京の堀川のあたりに目貫縁頭[1]の細工師がいる。生まれつき器用な者で、全ての銅細工が上手で、小柄は家彫に劣らない。弟子たちを多く抱えて下ごしらえをさせて、仕上げを自分で行い、人が気に入っても自分が気に入らなければ捨ててしまう職人気質であったため、上手だの名人だのと有名になった。誂え品が多くある中で職人の片手間に根付け[2]を趣味で彫り、それが素人の目に留まった。それが高じて枕時計や紅毛[3]の磁石、貝の珠で帯締めに近江八景のガラス彫など様々なものを作り、肝心の本職は面白くなくなり、予期せぬ誂えも