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私は埋没したかったMtFなので、正直カミングアウトが大嫌いでした。それでも父が亡くなって色んな問題を解決しなければならないので、そうも言ってられませんでした。夕方以降は亡き父のお店を清掃し、一週間以上店を開けていなかったので、ゴミや空き瓶がそのままだったので大変でした。30日のお昼頃みビルオーナーさんと話し、基本的には原状復帰をさせなければならないということになりました。当然だと思いつつも、物凄い量の備品や商品だったので、さすがに業者さんを手配するしかないと思える状況でし
娘、なんて言っても、立派な更年期世代で、、(笑)更年期と風邪と仕事のピークとなんか色々押し寄せてしまい、いまだに荒波の中におりますー。結婚していたり子供がいたり親の介護をしていたりそんな中で、この時代を迎える人達は、本当に凄いと思います。。自分のことすら、なんか、ままならない。。しかし、これもまた、自分が選んだ道なんですよね。私は一人で過ごす時間で、自分を保っている部分があるので、やはり、結婚や子育て、親と暮らす、というの
家の中の状態が心の中の状態とイコールとは潜在意識を学んでいるとよく聞くことですよね。つまり家が散らかっているということは思考もぐちゃぐちゃしていているとか車も第2の家のようなもので整える必要があるとは思っていたのですが子どもがいるからと言い訳してなかなか手が回らずにいました・・汚れるのは元気な証拠でありがたいのですが、いや、この状態で年は越せないと思い立ち今日は時間ができたので1番いい洗車コース
自分と向き合い自分を見つめよう。と決めた時から私はいつかはこの問題と向き合わないといけない。と思っていました。ただそれをこうして言葉にすることに躊躇いと強力なブロックがあり今まで悩んでいました。でも、この問題を越えなければ真に自分の人生を生きることにはならない。と決めて今ブログを書いています。小さい頃を思い出してみると私には父との思い出はありません。それは私が自ら封印しているからです。私が思い出せる最初の記憶として父への感情は好きではない人。なんだか合わない人
宮城県に親類がいます。遠い親類です。そこから干し柿が届きました。祖母が仙台の出身です。代々、仙台藩のお抱え医師の家でしたが、幼いころに両親が相次いで亡くなり、祖母は仙台を出たそうです。仙台には父の従弟さんがいました。戦時中の疎開先であったこともあり兄弟の無い父は同じ年のその従弟さんを良く訪ねていました。その方もすでに亡くなりました。今回干し柿を送ってくださったのはその方の弟さんです。父のエンディングノートの中に、「自分が死んだら知らせてほしい連絡先」があり、数
宝焼酎ハイボール3缶飲み、挙句の果てには睡眠薬も飲んで書いた為、1個前の記事の誤字脱字が多くて驚いたアラフォーです読んで頂いた方、申し訳ございません💦さてさて、昨日無事にAmazonから、ポケモンSwitchヴァイオレットが届いたのは間違いない今年は8月から医療費は30万を超えたし、更に来年中学生になる坊やの色々な代金の為、「サンタはマミーだ」と明かしたこれは去年のクリスマス?更にこちらはいつの?って言うくらい、私はケーキに興味が無いし、昨年は義弟が亡くなり、妹もパートして無かったか
中学校や高校、大人になってから出会った友達の話を聞いていると、ウチの小学校って、ちょっと特殊だったんだな、と改めて感じます。越境組や中学受験が多く、地元の公立中学には、クラスの中で数人しか行かないため、公立中学校では、ウチの小学校出身者は、なかなか肩身が狭かったそうです。越境組が多いと、学校が終わってから遊ぶ、ということが難しくて、今思うと、地元の友達って、本当にいなかったなーと。私も中学受験をしたので、小学校のお友達とは、本当に縁が無くなって
