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山本弘之、磯見忠彦監督による日本のプロパガンダ映画。<あらすじ>昭和12年。陸軍の幹部候補生を養成する教育機関・陸軍士官学校での厳しい訓練生活を描いたドキュメンタリー映画。日活文化映画部第4回作品で、教育総監部並びに陸軍士官学校当局の指導、後援を得て、約4ヶ月に亘って撮影(偕行社の監修で再編集された1974年版となります)。<雑感>これは戦前の陸軍士官学校の様子を撮影した貴重な映像。ただ、士官候補生たちの日常の姿などは記録されておらず、あくまで学校の紹介にとどまっている。そこが残念と
Leonor,PrincessofAsturiasスペイン王の長女でAsturias女公のLeonor王女(17)がスペイン軍に入隊します。ロイター通信によると、Leonor女王の軍事訓練は3年間にわたり、2023年8月から開始されます。MargaritaRobles国防相は王女の入隊について「すべての議会制君主国家と同様に、王位継承者には軍事経験と軍におけるキャリアが必要となる」「いつか最高司令官に女性が就く。ここ数年、軍内の女性の数を
これから咲く白梅を見つけた。その蕾の清楚な姿が、真下の菜の花と、春を告げる対比本日も青天なり黙って戸籍にいれ、大人になったら話すという大介が正し。血の繋がらなかいオヤジと過ごす冬彦の立場にならんか。元子のヒステリーは見るに堪えない。主婦の友の筆〜正論、建前と実態違う。と言っても砂の城の気持ちの悪に競べればカワイイ。オヤジが元陸士卒のエリート将校として、もっとビシッとせんか144)圭子(鈴木美江)は男の子を生み冬彦と名付ける。大介(木下浩之)は出生届と同時に、自分と圭子との婚
こんばんは!AmazonPrimeで日活の映画「陸軍士官学校」を観ましたこれは、ドキュメンタリー映画、、、っと言うよりは「陸軍士官学校」のプロモーション映画です昭和12年に日活が多分日本陸軍から依頼されて作った作品なのです日本陸軍の士官を養成する市ヶ谷の陸軍士官学校の入学から卒業までの毎日の様子を描いたプロモーション映画予科から始まり陸軍でのインターンを経て本科へ進み卒業までの厳しい訓練の様子が描かれている卒業式には昭和天皇陛
「ほの蒼き瞳」1830年の陸軍士官学校の校内で無残な死体が発見される。幹部たちは元刑事のオーガスタス・ランドーに捜査を依頼、士官候補生のエドガー・アラン・ポーと事件の謎を追う。ランドー役にクリスチャン・ベールとポー役にハリー・メリング。二人は演技合戦で火花を散らし、ラストの二重落ちまで一気に観せる。濃厚なミステリー映画。ラストは重過ぎて、10トン級の重石がのしかかったような気分になるので、暗い気分になりたい時に観て下さい。
本日、3月3日は母の誕生日なんです。うちの家は昔から家族の誕生日を祝うという習慣が無かったため、父の誕生日のも母の誕生日も特に「おめでとう」とも言わずに普通に過ごしていました。小学生の時に小遣い制が導入され、プレゼントを買ってあげたくて、弟と一緒によく行ってたファンシー文具店でピンク色のウサギの絵が描かれた湯呑を買ってあげたのですが、嬉しかったらしく、ずいぶん長い間使ってくれていました。さて、そんな母ですが、元旦に亡くなり、葬儀を行い、中学受験、私立高校受験を終え、あ
西尾常三郎という名前は聞いたことがあるような気もするがよく知らない。富嶽隊といえば陸軍四式重爆飛龍。表紙のきれいなイラストから分かるが、機首には起爆用の信管が突き出ている。この痛ましい改造を施された名機で出撃した男たちのはなし。主人公西尾さんの東京恵比寿での幼少時代からスタート。お勉強がよくできた少年は陸軍士官学校へ進み、重爆操縦将校になる。少尉任官後、中国でさっそく実戦へ。同期生、仲間が次々と死ぬ。この時期の使用機材伊式重爆での戦闘の記述は貴重。対英米戦開戦後にはビルマ、スマトラ方面
