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含み損はいっさい見ない主義だ。といっても、ログインしたら見えてしまうが、それでも無視。スルーする。見なかったことにする。わたしは、逆張りの細かい分割屋だから、ほとんどが買った時点で、含み損になる。(上がる株もたまにはある)株を買ったら、下がるものだと最初から覚悟している。分割して買えば、買うほど含み損が増える。それを見て、いちいち気にしてたら、やってられない。最後にプラスになって利食いできればそれでいいのだ。含み損を計算するなど
いつものようにホテルを出て沙面を走りました。途中で雨が降って来ちゃったから今日は5kmでおしまいです。朝ごはんはおかゆでしたが写真を撮影し忘れてしまいました。買い付けで三元里の皮市場に行きます。外国人がたくさん買い付けに来ているのでお洒落な喫茶店がいくつかあります。今回はその中でもオープンエアのここにしました。台湾風なのでこんなレモン茶がありました。酸っぱくて美味しいです。ハンバーガーは残念でした。水餃子は普通。もしかしたらスーパーで売ってる冷凍餃子を茹でただけかな?
【金融の本場香港から】帰国です。送迎バスに乗って、、、青衣駅へ疲れ顔で空港エキスプレスへ乗り換えます。家族だったり、人数が多いとすぐにタクシーですが面白くないので、できるだけ現地の人と同じように動くのが楽しいです。今回学んだ情報の裏を取りつつ、検証し終わったら春から始まるメルマガで公開もしていこうと考えています。空港につくと、並ぶことなく、香港人と同じゲートからでることができる裏技が幾つかありますが、以前は仕事で行ってたので、申請をするとパスポートの裏に
【金融の本場香港から】邱永漢さんの視点こそ、今の政府が持つべき視点つまり、、、彼らを選ぶ日本人が身につけるべき視点難しくはない。。。まずは、、、外国を回ってみる。できれば当然英語できるようにしよう。世界の情報の殆どは英語で書かれている。日本人が使う日本語など、、、世界のどこに行っても使われていないと言ってもいいでしょう。これが原因でで日本人は世界の情報の殆どを得ることが出来ない。マスコミ業界も英語できないから流せない。日本人が身につけ
【金融の本場香港にて】2日目は、、、朝から行ったこともないお店に入る。。。出だしミスったので歩いて挽回しました(*^^*)<2日目>今日は、友人との会合にリッツ・カールトンへ暗号通貨〜取引所のオーナーにマンツーマンレベルで教えてもらった(汗)う~~んどうなんだろ、、、この話どこまでホントなのだろうFX〜FXで大半の人が勝つことが出来ない理由を教えてもらった、、、これが事実なら負けることはほとんどなくなる。為替〜数ヶ月後の事件と、数年後の円の大暴落について予言を
【金融の本場香港とは?】さて、、財政、富の構築の話と言いながら精神論ばかりですが今日は香港裏ツアーいつもの表ツアーと違い、、、インサイダーな嘘かマコトかさっぱりな話と堅実に成功されている方々とのツアーとなりました。今回も例に漏れず有名人(ぼくは世俗に興味が減ったのでしりませんでしたが、、、テレビで見たことありました)も参加で、とても学びになりました。お金のみが主軸のように(笑)生きる若者ととっくに財産すべて譲り終わっても人のお応援に奔走する素敵な社長さんら
毎度のルーティーンですが、今回も来ました『金牛苑』。香港の友人に『飽きないか?』と聞かれますが、ぜーんぜん今日は8人での会食ですから、エンジン全開でまいります。大好きなものシリーズその1看板のチキン海老入りフィッシュボールと海老なしフィッシュボール(妹が甲殻アレルギーなため)友人が持参してくれたシャルドネ2009年、こちらも美味しかった!大好きなものシリーズその2ヒラメのフライ大好きなものシリーズその3えびせんお店の方がサービスで出してくれましたサイコロステーキ胡椒
うん、コレ文句なし、オモシロイ!台湾、香港、日本に暮らし、大陸含めて各地をビジネスで飛び回る邱さんは日本のいいとこ悪いとこ、中国との違い、中国人の攻略法、何でも知ってるー「日本人を理解したかったら、自分の国の職人を思い浮かべれば良い」と言う。研究熱心で、常により良いモノ作りに精進。でしゃばらず、親方の言いなりだから税金は取りやすいし、政治家はラクなもんだてね、はは、仰るとおり。片や中国人は全員、大阪商人だと思え!いや、さらに一枚上手の本家本元、商売人の親玉だ。きっと血が
今やビジネス会のアイドルといえば孫正義。でも、昔は何と言っても「邱永漢」!しょっちゅう名前を耳にしたなぁ。何の人かと思ったら、「金儲けの神様」と呼ばれる実業家、経営コンサルタント、著作もたーくさんあり、自らの亡命体験を綴った「香港」は直木賞も受賞したそうだ。文学者的なイメージは全然無いけどね。株の本ならわかるけど。。最近名前を聞かない、、と思ったら2012年に亡くなったそう。88才。孫さんは韓国系で、日本生まれの日本人。邱永漢さんは台湾生まれ、父は中国人でお母さんは日
