ブログ記事1,330件
今日は鎮魂の日。きっと、みくにに帰られた方々はこの賛美のようにかみのまもり汝が身を離れざれと、祈って下さってる事でしょう。主よ、憐れみたまえ❗️クリックお願いします
主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはあなた方のことを、いつも神に感謝せずにはいられません。というのは、霊によってあなた方が聖なるものとされたこと、また、真理を信じたことによって、神があなた方を救いへの初穂として選んでくださったからです。テサロニケの人々への第二の手紙2-13わたしたちが自分で信仰をもったのではありません。主がわたしたちを選んで導いてくださったのです。クリックお願いします
「おばさん」はダメで「おじさん」はOK?『麻生発言』追及の立憲民主党女性議員、過去のSNS投稿が物議醸す(中日スポーツ)-Yahoo!ニュース自民党の麻生太郎副総裁(83)が上川陽子外相(70)を「おばさん」と表現した発言に絡み、この問題を国会で追及した立憲民主党の田島麻衣子参院議員(47)による過去のSNS投稿がネット上で議論を呼んでnews.yahoo.co.jp一方でX上では、田島議員が2020年10月に「私たちは、菅おじさん内閣に絶望しています。高齢男性が閣僚に選ばれる
明日です!!今年初のおしゃべりサロン誰が来るかな??お待ちしています♬
彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせ、そのためモーセは災いに遭った。彼らは神の霊に逆らい、モーセは軽率な言葉を口にした。詩編106-32モーセが反逆の民のために行われる神の奇跡を疑ったために、約束の地に入れなくなったことを指します。最初、モーセは岩を打つときに疑ったのです。私たちの不信仰は、神を疑うことから始まります。クリックお願いします
社会でうまく働けない理由は第一原理に組織という概念を置いていないからです。誰でも、ご自分の中に何か一つでも大切にしていることがあると思います。それが、なんであれ、それに、組織という概念を第一原理として追加すればいいのです。組織の概念とは、具体的には、上からの命令や指示をきくことです。例えば、家族が大切だとします。それだけだと、社会でうまくやっていけないので、それに、組織を追加します。そうすると、家族も大切にしながら、社会で働くことができるようになるのです。他にも例を
前ブログの「宇宙の叡智」の「愛」について掘り下げます。「親子の愛」「男女の愛」が初歩の「愛」と書きました。キリストでは「隣人愛」でしょうか。この段階は、実はかなりハードルが高いのです。「親子の愛」や「男女の愛」だったら、私は大丈夫と思うかもしれません。「親子の愛」から紐解きますと、自分の子供と他者の子供の「愛」が同等であることです。自分の子供と、他の子供の愛情が一緒。ウチの子の方が可愛いなんて思うと、「隣人愛」には入れません。これ、大丈夫でしょうか
>わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)➡<新しい戒め>として<互いに愛し合いなさい>というものが与えられた。>あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。(レビ19:18)>あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない。あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない。(19:34)という「律法」はこのイエス
神を愛する者は神の似姿として造られた隣人をも愛することで神への愛を表現するのです。この事を忘れている人が多いように思います。目に見える隣人を愛せない人は目に見えない神を愛することも実は出来ないのです。ここをしっかりと押さえておくことが大切です。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(第一ヨハネ4:21新改訳)
主のご降誕、心より感謝いたします。キリスト教の愛は、感情ではない。意志の愛である。。その意志は信仰に基づく意志である。。だから信仰なしに人を愛することは出来ない。中略私のために神がしてくださった一つの出来事に気づきそれを信じることである。。わたしのために神がそのひとり子を送り十字架に付けて、私の罪の償いをされた。榎本保郎牧師著新約聖書一日一章よりクリスマスは、イエス様のご降誕を思い感謝する日。神様がこれほどの意志をもって
クリスマスのブログにはここ数年、聖書からイエスの言葉を載せてきました。イエスの言葉は2000年も前に語られたもの。にもかかわらず言霊のパワーは落ちることなく、世界の人々に届いています。裏を返せば、これだけ時間をかけても人は真実にたどり着けなかったとも言えるでしょう。イエスは神の独り子と言われます。僕は、イエスは計り知れない愛を持つ人と思っています。決して特別な聖人などではなく、言うなればイエスこそ真の人間なのです。私たちもイエスと同じ人間です。ただあまりにも
