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10月17日火曜日の夜に《哲学の部屋第三夜》を開催しました✨第三夜のテーマは『これからの「正義」の話をしよういまを生き延びるための哲学』読後感想ディベートこの夜の食事は〈哲学飯〉鶏肉のハーブグリル、ボロネーゼソースのニョッキ、バケット、秋野菜のコンソメスープ《哲学の部屋》はビブリオバトルのスピンオフイベント前半はそれぞれの読後感を聞きながらクロストークが熱く展開されました正義とは自由とは何か平等をめぐる議論についてアメリカの抱える問題、世界の抱える問題、そして日本の抱え
対話のできる人が少なくなった。一方的に話して、一方的に聞いて、それで「お互い」が分かり合えるなんて。あり得ないことなのに、「そういうことに」しておこう、と打算と妥協を生産してしまう。しばらくして、また同じことを繰り返して、顔を合わせただけで話が前に進んだと錯覚してしまう。そして、やっぱり、「分かんねぇ!」なんてことが日常の、至る所でみられる。オープンダイアローグの開発者の一人であるヤーコ・セイックラは、「対話実践の本質は、他者の声を無条件に承認することにあります。そうすること
「『待つ』ということ」鷲田清一【感想】「待つ」ということ-鷲田清一-電子書籍ストアブックライブ【無料試し読みあり】「「待つ」ということ」(鷲田清一)のユーザーレビュー・感想ページです。ネタバレを含みますのでご注意ください。booklive.jp書評を読んで既にめちゃくちゃ考えさせられました…。「すぐ使える!」「3分で分かる!」といったように、現代では即効性のある物事が重宝されています。今は、昔に比べて「待つ」ことについて不寛容になってきた傾向がある、かも
【水野良樹のHIROBA:鷲田清一との対談】いきものがかりの水野良樹さんが、HIROBAの新公式サイトに、鷲田清一さんとの対談を掲載していた。https://hirobaweb.com/washidakiyokazu_1/以下は一部抜粋。鷲田さんに”場”について聞いてみる水野:僕はいきものがかりという音楽グループで世に出たのですが、HIROBAというプロジェクトもしていまして。小説家や詩人、俳優や芸人など、音楽とは異なる分野で活躍される方とお話をしたり、ときには
新聞というのは、きちんと読んでいるとなかなか面白い「文章」が思ったよりあったりします。たまにこのブログでも、「おっ!」というコラムについて記事にして紹介しています。ただ、だいたいのコラムは持ち回りで何人かが書いていて「この人っ!!」というその人が、いつ執筆するのか不明。今時ですから、そんなの調べればすぐ解明できそうなのですが私は「天然系」なのでか、大雑把な性質なのでかそもそも、そこまで調べようという考えすら持ち合わせてない。中
いつもお支え頂き感謝しております。何とただいま授業中ですが、桐蔭・向陽適性テスト作文対策授業ライブ配信!させて頂きました。ちょうど10年前(34歳の時ですね。)に同じ作品の解説をした動画があります。良い作品は10年たっても輝きを失わないどころか、重要性を増していくものですね!とても大切なテーマだと思いますので、お手すきの時に是非ご視聴ください!以上です。ありっがとうございました。中崎塾中崎一樹
私が菊地信義という名前を知ったのは、二十代の後半だろうか?知るに至った頃と、本の[装丁]に興味を抱いた時期が重なる。「この本、いいな❗」って思う本の表紙カバーの装丁はほとんどが菊地信義さんの手になるものだった…………そんな時期だった。朝日新聞の鷲田清一の「折々のことば」にかなり前に紹介されていた菊地信義さんの言葉。[余白]というスペースについての言葉。余白…………深いね。どのジャンルにおいても余白は深い。……………………本の装丁に話を戻すと、私が
