ブログ記事1,805件
代休と週末を合わせた4日間のシメはドドーン大雪山旭岳このスケール感はなかなか見れたもんじゃないよ!世界に誇れる雄大な景色!!今日はロープウェイ1回券(1400円)のみ先週末は超パウダースノーだったらしいが、それから❄️降ってないらしい…なら、スノーシュー履いて、ノートラック探しに噴気口の先を目指すことにした予報にはない爆風…10mくらいあったなそりぁ遮るものないから山は吹き荒れるよね準備に遅れたら、お姉さん2人が先行してくれた切り取ると絵になるね〜日本の山とは思えない途
皆様方おはようございます。今日は久しぶりに古墳の記事を書きます。今日は奈良県高市郡高取町にある市尾墓山古墳を紹介します。市尾墓山古墳の後円部↑↑案内板その1↑案内板その2後円部の石室に掛けなわ式石棺が納められています。石棺の穴は盗掘口と思います。↑案内板その3発掘調査結果の写真。↑案内板その4↑実は…現場作業で市尾墓山古墳に来ていました。この日が現場最後の日でした。市尾墓山古墳の石碑を洗浄していました。約2時間近く作業しました。↑後円部。見学者?らし
皆様おはようございますダス!昨夜ワシは最後の最後だけ水戸黄門を見たダスw最後のシーンしか見とらんのでお話の内容はほぼ分からんダス!その後はワシにとってコレといった番組がなかったので一人ライブ頑張っとったダス🎸ピロピロ♪NHKのBS1でインカ文明のことをやっとったので見とったんダスが、途中で寝てしもたダス~💦朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!今朝はようけ雨が降っとるのでバラの水やりは自然に任すダス!☔🌹🌹🌹では占いダス!皆様の今日の運勢はどうダスかね?井上ア
キトラ古墳奈良県高市郡明日香村国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区令和5年(2023年)11月30日㈭撮影近鉄吉野線壺阪山駅から歩いて0.7km近く、キトラ古墳はあと0.4kmキトラ古墳のある阿部山国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区に到着国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区、奥に見える丘上がキトラ古墳*キトラ古墳奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。国の特別史跡。亀虎古墳の表記もある。墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められている。二
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【85.古代海部氏の系図~6】6回目の記事にして未だ本題の「系図」に進められていませんが…もうしばらく…前菜を…。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これまで本編記事内に過去記事一覧を設けていましたが、記事数も50本を超え煩雑になってきました。そこで別記事を上げてお…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■丹後の古墳文
朝日山古墳群3(四国中央市金田町)2023年6月16日石棺前の平地に佇めば夕日もかたぶき夏の夕闇も迫りて、久方の古墳巡りも辛うじて終えることができました。ここ朝日山古墳は径17mの円墳で、横穴式石室は玄室長4.5m、幅2m、高さ2.4m、羨道長2.5m、幅1.6m、高さ2mの両袖式。玄門は柱石とまぐさ石で区切られています。奥壁は巨大な結晶片岩の1枚石で、側壁には大きめの腰石の上に小型の割石をやや持ち送って積み上げています。羨門も含めて保存状態は良好です。石
橿考研付属博物館の常設展示に関する説明を続ける。・5~6世紀の金属器生産については、特に鉄器生産が盛んで、各地で展開したが、大規模な生産地は近畿地方では奈良盆地か大阪平野に限られるようだ。生産品としては主に農工具、釘などが考えられるが、一部で刀剣や甲冑を生産した可能性も指摘されている。鉄器以外にはガラス製品、銅製品、銀製品などがつくられた。南郷角田遺跡では、それらを組み合わせた装飾器物(帯金具、刀剣、馬具など)の生産が想定される。奈良盆地では、現状、当該期の鍛冶炉は検出されていないので、朝
