ブログ記事2,709件
〈Bー2初めての入院〉全身に赤いボツボツが出現して以降、夫は暇さえあれば、ゴロゴロと横になるようになりました。昼食の休憩時間には、会社から自宅に戻り、昼食もろくに食べずに、ひたすらゴロンと横になり、また仕事に戻る、という日々。そんな状態でも、夫は頑なに、精密検査を拒み続けました。「悪いと分かっているから、病状告知が怖い」「入院、治療となれば、会社が立ち行かなくなる」という心理が、病院行きを妨げていました。黄疸とともに、夫のお腹が少しずつ、
〈Bー1初めての入院〉夫の初めての入院は、平成25年9月。このころ、夫は、北関東の酒類販売会社の経営者として、休みなく働き続ける日々を、送っていました。そんな夫の体のあちこちに、入院の一年ほど前から、赤い大小さまざまな斑点が、出てくるようになり、皮膚科を受診しました。その日、私は夫とともに、皮膚科の待合室にいました。ふと、横に座っている夫の顔を見て、「あれっ、白目が黄色くなってる」と、驚いた声を出しました。夫は日ごろから、「目が黄色くなってい
〈Aー4はじめに〉それでも、退院後は、日々の外出歩行訓練で、体力をつけ、肝移植から、1年4カ月後、今度は、生体腎移植を受け、人工透析からの離脱を果たしました。その生体腎移植から一年後、夫の社会復帰が、可能になり、再就職活動を開始。58歳という年齢でしたが、それまでのキャリアが評価され、フルタイムで、勤務することになりました。新たな仕事人生がスタートしてから、三年が過ぎた現在、元気に出勤する夫のスーツ姿を見て、「一級の身体障害者手帳」所持者だと、気
〈Aー3はじめに〉早いもので、夫が55歳の時に、「肝硬変非代償期」と診断され、入院してから、6年が過ぎました。その後、肝硬変の恐ろしさと闘いながら、ぎりぎりのタイミングで、生体肝移植に漕ぎつけ、15時間半に及ぶ手術が、成功しました。けれども、肝移植の成功を喜んだのも束の間、夫は、病院内での細菌感染から、敗血症を起こし、再び「生死五分五分」の、危険な状況下に、戻ってしまいました。急激な腎機能低下(急性腎不全)により、人工透析が必要となり、シャ
〈Aー2はじめに〉医療関係者からの、紋切り型の、極めて少ない情報の中で、「死ぬしかないのかな。諦めるしかないのかな。医者には逆らえないのかな」と、気弱になることもありました。もっと、当事者からの情報があったなら、遠回りせずに、早く命を救うことが、出来たでしょうし、当事者にしか分からない、不安や恐怖も、解消できたことでしょう。その悲痛な体験から、「私たちが、当事者として、生体臓器移植の語り部になろう」と、決断し、平成28年末に、『ダブル移植の語り部
〈Aー1はじめに〉「ダブル移植の語り部」、このタイトルを見て、「どういうこと?」と思われる方が、ほとんどでしょう。「ダブル移植」には、二重の意味があります。一つは、臓器移植を受ける、レシピエントと呼ばれる人が、異なる二つの臓器の移植を、受けているということ。もう一つは、臓器の提供者、ドナーが、異なる二つの臓器を、提供しているということです。実は、私たち夫婦は、ダブル移植のレシピエントとドナーです。夫は、肝臓と腎臓の生体移植、二つの臓器の移植
「ああ、これこそが、失ってみて初めて健康の有り難さが分かるっていうことなんだなあ」…そう、しみじみと感じました。私が、2度のドナー体験で得た、最大の収穫だったのかもしれません。10年前(2014年)の私は、とにかく必死でした。その必死さは、「なんとしてでも、夫の命を救いたい!」という、執念にも似ていたので、断られても断られても、諦めずに、食い下がり続けました。そんな10年前の、なりふり構わなかった自分を、今はなんだか、「いじらしい」と感じています。明