台風が近づいてきている。近江の地は少しそれるようだが、円の右側にあたり油断はできない。朝から雨は降りまくり風も強い。もちろん滋賀県内の鉄道はすべてストップしている。この状況下で朝から働きに行かれる働いておられる方はいる。たとえば、新聞配達の仕事をされている人。私も小学校の6年生の頃、約10ヶ月、毎日毎日新聞配達をしたことがある。毎朝毎朝早く起きて毎朝毎朝配り続けることの[しんどさ]、物事を[続ける]ことのしんどさを小学校6年生にして痛感させられ
「感覚はときに、わたしたちの知性をきづく歪ませたり、彎曲させたりするが知性をさらに厳密にするために、それをしずかに後押ししてくれることもある。ほのかに伴奏してくれることもある」鷲田清一感覚の幽(くら)い風景重度の活字中毒者なので、それなりに本は読んできたつもりだったがこんなに恐怖を感じた本はなかった。敗戦直後に小学校3年だったとあるのでかなりの高齢の女性なのだろう。NHKのアナウンサーだったという。これだけ世界を呪
昔、養老孟司さんの講演が動画サイトに上がっていたので聞いた事がある。内容はこんな感じ。酷いイジメを受けていた学生の日記を本で読んだ。そこには花鳥風月が一切ない。花であり、鳥であり、風であり、月であり……自然が一切出てこなかった。書いてあるのは人間関係の事ばかりでウンザリしてしまった。私たちは「人間以外の世界」を半分持っていなければいけないのではないか。人間の価値観が通用しない世界を持っていた方が生きやすいのではないか。ちょっと不正確かもしれないが、ニュアンスとしてはこ
今日の朝日新聞、鷲田清一の「折々のことば」は、映画作家の想田和弘さんの言葉。↓「本人確認できる手段は複数ないと大変なことになると思います。」(想田和弘)私もこの意見と同じような思いを抱いている。マイナンバーカード1つきりにする必要が私には理解できない。健康保険証は廃止なんかにする必要はない。運転免許証にしろパスポートにしろこの種の本人確認できるものをはじめて手にした時、私は単純にものすごくうれしかった‼️(笑)もらってから幾度も幾度
今日の深夜、気づいたら、2時間近く、鷲田清一特集を読み進めていて、もう遅い時間だから、今日は読むのはやめて寝ようと思って、文章の終わりまできた時、「おっ!」ある学生の質問に対して、鷲田さん、こう答えている。「とにかく、人の佇まいには、とても関心があります。眉毛の整え方から靴まで」じろじろ、みてるそうな。同じだ!自分と。眉!「ジロジロ」は通報されたらえらいことになるから、見るのは、すれちがい様の一瞬だけど。いろんな形、カーブの眉毛を見ると、鏡の前で、真剣に取り組み、今
読書中・「あたまで弾くピアノ」を最初から読み直し、そのアドバイスの意味を、深く探ろうとしている。・「シンクロと自由」・そして、昨日、学園都市の本屋で見つけた、青土社の「現代思想」の「鷲田清一」総特集。前から気になっていたひとで、目を開かせてくれることばを文章のあちこちに、現出させている人だった。たくさんの人が鷲田さんについて語っている。今の仕事に繋がる彼の「臨床哲学」のみならず、ファッション、・・・さまざまな分野の現象、本質についての語りは自分にとって、とても貴重なものになって
ちょっと前の朝日新聞、鷲田清一「折々のことば」に詩人の長田弘の言葉が紹介されていた。「人は大人になって、高さを忘れる。平行になじんで、垂直を忘れる。」(長田弘)なるほど‼️まったくもって今の私だ‼️(笑)あの低い低い公園のジャングルジムの高さにもこの頃上ったことはない‼️‼️[平行]だけに馴染みすぎている。まったくもって[横移動]だけだ。高いところに垂直移動しないのはやはり[老化]だ…………長田弘さん、「国語」の教科書にも載る
これ好きなんだけど。この気持ちわかる?『わからなくていいからそばにいて』わからなくてもいいからそばにいて欲しいそんな気持ちあるなぁあるある(´-ω-)σこれ好きでなんか好きなのです。私結構この気持ちあるなぁこの気持ちわかる人そばにいてって感じちょっとでいいから。あと人を好きになりたい好きな人作りたい作るものでもないじゃん?いないのが寂しいなぁあともうひとつ気になることばがありまして同じく折々のことばより折々のことば好きなんだよね。時々難しいけど私が好き
