ブログ記事99件
こんばんはゆももです今日はいよいよ父の手術。手術室に入る時のお見送りはOKとのことで母、叔母、姉が病院に行ってきてくれました。残念ながら私は仕事。なので母は逐一病院での様子をLINEで連絡してくれました。午前中のお仕事終えてスマホ見ると予想通り心配症の母からのLINE。聞いていた1時間半〜2時間っていうのは手術のみの時間なんやないの?そのくらいかかるやろ…しかし手術室に入って4時間も経つとなんか私までだんだん不安になってきてソワソワ…。夜…また母と会いま
今日旦那さんは一昨年の12月に手術をした頸動脈の術後経過観察でMRI検査を予約してお休み・・のはずなんだけど〜仕事が立て込んでるから病院のあと、出勤するって。神奈川県のコロナ感染者の数が過去最高を更新しており今このタイミングで受診するのにかなりビビって除菌スプレー持参検査が終わったと、LINEで報告が。脳も血管も異常なし。薬も飲みきって終わり次は7月に検査だってー❗️ホッとした〜大動脈瘤破裂の後から処方されてる血圧コントロールのお薬も沢山更に頸動脈の術後も処方
こんばんはゆももです今日は気持ちよく晴れました。清々しい朝でした。しかし…頭の片隅にずっと父のことがあって気持ちが晴れません…。ついに昨日父が入院しました。以前ブログにもあげてた頸動脈狭窄症の手術のため…。↓↓↓父の頸動脈狭窄症のブログ『父の頸動脈狭窄症・再検査*〜両親の思い出話』こんばんはゆももですうちの桜『関山』さんも紅葉でようやくオレンジの葉に色づきました!でも残り少ない葉っぱ…さて。今日は父の病院の付き添いでした。頸動脈狭窄症で…ameblo.jp入院日が近づ
こんばんはゆももですうちの桜『関山』さんも紅葉でようやくオレンジの葉に色づきました!でも残り少ない葉っぱ…さて。今日は父の病院の付き添いでした。頸動脈狭窄症で再度エコー検査してもらうとやはり詰まりが90%以上血流も2m50とかなり速くなっている?とか。やはり手術は避けられないようです。手術法として…一つ目は首切って頸動脈を露出させて分厚くなった頸動脈の血管の壁を取り除く二つ目は足の付け根からチューブ入れて頸動脈の内側から風船みたいなので血管広げて金属の
こんばんはゆももです父の頸動脈狭窄症。病院で今の病状やこれからどんな検査・治療するのかなどの説明をよかったらご家族で聞きに来られて下さい。とお医者様に言われたそうで…姉と私…母に呼び出される。ゆもも家総出で病院へGO!病院に向かう道中姉妹の会話に入れない父は私たちの間に割って入って全然関係ない話題を振ってきては会話を中断させようとするも…会話やめない私たち。話聞いてもらえてないのに一人で喋り続ける父。父は一度話し始めたらたとえ人が聞いてなくても
こんばんはゆももです今日の昼母からLINEが来ました。あ、これは父の話で首の動脈が詰まり出してると言われて数年前から血液サラサラの薬を飲んでました。半年に一度定期的に定期検診に行ってましたが今回かなり進行していたとのこと。歳も歳だし手術はリスクが高くなるので出来るだけお薬で改善…それか現状維持出来れば…と思っていたんだけど…私がLINE見た直後母からすぐ電話が…。3泊4日の検査入院をいつにするか病院に行って相談せないかんけん病院行って相談しなきゃいけない
コロナさんに出会いませんようにと願いながら通院です。病院の入口には、白テントができてました。きっと発熱外来になるのかな?と推測。今日の血液内科は、採血のみでした。採血で、お隣に座った薄着のおじいちゃん。看護師さんに「体温下がるとねー免疫も下がっちゃうからねー」と、言われてるのを聞きながら(そうだよね〜体は冷やさない方がいいよね〜)と思いつつ、私はホットタオルで腕を真っ赤っかに温められ、やっと血がとれ、看護師さん「時間かかってすいません」私「なかなかとれなくて、すい