ドナー(臓器提供者)という存在は、本当に不思議な立ち位置のままで、手術を受け、入院生活を送ることになります。身体的には、メスが入り、臓器を切り取られたり、摘出される訳ですから、当然、痛みはありますし、カテーテルやドレーンといった、さまざまな管も挿入され、まさに「病人」そのものです。ですが、元々ドナーは健康体なので、時間の経過とともに、健康を取り戻すことは、半ば、保証されています。その上、手術後の身体の痛みはあるけれども、それと引き換えに、大切な家
…とゆう夢を見ました。朝起きて夢で良かったとホッとしました。私のeGFRが25.9なので、最近、透析に戻ってしまうんじゃないか…って、そればかり考えているから、透析施行する夢を見てしまった。なんとか両親が健在なうちは、透析に戻りたくないですね
大地震後、初めて、断水が解消した家庭の映像で、特に印象に残っているのは、おばあさんが、水道の蛇口に向かって、手を合わせて、お礼を言っていた姿です。…もともと、信心深い方なのでしょうが、水の有り難さ、それも、蛇口をひねればいつでも水が出てくる有難さが、身に染みた末の、「水道の蛇口への礼拝」だったのでしょう。蛇口に向かって手を合わせる、おばあさんの謙虚な姿を見て、ハッと気付かされることが、ありました。~失ってみて初めてその有り難さが分かる~その最たるものが
それからもうひとつ…読者の方々に私たちのリアルな体験を、知って頂きたい、という思いと同時に、私たち当事者にとっても、2014年4月に行われた、生体肝移植手術から、丸10年という節目を迎える現在、今一度、激動の2014~2015を、振り返りたいという、熱い思いがあります。現在、私たちは2人とも、健康で幸せな生活を、送ることが出来ています。それは、とにもかくにも、夫の体内の移植肝臓と移植腎臓が、順調に機能してくれているからなのですが、ともすれば、それを忘れてし
削っても削っても、減らない様子を見かねた、野村さんが、「ご本人だと、思い出や文章に、愛着があって、なかなか削れないでしょうから、私がお手伝いしましょう」と、申し出て下さいました。そのおかげで、なんとか2020年3月に、究極のダイジェスト版として、まとめ上がり、「命の贈りものPart3」という、タイトルで、出版にこぎ着けることが、出来ました。(ちなみに、野村さんは、愛媛新聞社勤務だったので、文章校正には強い方で助かりました)そして今、ブログ開設時から、7年
…こんな経緯で、2016年12月に始めた、「ダブル移植の語り部」ブログ。本編は、2年3か月にも及び、(というとカッコよく聞こえますが、実際は、単にダラダラ書いただけ…)最後は、すっかり元気になり、会社勤めも難なくこなせるようになった、夫とともに、高知県に〈だるま夕日〉を見に行く、という最終章『だるま夕日』で、幕を閉じました。その後も、続編として、「どなドナDONOR」と銘打った、地味なブログを、書き続けていたところ、えひめ移植者の会会長の、野村さんから
20日㈬から久しぶりに来た頭位眩暈症😵💫良くなったり悪くなったりを繰り返してましたが、今朝は目眩酷くて起きられませんでした꜀(꜆×ࡇ×)꜆今日は吐き気も伴って、薬袋をガサコソ☠💊あった!!!ドンペリドン(吐き気止め)そしてメリスロン(めまいの薬)1時間近く経った頃、効いてきたかも🥹今度は急に来た空腹www家にあった物で作ったパスタいんげんとベーコンの塩昆布パスタ減塩の塩とブラックペッパーだけで味付け🧂我ながら美味しかったなさ!!!!!!!今日はスポーツジムもショッ
(昨日の続き…)(3)移植した肝臓は、その後、敗血症を乗り越え、機能するようになったものの、敗血症によって、突然、急性腎不全になった夫の、2つの腎臓は、その後回復することはなく、腎機能がダメになってしまった夫は、人工透析生活を、余儀なくされるようになりました。↓(4)「夫を何とか人工透析生活から離脱させてあげたい」という、私の思いや学びや行動が、実を結び、肝臓に続いて、2度目の臓器移植手術である、「生体腎移植手術」を、受けることが出来ました。