○今日の良かったこと・楽天で注文していた本が届いた。・一週間ぶりくらいににジムでランニングした。・久しぶりにカップラーメン食べた。○ヤモリ家にヤモリがいた。朝、仕事に出かけるところで、遭遇してしまった。めちゃくちゃビビった。○鷲田清一最近、鷲田清一の本をちょこちょこ読んでる。今日届いた本も鷲田清一のものだ。鷲田清一の文章を読んでると、考えさせられるな〜と思うことが多い。一回読んだだけじゃイマイチ意味が分からないので、2〜3回読んでる。幸い、文章はエッセイくらいの文量で短く
高校時代、私の苦手としていた科目は、数学、英語が何よりもツートップ(笑)。そして、今、国語教師だというのに、古文と漢文も苦手としていた。私は実は小学生の頃、ボーイスカウトに入っていたが、高校の漢文の先生は、偶然にもそのボーイスカウト当時にボーイスカウトの件でお世話になった人だった。その漢文の先生は、ある時、黒板に大きな字で「独生独死…………」と書き出した。その「独生独死」の次に確か「…………独来独去」と、書いた。「独来独去」だったか「独去
かなり前の朝日新聞、鷲田清一「折々のことば」にこのような言葉が紹介されていた。「花の良いところは必ず枯れるところだと思う。」…………朝、眠い目をこすりながら朝刊を目にしていて、この言葉がなんか心にひっかかった。(笑)普通、この「折々のことば」を読んで、私の心にひっかかり忘れられなくなる言葉は、だいたいたいていが長く生きている人の言葉である。人生の先輩の言葉である。この言葉は誰のものだろう?って作者名を見ると、[くどうれいん]とあった。くどうれいん…
私のこのブログは8年目に入っている。先週までの投稿数は417本にもなった。読者は親しい友人や知人がほとんどだ。しかし、かなり前からずっと読み続けてくださる「ハンドルネーム」しか存じ上げない方もおられる。76歳のただ長いだけの”暇つぶし”のブログにもかかわらず、お読みいただくのだからありがたいことだ。(2016年6月に撮影した明治神宮菖蒲園。すぐ近くの原宿で働いていた時期があったので、毎年この時期になると出かけていたが、ここ数年は行っていない。
○今日の良かったこと・本をよく読んだ。「ソフィーの世界」「パラレルな知性」「ハリーポッターとアズカバンの囚人」を少しずつ読み進めた。・アニメをよく見た。「Dr.STONE」「地獄楽」を見た。・今晩の「だが、情熱はある」が楽しみ・平日の晩ごはん用の作り置きをつくった○雨今日は1日中雨だった。小雨の瞬間を見計らって、自転車で図書館に行こうとしたが、道中で雨が強まり、引き返した。その後は、家で本を読んだり、アニメを見たりした。○ハリーポッターとアズカバンの囚人ハリーの命を付
今日は6月9日、[ロックの日]である。ロック…………私は近頃の日本の若手のロックバンドはわが息子からの情報などによってけっこう知っているが、洋楽、外国の若手のロックバンドについてはまったく知らない。これって、ものすごく不思議だと思う。少なくとも、私が高校生、大学生、20代だった頃は、ロックといえばもう絶対的に外国のロックバンドだった‼️……………………さて、ロックの日の6月9日からちょうど1ヶ月前、朝日新聞、鷲田清一の「折々のことば」は、小説家
先日の朝日新聞、鷲田清一の「折々のことば」には、我らが健さん、高倉健の言葉が紹介されていた。「その人の心意気を垣間見たとき、僕は美しいと感じます。」そして、美しさとは「他者に対しての優しさ」ではないかと、健さんは続けたという…………心に染み入る。不思議だ。似たような言葉は、私をも含めいろんな人が口から発し、文章に綴る。でもなかなか心に染み入るようには入ってこない。でも、高倉健の言葉はずしりと重みをもって届いてくる。この[違い]はなんなのだろう