最近お腹の調子もよかったのですが今日久しぶりに腹痛におそわれました。今日は父が頸動脈狭窄症のステント手術の為私は病院で待機していました。父は検査の数字上では手術が必要ですが本人は元気だった為今まで手術を先送りにしてきました。手術にはリスクが伴いますので手術をした為に脳梗塞を発症することもあり得ます。先生の事を信頼していましたので大きく心配はしていなかったのですが手術が始まり待っている間急に不安や緊張が高まり腹痛が始まりましたストレスからの過敏性症候群だ
日々、コロナが心配ですね。人の多い所には出掛けてませんが、昨日は脳神経外科の通院でしたので、病院へGoToでした。頸動脈狭窄症で、左頸動脈にステントを入れるカテーテルをしてから、2ヶ月半がたちました。ので、頸動脈のエコーと、レントゲンをしてきました。昨日の朝、胆嚢炎の痛みは治った父に、今度は痛風の予兆が・・・(ー“ー;)私の通院は午後からなので、「午前のうちに病院に行こう」と言ってもガンとして、聞かなくて。はぁ(ため息)もうほっとくしかない…杖をついて歩いてる(´Д`)最
以前書きましたが。術後2週間で左半身が少しでも動かないと、それ以上の回復は難しいだろうhttps://ameblo.jp/yomoko0616/entry-12632255753.html『医師から言われたこと』手術後翌日の医師との面談で言われたことです。今完全に左が麻痺しています。でも脳の画像(MRI)では、ここまでの麻痺がでるような梗塞は起きていません。ただ、…ameblo.jpと言われていました。それもあって、神頼みもしていたのですが、術後8日目。お
転院先探しの話ばかり書いていたら時系列がグッチャグチャに術後5日目に戻りますコロナのせいで毎日はお見舞いに行けない私達。父に会ったら会ったで泣いてしまうし、落ち込むのですが、会えない日は会えない日で心配で落ち着かない・・・。父の症状はもちろん心配ですが、母のメンタルの方がある意味もっと心配・・・。ということで、お見舞いに行けないこの日は、いつも初詣で行く、近所の神社にお参りに行ってきました。お守りを買って、お参りをして・・・。おみくじは良くない結果だと凹むので
第1希望のA病院、第2希望のB病院とも満床・・・という事実に打ちのめされた私達家族・・・。一応第3希望は保険としてあるものの、やはりなんとか第1か第2希望に入れたい!と思い、出来ることは全部やってみることに。父にとって良い病院に入れたい、というのはもちろんですが、それと同等かそれ以上に、「あの時、もっと頑張って病院探しすればよかった」とか「あの病院に入れていれば・・・」とか、そういう後悔をしたくなかったからです。で、出来ることって何と言いますと、それはあま
急性期病院の医師からは「症状が落ち着いたら、うちの転院担当の看護師とソーシャルワーカーから転院のご相談をします」と言われていました。でもそれっていつなの?と特に私達が第1希望にしていたA病院は、「発症から1ヶ月以内の申し込みが必要」という条件がありました。(例外もあるようです)だとしたら、待ってる余裕なんてないのでは?と焦ってしまい、主治医に電話して早めにソーシャルワーカーさん達との面談をセッティングしていただくことにしました。その後、転院担当の看護
転院先を探す際に、参考にしたものの中に、「口コミ」があります。・病院の口コミが投稿できる情報サイト・アメブロを始めとした個人ブログ・SNS(特にインスタ)・googlemapの口コミ更に、看護師さん、介護士さん等の求人サイトや口コミサイトまでチェックしました。色々チェックして分かったのは病院の口コミって難しい・・・ということです。極論、自分や家族の病気が治れば良い病院だし、治らなければ悪い病院なんですよねなので、口コミを参考にする際には取捨
インスタで色々な情報を頂いた中で、一番気になったのが、「家族が以前勤めていた○○病院は土日もリハビリがあったけれど、今勤めている病院は土日のリハビリがない」というものでした。土日にリハビリがないと、せっかく月~金まで頑張ってリハビリしても、土日の間に動かさないことで、月曜日には体が固まってしまって、患者の負担が大きくなる・・・ということのようです。さらに、「病院によっては、夜勤の見回り対応は看護師ではなく介護士がおこなっていて、オムツの交換も原則しない」とか
