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幼い頃から両親や祖母から法華経を学ぶそして母の勧めで茶道に出会う運動大好き。日本の歴史や文化好き🇯🇵名古屋在住芦屋です陰と陽のバランスどちらの氣が強すぎても弱すぎても乱れが生じるバランスがこれがまた難しいんですよね陽より陰のエネルギーが変に強いひっぱられやすいだからこそ毎日自分の肉体と心を浄化することが本当に大切だなぁと私には目には見えないけれど感じることはある見えている人は見えているんですよね悪いモノ、色んな念、因縁、生き霊成仏していないもの祈りで全部天
〈ジョガスタ――女子学生部御書研さんのために〉開目抄①2024年4月23日大慈悲と希望の哲理に触れよう女子学生部の“スタディ(研さん)”のための新連載「Let’sStudy!ジョガスタ――女子学生部御書研さんのために」では、全8回に分けて開目抄を学びます。今回は、背景・題号の意味・大意等と、第1段を拝します。池田先生は、9・9「女子学生部の日」の淵源となった集いで、「開目抄」を拝し、励ましを送りました。本抄に刻まれた日蓮大聖人の大慈悲と希望の哲理に触れましょう!背景「開目抄
〈明日を照らす〉テーマ:聡(そう)明(めい)な振(ふ)る舞(ま)い友を思いやる祈りと聡明な振(ふ)る舞(ま)いこそが、連帯の絆(きずな)を結び、広宣流布を進める要(かなめ)です。今回の「明日を照らす」は、「聡(そう)明(めい)な振る舞い」をテーマに学びます。御文友(とも)にお(合)うて礼(れい)あれとは、友(とも)達(だち)の一(いち)日(にち)に十(じゅう)度(ど)二(に)十(じゅう)度(ど)来(きた)れる人(ひと)なりとも、千(せん)里(り)二(に)千(せん)里(り)来(きた)れ
名字の言今、問われる大人の“子ども観”2024年4月22日ドイツの作家ケストナーの『動物会議』(高橋健二訳、岩波書店)を再読した。人間の子どもたちを争いが絶えない社会から守るため、世界中の動物が集まって一計を案じる物語である▼大人の人間と動物、それぞれ「子どものために」と口にするが、“向き合い方”は違う。人間は子どもの話を聞こうとしないのに、何かにつけて“将来のためにやった”と言う。動物は人間の子と一緒に遊び、分からないことがあれば「子どもたちにきくといいよ!」と学び合う。実に風刺的なやり
『身延山久遠寺』身延山の中でも一番の神聖な場所へ✨日蓮宗の総本山である身延山久遠寺。今から遡ること700年以上前、地震に洪水・飢饉に疫病・戦乱などが相次いだ鎌倉時代。日蓮聖人は「法華経」の教えにより全ての人々を救おうとし、三度にわたり幕府に「正しい仏法である法華経に帰依すれば、全ての人が末法の世から救われる」と諌言しましたが、幕府が耳を傾けることは一切ありませんでした。それどころか反発した幕府や念仏者によって命を狙われ、さらには伊豆や佐渡へ流罪となりましたが、その後無罪放免となり、信者で
仏、釈尊は「法華経」をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第六章の授記品をご説明します悪神から法華経の守護神に転向した鬼子母神◎魔界なし迦葉(かしょう)が未来に成仏したとき、住する国の名を光徳(こうとく)国といい、名前は、光明如来(こうみょうにょらい)となる光徳国は非常に美しく、汚れたものは一切なく、道は平坦で地面には瑠璃(るり)が敷き詰めら
〈明日を照らす〉テーマ:祈りから始まる私たちの広宣流布と人間革命の戦いも、祈りから全ては始まります。今回の「明日を照らす」は、「祈りから始まる」をテーマに学びます。御文いかなる世の乱れにも各(おの)々(おの)をば法華経・十(じゅう)羅(ら)刹(せつ)助け給(たま)えと、湿(しめ)れる木より火を出(い)だし、乾(かわ)ける土より水を儲(もう)けんがごとく、強(ごう)盛(じょう)に申すなり。(呵(か)責(しゃく)謗(ほう)法(ぼう)滅(めつ)罪(ざい)抄(しょう)、新1539・全113
地涌の菩薩(1)<動執生疑(1)>人類の境涯を高める偉大な救済者群像遠藤迹門から本門へ――。そこには、劇的な転回があります。というのも、本門に入ると、それまでの“常識”が大きく覆されるからです。その象徴となっているのが地涌の菩薩ではないでしょうか。須田地涌の菩薩が出現するや、虚空会にいた菩薩たちは、動揺のあまり、疑いすら起こします。いわゆる“動執生疑(執着を動じ疑いを生ず)”です。池田彼らの驚き。衝撃。疑問。それは、爾前・迹門の教えを信じてきたすべての仏教者の気
皆さん!こんにちは!霊能力鑑定士道広義博です。このブログでは、読経なくして題目無し!そういう観点で私見を述べたいと思います。法華経で、二十八巻の内、第二と第十六が正しいことは誰しも知っている事実だと思います!岡山県津山市の霊能力鑑定士。道広義博に日蓮正宗の解説書が届きました!日蓮正宗は正しいと思います。それでは失礼します!