ベトナム中部にクアンガイ省があります。私たちの枯れ葉剤被害者の支援の拠点の一つです。日本とのかかわりのあるクアンガイ省の古(いにしえ)のことをとりあげます。第二次大戦の終了をベトナムで終えた多くの元日本兵がかかわったクアンガイ陸軍士官学校。その創立50周年を迎えた時に、私は、ベトナムに在勤していました。クアンガイ陸軍士官学校について、ベトナム人ジャーナリストのT.V.さんの語りを書きとりました。*********************1946年5月22日、バックソン正規軍事
こんばんは寒すぎます・・・寒さのせいか、今日来た生徒さんの可愛い手がうっすら紫色になってました今週末は発表会ここ最近の極寒と、感染症の猛威にビクビクしつつ着々と準備しております。遅ればせながら、2023年もよろしくお願いいたします喪中のため、新年のご挨拶は控えておりました。今年こそ海外行きたいな〜長い休みが取れたら欧州に行きたいけれど、取れなければ韓国とか、久しぶりにカンボジアにも行きたい海外に渡航できるのを夢見て、地道に頑張りますさてさて、昨年末は前記事の通り「第九」を鑑賞
画像はエコール・ミリテール(陸軍士官学校)とおなじみのエッフェル塔です。横に伸びるエコール・ミリテールと縦にそびえるエッフェル塔、という感じですね。パリ在住時代はメトロ8号線をよく利用したので、モグラのようにこの辺りの地中を駆けずり回っていました。ブシコーから、フェリクス・フォール、コメルス、ラ・モト=ピケ=グルネル、そしてこのエコール・ミリテールを通り、ラ・トゥール=モブール、アンヴァリッド、そしてコンコルドで1号線に乗り換えます。時にはモグラも地上に出て、この辺りの通りをわざわざ歩い
ランクBの上~Aの下陸軍7人の参謀が太平洋戦争でいかに戦い、戦後の人生をいかに歩んだかを描き、参謀とは何かを論考した新書です。参謀:最高指揮官を補佐、助言するが部隊の指揮権は無い。まあ戦国時代の軍師です。日本陸軍は、参謀教育に力を入れてリーダーを育てなかったようです。私の解釈で極端に言うなら指揮官は戦略、参謀は戦術を具現化するかなあ・・・。一般的に
或時或処のおはなし。陸軍士官学校。全国から優秀な人材を集め、全寮制での厳しい校則で教育されていたらしい。起床、座学、教練、休憩、就寝と時間管理もそうで、就寝時間ともなると有無を言わさず電灯を消される。そのような環境の中では個人の能力の違いがはっきりしてくる。一度聞いただけで理解できる人と、何度かの復習を経て追いつく人と。人はそれぞれ違うものだ。これは歴然とした真実。しょうがない事実。成績が悪い者の出世は覚束ないし、場合によっては退学ともなってしまう。寝る前に勉強しようとして
はっきり言えば、指導に値しない暴力です。中学校は、生徒の自主性を尊重する校風で、総合的には満足しています。一学年12クラスもあるマンモス校でした。クラス担任だけで36人になります。副担任は2クラスに一人で18人になります。校長、教頭、保健室や図書室の先生もいたので、校長以下60人以上いました。生徒の成績が正規分布するように、60人の教師がいれば、先生の評価も正規分布します。5段階評価で1は7%です。60の7%は、4.2なので、少なくとも4人が評価1のダメ教師になります。4人の内、二人
1938年1月1日。伯父精舎善明は一年を振り返り、自分が陸軍予科士官学校に入学し、日本はと言えば「皇軍ハ到ル所連勝我武威ヲ世界」にとどろかして、共に大いに飛躍の年だったと日記に記した。戦場の様子は耳に入っていたのかどうか疑わしい。士官学校の日記は上官の検閲を受けるから迂闊なことは書けないが、田舎に帰っても朝早く起きて「東方遥拝、勅諭奉誦」をするような伯父だから日本軍は規律正しく品行方正だと信じ切っていたような気がする。また「主要戦闘終了トハイヘ長期戦ニ入ラントシ」とも書いている。「主要戦闘
明治10年(1877)2月、下野して鹿児島に帰っていた西郷隆盛を首領とする鹿児島士族主体の大規模な反乱が起きる。いわゆる西南戦争である。五郎は、「真偽未だ確かならざれども、芋(薩摩)征伐仰せ出されたりと聞く、めでたしめでたし」と記した。この西南戦争では、まず病弱な四朗が薩摩に一矢を放たなければ地下に対し面目なしとして征討軍に加わった。次いで刑期を終えた太一郎が鹿児島県出仕を命じられて鹿児島に向った。五三郎も会津から出征の機会を求めて警視隊に入隊している。五郎も薩摩を攻め討つ闘志に燃え、同期