(美ヶ原高原)97歳の父が死んで、今日は火葬の日。私が喪主なので、火葬の済んだ骨になった遺体を確認させられた。それは一つのセレモニーに過ぎないのだと思うけれど、最初に遺体が各々の名札のついた火葬の窯に入っていきましたというのを見せていながら、最後に「焼きあがりました」というので間違えようがないのを、わざわざ喪主含んで1-3人呼んで骨になった人の取り違えがないかどうか確認しろと。後で「取り違えました」とかいう事件があったのだろうか。骨を見て正しいかどうかなど分かるわけがない。確
自分で言うのも変かもですが、私は、あまり物怖じしない子で、自由人な空気を、醸し出していたと思います。大人と喋るのも好きだったし、決められたことより、面白そうなことに、引っ張られる子供だったと思います。そんな感じの態度が、周囲の大人からは、【変な子供】扱いされていたよーで、直接、母親に、そういったことを言う、ママ友もいたんだそうです。たまたまなのか、お土地柄なのか、ちょっと、イイお家の方が多かったのもあったみたいで、田舎から出てきた母親は、この時期が、いっ
おはようございます。ご閲覧、ありがとうございます今日のメイクのアイテムはコチラです。rom&ndのパレットを使用しました仕上がりはこんな感じです。瞼が浮腫んでいますが…ところで、タイトルの父との関係ですが、とにかく過干渉なのです。例えば、、、夫の会社の銀行口座の残高を訊いてきたり…もううんざりなのです。だから、もうすぐお正月、帰ってこいと言われましたが、本当に気が重くて、嫌なのです。もうこれ以上は限界だと思って
昨日からイリワ店内をでかい鬼柚子が見守っています。昨日のお客様は不思議がって記念写真を撮っていました(笑)お好きだったら持って帰っていいですよと申し上げたけどそこまでではなかったですね(笑)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎2023年12月23(土)~25日(月)クリスマス、12月29日(金)~2024年1月3日(水):午前11時〜深夜3時頃まで特別深夜営業◎ビル入口の看板の電気が点いている時は営業時間外でも頑張って営業中です!◎15時台か16時台に早目に開
笑顔溢れる幸せな家庭づくりの専門家ハッピーカムカムです♪2日目そもそもなぜ心理学を学ぼうと思ったのか?何のために心理学を学ぼうと思ったのか?【人の悩みの全ては対人関係の悩みである】とアドラーは言ったわけですが僕もこれまでの人生多くの対人関係の悩みを持ってきました親、兄弟、友人、恋愛、職場、地域の人、コミュニティーの中で多くの人との関わりの中で悩んできました。その中でも、特に大きな対人関係の悩みが3つありました1・父との関係2・妻との関係3・子供との関係(恋愛の
こんにちは!気づきマスターあおいです!■父の言葉に傷付かなくなっていた昨日、母に渡すものがあり夕方実家を尋ねましたそしたら、すっかりできあがった父に、久々に「テメーが母親のくせに」とか「母親がそんなんだから」とか言われました以前からよく言われていることで、毎回ムカついていたのに、今回、ムカつきませんでした。というより、傷付きませんでした。私は、よくやっているし、がんばっているし、息子くんにとって最高の母親だし、センターピースのおかげで、自分を赦し、ねぎらい、
ちょいと悪ものになりがちな、父の話を入れたいと思います。父の家は、祖母、曾祖母ともに、婿養子をもらい、曾祖母の代で、地方から東京に出てきたと記憶しています。戦争で焼け野原だった東京に、土地を買って出てきたと聞いており、曾祖母は世が世なら、お姫様だった、という家の出身と聞いています。なかなか、女性が強い家だったようで、それは、祖母や曾祖母を見ても、叔母を見ても分かります(笑)私は、祖母や叔母たちの、言葉のきつさが、本当に苦手でした。叔父も言葉遣いが
海無し県、東京まで4キロ圏内在住ですが、この市はイルミネーションの他、無駄な事しかしないと思っているアラフォーです金曜日は「イルミネーション点灯式」で、昨日は人参掘り何かさ、果物系の「食べ放題」とかなら惹かれるけど、よりによってタダでさえ、市の名物の人参を、一人一人の平米の中で、「持ってけ泥棒〜」的な企画ね坊やが参加して大量の人参をGETした為、昨夜はカレーに人参サラダ🍛、、、今夜は人参シリシリになりそうだけど、「美容にも健康にも良い」として食べるか妹は妹で、やたら「映え」を気に
