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皆生温泉🎥美しい砂浜と静かな海が広がる海にたっぷりと癒されよう~🌊マイナスがどんどん🌊波に打ち消されて消えていくイメージを持ちながら~🎥白隠禅師健康法と逸話より温泉コンサルタントが本音で語る夢の温泉のつくり方Amazon(アマゾン)1,250円ガチ速世界一楽しくてやさしい温泉分析書の読み方Amazon(アマゾン)497円
柿田川湧水群から旧東海道に戻り、三嶋大社を目指します。八幡交差点から東に進みますと「伏見一里塚」があります。宝池寺前にあることから「宝池寺一里塚」と呼ばれています。損傷が激しかったこともあり昭和60年に復元されたものです。ここには「立場」があり、旅人の休息の場でした。臨済宗妙心寺派のお寺「宝池寺」です。その向かいにあるお寺が、同じく臨済宗妙心寺派のお寺「玉井寺」です。このお寺には、「白隠禅師」の遺墨がいくつか残され、この山号もその一つで、雄渾
こんにちは♡オグ・ヨーコです。大好きな海の近くに移住して、現在は4人の子どもと夫と暮らしています。直感と2つの数秘術の智慧を使い、カウンセリングやコンサル、ブログを通して皆さんが『本来の自分を生きる』お手伝いをしています。☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆「自分に一致していると、必要な情報がおりてきます。」こんな言葉を皆さんは聞いたことがありますか?では、次のこちらはどうでしょうか「目に見えない部分が9
はつらつと老いる力(ベスト新書)Amazon(アマゾン)899円2019年1月25日発行・・・2022年10月20日読みました私の心に残ったこと死に直面したら、後悔したり、狼狽したりすることなく、思い切り向こうの世界へ飛び込んでいければ万々歳です・挫折をした人は、人のかなしみを知っている・自らのかなしみが人を癒し、それで自分も癒される・食養生は、こころのときめきが最優先で、「こころのときめき➡大地のエネルギー
彦根市に龍潭寺という寺院がある。1600年に井伊直政が佐和山城(現・彦根市)主となった際に、静岡県浜松市にある井伊家の菩提寺である龍潭寺を分寺して建立された。それ以来、彦根の龍潭寺は井伊家の菩提寺になっている。佐和山城主は、彦根藩の藩主だけでなく過去には石田三成が居城としていたという歴史のある城である。龍潭寺のだるまさんたちその龍潭寺は「だるま寺」との異名をもっている。ご承知のとおり「達磨(だるま)大師」は禅寺を開祖。それにより「だるま」は禅寺と深く関わっている。手足がないの
菩薩の生き方。地獄での生き方を説いているのですね。この世は地獄。逆境を切り抜けて生きていく。1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書Amazon(アマゾン)1,933〜7,496円
ナイン・ストーリーズ/J.D.サリンジャーのエピグラムにこうある両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?日本における臨済宗(禅宗のひとつ)の中興の祖、白隠禅師の有名な公案「隻手音声(せきしゅおんじょう)」からの引用だねぇ閑話休題先の「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」は予想に反してマニア対応がなかったからなぁ?(*1)、、まぁFテレビ自体が訳の分からん口出しをする会社のようだから(「**世紀少年」がいい例?)、そこのところ
前回も紹介したが、仏画曼陀羅アート教室で「達磨さん」を描く練習をしているが、仏画を描くのとは少々異なる。その最大の違いは、達磨さんは、お釈迦様と同じようにこの世に存在した人であるということで、人物画として達磨さんの特徴を捉え一気に描き上げていく。その特徴は周知のとおり眼光鋭く、髭もじゃもじゃの顔に簡素な袈裟をまとった姿なので描きやすく筆は進む。しかしながら、顔を描く際には、筆が止まるようだ。描いた経験のある人はわかると思うが、筆が止まるのは達磨の目を描くとき。目でも黒目といわれている瞳孔である
