあい)は、正直が大切である。こっちが、正直で通す。向こうは、その正直を受けて喜ぶ。早い話が、正直のやりとりだと思えばよい。こっちが「正直」という品物をあげる。相手はお礼をこっちにくれる。そのお礼が、信頼(しんらい)である。そうして、仲よくなって、しっくりいくのである。こっちが、出すものを出さずにおいて、相手から、なにかお返しをもらおうというのは、おかしい。正直という品物は、お礼ほしさでは、ひとにあげられるものではない。ついてるうさじです。相方が、前回
ぽかんとして運が向いてくることはない。その道に長くいれば、それだけで、うでが上がるものではない。道に入ったら、懸命になってやる。努力だ。しかし、努力だけでは足りない。研究だ。そうして、なんでも経験していく。そうすると、小さいことまで、身についてくる。一芸一道にすぐれたひとが、やるように、一目でパッとわかるようになるまでには、努力と研究と徹底の、長い長い月日がかかっていることを見落とさないように。中途半端が一番いけない。ついてるうさじです。この時期になると、駅の改札やスーパー
ついてるうさじです。むし暑いですね〜(・・;)きのうの夕食は、仕事のスタッフと、難波のふく料理店で、てっちりを。。なぜ、この暑い時期に鍋物?わかりません(・・;)思いつきです。暑さで、思考能力が衰えているのかもしれません。でも、この暑い時期に、エアコンの効いた涼しい部屋で、鍋物もオツなものです。禁酒を始めてから、一年以上過ぎましたが、今回は、自分の魂にお許しをいただき、プレミアムモルツの中ジョッキを一杯だけ。テッサとフクの皮の湯引きと生ビール・・う〜〜ん、生きててよかった。。
うそでもいいから、善いことは、まねするといい。まねしてるうちに、それが、ほんとうになってくるもの。「うそから出た誠(まこと)」という言葉は、時と場合によって、真理(まこと)である。だからといって、うそをついても構わないと言っているのではない。善いことはまねよ、とさとしているのだ。北海道帯広(落書き帳に水性ペン)ついてるうさじです。上の画像は学生時代、長い夏休み、アルバイトで貯めた費用で北海道一周、縦断、横断し、風景をスケッチしたものです。当時は、スマホやデジタルカメラ
親という字は「立つ木を見る」と書く。木の幹は、根から養分を吸い上げ、枝をはり、葉を茂らせている。そうして枝をも葉をも、みな楽しく、働かせている。もし、幹が養分をすっかり吸い取ってしまったら、枝も葉も枯れる。その結果、幹も栄えることはできない。幹はそれを知っているから、枝の生きていけるように、養分をひとりじめにせず、たっぷり送るのである。これが、親のすがたである。子を生んだから、親とはいえない。みんなを喜んで働かせていくのが、親である。昔の親分とか親方というのがこれである。ひと
人間ってね、魂は死なないの。生まれ変わりがある。「来世」というものがあるんだよ。ということは、当然「今世」がある。「前世」というものもある。前世では何度も何度も、いろいろな人生を生きてきたんだ。来世もそうだよ。次、次、次と、魂は何度も生まれ変わりを繰り返す。だとしたら、人殺しだとかってバカバカしいの。だって、相手は死なないんだもん。相手の魂はあの世に行って、また生まれ変わって自分の目の前に出てくるんだよね。それなのに、この世で殺人罪を犯した自分は、何十年と刑務所に入って、一
小さい子に、ばけものの話などをして、知らず知らずのうちに、恐れを植えつける親があるが、よくない。子にいい結果を生まない。おばけの話をすると、いちばんたやすく、子をしつけることができるものだから、親はそれをするのだが、そんな親は、子のしつけには、なまけているのだ。もっと子のために、いいやり方を工夫することを怠っているのだ。時間はかかるが、子のためになるやり方を、工夫するのが親の使命である。親は何気なしかも知れないが、小さい子に恐れを強く植えつけると、子は内気で、ひっこみがちの大人に育って
こんばんは♫ついてるうさじです。相方が美味しいからと夜食用にレモンラーメンを買ってきてくれた。ローソンのカップ麺と言っていたが、よく見るとローソンのオリジナルではなく、寿がきやと書いてある。カップ麺など、暫く食べていないが、寿がきやのカップ麺なら期待はできそうだ。フタをめくると液体スープ、あと乗せかやく、チャーシューと薬味が入った3種類の小袋が付いている。その小袋の中身を麺の上に乗せ、熱湯を容器内側の段差のついた目印のところまで注ぎ込む。お〜〜っと、あと乗せかやくも入れてしまった。
人は死ぬとあの世に行って二つの質問をされるんだよ。一つは自分の人生を楽しんできましたか?それと、人助けしましたか?これだけしか聞かれないの。だから、オレは、今の人生は楽しく生きるようにしてるし、自分のできる範囲で人助けするの。「人助け」っていうと、みんな、ヘンにかしこまっちゃうけど、みんなが思うような、そんな大仰なことではないんだよ。「最大の人助け」というのがあってね。それは、上気元でいること。自分が機嫌よくしてることが、最大の人助けなんだよ。部長がイライラしていたり、社長が暗