ご無沙汰してます。10日以上ブログを書いてませんし、失礼ながらどなたのブログも読んでもいませんでした。原因ははっきりしてて、『心の問題』。ブログに書いたかどうか忘れましたが、僕は『双極性障害』を患ってます。昔の言い方だと「躁鬱病」ですね。『双極性障害』というのは、「うつ状態」と「躁状態」を定期的に繰り返す病気です。つい最近まで僕は「うつ」の状態だったと思います。よく聞く「うつ病」に近い感じです。「うつ状態」になると、・何もする気になれなくなるというの
『父との関係が変わる』独特のキャラでブログでも密かな人気者な父。仲もいいし、大好き。だけど私の中でどうしても引っかかる、なんで!?ってこと理解できない黒い氷の塊みたいな(普…ameblo.jp↑前の投稿でお知らせした1か月ヨーロッパの旅から父との関係が変わるまでの話ライブでお話ししました☜時空を超えたロマン不思議で温かい感覚父に対する眼差しが変わった。私のイギリス・フランスでの体験から、帰国直後の両親との体験、二週間前の大きな手放し(
前回の投稿で、父は、母を馬鹿にしているのか。という話を書きましたが、結構、そういう話を聞くし、自分自身も、父や弟、他人の男性に対して、「あ?馬鹿にしてんのか?」って思うことも多かったです。男尊女卑、なんて言葉があるんだから、そんな風に感じることが多くて、当たり前な世界なんでしょうが。昔々、働いていたところで。社長から、「どうせ結婚したら仕事辞めるのに、なんでそんなに頑張るの?」と、言われたことがあります。時代を感じますね~。「結婚しても、仕
こんなことを、母に黙って(笑)書いているんですが。母の移住計画自体は、まだまだ白紙状態です。白紙状態というのは、現実的には、まだ何も決まっていない状態ということです。当たり前と言えば、当たり前なんですが、母の心の中で、一進一退を繰り返しているわけです。年齢的に、こんなことしていいのか。金銭的に、こんな贅沢な事していいのか。そんな風に、いわゆる、コンフォートゾーンを抜けるため、母は、日々戦っていて、たまに会うと、ぐったりしていたりして。
北海道旅行編、思いのほか長くなってしまい。準備編で一旦お休み。まあ、旅行に行くだけでも、感情の揺さぶりがすごいんですよね。それだけ、小さな世界で生きてきたんだな、と感じます。これも、最近思う事なのですが、「家族ってこうあるべきだ」みたいな理想が、父親の中に、強烈にあったのかなーと。もしくは、「こうでなきゃ、いけないんだ。」という理想があって、それから逸脱するものに対して、結構な拒否感があって、排除しまくっていたんだな、と。家族でテレビを観ていても、
北海道旅行の準備のために集まったのに、母親のタブレットの使い方講座になってしまい、本来の話が始まる前に、私はグッタリしてしまいます。ここで強く感じていたのが、妹と、私に対する、態度の差。妹は、母が言う事に対して、正面から受け止めず、サラリと流すことが出来ます。返事しなかったりすることもあるんですが、それに対して、母も、文句を言う時もありますが、スルーすることが多く、それを見て、私は愕然とします。私は、全て受け止めてしまい全部に返事をしてしまい、意見
北海道旅行の日も近づき、そろそろ、細かいことを決めよう。と、3人で実家に集まり、旅行計画を立てようとなりました。当日、私は午前中だけ仕事があり、途中でランチに何か買って、合流する予定でした。事前に、母と妹には、何を食べたいかを聞いて、母は、脂っこくなければ、なんでもいいよ。という感じで、妹は、柿の葉寿司を指定。私も自分のお弁当を買い、足りないかなと思い、おかずに唐揚げを買っていきました。そして、実家に辿り着くと、、なんと、母が、唐揚げを揚げて待っ