なんでも鑑定団で白隠禅師の絵が出てきました。吉田兼好さんを猿に見立てて、吉田猿猴とバカにした絵です。白隠禅師は、禅宗の臨済宗の中興の祖といわれた偉いお坊さんです。それなのに、漫画みたいなおもしろい絵を描きます。達磨大師の絵をたくさん描いています。どれも、にらめっこをしていると吹き出してしまうようなふざけた目をしています。禅宗では座禅が大切といいます。達磨大師は座禅で悟りを開いた人なのに、ふざけた顔に描くなんて。なかには、禅問答を絵に表したものもあります。「隻手の音声」は「片手で
#秋彼岸も過ぎ#法源寺坐禅会#菩提和讃38#一声唱うる称名も#諸仏の浄土に通徹す#一滴乾坤を潤す一滴のしずくが天地を潤す#ありがとうのおすそ分け「ありがとう」の一言は周囲を和ませる幸せの魔法の言葉。この優しさのおすそ分けが隣りの人に受け継がれれば争いなんて起こらないのにね。この夏から配布した疫病退散カードの第5弾!岐阜市の大龍寺さま所蔵の白隠禅師による掛け軸から、白澤の画像をいただきました。ご近所のお宅の仏壇にお供えされているのを見ると、お守り代わりになっているのかなぁと嬉
ある日のエピソード車で皮膚科へ行った。受付で、現在20人待ち。途中、手術の患者さんもいて、その間は診察がストップすると聞く。長くかかりそうなので、受付だけして、一旦帰ることにした。駐車場で、車のエンジンかける。んエンジン、かからない~何度やってもダメ/ほうそうか\JAFに連絡到着までに、35分かかりますと言われる。/ほうそうか\思いのほか早く、10分かからずにJAFがきてくれた
帯津先生にお会いしたことあります。(*^-^*)治療中。まだまだ華奢でかつらのころ。知っていた予後不良。(´ε`;)管理の管轄。からだのデータはお医者さん。メンタルや生活は自分自身。芯を保ちたかったんだ。こどもや、家族の手前では心配かけないように振舞っていたけども。本当はとてもこわいんだよね。帯津先生、近所のお寺にておはなしをされました。ホリスティック医療。↑↑↑勝手に教会のイメージしていました。お寺でクリスチャン?(˙-˙)アホダー
2022年元旦4つ年上の私の兄は、とても物静かな人です。父はもうかれこれ37年も前に他界していて、4年前に母が亡くなってからは、実家で一人暮らしをしています。兄は家族に対して自分から何か積極的に行動を起こすことはなく、こちらから会いに行かなければ、特段連絡があるわけでもありません。ただ、いつも落ち着いていて、あらゆることに寛容で、姉や私、甥っ子や姪っ子にとって一番良いことを考えて
これは本日ではなく8月5日の、それもどちらかと言えば千葉主体の徘徊日記である。①回向院「インド独立七十五周年・日印国交樹立七十周年記念松蔭寺と細川家の秘宝ブッダと白隠禅師展」②映画KINGDOMⅡ③桂宮治全国ツアー禁じられた宮治仏教展示と映画、そして落語の独演会と盛りだくさんで、5月11日の「本日の東京徘徊」に匹敵する脳みそに負担をかける一日だった。このときは①鈴本演芸場②東京都美術館「スコットランド国立美術館美の巨匠たち」③サントリーホール「反田恭平&フレ
元をたどれば、あれも、これも、仏教語。私たちが何気なく使っている日常生活のくらしの中にも多く溶け込んでいます。誰かに教えたくなるネタ満載な仏教語。ご紹介していきたいと思います。「和」を「オ」と読むのは唐音(とうおん)「山寺の和尚さんが.....」と、童謡にも登場する和尚さんは、僧を親しんだ呼び名として、おなじみになっています。その読み方も、「オショウ」「ワジョウ」「カショウ」と宗派によってさまざまです。この和尚の原語はサンスクリット語で「ウパーデ