良い人に見える。一生懸命伝道する。そこは感心する。だが、マンションの電話番号をゲットして電話伝道するのはいけない。プライバシーの侵害だし、相手は良く思わないだろう。伝道するのに手段を選ばない。伝道の動機も伝道時間が決まっていて、その要求を満たさないといけないから。隣人愛なんてこれっぽちもない。うそではない。やっていたぼくが言うのだから。
ウチから駅までの道に。もうこれでどれくらいになるのだろう。3ヵ月くらいは経つのではないかと思うのですが、フトン、掛布団が一枚「落ちて」います。茶色のフトンカバーがついたままで、最初に見たときには、干してあったフトンが風で飛ばされて落ちたのだな、と見えて、すぐに落とした人が回収するだろう、と思っていたのですが、ずっとそのままです。もう何度も雨に打たれているし、フトンとしてはもう使いものにならないだろうという感じですが、わからないのはいったい誰が落としたのだ、ということです。小さなものではありま
昨日12月13日、札幌友の会のクリスマス礼拝の説教の依頼を受け、「あなたにとって隣人とは」のテーマで、メッセージをしてきました。多くの方が、熱心に聴かれ、その後の質問は、例年になく活発なものだったようです。感謝な時間でした。友の会は、日本の女性ジャーナリストの先駆けといわれ、熱心なキリスト者である羽仁もと子(1873~1957)によって設立された。彼女は自由学園、婦人之友社の設立者でもあります。国内に17か所あり、1万5千の会員がいらっしゃる。社会的活動と並行して、各例会では、羽仁もと子著作
2023/12/14のクレイ2023年12月14日|Clay【クレイ】聖書を読む「底ぢから」を育てましょう。マルコの福音書10:17~22message-station.net‼️Clayは当日から10日前の分までのみ読むことができるみたいです。‼️今日のクレイはお早めに読まれることをお勧めいたします。🌷覚えメモ引用(1)この箇所は、業わざによる救いを教えているのではありません。(2)持ち物を売るとは、神への信頼の実践です。この若者は、律法を守っていると言いな
今日はFEBCと言うキリスト教放送局のサイトで礼拝の音源を聴いて礼拝しました。下をクリックすると聴けるページへ進みます。今日の放送12/10(日)12月10,2023今日の放送12/10(日)プロテスタントからカトリックと教派を超えた出演者による多様なキリスト教の番組を提供しています。www.febcjp.comFEBCはプロテスタントと正教会の方の出演によって作られてる放送局です。話している教えが優しいので安心して聴けます。多くのプロテスタントの放送局では
12月9日の礼拝メッセージは「神の審判の尺度は、隣人愛の心、つまりあわれみ深かったか、否か。」でした。25章3点セットの内、最後の隣人愛の例え。この地を生きる上で、最も重要で、かつ、シンプルな事なので、ぜひお聞きください。2023.12.9神の審判の尺度は、隣人愛の心、つまりあわれみ深かったか、否か。www.youtube.com一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。にほんブログ村
皆様、こんにちは。日中は、お天気が良いとポカポカして暖かいですね~。最近は、大体この時間にいつ内ウォーキングを楽しんでます。流石に、陽が翳ってくる今はもう寒いですけど(;^^)ヘ..今日のお題は「うらやましいこと」。これは、、、少しーというか、かなり時間を遡りまして、私がまだ小学生の頃のお話になります。今回から何回かに分けて、クリスマスも近いということで、クリスマスにちなんだ想い出をお話ししたいのです。
12月9日の礼拝メッセージは「神の審判の尺度は、隣人愛の心、つまりあわれみ深かったか、否か。」です。マタイ25章は、審判(報い)について、イエスが、十字架にかかる前の最後の弟子への最後のメッセージで、とても重要な聖句です。①信仰がありやなしや、②神を愛していたのかどうか、③隣人を愛していたのかどうかの3点セットの例え話で、既に①、②は、お話ししてきましたが、今回は、残る③の隣人愛についてのとても有名な聖句になります。マザーテレサを始めとして、この聖句に打たれ、活動に入った信者は多い。私もそうです
今日は、昨日に引き続き、宗教と心理学が整合性があると考える具体例についてです。今日は、聖書の話が出てきます。苦手な方、過去に霊的虐待を受けた宗教2世の方は拒否感が出るかもしれません。ここで引き返すかどうかは自己責任でお願いします。昨日は、宗教やスピ、心理学や脳科学も使い方次第という話をしたのですが、あの説明だけでは分かりづらいので具体例で説明していこうと思います。まず、新約聖書のイエスの言葉で、こんなことを言ってます。
