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2020年の年が明けて、少し経った1月30日の朝🌈何となーく試した妊娠検査薬が反応したのが私達夫婦とマモとの出会い☀️本当に妊娠検査薬の判定枠のところに線が出る事に驚いたのは、とってもいい思い出😊💕親や家族から妊娠を焦らされていた私は、素直に妊娠した喜びよりも、周りからのプレッシャーから解放されたほっとした気持ちがカナリ大きかった😢😢実際、この2日後には不妊治療を始めるべく旦那にクリニックを予約されていた。不妊治療を怖がっ
こんにちは!チビさや★ですよろしくお願いします胎嚢確認後、心拍どころか中身がからっぽ。一週間後の再診察でもからっぽでした。妊娠8週目繋留流産です。私の出血傾向から定期的に検診をしている大病院で流産手術をすることにしました。前処置がかなり痛かったけど本処置は麻酔も効いて知らない間に子宮の中はからっぽに。手術後は生理5日目ぐらいの出血があると聞いてたけどやっぱり出血が止まらない2日目以上の出血に塊もどんどん出る。血液検査をして入院するかしばらく医師が検討後
お願い流産手術について少し詳しく書きますので、ご気分の悪くなりそうな方は、読むのをお控え下さるようにお願いします。私が病院で泣いてしまったことは2度。1度は、二度目の流産が確定した時。(→2度目の流産①手術日を決める)2度目が、この四度目の手術の時だった。流産手術に慣れてしまった私は、手術に対する大きな不安もなかった。手術室に呼ばれるのを待っている間、嫌だなぁ。でも早く家に帰りたいな。早く帰って留守番しているあずきに会いたい。と思っていた。やがて声がかかり、手術室に入る時
私はぼう然としたまま手術室に入った。1人の看護士が少し慌てている。「ごめんなさいね、お産の準備になっていて…誰が間違えたのかしら。少し待っていてね、先生が来るまで少し時間があるから」私はそんなことはどうでもよくて、考えられる状態ではなかったので台に上がって手術が始まるのを待っていた。手術自体は眠っている間に終わり、体に負担はなかったように感じた。ぽかんとした気持ちのまま家に帰った。
術後の検診に行くと、子宮の中がきれいになっていて出血も止まって来ているので問題ないということだった。この時、医師に「冷たい言い方かもしれないけれど、今回のことは自然淘汰だと思っていいと思います。また次に赤ちゃんを授かる時が来ますよ」と言われた。流産の知識が全くなかった私は、この時既にネットを漁りまわって、流産について自分なりの答えを出そうとしていた。産科にかかるのが数週間遅かったからいけなかったのか、何か無理なことをしたからいけなかったのか…受精卵には大きくなれない場合があって、そ
皆さま、ご無沙汰しています。Viviです。なんやかんや、更新がだいぶ遅くなってしまいました少し前の話になりますが、繋留流産手術について記載します。手術からしばらく経ったので落ち着いて書けます。これは、残念ながら同じ手術をしなくてはいけなくなった方の参考に少しでもなれば、という思いで記載するのが目的で、今大事な時期の方をむやみに不安にさせたいわけではないので、ご自身で判断の上お読みいただくか、お戻りくださいませ7:50来院予約のところ7:45ごろ到着。◆処置室窓口:手術の同意書提出
【すべては私の選択】そんな運命の出会いから2年半後の2013年の年明けからバタバタと結婚が決まり、2013.2.28に入籍しました。ここの裏話はいつか…この時、私は39歳でした。「結婚したら赤ちゃんができる」この考えが甘いものだ…という事は結婚してから知りました。まだまだ若いつもりでいたのに、妊活会では高齢で妊娠出産は難しくなる年齢でした。そう、結婚するまでその事実を知らなかったのです‼️正直、避妊しないでSEXすれば、簡単に授かるものだと思ってました。今、晩婚化が進んでいます
【運命の出会い】「運命の出会い」と言っても、出会った瞬間いにビビビとか(古い…笑)そんな感覚もなく、おそらく大半の人が「それはナンパというのでは…?」というような普通の出会いです。あれはたしか、2011年9月19日の事です。ビールが大好きな私はその日も飲み友達と一緒、大阪・天王寺公園で行われていた「オクトーバーフェクト」というドイツのビール祭に参加し、お昼から大きなジョッキでビールを飲んでいました。オクトーバーフェクタは生演奏もあり、ワイワイと飲みながら踊ったりする、酔っ払いにはサイコー