病気を遠ざける法をあなたに伝授これを我が味方にすれば人生百人力だ!!癒し王ふじです。🎥大き目の画面で見る場合はコチラのYouTubeで!※難しい内容ですので、何度も復習してみてください🙇
今回はまた帝国劇場の女優劇公演を紹介したいと思います。大正7年9月帝国劇場演目:一、女郎花塚二、白隠和尚三、月光の下に四、舞踏五、実録先代萩六、魂の入替前回紹介した7月公演は松助と歌舞伎座や市村座から借りた若手の混合編成でしたが、今回は久しぶりに幸四郎が女優劇に出演しています。彼が女優劇に出演するのは大正6年2月公演以来約1年半ぶりの事でした。7月の女優公演の筋書『大正7年7月帝国劇場女優劇その2』今回は久しぶりに帝国劇場の女優劇公演を紹介したいと思います
※いつ何時も慌てない慌てない…▽理想の”自由”は面白がる力から◎経済的土台より大切な柱を作る◎現実の土台となる氣分を高めるいつ何時なにがなんでも面白がれるか?面白がれる領域がとても広い人のことをぼくらは”超人”と呼びます。いくらお金を稼いでみてもそれを面白がれる力がなければ、逆に失う恐怖にさいなまれてしまう、、、まさに笑えない事態に陥ってしまいます。持てる者の辛さ、シンドさ、そして、窮
山岡鉄舟先生正伝おれの師匠小倉鉄樹口述6月20日、東京は朝から暑い!昨日は帝劇で観劇、今日は谷中の全生庵へ。ここに山岡鉄舟先生のお墓がある。2度目の来訪である。ずっと山岡鉄舟に憧れている。それでこの本はいつも枕元に置いてある。これ以外の鉄舟本もたくさん持っているが、あまりに偉大な鉄舟先生を称賛したい気持ちが強すぎて、史実に忠実でない本も散見される。しかし、この本を口述した小倉さんは、鉄舟先生の内弟子の中で一番かわいがられた人だし、信憑性は高い。
旧東海道歩きは「原宿」をめぐっています。原宿は「白隠禅師」が生まれ、示寂したところです。生誕地については過日記事にしました。生誕地から少し東に進むと、「松陰寺」があります。ここは白隠禅師が出家したお寺です。「山門」は、一間一戸の薬医門です。切妻造で伊豆石の石瓦が一面三段に葺かれています。石瓦は全部で108枚あり、白隠禅師の考案によると伝えます。文政年間(1818~1830)に建立されたと伝わり、古刹を特徴づける希少なものとして、国登録有形文化財となっています。
旧東海道歩きは「原宿」に入りました。「原宿」西入り口に、造り酒屋「高嶋酒造」がありました。元々は地元の網元だったそうですが、文化元年(1804)創業したという老舗造り酒屋です。ここ原宿は白隠禅師の生まれたところ。白隠禅師は臨済宗中興の祖と称えられた人物ですが、明治17年明治天皇より「正宗国師」の諡号が贈られることになり、勅旨として山岡鉄舟が松陰寺を訪れます。その時ここの酒が供され、その酒の旨さに鉄舟は、正宗と清酒をかけて「白隠正宗」と命名したのだとか。以来高嶋
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白隠禅師の言葉、「菩提心なき者は悉く魔道に堕す」について、思うところができたので、書いてみます。人は、悪口を言われると、怒る。褒め言葉をもらうと、喜ぶ。自分にとって、好ましくないものは避けようとし、好ましいものは、ずっと手もとに置こうとする。そのように欲する心の根底には、自己に対する愛着がある。自分が一番かわいいので、自分にとっての苦痛と快楽に、最大の関心を払う。執着だ。自己執着があるかぎり、苦痛と快楽――両極の間で、心は常に振り子のように揺れる。この「心の振
こんにちは、マレーシア海暮らし中の鈴木貴子です。昨日は藤麻美子先生から呼吸を学んだ仲間の皆さんと、勉強会を行いました。一緒に深める仲間が日本全国にいらっしゃることは、とてもありがいです!昨日は禅の高僧、白隠さんの書籍を読みました。※白隠は、丹田呼吸により病を治したと言われています。500年に一度の名僧と言われながらも20代は極度の神経衰弱に悩まされた白隠。呼吸法に出会い、長生きし素晴らしい人生を送ったとされています。呼吸法を深掘りしていると、なぜ私が呼吸法に出会ったか、
