ブログ記事68件
聞きなれない病気だなぁ…H22年、右手の第4、5指の痺れがあった。当時は、整形外科の先生に診察してもらい、「肘部管症候群」って言われてた。でも、日常生活、仕事は、何の支障もなく出来ていたから、特に気にしてなかった。ただ、麻痺が出たり、筋肉が痩せには注意って言われてた。右腕の痛みが出たり出なかったり。右手の温痛覚は鈍くなってた。その間、妊娠・出産を経て約7年が経過してた。H29の5月頃、電車で寝ちゃった子供を抱っこしたときに、腰痛が出て足にビリッと電気走る感覚があったりしてた。6月、右
眠いのに寝れない。せっかくなので色んなYouTubeを見た。それでもまだ寝れないので、久しぶりに持病について検索してみた。私と同じように後遺症に苦しんでいる人達がいる。そんな人達のブログを見て自分も頑張ろうという気持ちになれる。そう思った気持ちをブログに書き留めておきたいと思った。脊髄髄内腫瘍の手術から10年以上。今後も後遺症との戦いは続く。んー、戦いではなく、共存だね。リリカとエチゾラム減らしたいなぁ、、、
今のところ順調です足のナイフは取れたような気がする。薬を飲む時間になると脇下のアイスピックが刺さる痛みがたまーにうっすらある程度。あとは腕の内側が痛むくらい。どちらも知らない内に治ってます。ただ、胸下のギューっていう痛みや皮膚のピリピリ痒みは強いかな〜。生理は終わったけどあまり状態が変わらない。腫瘍があった頃みたいに肋骨あたりが爆発しそうに苦しいです。仰向け、横向き、うつ伏せどうやっても苦しくて夜は何度も目が覚めちゃう元々、何年もある症状。術後1ヶ月だけは胸
家族で焼肉屋さんへ母の日のカーネーション持って行ってきました。久しぶりの焼肉屋さん肉肉肉めっちゃ食べました今年はピンクの可愛いアレンジメントいつもおばあちゃんにはお世話になってるから私と息子でプレゼントすることにしました。オレンジと黄色の組み合わせも良かったけど息子がピンクの方が可愛いよって母はピンクが可愛い〜って言っていたので息子の言う通りにして良かった減薬始めて1週間。今のところ順調良かった。薬を飲む時間帯になると上半身の痛みがあるくらいかな。右腕内側、胸下
だいぶ痛みが落ち着きました。左足の脱力系も足裏のグニャっと感もナシ。生理中はホントきついな...3月に入ってからは、痛みがラクな日が多かったです。薬を飲む時間になると右腕の内側が痛んだり痒くなったり左脇下がズキズキしたりするくらい。日中、胸下がギューっとしたり痛痒い感じになったりするけど2月と比べたら回数も少なくなってきたし足のナイフも刺さってない日が増えてきた。だから余計に生理中の痛みがひどく感じるのよね疼痛>筋肉の突っ張り>痺れ痛みが和らぐと筋肉の突っ張りをす
一睡もできず。両脚がものすごい痺れ。痛い。足裏がずっとビクビク波打ってる。電気走り勝手に足が動く。脚の付け根から下両脚ともに熱くて熱くて今にも火傷しそうな感覚。そして、脚がもげそう。ここ最近、刺さったままだったナイフがまた動きだす。下半身は痺れすぎてベッドに着地していない。左脚は力が入りにくい。そして、上半身の痛み。1年前。去年の今頃と同じレベルだなーってこの痛みが毎日だったんだよなぁ。よく耐えてたなぁ。一晩中、布団の中で考えてた。眠りたい
左脚が脱力系です。家の中で杖を使うのは久しぶり。生理のときは、痺れ、突っ張り、疼痛の強力版三点セットがお決まりですが久々に左脚に力が入らなくなりました脚の付け根と足の甲がピリピリ痛くなってきてだんだん力が入らなくなり足裏がジェルを踏んづけたみたいな感覚。床についた足裏がグニャっとしていた。一晩中、足裏のビクビク。電気が走り痛い。術後に比べればこうなる回数も減ってきていたし3月に入ってからは暖かくなり調子が良かったからビックリしてますまだまだ波があるんだなぁ。。。
急性期の病院を退院して3ヶ月ぶりに地元へ帰りました。まっすぐ実家へ。自宅へ寄りたかったけど階段がムリでした。地元は冬真っ盛りすごく寒くて寒くて脚が痛いし、一気に調子悪くなる病室って暖かいから身体もそれに慣れちゃってたんだよね。地元の病院での初受診。想像以上に歩けなくて車椅子。先生は優しそうで良かった...けどリハビリは...急性期の病院とは全く違いました。まぁ、予想はしていたけど。。。レベル低いって有名だからベッドでストレッチしてもらい平行棒。ひたすら平行棒で横