父の病状が落ち着けば、今の病院から転院しなくてはいけない、と知って、本を読んだりネットで調べたりするのと同時に、私が頼ったのは・・・Instagram(以下インスタ)でした私は趣味関連のインスタをしていて、フォロワーさんが1000人くらいいます。ただ、ひたすら趣味のネタしかpostしていないアカウントなので、関係のないプライベートな話をすることに、迷いはあったのですが、ストーリー(1日で消える)で、父の状況を説明し、「どなたか東京近郊で、良い回復期リハビリテーション病
前回おすすめした本がこちら。身近な人が脳卒中で倒れた後の全生活術誰も教えてくれなかった90のポイント[待島克史]楽天市場1,760円これをとりあえず読み出して、一番初めにエッとなったのが、今の病院から転院する必要があるということ。もちろん、この時点では父はまだ命の危険すらあり、絶賛治療中なので、転院なんてとんでもない!という感じなのですが、これ以上治療が必要ない、となれば今の病院(急性期病院)にはいられなくなります。こんなことすら私達は知らず、
術後5日目。今出来ること事は何なのかを考えた時、まずは知識を得ることだと思いました。インターネット上には色々な情報があるのですが、ありすぎてどの情報が私達に必要なのかが分からない。そこでまずは本を探してみることに。・脳卒中・介護・親等々のワードで検索し、その中からレビューが比較的良いものをピックアップし、2冊購入しました。身近な人が脳卒中で倒れた後の全生活術誰も教えてくれなかった90のポイント[待島克史]楽天市場1,760円
この日は次姉も一緒に病院へ。父は、意識はあって、私達の呼びかけに、呂律は回っていませんでしたが、一生懸命答えてくれました。ただ、朦朧としているのか、すごく昔のことを、うわ言のように言ったりしていました。(昔の同級生が向かいのベッドにいる、とか)主治医の説明では、寝ぼけているような状態で、この期間のことは、回復した後に聞くと大抵の人は忘れているそうです。それを聞いて少しほっとする私達。父が辛いのは嫌なので・・・。その後主治医と面談へ。次姉は理系の研究者だった人(今
医師から特例で2~3日に1回程度なら、とお見舞いを許可してもらいました。でもそれ以外の日は父に会いにはいけません。術後3日目はお見舞いなし。でも母も私も気になって気になって。ダメモトで病院に電話してみました。電話口に出てくれた看護師さん(この時は男性)に「○○の家族ですが、父の具合は変わりないでしょうか」と聞くと、看護師さんが「そうですね、特に変わりはないかな・・・・あ、ちょっと待って、話せるかな?」と。私はてっきり主治医の先生が近くにいるのかと思い、電話口で待
手術後翌日の医師との面談で言われたことです。今完全に左が麻痺しています。でも脳の画像(MRI)では、ここまでの麻痺がでるような梗塞は起きていません。ただ、皮質(脳の外の縁の部分。なみなみしてるところ)が白っぽくなってはいますが、これが原因とも言い切れない。ただ、どんなに画像が綺麗でも、症状として2週間以内に少しでも左側が動いてこないと、回復は難しいと思います。その場合は寝たきりになります。でも脳の画像を見れば、以前と遜色ないレベルまで回復する可能性も十分あると思っ
遅ればせながら、私のことも。箸休め程度にどうぞ私は都内の会社で働くアラフォー独身です。少し年の離れた姉が2人いる三姉妹の末っ子で、姉2人は結婚して子供もいます。そして姉2人はちょっとお堅いお仕事。2人共実家からまぁまぁ近く(片道1~1.5時間程度)のところに住んでいます。私は都心に一人暮らしですが、父の手術日からは実家(都下)に帰って母と暮らしています。とても母を一人にはしておけず・・・。また、入院や転院にまつわる諸々を母一人では出来ないと思ったので。幸い私の
父は79歳。母は73歳です。コロナ禍で、母が一人で手術に立ち会っており、手術室に自分で歩いて入っていく父を見送ったそうです。父に「手術頑張って!」と声を掛けたら、「おう、行ってくるよ」と軽く返事をしていたそう。それから数時間後の左半完全身麻痺という状況に、母のメンタルはドン底まで落ちました・手術を受けなければ良かったのではないか・他の病院だったら良かったのか・医療過誤があったのではないか・もっと健康管理をしっかりしておけばよかったといった後悔や疑念。そして