「1944に遭遇した家族」というmasahiroさんのブログで「昭和十八年度陸軍予科士官学校・幼年学校生徒志願者心得」を知ることができた。これによると1943年度の予科士官学校の出願期間は4月1日からで、9月20日から3日間の試験があった。私の伯父、精舎善明の頃も同様だろうから、1937年12月1日に正式に陸軍予科士官学校に入学した伯父は、遅くとも前年の中学3年時には陸軍将校を志していたことになる。1936年にはニ・二六事件がおきている。陸軍の青年将校がクーデタをおこした有名な事件だが、こ
1934年精舎善明が都谷村小林尋常小学校卒業1941年4月19日未明、陸軍第五師団は中国南部の浙江省で浙東(せっとう)作戦と呼ばれる上陸作戦を開始した。私の伯父にあたる精舎善明は前年9月に士官学校を卒業したばかりの新米の少尉で、浙東作戦では斥候小隊(偵察部隊)の隊長だった。19日午前11時半、一発の銃弾が右胸から左背部を貫通し脊髄神経を損傷する。一命はとりとめたがそれから後死ぬまで、胸から下の感覚が戻ることはなかった。負傷した時、精舎善明は20歳。善明は5月7日に広島に戻って広島陸
https://twitter.com/aprilastro123/status/1544237489090871297?s=12仕事終わったらびっくり!!!7月14日ミョンジュニミュージカル!行きたいけど、今は無理だよね!でも嬉しい!!!公式YouTubeで見れる😭😭😭😭多分ここ↓https://t.co/J04UGsVf6O#ASTRO#MJhttps://t.co/CQygcVNCzxpic.twitter.com/VjGuh5jyie—四月@🐝🐰2023年11月8
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神奈川県民歴50年にもならんとする俺からいうと、米軍基地はあってあたりまえ。空を覆う轟音もいつものこと。横浜市内はもちろん、座間、厚木、相模原、横須賀等々、米軍はどこにでもいる。慣らされてしまっているが、考えてみれば異常なことだ。なぜ米軍の存在を当然のように受け止めてしまっているのか、その疑問を感じざるをえない。‘日本最大の軍県’であった帝國陸海軍にとっての神奈川から始まるかと期待していたのだが、基本的には戦後の米軍進駐から始まる。軍都相模原の成立についてはまあまあ書かれているが、軍港
https://twitter.com/astro_staff/status/1537315284050071552?s=12[✨]#We_Still_With_MJ,D-510💜김명준훈련병신병교육수료‼🫡응원해준로하에게감사의마음을담아작은선물을전합니다🎁💜#아스트로#ASTRO#아로하#AROHA#엠제이#MJ#3시5분_엠제이를_그리는_시간pic.twitter.com/pKbpOxB0iP—ASTROOFFICIAL(@ASTRO
ウェストポイントからの発言トニーさんより米のフォックスニュースによる米陸軍退役大佐ダグラス・マクレガー大佐のインタヴューです!マクレガー大佐は国防総省上級顧問で2020年、トランプ大統領が独大使にと推された方でアメリカでもここまではっきり述べられる方がいるのは驚きです是非お聴きください日本語訳をつけて下さっているので分かり易いです!英語が苦手なので、とても有難いです~!またフォックスニュースの名物キャスタータッカー・カールソン氏の
アメリカ合衆国陸軍士官学校(UnitedStatesMilitaryAcademy、USMA)は、ニューヨーク州ウェストポイントに所在するアメリカ陸軍の士官学校(士官候補生養成校)。ウェストポイント(WestPoint)と通称される。1802年に設立されたアメリカ合衆国で最も古い士官学校であり、陸士開校以前は要塞があった。敷地面積は65平方キロメートル以上で、世界で最も広大な敷地を持つ学校の一つである。多くの校舎、研究棟、運動施設に加えて、スキー場や射撃場、