読みたくない方はスルーしてくださいね!術後、起き上がれるようになってお通じもトイレで無事にできました。が、おしっこと同じく感覚ない。。。出始めも終わりも全くわからず音だけが頼り下半身が別人です。しかも拭いてる場所もどこなんだかねストレートに言うと肛門の場所がよくわからないまず胸から下がかなり痺れていて腹痛がわかりません。あんなに酷かった生理痛すらわからない。よって排便のサインである腹痛もわからない突然、肛門が痛くなりますほんと突然に痛くなる...。肛門サインがきて
リハビリ開始から1ヶ月経ち主治医との約束通り、ギリギリですが杖歩行できるように。そして実家に帰るということで次は入院ではなくリハビリ通院でOKとなりました。いよいよ退院。でもね、最後の最後まで私の主治医やらかしたよ最初、次のリハビリ病院の候補に地元の病院は入ってませんでした。理由は、この病院のリハビリがダメダメだからレベル低いと有名。あとは病院じたいもね。。。地元民なら有名な話です。友達にもこのリハビリに行ったら歩けるのも歩けなくなるよと言われた3ヶ月も遠く離れ
泌尿器科の通院日でした。排泄の話が続いてるね(^^;)笑今回は、尿検査と残尿検査。おしっこは、薬でコントロールしてますが自宅を出る時にしてしまい検査の時に出ない検査科の前でお茶ガブ飲み今の私の膀胱でガブ飲みするのは、怖い。でも検査しないと診察できないし仕方なくタイミング合わせるのが難しい。結果、どちらの検査も異常なし現在、ベタニス錠50mg症状が安定していてお薬だけの人は、個人病院へ紹介すると言われ患者が多すぎるからそういう体制をとっているらしい。大丈夫かな少
運転免許更新でした。更新する際に、病気をしていたり薬を飲んでいる人は別紙に記入。私は杖歩行だったので運動機能検査も受けました。手術した病院、リハビリ先の病院どちらのPTさんにも車は手動に変えた方がいいと言われていたし、たまにエンジンかけに行った時にペダルを踏んでみたけど感覚がよくわからなかった。両足に後遺症は残りましたが元々動かなくなった左足の方がモタモタ動かしにくいです。感覚については右も左も同じ感じかな。半ば諦めつつ検査を受けました。ところが、足はしっか
術後すぐから尿漏れや頻尿に悩んでましたが後遺症だから仕方ない。もぅ少ししたら治るかもそう思ってました。手術した病院を退院しリハビリのため地元の病院へ通院し始めたとき、先生からおしっこ大丈夫?って聞いてきました。治療できるよって。最初は治療するのに抵抗が...。でも様子をみたものの良くならず同じ病院の泌尿器科で治療してもらうことにしました。腹圧性尿失禁の薬を処方され1ヶ月くらい効いてたけど、効果なくなり、再度受診。どんな薬を飲んでも神経の問題なんだから神経が
月に一度の通院日痛みの話は、家族にあまりできない。私が痛いと言うと再発したんじゃないかーとかいろんな憶測や心配が始まるから、私も話さなくなってしまった先月、半量にしてもらったリリカは元の量に戻しました。半量にしただけで、ベッドから起き上がれないくらいの痛み。この痛みは本当に耐えられなかった。リリカを半量にすると身体のダルさがとれてスッキリしたし体重も落ちたんだけど...。でも、私には効いている薬なんだよね。だから仕方ない(^_^;)減薬するタイミングじゃなかった
初めてベッドから降りて立ち上がった時は、痛すぎて絶叫でした。こんなに痛いなんて思わなかった。でも2ヶ月ぶりに立てて嬉しい気持ちもあったなぁ。最初の一歩がなかなか踏み出せなくてどうやって歩いていたか忘れてる。それに頭の中で動かそうと命令送るけどなかなか反応してくれない。下半身が別人なんだよね...。術後17日、歩行器で1人で歩けたときはめっちゃ嬉しかった。動画を撮ってもらい息子に送りました。喜んでたなぁ、息子この急性期の病院には、あと1ヶ月しかいれないから本当