20年くらい前までよく行っていたラーメン屋さん🍜社長が急逝し、誰も当時の味を再現できず、惜しまれながらも閉店したラーメン屋さん🍜見っけた!!もう3年くらい前から出店してたっぽい今日だけは塩分も気にせず食べさせてくだされ!!キタ━(゚∀゚)━!素晴らしい👏再現できてる😭これよ、これ!!あ〜美味しかった🤤追伸...スープはほぼ残しました😭
若き主治医の、緊迫しつつも、きっぱりとした口調は、夫の命が、危険水域に入ったことを示していました。「明日の朝、亡くなっているかも…」という言葉を聞いた私は、とっさに、「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」と、言ったのですが、このドナー志願の申し出によって、事態は急きょ、動き始めました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私たち夫婦は、10年前の2014年と2015年に、2度、臓器移植手術を受けていますが、私たちが辿った、激
【羽ばたき振戦】通常、体内でたんぱく質を分解する過程で生成される、有害物質のアンモニアは、肝臓で無毒化されて、尿素に変わり、尿として排泄される。ところが、肝硬変などによって、肝機能が低下した場合、肝臓がアンモニアを、処理できなくなり、脳に運ばれたアンモニアが、肝性脳症を引き起こす。羽ばたき振戦は、肝性脳症の神経症状のひとつである。…このように、振戦は、重度の肝硬変であることを知らせてくれる、大事なシグナルだったのです。そして、この振戦の症状こそが、結果的に、夫を
今から思えば(←この表現ばっかり!後悔先に立たずの連続です)自分の意思で身体の制御が出来ない、というのは、大問題だったのです。「振戦」と言っても、寒くてガタガタ震えたり、極度の緊張で震えたり、といった経験は、誰にでもあるので、こういった振戦は、生理的(正常)振戦で、問題にはなりません。一方で、何らかの病気が原因となって、震えが生じる場合があります。アルコール依存症や脳卒中、パーキンソン病やバセドウ病などで、震えが見られることが、多々あります。夫の「振戦
生まれて初めて見た、この黒い中華饅頭は、衝撃的過ぎて、今でも、そしてこれからも、忘れることは出来ません。そんな(腹水過多による)おヘソ周りの異常のことなんて、どの肝臓病の本にも、出ていませんでしたから、夫特有の変化なのかと思っていたら、肝臓の専門医は、「この出っ張った部分が、服に触れると痛いですから、腹巻を買って、保護してください」と、慣れた様子で、事もなげにいうのです。慌てて、腹巻を買いに走り、おヘソの黒い中華饅頭を、守って(!)あげました。そ
今日はお昼休みを利用して自分の職場で採血を受けました❣️肝臓内科と甲状腺外科にかかりつけていて、今日は肝臓内科の事前採血検査がありました💦採血室へ行くと、いつもかったるそうに仕事している男の看護師がいました!どうかアイツに当たりませんように🙏🏻…こんなこと思ってると当たっちゃうんだよな〜😂正解間違いなく失敗されると確信した私💦めちゃくちゃ私の血管を触って何度もルート確認される人には、手背でもいいですよ!って先に言っちゃう私🙋🏻♀️だって何度も刺されるならチクッと痛いけど、1回で
腹水が、どんどんたまってくると、心肺まで圧迫されるらしく、夫は「心臓が苦しい」と、言うようになりました。慌てて病院に行って、座っているのも困難な夫を待たせて、やっとのことで、心臓のレントゲン撮影をしてもらっても、「心臓には、何の異常もありません。ですので、出せる薬はありません」と、医師から淡々とした口調で、告げられるだけ…二人でトボトボと帰宅するも、症状が好転するわけもなく、夫はますます、横になっているだけの毎日を、過ごすようになりました。『難治性
精密検査の結果、病名が判明しました。~肝硬変(非代償期)~もはや元に戻ることの出来ない時期に、入ってしまった、肝硬変でした。翌日、初めての入院。この時は、投与された利尿剤が、よく効き、腹水が体内から無くなり、めでたく退院したものですから、夫も私も、この病状は改善するものだと、信じてしまいました。現実は、そんなに甘いものではなく、ほどなく、消えたはずの腹水で、夫の身体は膨張するようになりました。『沈黙の臓器』と呼ばれる肝臓も、さすがに耐え切れずに、沈黙を