先日、朝日新聞の鷲田清一の「折々のことば」に、もうもうさっそく今夜も10時から第4回目が放送されるドラマ、「日曜の夜ぐらいは……」のヒロインのセリフが紹介されていた。あの哲学者の鷲田清一氏も「日曜の夜ぐらいは……」を見てるんだ‼️(ワオ~)……………………昨日は来来亭のカレーラーメンを紹介したが、来来亭は滋賀県からスタートして関西、中部エリアに展開している。この前、[チャーハンがおいしいラーメン屋]を某番組で特集していて、来来亭のチャーハンは第
鷲田清一さんの「折々のことば」に紹介されていた文化人類学者川田順造と作曲家武満徹の往復書簡「音・ことば・人間」1980年1月に刊行されたものの新書版である1992年11月の第1刷であるもちろん現在は廃刊となっているため、古本を探したというわけだ文庫版もこのあと出たようだが、その文庫版はとっても安い価格となっていたが、状態の良い新書版を選んだ少しのシミなどがある程度だが、本を開くと古本特有の紙の匂いがする読む前から装丁をまじまじと吟味してみたり、同じく作曲家湯浅譲二が書いた解説を
人の悲しみ。人の悲しみ。人の悲しみがわかる。人の悲しみを自分のことのように感じられる。………………小説にしろ演劇にしろ映画にしろ音楽にしろ絵画にしろ、そのベースには「人の悲しみ」ということがあるような気がする。私はいつもそう思っている。先日このブログのレギュラー、朝日新聞の鷲田清一「折々のことば」に、そんな私の思いとまさにまさにドンピシャな言葉を目にして驚いた。その言葉は日本の数学者から発せられている。「道義の根本は人の悲しみが
何日か前に感想を書いた坂本龍一氏と天童荒太氏の対談本「少年とアフリカ」の中で紹介されていた「聴く」ことの力:臨床哲学試論(ちくま学芸文庫)Amazon(アマゾン)625〜4,825円↑この本。タイトルの通り「聴く」ということについての本です。臨床哲学試論というサブタイトルがつけられています。実に重厚な内容で何度も読み返したらその都度、新しい学びがあるような本なのですが図書館から借りた本なので残念ながら、そろそろ返さなくてはなりませんこの本
くまざわ書店で現代思想五月臨時増刊号総特集鷲田清一購入寄稿者の面々の本格派具合に悶絶
2023.4.29おはよう御座います😃2年前の今日のフェイスブック📚読書記録から転載します🐰〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜2021.4.29こんにちは🍃晴耕雨読で今日はゆっくり読書してます🍃鷲田清一さんの「くじけそうな時の臨床哲学クリニック」ちくま学芸文庫950円+税を読み終えました📚2021年読書記録54冊目。以下本書から一部引用します。〜〜〜〜〜〜〜〜人生は複線で3月は卒業シーズン、そして定年退職の季節である。定年を迎え、何をしていけばいいのか途方に暮れているらしい人は、私の周りにも少なから
【「待つ」ということ】先日、鷲田清一著『「待つ」ということ』(角川選書)を読んだ。以下は、一部抜粋。(その1)まえがき待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。待ち通しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかな、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず・・・・・・。だれもが密かにもってきたはずの「待つ」という痛恨の想いも、じわりじわり
先日の朝日新聞、鷲田清一の「折々のことば」にこんなのがあった。↓「どこへいっても、なにももっていなくても、身につけたおどりが一生の財産よ」(エリアナ・パヴロバ)こういう[一生の財産]を身につけている人がうらやましい‼️どこへ行こうがどこにいようがお金なんて持っていなくてもその身につけているもので生きていける素晴らしさ、たくましさ。そして、そういう人はまわりの人たちをハッピーにさせる。ついこの間、あのピアニストのハラミちゃんがパリ