心拍も確認でき、高齢なのでと大学病院に紹介状を書いてもらい、KLCを卒業するとき、その後の提出書類について、看護師さんから説明を受けました。厚いカルテ。看護師さんがパラパラめくって、めくって、めくって、めくって、めくってめくって。バタンと閉じて、ふー。とため息、そして一言。よく、諦めずに頑張りましたね…看護師さんと目が合い、私はたまらず、うつむきました。…スカートにポタっと涙が落ちました。上司にパワハラされても、鈍感力で。同僚に飲み会で、デブ発言されてたと聞い
こんばんは(`・ω・´)今日は、仕事から帰って来てすぐに寝てしまって、タニパトも出来ませんでしたが昨日載せきれなかった多肉さん達を、載せていきますパクパクさん🐟保険用に切っていたパクパクさん🐟シワシワから、少しふっくらしたような気がしますお水吸えたのかな〜パクパクさんって、ネットでも売り切れが多いから、やっぱり人気なんですね無事に冬を乗り越えなければ寄せ植えのレディシアは赤く紅葉してるけどスカート履いたみたいになっちゃってるわ〜カットして寄せ直ししなきゃなー4ヶ月くらい
※現在妊娠しています。過去記事になります。繋留流産の処置について。当日、朝から病院行って、最終の確認。何回見ても赤ちゃんの姿はない。ないものはない。むしろここまで来て姿がみえてもそれはそれでなんだか複雑。順調ではないってことですし。今後のリスクとか絶対でてきますし。ま、相変わらずで。ある意味良かった。袋だけはサイズアップしてたようですが。中身は真っ黒のからっぽ。ちなみに、手術当日で、予想排卵日をもとに考えて10wか11w位。最終生理日から考えたら週数はもうちょっといっ
こんにちはいよいよ、手術は明日です。今日から1日3回、抗生物質の服用が始まりました。体調はというと、特に何も変わりません。出血も腹痛もなし。ただ、オリモノが多くて、プクプクする感じです気持ち悪さは多少あるけれどオエっていう吐き気はなくなりました。明日の手術、だんだん怖くなってきた静脈麻酔とかやったことないから意識がとぶ感覚がわからない!!途中で覚めたらどうしようとか変なことを考えてしまいますラミナリアとかいうのも痛そうだし…普段、生理痛がそんなに酷くないので、生
いつか誰かの役に立てば・・・。後発途上国で出産される方は少ないと思いますが、妊娠がわかって、初期・中期を過ごすって方はいるかと思います。なんせ情報が少ないので、いつか誰かの役に立つかもしれないことを書いておきます。私は、長女妊娠→安定期に入ってすぐ移住→ブルンジ・ルワンダを行ったり来たり→2016年9月にルワンダの首都キガリの私立病院で出産→産後5週間でブルンジに帰りました。娘はブルンジでのびのび逞しくアフリカ人として育っていますこの度、二度目の妊娠をしましたが・・・流産が確定し
なんか。。少しスッキリした気分。。この子が少しの間だけでもお腹に居てくれたこと、ありがとう。。忘れないよ。また来てくれるの待ってるよ。
診察で映し出されたエコー。自分でも何となく嫌な予感はした。ピクピク動いていたものがない。赤ちゃんらしきものが見えない。診察時間が長い医師から言われた言葉「ちょっと成長してないね。もしかしたら手術で取り出さないといけないかもしれない。1週間様子見ましょう。」その時は冷静だったし、泣かなかった。病院を出て旦那に電話した。良い時はラインを入れておくけど、悪い時は電話するのが何となくルール。繋がらなくてホッとした。まだ言わなくていいんだ、と。すぐ折り返しくれた。「ダメかもしれな
6週あたりから、先生はなにも言わなかったけど、ダメな気がしていました。不思議なもので、お腹の中に命がいる気がしたことは一度もなかったです。毎日話しかけてみたけど、何度声をかけてもお腹をなでても、いる気がしなかった。6週後半から出血がはじまりました。でも、流れてしまうことはなく、胎嚢は日々成長していました。(週数よりは小さかったです)でも7週になっても、中身は見えないまま。8週でお医者さんから流産という言葉がでたとき、驚きはなく…むしろほっとしました。やっぱりね。最初からいなかった