昨日朝5時に起きてしまって2度寝を試みましたが覚醒してしまい休日の朝活ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙(#゚Д゚)…の、途中突然、ピキーンと右目から右後頭部に走った激痛⚡️すぐさまカロナールを服用💊数時間経っても治りませんでしたが、我慢できないほどではなかったのでそのまま放置⌒ヽ(´ー`)そして今日の朝4時Zzz‥ᐝ再び激痛で目覚め、2度寝を試みましたがまたもや眠れず(゚д゚)ハッ!前にドクターから貰ったレルパックスとゆう偏頭痛薬があるではないか!!!!!すぐさま服用(;゚д゚)コ
このように、全身の皮膚に出現した赤紫の斑点や、お腹周りの膨張、そして、食欲不振の常態化、ゴロリと横たわる回数の増加、など、今にして思えば、元凶はすべて、肝臓の極度の機能低下によるものだったのですが、それに気付かないまま、漠然とした不安を抱えながらも、それを打ち消すように、我慢強い夫は、仕事に没頭していましたから、私はそんな夫を見て、危機感を募らせることは、ありませんでした。(本当は、かなりしんどかったのだと、夫は後述していましたが…)そんな膠着状態が一変し
今日は前職で仲良くしていただいた方とランチへ行ってまいりました🍴😋🍴久しぶりのガッツリランチ、ガッツリ外食な感じ何屋さんなのかよくわからないけど、家から車で5、6分のところにあったお店いつも混んでて気にはなってたけど、イタ飯屋ではないと聞いて、一度も行くことはありませんでした数種類あったランチから、よくわからないものをオーダー笑まず前菜だそうです。そしてメインは…インド料理屋さんで昔こんなようなの食べた!!ガパオライスとはちと違うハワイの屋台とかでは定番ってメニューに記載あった
後日談になりますが、近所のおばあちゃんに、この医者のことを話すと、おばあちゃんはビックリして、「あの医者の所に行ってたの!?」「バカ息子だから殺されちゃうよ!」と、即答したので、やっぱり「とんでもないヤブ医者」なのだと判明しました。どおりで、駐車場と待合室が、いつもガラガラだったはずだ~(あーあ)飲食店なら、こんなにガラガラ状態が続けば、間もなく閉店・撤退となるのでしょうが、開業医ならば(それも、父親が評判の良い医者だと、その跡を継いだ息子は、患者も引き継げ
「熊の胆(くまのい)」は、熊の姿がリアルに描かれた、パッケージだったので、子ども心に、その存在は、しっかりと記憶していますし、お腹が痛くなると、『富山の薬箱』を勝手に開けては、熊のパッケージの薬を、躊躇することなく飲んでいました。子どもの頃、「お腹が痛い」という症状が出た時に、いつも服用していた「熊の胆」…実は、この生薬を、化学的に合成したものが、〈ウルソ〉という肝臓薬だと知ったのは、夫の肝移植手術のドナーとなった私が、退院時に、40日間服用するようにと指
当時の人々、それも、診療所すらない田舎に住む人々にとっては、富山の薬箱は、なくてはならない、セーフティーネットだったのでしょう。富山の隣の県に住んでいたこともあり、私にも、富山の薬売りのオジサン(と言っても、きちんとジャケットを着たオジサン)が、毎年決まった頃に、各家庭を巡回していたという、はるか昔の記憶があります。我が家にオジサンが立ち寄ると、オジサンは、薬箱の中身を点検して、使った分だけ、薬代として回収し、新たに薬を補てんしていきました。その様子を眺
全て、、、全て、、、全てコヤツが悪いんだ〜美味い物をお得感を出して売らないでくれ〜!!!もう私の胃の中に全て消えました┏🐷゛遂に外食??挫折??(゚д゚)ハッ!テイクアウト系だから外食じゃない??そんなこと言ったら、日曜日に買って食べたスーパーのコロッケも外食か_| ̄|○il||liてことで、もうとっくに挫折してましたちゃんちゃんwww