言霊(ことだま)には霊が宿りますこうめ地方は今日も雨☔です今日は崔亮平さんのYouTubeを見ました😃今日は挨拶が開運に繋がるというお話です😃家族や親しい人に挨拶していますか❓「おはよう」「行ってらっしゃい」「気を付けて」行った方も言われた方も流れが良くなりこの言霊に包まれると護られる…そんな言葉だそうです家族や親しい間柄になると、なんとなく言っても言わなくてもいいや…って気持ちになりそうな挨拶ですが、大切な人にこそかけてあげたい言葉ですね崔さんのところに
今どうですか、世(せ)間(けん)の濁りの凄まじさ。「五(ご)濁(じょく)」という言(こと)葉(ば)がありますが、まことにその濁りのままですね。ですから毎日毎日テレビ・新聞でもって「今日もこういう凶(きょう)悪(あく)な事(じ)件(けん)があった」「今日もこういう事(じ)件(けん)があった」とまさにその度(たび)に覚えきれないほどの凶(きょう)悪(あく)な事(じ)件(けん)がどんどん発生(はっせい)してくる。ことに私が「聞くに堪えない」というのは子(こ)供(ども)が親を殺す。こんな事
ところが、この大精神(だいせいしん)をそのまま受け継(つ)がれたのは二祖日興(にっこう)上(しょう)人(にん)だけである。大(だい)聖(しょう)人(にん)御(ご)入(にゅう)滅(めつ)後(ご)五(ご)老僧(ろうそう)はどうしたか。幕(ばく)府(ふ)に脅(おど)されて、そして「住(じゅう)房(ぼう)を破(は)却(きゃく)する」という脅しでもって「国(こっ)家(か)の祈りをしろ」と言(い)った時に彼らは「天台(てんだい)の末(まつ)流(りゅう)」「天台(てんだい)沙門(しゃもん)」という事(こ
でこれは、具(ぐ)体的(たいてき)に大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が佐渡(さど)からお帰りになったときの御(お)振(ふ)る舞(ま)いを仰(おお)せになった言(こと)葉(ば)なんですね。幕(ばく)府(ふ)は、竜の口でどうしても大(だい)聖(しょう)人(にん)の御頸(おんくび)を刎(は)ねる事(こと)ができない。佐渡(さど)に流(る)罪(ざい)して、時宗(ときむね)はともかくといたしまして、平(へいの)左衛(さえ)門(もん)は「佐渡(さど)で命を絶とう」とこうしたんですね。
『法(ほ)華(け)経(きょう)涌(ゆ)出(じゅっ)品(ぽん)』に宣(の)給(たま)わく世(せ)間(けん)の法(ほう)に染(そ)まらざる事(こと)、蓮(れん)華(げ)の水(みず)に有(あ)るが如(ごと)し。只今(ただいま)拝読(はいどく)の経(きょう)文(もん)は、涌(ゆ)出(じゅっ)品(ぽん)におきまして弥(み)勒(ろく)菩(ぼ)薩(さつ)が上行(じょうぎょう)菩(ぼ)薩(さつ)を上(じょう)首(しゅ)とする地涌(じゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)の徳を誉(ほ)め称(たた)えたという言(こと)葉
YouTube宮沢賢治論トシについて休憩室YouTubeのヒオキワールドちゃんねる「日本近代文学特別講義」です。国語の教科書に載っている有名な作品を論じていきます。今日は「宮沢賢治論トシについて」を公開しました。今日は、賢治の妹のトシについて考えます。「やまなし」では、水の中で、蟹の子供が話しています。クラムボンのことを話しています。クラムボンとは、太陽のことなのではないでしょうか。そして太陽とは、実はお釈迦様のことなのではないでしょうか。賢
宮沢賢治「やまなし」その3動画を公開しましたYouTubeヒオキワールドちゃんねるの「日本近代文学特別講義」です。国語の教科書に載っている有名な作品を論じていきます。今日は宮沢賢治「やまなし」その3です。「やまなし」では、水の中で、蟹の子供が話しています。クラムボンのことを話しています。クラムボンとはいったい何なのでしょうか。クラムボンとは、太陽のことなのではないでしょうか。なぜ賢治は雲に隠れる太陽を描いているのでしょうか。太陽と