水ですごく薄めたリキテックスを丸筆でちまちま塗って行く技法は大好き。ホワイトは最後の最後で使うのが基本。でも結局何を描くかで今後の可能性が広がるので、男性と植物を少し描きたい。まあなんでも描きたい。こういう場合資料の良し悪しが決め手。画像は邱永漢「お金の本」。
みんなのあこがれ不労所得株のキャピタルゲイン、配当金。FX。スワップポイントとか。(やったことないけど)ワンルームマンション投資、一棟アパート投資。ほかにも、コインランドリーや100円パーキングなどなど。わたしは株投資を、副業的にしている。今年で9年間、毎年プラスには、なっているから、夢の不労所得実現といいたいところだが、実際は、それなりに手間で、しんどい。毎日、場帳をつける。考え考え記入するので、これが、1時間はかかる。買う
お金の神様の異名を取るQさんこと邱永漢さんのエッセイ集です。僕もこの人の本は大学時代にずいぶん読みましたが、彼の世の中の目を見る鋭さに、改めて驚かされています。あれから幾星霜。僕はいまだに貧乏暮らし。僕は大学時代にこの人の本をずいぶん読んできたつもりですが、ここ最近ではすっかり遠ざかってしまっておりましたが、近年書店でもQさんの本がずいぶん出版されているなぁと思い、手にとって見たのがこの一冊になります。もちろん、この方
こんにちは、パンシュウです。最近読んだ雑誌や本から良かったものを紹介します。どちらもお金という題目につられていますね・・・笑齋藤一人、『がんばらないでお金も人も引き寄せる人の法則』が良かったです。齋藤ひとりさんの一番弟子の柴村恵美子さんが書いたものです。図解なので、ストンと入って来るので読みやすく腹に落ちる内容でした。書籍を読んでも印象に残ったことや、名言などもしばらくすると忘れてしまうことが多いです。1冊読んでせいぜい一つか二つだと思います
問題意識があれば、情報は自然に頭のなかにはいってきます。…しかし、どんなにたくさんの情報を集めたところで、その情報をどう見るかという自分の「見方」を持っていなくては、情報は一本の糸でつながりません。邱永漢株の原則
ドイツその二ベルリンのホテルでバスポートと航空券入りのバッグを盗まれている。数十年の海外旅行のキャリアで初めてと。「人を見たら泥棒と思え」、あるいは「人間みな兄弟」、どちらも真実と。旅行エッセイを多く書いた邱永漢の本のタイトル『ケチケチするな、馬鹿見るな』に通じるね。
分野:エッセイ評価:3台湾で生まれのちに日本に帰化した作家で「金もうけの神様」とも呼ばれた邱永漢の食のエッセイ。初出は1975年である。中国の料理にまつわる話が多い。全30話で、全て漢字四字の題がついている。広州で食べられるという源五郎虫の話や、火事の家で焼けた子豚がうますぎて放火する人が増えたという小噺、大枚をはたいて買った包丁の話など、ユーモラスに描く。「食は広州に在り」のタイトルの通り、さすが中国、素材の種類がたくさん出てきてスケールが大きい。市場や厨房での喧噪の様
1955年の小説「香港」で、外国人初の直木賞を受賞。当時まだ金銭について語ることを賤視していた日本の社会風潮に抗し、自らの経験に基づき蓄財に関する実用的評論を発表。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。【e-tokyo.jp】最強サイト!【会社設立】:http://www.e-tokyo.jp/【高級法人印鑑プレゼント!手数料0円で会社設立♪】【創業時は、無担保・無保証人の公庫融資を活用しよう!】【自分でできる!会社設立マニュアル(Word版無料テンプレート付き♪)】【会社設立-
隊長が読んだ「本と雑誌」を紹介するシリーズの第29回は、『邱永漢著「たいわん物語」』をお送りします。著者の邱永漢(きゅうえいかん)は、台湾人の実業家の父と日本人の母の間に、1924年(大正13年)日本統治時代の台湾台南市で生まれました。1943年(昭和18年)旧・東京帝国大学に入学。終戦後の1946年に台湾に戻りましたが、1948年台湾独立運動に関係して逮捕状が出たため香港に亡命。その後、実業家、小説家として、日本、香港、台湾で活躍しましたが、2012年(平成24年)都内の病院で
有名なこの言葉!邱永漢の著書、「食は広州に在り」まだ読んでいないので、あまりたいしたことは書けませぬがいろいろ謂れはあるようです。この諺は、邱永漢なのかな?生在蘇州穿在杭州食在広州死在柳州「中国人として生き死にするからには、風光明媚な蘇州で生を受け、杭州の綺麗な絹織物で作った衣装を身にまとい、広州のおいしいたべものを三度の食事に食べ、そして最後は柳州産の素晴らしい棺おけに入って死ぬのが理想的」だそうです。この諺を知っていたら杭州で、絹織物に触れておけばよかった〜と。上