排泄のことって他人にはなかなか言いにくい。だから書くのを迷ったけどこの病気の後遺症切っても切れない関係。それも含めて「私」だからね術後(入院中)の排泄です。車椅子に乗りリハビリへ行くようになって3日目。おしっこの管を外しました。寝たきりの間も管が痛くて何度か外したことあったけど出なかった。オムツにするから出ないのか後遺症で自力で出せないのかわからなかったから、外す日は本当に緊張した。もし出なかったら自己導尿と言われていたので前の晩は正直、眠れなかったです。
術後3日間、首の固定をしていたので全く動けず。固定が取れて数日してから、ギャッジアップ開始。約2ヶ月、寝たきりだったので徐々にベッドの角度を上げて身体を起こすことに慣れる。ギャッジアップする際PTさんが主治医にカラーが必要か確認。主治医はカラーなんていらないと即答。久々に身体を起こしてみる世界は寝たきりとは全然違う。運ばれてきたときは、既に寝たきりだったからね。窓からの景色が見えたときは、凄くテンション上がったそこへ執刀医が登場。私の起き上がった姿を見てあー‼
手術当日。手術は午前9時から。手術室へ向かうとき、ギリギリまで見送ってくれた息子が「お母さん、行ってらっしゃい」めっちゃ笑顔で手を振ってくれた。本当は私も笑顔で「行ってきます!」と言いたかったけど息子の笑顔を見たら号泣してしまい泣きながら手術室へ行きました。笑顔の息子を見たら離婚してからずっと二人でやってきたことを走馬灯のように思い出しました。心配で不安なのを隠して無理して笑顔で送り出したのかなぁって。でも、後から聞いたら最初、手術できないって言われてもぅダ
3ヶ月ぶりに手術した病院へ行ってきました。今回は骨のCT検査です。手術で骨を削っているからね!異常なしで一安心私の主治医は、いつも通り事務的でした。私も特に質問せず。今の状況を淡々と話し2ヶ月後のMRIの予約をして終わり。やっぱね、毎回思うんだけど薬を他の病院の先生にお願いしたことを絶対ムッとしてるんだよね〜。そういうのをヒシヒシ感じるそして、今回はこの後にメインが執刀医の先生が退職されると知り、最後に話をさせてほし〜い‼︎と、お願いしてました。手術のお礼だ
手術前日の夜。執刀医が病室に来ました。が、私の頭を見てビックリしていた髪の毛があるから。私も何も言われないし変だなぁとは思ったけど。首下の手術だから刈らなくて良いのかと思っていた。主治医がね。髪の毛を刈ることを言い忘れていたのです。↑大事なことだよね!女だしさ。執刀医は、私がビックリしないように優しく言いました。うつ伏せで手術するから挿管が落ちないように野球のメットみたいなものをかぶります。そのメットが落ちないように頭にネジ止めするから、耳上から指3本分
手術日の9日前家族説明がありました。看護師さんからコミュニケーションに難ありの主治医が説明するって聞いて大丈夫かなって思いながら両親と行きました。私はベッドに寝たまま移動。期待だけでは終われない現実を改めて受け止めなければいけない時間。両親が医師からの話をしっかり聞くのは、初めてだったから絶対ショックだろうなぁ。病室に息子を待たせてるし私は泣かないようにしよう。そう決めて話を聞きに行きました。この日の主治医はいつもと違いかなり細かく説明してくれました。とり
診断される9年ほど前から汗に悩むようになりました。少し動いただけそれなのに汗が止まらない。30代に入るとこんな症状でるのかな。変だとは思ったけどあまり気に留めなかった。腫瘍がわかる5年前からは身体のいろんなところに症状が出始めます。右腕内側が痒くなる。あまりの痒さに血が出るほど掻きむしる。胸下の皮膚もピリピリ痒く痺れた感じ。乾燥肌かな〜と思いラナケインを何年も塗ってました。左脇下が痛い。ズキズキ痛むので病院へ行くと肋間神経痛と言われる。右手の力が抜ける。フ
胸下と首の痛みに続き、2015年に入ると背中も痛み始める。いつもの肩コリとは違う尋常じゃないコリと痛み。元々、ひどい肩コリ症。猫背だから余計にこる。運動不足だしね。コリの原因いっぱい。眠る時、背骨の中がムズムズ動くような感覚があり気持ち悪い。腰がヘルニア気味と個人病院で言われていたからそのせいかな?と自己判断。背骨の脇が張り拳を入れないと眠れない。日中も痛み、拳を入れすぎて皮膚がめくれたりしていた。そりゃそうだよね。この年に、緊急入院しているんだもん。た