高知での大きな地震がありました。元旦にこちらも大きく揺れましたが皆さん大丈夫でしょうか。私は出雲から帰ってきてから佛事の合間にパートに行きお経の合間にパートに行くような生活を送っています。以前はパートの合間に佛事を行じパートの合間にお経をするような、全く逆の生活をしていました。昨日は何年か振りに前のお師匠宅にお邪魔してきました。何年も上がらせて貰ったお宅には、もうご主人はいらっしゃらないしお師匠自身も高齢の為に、近くの施設に入られています。その、いつも通されていた
※正しい宗教と信仰・無神論ではなぜいけないのか無神論とは、信仰の対象となる神や仏などの絶対的存在の事実と可能性を否定する考えです。無神論といっても、信用とか信頼などの日常生活上の心理作用まで否定するのではなく、あくまで宗教的な絶対者、あるいは絶対力の存在を認めないとしている人がいるようです。また、一応、他人の信仰を認めて、「神や仏は、いると思う人にとっては存在するが、いないと思う人には存在しないものだ」などと唯心的な主張をする人もいます。たしかに、ほとんどの宗教で説く
名字の言“自分対みんな”から“一対一”へ2024年4月19日交響楽団や合唱団で指揮者を務める壮年部員が語っていた。「皆の心を一つにしないと、いい音楽はできません。でも一挙にまとめようとすると失敗するんです」▼楽団や合唱団のメンバーには、それぞれ特質があり、その人なりの考え方がある。一方的な指示や持論の押し付けでは本気を出してくれない。一見、従ったように見えても、それは形だけ。決して人の心を打つ演奏や歌にはならない▼ゆえに壮年は、全員の名前を書き出して祈り、一人一人とのコミュニケーションを大
世間には道を求めている人は多いが、縁がなければなかなか仏法にあうことは稀(まれ)である。仏法との出会いがなければ真実の教えを聞くことはできません。しかし、そんなあなたに、仏陀のことば、釈尊のお言葉をご紹介いたします経験で語るからこそ説得力がある世の中では、愛や平和や道徳がしつこく語られています。しかし、私たちの耳にはうるさくしか聞こえません。そのことばに重みがないからです。ただ説教しただけでは、世の中はよくなりません。言う人がまず実行して、経験して
(『未来対話』より)173ー「師弟に勝るものはなし」では、「師弟」について語っていただきました。全国のメンバーから感想や決意が続々と寄せられています。「今まで、『師弟』は難しいものだと思っていました。しかし、『師弟』は身近にあるのだと感じました」「池田先生は、私たちのことを『愛弟子』とおっしゃってくださっています。私は、ここまで信じてくださるのかと思い、とても感動しました」「つらい時でも、池田先生を思えば挑戦できるのは
暫く休筆しています・・過去記事を再掲載致します。陀羅尼の「鬼子母神と十羅刹女」の護法箇所の神呪は、唱えることが無くなりました。夢の中で、子供姿になった妻が泣いています。職場で苛めに遭っていた時期のことでした。苛めの業(カルマ)を背負った人物は、幼い頃からその片鱗を見せ始め、小学生になると周りの状況を読み取り、巧妙に振舞うようにまでなります。苛めの対象を見分ける感覚は、呆れるほど。。その子が大人になったと想像してみてください。まるで、魔物です。妻は若い頃、
(『人間革命』第10巻より編集)155完〈展望〉21完戸田は、現在の座談会が、形式に流され、組員の信心の育成の場になっていないばかりか、親しさの全く失われた会合になってしまったことを痛撃した。「釈尊は、『法華経をたもつものであれば、立って仏が来たように迎えをせよ』と言われている。いったい、三人の同志がおったら、喜んで話し合って、帰って来なければならない。たった一人でもよい。その一人の人に、本当の妙法蓮華経を説く