ほぼ日上場、明日ですねほぼ日と聞くとこの本を思い出します。邱永漢と糸井重里の対談集まあ、不良少年というのはね、大人がやっていることを少し早くやっているだけのことでしょう?人間はね、自分が見たいものしかみないんです。人間には目があるなんていうけど、その目が悪ければ何も見えない。人間の目も耳も口も、実はそんなに万能じゃないんですよ。事業というのは果樹園のようなもので、人生の表階段はおおぜい人が集まってひしめきあっていますから、なかなかうまく昇っていけないけれど
↓投票応援↓していただけると励みになります!1gc-FP不動産投資最新書籍コラム記事のリンクを2つ貼り付けますのでこれからサラリーマン大家さんを目指している人や、規模を拡大しようとしている人はぜひご一読をおすすめします。①絶頂の次に来るもの②取り返しのつかないリタイア投資家の後悔今のような馬鹿高値の時に不動産投資を始めるのはとてもお勧めできません。教訓としては平成不動産バブル崩壊で、破綻、自己破産、一家離散、行方知れず(本当に死亡
おはようございます吉岡です。※)本日のご予約状況ですが、まだ少しだけ空きがあります、お電話でご確認ください。最近は少し暖かくなってきて、沢山本を読みたくなってきませんか?秋より春のほうが読書したくなるのは、僕だけ?まっ、どうでもいいですが最近読んで面白かったやーつー♪『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』糸井重里・邱永漢↑これだいぶ前に出た本なんですが、昨日一気読みしましたがいやー面白かった、これ子供にも読ませたいですし
大金を目の前にしたとき、人は試される。そう話してくれたのは、邱永漢先生だ。その言葉に頷くことは、よくある。純金アイテムは、お金のことだけを考えて創ってはいけないと思う時が良くある。もちろん、お金はあることに越したことはない。しかし、大事なのは楽しく人生を歩むことだと思うのです。皆様が楽しく人生を過ごして、お金にも不自由しなことを願って創るのが一番いいと思っています。大事なことは、色々勉強することだと思います。色々なことを知ることで、視野が広がります。本質的な理解を深めること
台北市一の目抜通りである中山北路と南京東路の交差点に邱永漢大樓というビルがあり、その壁面には「貧者因書而富冨者因書而貴」と太書してある。「貧者は書に因りて富み、冨者は書に因りて貴(とうと)し」と読むのだろう。そう、このビルはこの言葉に最もふさわしい作家にして実業家、投資家であった故邱永漢氏の所有物なのであった。1988年夏、私はこのビルの中にある邱永漢書店で、初めてのアメリカ出張に持っていく本を物色していた。台北に赴任して一年が過ぎようとしていた。難航していたアメリカと日本の間の仲介交渉を
2日めのディナー。はや通い続けて30年の金牛苑。ここは、ベトナムカントニーズという、何とも不思議な料理がたくさんありますが、「お金の神様」とかつて有名だった、邱永漢先生がご存命の頃の絶賛のレストランであります。今回はパッケージ旅行でしたので、15年、いや、20年ぶりくらいに団体旅行の観光に参加しました。ヘリテージ1881、スターフェリーで湾チャイへ渡り、トラムに乗って北角へ、そして映画「慕情」の舞台となったレパルスベイまで行き、飲茶の昼食はリーガルオリエンタルカオルーンと、香港島の裏側
生きていていくときは、人のつながりはあっても、自分で責任を取るもの。人を頼っていたら、必ず失敗する。自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る、それが原則だと思う。純金アイテムは、私が考え創り販売しています。すべての責任は、私が取っています。人任せにはしていません、仕入れて売っているわけではありません。責任の取り方はいろいろあります。私は、純金アイテムに関しては、自分でデザインしてから完成して皆様に無事に届けるところまで責任を持ちたいのです。そうそう、デザインのアイディアは募集し
経済観念のない人とはさよならを『入るをはかって出づるを制す』…収入の範囲内に支出を抑えるカードが人を貧乏にします『「貧」という字を見てもわかるように、貝(お金のことです)を気前よくパッパと分けあたえると貧乏をするのです。』百万円があなたの思想を変える『たとえ最低の単位であっても、百万円という一塊りになったお金を貯めたということは、さまざまの誘惑や障害を排除し克服して目標を達成するだけの意志を鍛え上げることに成功したということです。大切なのはむろん意志の問題でしょう。』貯蓄十両、儲け百
アメリカで就職する際、ビザ取得の面で大変お世話になった人が2人いる。移民局に推薦状を書いてくださった直木賞作家で経済評論家の邱永漢さんと、残高証明で協力してくれた親戚の正二おじさん。邱さんは数年前に逝去。正二おじさんは昨夜亡くなった。アナウンサーオーディションの際に、審査員の方から必ず注目された「アメリカ勤務」という履歴。個性的な履歴書を作れたのも、アメリカでのキャリアがあったから。そして、アメリカ勤務を叶えるのに必要だった推薦状と残高証明がなかったら私はアメリカで記者として活