ようやく手術後からずーーっとしぶとく続いていた出血がおさまったみたいです😂生理みたいな出血!って感じの量は術後1週間くらいでなくなったんだけど、8/1の術後検診以降もずーーっとしぶとかったのが、点々と出続けていた茶色っぽい血液混じりのおりもの?みたいなやつ。終わりそうで終わらないじゃないか…とこの感じじゃ次の生理が来るまで止まらないと覚悟してたので、ちょっと一安心。やれば出来るじゃないか私の身体よ。さぁ次の関門は生理がいつ来るか、だな。
死産が羨ましいなんて言ったら怒られてしまうかもしれないけれど…「早い段階で流産できてよかったみたいね」と旦那に言われて大喧嘩しました。元々旦那は流産に関してもそこまで悲しんでいる様子はなくまた作れば良いなどと平気でいって以前にも喧嘩しましたが。あれほど大喧嘩したのにこいつは何も変わってないな。辛い手術で心も体も傷ついてナーバスになってる嫁に言うことかと呆れかえりました。流産した人にだって心の痛みはあります。死産は経験ないので想像するしかできませんが。お腹にいる時間が長くて胎動も感じ
ぼーっとしたままタクシーに揺られ、帰宅。仏陀にコンビニで買ったスイートポテトを置き手を合わせました。この時思ったのがこれから毎日この子のお供えはお菓子にしようと思いました。子供はお菓子が好きですよね。息子もお菓子が大好きでお菓子を手にしてる時の幸せそうな顔を見てると癒されます。私の携帯のフォルダはお菓子を食べてる息子ばかりです。目の前のスイートポテトが私をそんな気持ちにさせました。多分あの時買ったのがおにぎりだけだったら、普通のお供えになっていたのかななんて思います。今でも、コンビ
手術室当日。新生児室に並ぶ新生児たちに勇気付けられて手術室に入ったものの…。やっぱり台に登ると今まで必死に堪えていた涙が止まらなくなりました。この時は、もう恐怖なんて一ミリもなくて。ただただお別れが寂しい。もういっそのこと麻酔から覚めなければいいや。とまで思っていました。お腹に手を当てて心の中で、謝罪とお別れをしました。悲しさと申し訳無さで放心状態で涙だけ流れていきました。看護婦さんの「ちょっと痛いですよ〜」という声にいつもなら身構えて、痛いな早く終わって欲しいななんて思う注射
2018/8/1繋留流産手術、1週間後の診断に行ってきた。体調は、腹痛も無く出血はおりものに血が少し混じってるくらい。ようやく普通に眠れるようになった。今日は暑さがぶり返していて、午前中だと言うのにめちゃくちゃ暑い。相変わらずタクシーは捕まらないので、バスと徒歩で病院へ。もう汗だく…。久し振りにガッツリ外を歩いたけど、ほぼ妊娠、手術前に戻ったような感覚で、元気にワシワシ歩いて行けた。病院に着き、30分くらい待って名前を呼ばれる。…いよいよだ。…とても不安。軽く挨拶を済ませ、先
2018/7/31繋留流産の手術後1週間経ち体調は結構良くなっているのかなと思う。出血はまだほんの少しあるものの、お腹の痛みはほとんどなくなった。身体も動かせるし、家事も普通に出来るようになった。明日は退院後の初診察があるから、なんとなくソワソワしている。過去の手術の時は、まだ子宮内の塊が出きっていないと言われ、また処置をしなければならなくなり、2回も痛い思いをした経験があるので…ちょっと身構えている自分がいる。診察で異常が無ければ晴れてまた普通の生活に戻れるとの事だったけれど、本
2018/7/27手術後3日目。相変わらず目が冴えてよく眠れなかった。今日は朝からお腹が痛い。おそらく今まで体験した生理痛の中で一番痛い!毎食後に薬を飲まなくてはいけないので、痛いのを我慢しつつご飯を準備して、ヒィヒィしながら食べる。また痛くなるのかと、憂鬱になりながらも抗生剤と子宮収縮剤を飲む。薬は後一回分で終わりだし、もう少しの辛抱だ。今日から少しづつ、様子を見ながら家事を始めてみる。あまり寝たきりも良くないだろうし。…ただし無理は絶対しないこと。昨日頼んでいたネットスーパ
2018/7/26手術後2日目。1週間は安静に、との事だったのでベッドの上でゴロゴロ。結局入院中とたいして変わった事はしていないけど、やっぱり気持ちが違う。昨日のなんとなくお腹が痛いが本格的に生理痛っぽくなって来ている。左足側の引きつり感も残っており、着替える時に足をあげると痛みがある。座る時も慎重にゆっくり座らないと、振動が身体に響いて痛い。やっぱり身体はしっかりダメージを受けてるらしい。我慢できない程ではないし、安静にしていれば大した事はなかったので大人しく寝ている事にする。