朝日山古墳群2(四国中央市金田町)2023年6月16日立派な石組で設えられた横穴の薄暗い開口部では、蜘蛛巣と藪蚊の襲来という大穴牟遅を試すスサノオのような手荒い歓迎です。縦横1.5mほどの四角い横穴式石室は、背中を丸めれば無理なく潜入でき、3ⅿ近い羨道部は高さ2mほどの両袖式で、玄門は柱石とまぐさ石で区切られている。見事なまぐさ石は一段低い位置に張られて、内部の玄室を妖しくいざないます。奥行き4.5m、幅2m、高さ2.4m玄室は完存する横穴式石室で、玄
皆様おはようございますダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったダス!📺水戸黄門にしては珍しく登場人物がキルされてもたダス!💦お話の内容は、お殿様のお子様が毒を盛られてキルされそうになるという話だったダス!写真は毒消し飲んどるとこダス☆最後は何事も無かったかのように笑って終わるダスwその後は芸能人格付けチェックを見たダス!朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!昨日までゴッツイこと雨が降っとったので今朝のバラの水やりは無しダス!🌹🌹🌹では占いダス!と行きたい
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月17日(日)早朝5時30分、大阪南港に到着。途中、チョウジョをピックアップして、向かうは奈良県。道の駅飛鳥で休憩。駅のある道の駅でした。ちょうど電車来た最初の観光は、こちら。石舞台古墳奈良県高市郡明日香村島庄254拝観料:300円横穴式石室をもつ、方形墳です。古墳上部の封土は失われ、巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は
北岡山古墳群(四国中央市上柏町)2023年6月16日三島公園を松山道側道まで下り、川之江iC方面に500ⅿほど戻り端華の森古墳館の対岸辺りを南方斜面に登れば北岡山地区です。北岡山の集落から北側の畑地の上に広がる丘陵地の中に古墳群が潜むとされます。細道を下り畑で一服している小父さんに尋ねるも「古墳なぞ聞かんなあ。」との返事。止む無くGooglemapで当りをつけたエリアに分け入ります。畑地の北端に車を停め、ミカン畑の斜面を進めば大判焼きの看板が目に入り、古墳の
☆一須賀古墳群(近つ飛鳥風土記の丘)河内国石川郡南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山(「大阪府立近つ飛鳥博物館」P利用)南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山に渡る群集墳。23支群、総数262基。国史指定。「近つ飛鳥風土記の丘」として整備され、麓には「大阪府立近つ飛鳥博物館」が建てられています。築造時期は6世紀中頃~7世紀前半頃。大半は径10~20m程度の円墳。太子町のサイトは以下の通り。━━副葬品に舶載品と考えられる金銅製の沓や垂飾付耳飾、ミニチュアの炊飯具などがみられる
金勝寺古墳2(吉野川市山川町)2021年12月21日おもむろに玄室に潜入すれば天井が抜けているので明るい。内部は天井がぶち抜かれている以外はわりあいに整った印象です。羨道部の側壁は結晶片岩の板石や河原石を積んでいる。天井付近の石をもち送って積んで天井石で蓋をしている。さらに羨道と玄室の境にある両袖式の袖石も立派に残存する。玄室部は胴張りで四隅が丸く、石材を持送りによってドーム状に構築されている忌部山式石室の特徴を示しています。忌部氏祖神である天日鷲命を祀る忌部神社の
☆石塚古墳(太子町葉室)河内国石川郡大阪府南河内郡太子町葉室(P有)■形状円墳■全長径30m■築造時期6世紀後半~7世紀前半■埋葬施設横穴式石室岩屋山式石室(岩屋山古墳)に近い伝承では、破壊された家形石棺と羨道に木棺があったとされる■出土品須恵器■周辺の状況「二上山」麓の南西丘陵地葉室古墳群に属し、東方すぐに磯長谷古墳群、南側すぐに一須賀古墳群がある蘇我氏が根拠地としていた地■被葬者(不明)「王陵の谷」とも称され敏達・用明・推古・孝徳天皇の各天皇陵