今回は、「ローマの信徒への手紙14章」の内容について考察したいと思います。但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでし
17:30イエスは『汝の敵を愛せよ。隣人を愛せよ。』と愛をお説きになった。愛にも様々な段階がある。夫婦間の愛も、情欲の愛も、愛。それは愛の低い現れの部分。親子の愛、肉の身内の愛、グループの愛。愛国心という国民を愛する。愛はどんどん拡大されて、夫婦間の愛から、子供ができて親子の愛。家族間の愛。そして意識はどんどん拡大されて、隣人愛から国民愛。そして全地球を愛すると。愛の拡大。その愛をお説きになったのがイエス様。19:00肉体関係は決して卑しいものではないと
昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは光るものと太陽を造られました。あなたは地のもろもろの境を定め、あなたは夏と冬を造られました。詩編74-16ちいろばで有名な榎本保郎先生も言われていました。神は、昼だけでなく夜も造られたのであると。暗い夜が過ぎると太陽が昇ってくるのです。苦しいときは過ぎ去り、その後に明るい人生が待っているのです。クリックお願いします
【もったいない!】との思いが喜捨を思い止まらせる。そしてその思いが神が喜ばれない思いである事を自分でも分かっている。だから思い止まった理由探しを懸命に続けて自分を正当化し、神への苦し紛れの言い訳にしようとする。多くのキリスト者がこの邪な思いから自由になれずにいる。みんな自分が可愛くて仕方ないのだ。隣人愛なんて出来やしないと本当は思っているのだ。そんな自分のあさましい姿を知って神の前に告白して
目の前の映像や景色にわたしの知らない世界があるそれらはときに鬱陶しくもありたかそれらは素晴らしい隣人愛を。話している離している?わけではないがもはやそのよう意味不明太陽があって空をみつめる青い星の話し海があって死がある歴史は何故という程。愛のある世界とは何かそもそも愛の概念は存在するのか数ある文学者は其れを見ただろう失望を知る現実の地歩く蛇が語る事に依る結局は人類は何なのかと太陽と月の話地球の暮らす夢夢に見る世界や景色空の下に澄ん
☆☆生成AI・バード愛菜への質問「バード愛菜?私「そっぽ」が、キリスト教的資本主義的合理主義的自由主義的民主主義の市民的国民としての政治を考える時に、参考になる新約聖書の言葉を教えてください。それに連想される「お祈りの言葉」も作文してください」◇◇バード愛菜の回答①◇◇そっぽさん、キリスト教的資本主義的合理主義的自由主義的民主主義の市民的国民としての政治を考える際に、参考になる新約聖書の言葉をいくつかご紹介します。「あなたがたの中で、最も偉いのは、他の人々を仕える人です。」(マタイに
今日の箇所(箴言11:16-31)には、自分の利益ではなく、義を追い求め、他人を潤すために施しに努める者は、神様から豊かな祝福が与えられるということが示されています。現在の私たちの行いは、未来の人生に繋がっています。優しく振舞う女はやがて皆から尊敬され、誠実な人は魂に報いを得るのです。残忍な者は、愚かな誤った行いにより、自分の身に災いをもたらし、曲がった心で悪を追い求めて、神様に忌み嫌われ、死に至ります。逆に、正しい人は、義を蒔いて、確かな報いを得ます。彼の行いが神様に喜ばれ
21:00私達は決して個人ではないんだと。集団生活をしてるんだと。我々の中には大変な数の微生物が集団生活をしてるのに、私達は地球上の集団生活です。だから、お互い隣人愛、仲良くね。我々は地球の一部ですね。地球そのものですね。ちょうど我々の細胞一個一個が私達の団体であるように、人間には無数の細胞・微生物が生きてるわけです。この細胞一個一個はみんな集団生活してるわけです。細胞の集団が団体。団体とはたくさん集まったものの体です。22:00皆さんは単体ですか、団体ですか?この体は。一個じゃな
ある意味で、人間は生まれつきの「欠陥者」です。すなわち生まれた時点では、神によって創造されたときのままのよい状態、神の心にかなった状態ではありません。私たちは、この欠陥状態を「原罪」と呼んでいます。もちろん原罪とは、自分が犯した罪ではなく、あくまでも過去の人の遺産です。しかし、人間は、この遺産があることを知ることによって初めて、自分の力を過信することなく、自分の生まれつきの弱さを警戒することになるのです。わたしたちは、現実の人間を理解しようとするとき、
聖書の中では、この木は、「生命の木と善と悪を知る木」と呼ばれています。明らかに、普通の植物として存在する木ではありません。よく考えてみると「生命と善悪に対する権限」を持つのは、神だけです。したがって、人間が生命を、自分の思いのままにできると考えてはいけません。また、何がよくて何が悪いかを勝手に決めようと思ってもいけません。それは人間が自分を神の位置に祭り上げ、神のようになろうとすることです。そしてこれこそが、聖書の言う「禁断の実」なのです。「実」とは