子安地蔵院から1キロ福満寺へ向かいます福満寺【ふくまんじ】津市史によると「福満寺は往古の大刹なり」と伝えるほか、縁起の詳細は明らかでないとのこと。山門…ない…普通お家みたいな感じつくばい雰囲気サイコ~本堂寛文年間の火災と先の太平洋戦争の戦災とで全てを焼失しましたが、お地蔵様と過去帳だけは疎開して無事だったんです江戸時代、藤堂藩の藩士を檀家として与えられ、以後檀家寺として現在に至っています御本尊延命地蔵菩薩立像(木造、古色、像高96cm)弘法大師御自作と伝えられて
普賢菩薩のご縁日には、普賢呪を読みます。普賢呪は、少し長いですが、毎日読んでいると自分の信念を貫き、精進努力できるような力が湧いてきます。ただ、一般の方はこの普賢呪を読む前に、自我偈を空で読めるようになるようにしてからの方が良いような気がします。(強い陀羅尼ですので)。普賢呪(妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八)あたんだい・たんだはだい・たんだはて・たんだくしゃれ・たんだしゅだれ・しゅだれ・しゅだらはち・ぼつだはせんね・さるばだらに・あばたに・さるばしゃあばたに
六部衆は全国行脚の修験僧のこと江戸時代まで日本各地に法華経を日本の州(国)の数分66を書き写し、各地の霊場に奉納して行脚した僧の事を六十六部衆、又は簡略して六部衆と呼んでいた。明治時代になると修験自体が否定され廃止に追い込まれたので六部衆の事を知っている人は少ないと思われる。六部衆の事はこの程度のものしか資料が得られないが、恐らくは平安時代頃から全国行脚をやっていて、これが百番巡礼や四国八十八札所巡りに繋がっていったのではないかと思われる。下の写真は東京都あきる野市にある西光寺前の「六十六
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖『道心』道心の中に衣食あり衣食の中に道心なし引用臨済宗妙心寺派大本山妙心寺法話の窓第二五三世天台座主山田恵諦探題大僧正筆これは天台宗伝教大師最澄の『伝述一心戒文(でんじゅついっしんかいもん)』の中のお言葉であります。道心とは、仏教を学び実践する心をいい、衣食とは、衣食住の生活環境のことです。道を求めて努力を重ねる向上心があれば、その目的を達成するのに必要な衣食住は、十分とはいえないまでも、おのずとついてくる、一方いくら生活に恵まれていても、
お釈迦さまのお声!それは法華経の教えです。別の名を最上王経とも呼ばれ諸経の王でもあります。どんな衆生も救わずにはおかないという仏陀の方便の力は「法華経」のすばらしさです。不透明な日常生活を生きる私たちに❝仏陀のことば❞を法華経から抜粋してお届けいたします。法華経の中で説かれている悪世でのお坊さんの中には....◎道門増上慢(どうもんぞうじょうまん)専門のお坊さんの中には、つまらない教えを善いものだと思って「法華経」の教えを非難したり教えの弘
また。なんか来てた(?)んだよね、、これで、5.6回目。決まってなんか夢を見ながら金縛りにあう。僕は子供の時からちょいちょい金縛りにあったけど、、そうねぇ金縛り中に背中を両手で触られたり、腹を揉まれた感覚があった時もあったけど、、基本腹が立ってね。だって眠いじゃん。勿論、寝てる時に起きるので。当時はお化けがそれをしていると思っていたので、お化けめ!って腹を立てていた。ねみーのによぉ!って。金縛りあうと即座にくじを切る癖がついていた。りんひょうとうしゃ、、、って。元嫁が、俺が横で
幼い頃から両親や祖母から法華経を学ぶそして母の勧めで茶道に出会う運動大好き。日本の歴史や文化好き🇯🇵名古屋在住芦屋です「祈るときは、自分のことだけではなく大切な人の為にも祈ってあげてね」とよく両親から教わりました法華経の兵法より自分の方法論本の中の知識や先人の教えを引用するのではなく時には捨てて祈るそこから知恵【智慧】を出して努力して綺果を出すのが信仰祈らないといてもたってもいられないくらいに悩みがある時はできるけれどそこまで悩んでない時はなかなかできない