金勝寺古墳(吉野川市山川町)2021年12月21日つれずれなるままに画像ファイルを弄れば、またまた落穂画像が出てまいりました。金勝寺古墳といえば21年の暮れに吉野川市山川町の忌部山古墳をお邪魔した際に、道端の案内板を見て立ち寄ったお寺の墓地にあるけったいな古墳です。忌部山古墳は前回お邪魔した阿波市の建布都古墳とは、吉野川の善入寺島を挟んで対岸の山中に位置し、やや西方の山麓に金勝寺がある。ちょうどJR徳島線山瀬駅の真南の山裾斜面に山路墓地がありこの
☆葉室塚古墳(越前塚古墳)河内国石川郡大阪府南河内郡太子町葉室(P有)■形状長方形墳または双方墳■全長東西75m、南北55m周濠有り■築造時期7世紀前半頃■埋葬施設横穴式石室が東西に2ヶ所あったと推定■出土品(無し)■周辺の状況「二上山」麓の南西丘陵地葉室古墳群に属し、東方すぐに磯長谷古墳群、南側すぐに一須賀古墳群がある蘇我氏が根拠地としていた地■被葬者(不明)「王陵の谷」とも称され敏達・用明・推古・孝徳天皇の各天皇陵に聖徳太子御廟が密集する「磯長谷
1972年のお話です!びっくりの発見でした!(^^)!高松塚古墳で極彩色壁画が発見されたのが今日なんだそうです。まずは・・・高松塚古墳なんですが!!7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳と呼ばれるもので、直径23m、18m、高さ5mの二段式の円墳なんだそうです。盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定されました。残念ながら被葬者は特定されておりません。1.天
今日アップするのは1月8日に訪れた千葉県芝山町にある小池古墳群です。↑まずは国土地理院の航空写真から(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMaps|国土地理院↑交差点にあって、やたらに目立つ小池第1号古墳、南西側より現状は東西18メートル、南北23メートル、高さ5.8メートル。築造当時は直径30メートル以上、高さ6メートル以上の大型円墳と推定されています。場所はこちら:35.691154,140.417908↑北西側より↑小
2022/12/16〜12/18投稿何故、金比羅神社はわかりませんが、古墳見学も出来るので、浪漫は感じますね。(^o^)公園内には広場や休憩所がたくさんあります。五郎山古墳の発見者はこの土地を所有していた山内さんという方だそうです。山内さんは父親からこの土地に古墳っぽいものがあるという話を聞かされていたそうです。1947年(昭和22年)、山内さんが土が凹んでいる場所を見つけたので掘ってみたら石室が見つかり、正式に古墳であることがわかったのだそうだ。\(^o^)/発見当時、石室内はす
2月9日に訪れた群馬県高崎市の古墳、続きです。↑旧中山道沿いにある安楽寺。こちらの境内に安楽寺古墳があります。↑ちゃんと看板も出ています↑安楽寺古墳、南西側より木立の中が安楽寺古墳。↑境内にある安楽寺古墳の解説板直径20メートル、高さ4メートル、7世紀末築造の円墳。主体部は横口式石槨。石室内部の壁面には鎌倉時代の製作と推定される仏像が7体掘られており(安楽寺の本尊)、12年に一度、巳年に開帳。↑お寺の方に声をかけて古墳へ
2022/12/13〜12/15投稿考古、民俗資料、美術工芸品等を収蔵・展示する施設である。郷土史を概観する常設展、毎年テーマを変えた企画展を開催する。また史跡などに関する詳しい情報を提供し、筑紫野の歴史・文化を学習することができる。こういった触れるやつには目がありません。隣はすぐ、筑紫野市民図書館・筑紫野市生涯学習センターと隣接していました。(*^^*)交通の要衝といわれる筑紫野市では、さまざまな人や物の交流がありました。実物の『ミゼット』が展示してありました。貴重な車が間近で
穴薬師古墳3(阿波市土成町)2023年10月26日穴薬師の玄室は天井石が斜めになっていて「忌部山石室」もしくは「段の塚穴型石室」のようになっていますが、実際は直方型石室だったようです。全長5.5mほどの石室で側壁は砂岩、天井石は緑泥片岩からできていて、玄室は左側が少し幅が広くなっている感じ。一番奥の天井石が斜めになっている感じはこれ「段の塚穴型」ではないのか。ただ天井石に後世の補修跡があるようです。「段の塚穴型石室」とは、筆者の自宅裏山の河岸段丘上に営まれた古