旅行が決まり、それぞれで行きたいところをピックアップして、それから、どうするか相談しよう。となります。妹も仕事の休みを取れて、私も仕事を調整し、3泊4日の旅行と決まりました。1泊を小樽で。2泊を函館で。ホテルや飛行機の手配は私。ここで私が思っていたことは、妹はどうせ、「なんでもいい」って言うだろうな。母が盛り上がって、あれやこれやと希望を言うだろうな。そういうの、調整するの、私だろうな。私は、とりあえず、無事に旅行が終われば、それでいいや。
明日休みなので、宝焼酎ハイボール500缶の4本目を飲んでいるアラフォーですさて今朝は、父以外は日中誰も居ない為、前日「飲むとトイレがホニャララ、、、」「食べても出ないから夕飯要らない」とか、訳分からん事を吐かしていたので、OS-1と食べ易い様にパンを用意して出勤頼むから、せめて自責にかられるなら、夜間だけでもオムツしろ&毎日排泄が出なくても平気だヘビースモーカー&酒飲みは、又もや白菜に大根と鶏胸肉に卵を落とした、なんちゃって「1人鍋」🍲勿論他にも、朝は茹で卵と雑炊に、昼ご飯はおにぎりとセ
北海道へ旅行に行くぞ、と決まった時、ゴルカム展は函館なので、函館だけ行けばいい、と私は思っていました。2泊3日位で、3人別々の部屋で。あまり一緒にいると、喧嘩になりそうで、怖かったのです。だから、母が、3人一緒の部屋がいい、と言った時、ものすっごい不快感と、不安に襲われたのです。絶対、いやだ!となりますが、そんなことを母には言えず、どうしたらいいんだろう、、と本気で悩んでいました。この時点で、妹は、まだ詳しい話に加わっていなかったし、妹も、あ
私の話ばっかりになってきてしまったので、ここで、一旦、そもそものお話に戻ります。我が家は、旅行というと、母の実家に行ったり、子供の頃の家族旅行、くらいで、父が車が好きだったこともあり、ほとんど車移動でした。なので、電車に乗って、飛行機に乗って、という経験が、あまりありませんでした。で、家族旅行に行っても、常に父親の機嫌が悪くならないように、ビクビクと過ごしていたし、調子に乗って、なんかやらかすと、父親に怒鳴られるというのが、いつものパターンでした。
澤村あんなさんのライフコーチングに始まり、ここから、様々な方のセッションを受けていきます。自分自身でも、よく、こんなに、ぴったりと、色んな人に出会うなあ、、と驚くタイミングの良さ、と思っていましたが、結局は、その時の自分が選び取っているだけで、そうでない場合、見えていても、見えていない、という状態なんだと、後から気が付きます。だから、いつも、自分の中身に忠実であるよう、整えておかないとなー、と、強く思います。時系列がぐちゃぐちゃですが、現状で、最
何を見て、最初にHSPを知ったかは忘れてしまったのですが、HSPという単語を知った時は、そんなに意識していなかったのですが、書店をフラフラしている時に見つけた本を読んで、「あー、私、これだわ。」と思ったのでした。Amazon.co.jp:【HSPチェックリスト付き】鈍感な世界に生きる敏感な人たち(心理療法士イルセ・サンのセラピー・シリーズ)eBook:イルセ・サン,枇谷玲子:KindleストアAmazon.co.jp:【HSPチェックリスト付き】鈍感な世界に生き
母をお題にブログを始めているのに、自分の話が続き、恐縮ですが。。私自身が変わっていくことで、母は勿論、父のトラウマにも気がついたり、意識したり、私達は、みんないろんなものを抱えていきているんだ、そんな風に思えて、だけど、それを人のせいにしていては何も変わらないし、先に進まない、そんな風に思うようになってきて、自分と親を、別のものとして考えられるようになってきたのです。それまでは、私は1日たりとも、父と母のことを考えない日は無かったのです。
昨日は朝からロングセッションでした午前は前世療法、お昼はご一緒にランチをしながら色々お話して、午後からは年齢退行です幼少期の自分と向き合い、母との関係父との関係、姉との関係学校での出来事色んな場面に行き色んな感情を感じて受け入れてそして吐き出し解放して行く。ヒプノセラピーは、クライアント様と力を合わせて行います。ご縁に感謝です✨🌈オンラインサロンFOREST🌿木元みき江-mikiekimoto--公認心理師・ヒプノセラピスト木元みき江のゆるゆる相談室FOREST-