胸下の痛みが始まったあと次は首の痛みが始まりました。診断される2年ほど前うつ伏せになると首から両肩にかけて激痛が走る。一瞬、息が止まるほどの痛み。でも痛みは一瞬だけで体勢を変えると痛くない。むち打ちしたせいかな。最初に首が痛くなった10ヶ月ほど前に低速車両に追突されて頚椎捻挫していました。これじたいは2ヶ月ほどで痛みが引き治ったものと思っていましたが寒くなって痛み始めたのかな〜って素人判断。友人が冬になるとむち打ちが痛むって言っていたから自分もそうだと思い込む。
診断される4年ほど前から胸下に異変がありました。おっぱいの下の肋骨あたりが痛む。でも骨じゃない気がする。今なら神経だとわかるけど当時は想像もしなかった。肋骨が破裂しそうな痛み。制服が裂けるんじゃないかってくらいの苦しさ。とうとうワイヤー入りのブラジャーができなくなった。太りすぎてキツイのかな?UNIQLOでワイヤーなしのブラジャー購入。それでも痛みや苦しさは変わらない。変だよなぁと思い近所の個人病院へ。レントゲンしても骨に異常なし。太りすぎじゃない?と言われた。
入院して1週間後リハビリのことでPTさんが病室へ来ました。私より少しお姉さんでリハビリ部門の中ではベテランさん手術まで1ヶ月以上あるためその間、ベッド上安静で落ちてしまう筋力を最低限にするためのリハビリです。ベッド上のリハビリなので動きは限られていますが寝たきりってこんなにも筋肉おちるのか。ふくらはぎプニョプニョ。腫瘍の痛みがひどく常に発熱していたため簡単な動きでも大変でしたが、術後少しでもラクになるようにと日中のお題をもらい自主練しました。腕の筋力も落ちないよう
月に一度の通院日薬の調整と点滴の通院です先生は、私の痛みをしっかり聞いてくれます。これ重要だよね‼︎退院直後は、手術した病院で薬をもらっていたけど主治医がなんせコミュニケーションに難ありで。笑脚が痛いなか通院して痛みを訴えても「想定内です」だけおっしゃる通り想定内なんだろうけどもっとなんかないのかい。笑地元の病院に転院した際、思いきって!そこの先生から薬をもらうことにしました。痛みって1人で抱え込むとかなり辛いけど先生に話すことで辛さが軽くなる。説明もしてくれ
この前の投稿で現在の状況を書いたので先に後遺症の話を書きます術後1年と2ヶ月。現在の症状は、①下半身の痺れ②両脚の筋肉の突っ張り、痙性③両脚、上半身の疼痛と痒み④たまに筋力低下⑤歩行障害⑥膀胱・直腸障害⑦温度や痛さの感覚が鈍かったり鋭かったり体温調節と汗症状じたいは、術後すぐと変わってません。術後すぐのレベルが10なら今はレベル6〜7くらいかな。たまにレベル9の時もあります。でも全体的に見れば、確実に良くなっていると思いますよくネットを見ていると脊
入院中は、友人やママ友達がお見舞いに来てくれ心の支えになりました。遠いなか駆けつけてくれ本当に嬉しかったです。毎朝飲んでいたコーヒー入院してから飲めなくなりスタバのディカフェやコンビニのカフェラテよく買ってきてもらいましたディカフェのコーヒーならカフェインレスで大丈夫好きなコーヒーをたまに飲むのも入院生活のなかでストレス解消となりました。あとはローソンのからあげクンとフランクフルト友人が来てくれる度に肉をリクエスト病院食だけだと油分が欲しくなるのよね。笑
ICUに面会に。早いもので入院から2週間。2月9日。今回の入院より前に8月に脊髄髄内腫瘍の手術をした。入院に至るまで、腸を見てもらったり、整体に行ったり、全くよくならないから整形外科に…今回彼が病気と向き合ってて思う事。すぐ病院には行かないと行けないと言う事。。今日の会話、目は見えてる??『歪みなくてよく見える』よかったーー!私も見えてる??『今日も素敵です』これを母親と友達に話すと、見えてないがー重症だ!!とのこと。そーかもね。いやいや、元気で一安心。まだ先は続く病