突発性難聴私は39歳の時に左耳が突発性難聴になりました。今思うと、過度のストレスだったのだと思います。ずっと仕事ばかりしてきて、自分の時間を大事にせずに、ただひたすら治療をしていた時に、講演会の依頼や本の出版などが重なり、オーバーワークだったのでしょう。情けない限りです。テレビを見ているときに、突然左耳に高音の耳鳴りが起こりました。まあ、いつものことだと思っていたのですが長い間止みません。そしてふと気づくと、左耳が聴こえなくなっていました。驚きました
4月をお休みしたので、5月は行こうと参加してきた。そこで、本を二冊もらってきた。先代住職の書かれた本と編集に参加された本だ。ひとつは、やさしく仏教を解説したもの。これは壇信徒に向けての冊子「だるま」に連載したものをまとめたものだ。三冊あるけれど、第1巻だけいただいてきた。三法印、四法印からはじまって、仏教の基本的な概念から始まっている。もう一つは、中尾文雄禅師が訳した、隠元の『普照国師広録』の現代語訳だ。これを編集したものだ。500ページはあるかという分厚い本だ。隠元
昨日、図書館で日本画の美術全集をめくっていると白隠慧鶴(はくいんえかく/1686~1769)の「達磨像」が目に入った。独特のタッチの絵を描く画僧であり禅師である。禅の代表的な公案(禅問答)を創始した人で、臨済宗の中興の祖といわれている。その白隠禅師が創始した公案の一則である「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」を以前も紹介したが、印象深い禅問答なので今回も解る範囲内ではあるが紐解いてみる。日常で使う禅問答は会話がかみ合わない様子のことをいうが、本来の禅問答は禅宗の僧による言葉や動作のやり取りの
だいぶ前になるが、佐川美術館で「白隠と仙厓展」を観たときに、告知ポスターや展覧会テーマの切り口などが大変ユニークで、仏教への興味をそそるものだったのでわざわざ観に行ったのを覚えている。その時に、白隠禅師が考案した問答、隻手音声(せきしゅおんじょう)に触れ、「禅問答」という公案(禅の道で悟らせる問題)に、禅宗で悟道させる問い掛けが分かりやすく示されていたのを読んだ。それ以来、機会に触れるごとに読むのを楽しみにしている。今回、「禅語」をキーワードにネット検索していると、私でも理解できる分かりやす
小林正観さんの心に響く言葉より…「交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう」「病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう」「友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう」ありとあらゆることに「どういう意味があるのでしょう」「何か私に教えようとしているのでしょうか」とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。それは質問というかたちをとって、自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。「これが気に入らない」「あれ
白隠禅師坐禅和讃「坐禅和讃」は、江戸時代の臨済宗の禅僧、白隠慧鶴によって書かれたといわれています。「禅」は中国から日本に伝わりましたが、そのため坐禅の教えも漢字によるものが一般で、人々に分かりやすいものではありませんでした。そこで白隠禅師は、人々に坐禅の素晴らしさを伝えるため、親しみやすい七・五調の和文で示しました。雲黒斎さんがこの超訳をFacebookに投稿されてて、秀逸なのでまとめて読みたい❣️と勝手に集約雲黒斎さんのYouTube「存在の相転移」シリーズぜひ観てねオマケ