本来なら、父は1週間弱で退院出来るはずだったのですが、もちろんそういうワケにもいかず。本来なら病院全体でお見舞いは全面禁止なのですが、主治医からこんなこと(左半身完全麻痺)になってしまい、本当に申し訳ありません。本来なら面会はして頂けないのですが、私から病棟に話を通します。毎日は無理ですが2~3日に1回ならお見舞いにいらして頂いて大丈夫です。また、何かあればいつでも電話していただいて結構です。と言って頂きました。本当に有り難かったです。父は初めの2週間ほ
どんなに脳の画像が綺麗でも、父の左半身が麻痺してるのは事実。主治医を始めとする医師の方々も必死に原因を探りながら治療に当たって下さっていました。私も父の手術について母に任せっきりだったこともあり、必死で調べまくりました。するとどのHPにも書いてあるんですよね。「カテーテル手術の最大の合併症は脳梗塞で3~5%」と。(パーセンテージは多少前後しますが)母や姉は医療過誤を疑ったようですが、どう考えてもそれはないだろうな、というのが私の実感でした。主治医は何度も
医師からは「一時的に脳の血流が悪くなっての麻痺の可能性もあるため、一晩様子を見て、また明日MRIを撮ります」とのことでした。そして翌日。母と病院に向かい、医師から説明を受けましたが、なかなか納得し難いものでした。1.麻痺は治っていない2.通常なら手術中に、プラークが脳に飛んで脳梗塞が起きたのかと疑うが、MRIを見る限りここまでの麻痺(完全に左側が動かない)になるような所見は見えない3.脳の皮質(一番周りの波のようになっている部分)が全体的に白っぽくなっている
大学病院への紹介はとてもスムーズで、主治医がその場で大学病院の医師に電話し、次の日の診察予約を取って下さいました。そして次の日に大学病院へ。「やはり狭窄がだいぶ進んでいるが、父のような脆くて柔らかい血管の頚動脈ステント留置術(CAS)も、この病院なら問題なく手術出来ます。僕(医師)としても30例ほど手術していますが、全員元気に退院されています。」と心強いお言葉を頂いたようで、その約2週間後には手術をすることに。そして9/16。コロナ禍ということもあり、付添いは母一人。
2020年9月16日。79歳の父は右頸動脈狭窄のカテーテル手術(頚動脈ステント留置術(以下CAS))を受けました。2012年に左側の頸動脈をCASで手術していた父。8年経って逆の右側の狭窄が酷くなったようです。2012年以降、定期的に病院に通い、検査も受け、服薬も続けていましたが、今年の6月頃から「時々立ちくらみがする」と訴えていたようで、通院して検査等をしていました。更に8月には家で晩酌中に呂律が回らなくなり、手も麻痺が出たようで、母が救急車を呼びました。幸い
一昨日の生検結果(耳鼻咽喉科)は、来週まで聞けませんが、今日は脳神経外科の方へ。頸動脈狭窄症の経過受診で、行ってきました。カテーテルでステントを入れた手術から、3週間が過ぎました。カテーテルは、右足の付け根から入れました。頸動脈の狭窄部分は左だったので、左足の付け根から入れるものだと、勝手に思ってました。なので手術の時は(え?右だけど?大丈夫?間違えてない??)と、ちょっとアセっちゃった(笑)手術後は、付け根を押さえると痛かったけど、今はもうぜんぜん大丈夫(^ω^)(今は顎
タシグナの服用を始めて、6ヶ月を過ぎました。今のところアイクルシグの時のような症状も出ず、順調です今夜は、商売道具(理美容具)の展示即売会に出掛けてきました。慢性骨髄性白血病を診断されてから、ほぼ仕事してないけど、一緒に働いていた仲間に会うことが目的かな(^^)人の少ないオープン時間早々に会場に入り、さささっと見てきましたよ。皆から「体の具合、どお?」の質問を、一言で返事するのは、難しいけど、白血病は、急いで良くも悪くもならず頸動脈狭窄症は、カテーテル治療を終え、ステントを入れ