旭・小島古墳群残り最後のひとつ、「浅間山古墳」にきました鳥居があります解説板らしきものも見えます中仙道沿いにありました『淺間山古墳町指定文化財』直径38m高さ6mの円墳主体部は角閃石安山岩胴張両袖型横穴式石室石室規模は全長約9.48m玄室は長さ6.48m奥壁幅2.2m最大幅2.4m天井高さ2.5m羨道長さ約3m幅1.2m高さ1.8m出土品:直刀2、鉄鉾1、金環(耳環)5、玉類、鉄鏃多数(東京国立博物館収蔵):直刀4、鉄鉾1、鉄鏃多数、須恵器平瓶1、銅鋺1(上里
穴薬師古墳2(阿波市土成町)2023年10月26日石室左脇の石柱には、なんと「粟国造古墳址」などいう彫りこみがあります。まさかこれが阿波国主の墳墓だというのか。にわか信じられない話ではあるが、当地はそれなりの背景を秘めていたかもしれない。確かにこれまでにも旧土成町御所の宮河内谷川流域には椎が丸古墳や土成丸山古墳などはじめ10カ所ほどの古墳密集地帯です。そもそも御所という地名も雅な風情が漂いますが「御所」といえば山峡に「たらいうどん」のお店が何軒か並んでいる
穴薬師古墳(阿波市土成町)2023年10月26日百舌鳥巡礼を終え、いざ伊予巡礼落穂ひろいは宇摩の巻に戻ろうとした矢先、細切れ画像がぞくぞく出てきました。穴薬師古墳とはなに。記憶が定かならざるも他の画像と勘案するとおぼれげながら思い出してきました。昨秋、阿波市の落穂ひろいから東かがわに巡礼した時のひとつでした。阿波市は旧土成町南原。県道12号鳴門池田線から県道236号線を北へ曲がり、500mほど行くと西側50m先に見えてくる。九番札所法輪寺のご近所、少し北方に走れば
きのうはお出かけしました。買い物帰りに天気が良かったので寄り道、地元のシンボル造山古墳とその陪塚千足古墳へ!ビジターセンターもできて全国から人が来てます!奥に見える山が全国4位の大きさを誇る造山古墳!しかもこの大規模前方後円墳は気軽に登れるのだよ!ここ数年の大規模発掘調査を経てキレイに舗装されてますわ!何年ぶりかな~?円墳のトレンチ跡です、田んぼの奥には水攻めで有名な備中高松城跡や最上稲荷が一望できる絶景が広がる、水攻め当時ここにも陣が築かれた
②赤岩尾根を三河富士~平穂の岩へと徘徊。赤岩尾根道(赤岩自然歩道)へ戻り、小ピークからは標高を100m上げるため、急登を喘ぎ徘徊です。しかも、今日は天気不順のため、薄手のポンチョをザックの上から被っていますので、スマートウォッチが熱中症アラームをビービー鳴らしてきます。(^_^😉赤岩尾根道へ戻り、墳頂の陥没痕と石材を眺めて小ピークへと徘徊です。此の境界石柱が半壊古墳探しの目印です。もぅソロソロ小ピークかなァ~もうチョッと先でした。ァへ小
鴻ノ池古墳を後にして、近くにある穴薬師古墳を目指しました。案内板の地図にしたがって行くと採石場の会社の方がおられて、場所を尋ねると丁寧に教えてくださいました。ありがとうございました!猪除けの柵を開いて中に入り、扉はしっかりと閉じて進んでいきます。お地蔵様に挨拶をして前を通過します。要所要所に案内の看板が設置されているので、迷わずに進んでいけます。立派に育ったサルノコシカケを見つけました木の間から顔を覗かせる生き物のようにも見えます。穴薬師古墳が見えてきました。坂出市の古墳群の中で
皆様おはようございますダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったダス!📺でも途中から見たのでお話の内容はよう分からんかったダスw今回もウルトラセブンやっとられた森次さんが出とられたダス!あと、このお方、藤岡重慶さんもよう出とられるダスな☆悪役でしか見たことないダスがw朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!今朝は雨が降っとったのでバラの水やりは自然に任すダス!☔🌹🌹🌹では占いダス!皆様の今日の運勢はどうダスかね?占いで1位から5位までが欠けとるダスが今朝はちょ
1月29日から、1泊2日の墳活旅。当初の予定は1日目の最後に「古墳の広場」として史跡整備されている藤枝市の若王子古墳群を巡るつもりだったのですが、日が暮れそうなので、2日目に変更。夕陽の中、訪れたのが今日アップする九景寺(くけいじ)古墳です。↑九景寺古墳の石室開口部は赤い〇の中直径約20メートル、6世紀後半築造の円墳。場所はこのあたり:34.865549,138.246204↑開口部の様子↑九景寺古墳の小さな解説板石室全長8メートル、幅1.95