この間、うちなーさんの記事を読んであ~こんな制服を夫は着るはずだったんだなぁ~と思った。うちなーさん、ブログ記事掲載させて頂きますね『イケメン士官学生やタルト@ソウル』「陸軍の士官学校の学生だね」肩のラインが4本だから4年生では。と夫が教えてくれたのはあまりに立ち姿が美しいのでパチリしちゃったこちら。かっこいい制服。そんで俳…ameblo.jp初めに言っておきますが、昔の夫は、うちなーさんが見かけた程の好青年ではなかったと思う。そこをガッツリ理解して
・・・・・・・っということで、太平洋戦争時、アメリカ軍が日本の捕虜や戦死者から日記を集め、分析していたことは有名ですね。不思議ですよね。アメリカ軍も驚いたでしょうね、労せずして日本軍の作戦行動の情報が得られるのですから。日記からは作戦に関する情報だけでなく、補給の状況、日本兵の士気や国内の国民感情まで読み解くことができるのです。何でそんなバカなことを日本軍はしたのでしょう??ぼくは不思議でなりませんでした。そこで調べてみました。・・・・・・・どうや
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。以前に座架依橋周辺を取り上げたことがありますが、またその付近です。神奈川と言えどほとんど農村、古い道だったのだろうなぁ、と思わせるところがたくさんあります。一方で、旧陸軍士官学校があったところで、今はそこがキャンプ座間になっています。基地の町立川で育った身なので、「フェンスの向こうのアメリカ」には少々感じるところがあります。JR相模線相武台下駅近くの新戸踏切から新戸の交差点に登っていくと・・・お約束の道祖神。古くからある道だと
『長い灰色の線』TheLongGrayLine1954年アメリカ[138分]監督:ジョン・フォード脚色:エドワード・ホープ原作:マーティ・マー/MardiReederCampion製作:ロバート・アーサー撮影:チャールズ・ロートン・Jr.美術:ロバート・ピーターソン音楽監修:モリス・W・ストロフ録音:ジョン・ライバダリー/ジョージ・クーパー編集:ウィリアム・ライオン編曲:ジョージ・ダニング指揮:モリス・W・ストロフカラーコンサルタ
その②【インパール】〜陸軍軍曹上村喜代治氏の著書から抜粋しました。〜天皇陛下のお言葉を受けて歴史を知り未来に活かすための投稿です。▽◎兵隊の苦悩このころ私は完全に開きなおっていたといってもいい。無謀としか言いようのない、ウシ、サル、西対斜面の猪突も、こうした心の裏がえしであったように思う。「おい、このインパール作戦は、ちょっとばかり眉唾じゃねえのか」「断じて行なえば鬼神もこれを避くとか、ピストルが機関銃に勝てるわけはねえぜ」「上のバカ野郎ども、何かあると、玉砕だ
ランクBの上~Aの下朴正煕大統領暗殺事件を映画化。暗殺犯をイ・ビョンホンが演じたサスペンス?映画です。この映画を観るには、韓国現代史をある程度知っておかないと政治の非情さを実感できないかもしれません。(でも、知らなくても、だんだん分かってきます)暗殺された朴正煕大統領は、貧農出身です。大邱師範学校→満州国軍官学校→日本陸軍士官学校→韓国陸軍軍人(この映画内でも、日本語を話すシ
本日、『句集山桜』(竹森雅山著)がネット書店で販売開始となりました。実は、この著者は私の母の叔父です。母の父親は長男で、著者は末っ子。一番上と一番下は親子くらい歳が違う。戦前・戦中は10人くらいの子供がいる家は珍しくなかった。私の母は、幼少の頃まで著者と一つ屋根の下で暮らしていたのです。著者は母より9歳上で、お兄さんのような存在だったそうです。両親や祖母を入れると10人以上の大家族なので、今のような1人1部屋はありえず、著者とその母親とその孫(私の母の弟)の3人が1つの部屋で寝ていたそう