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4月2日河内/生駒山から枚岡公園へ下る薄曇こぶしの谷から生駒山山腹を南へ移動し、枚岡公園目指して下山。下山するにしたがって新緑はいよいよ鮮やかになる。公園内では桜吹雪の下で大勢の人が花見の宴を張っていた。イロハモミジもすっかり若葉を開いている(写真下)。風は生ぬるく、日向にいると汗ばんでくる。まだ四月にはいったばかりと言うのに、もう初夏の陽気である。
4月2日河内/石切から生駒山へ晴こぶしの谷このエリアの主役であるコブシも、山桜同様盛りを過ぎていた。花が散り始めているのに加え、花弁が茶色く変色したものが多い。でも、遠目にはまだまだ豪華な眺め。谷の上部にあるベンチに腰を据え、ブランチタイムとした。
東大阪市の変遷東大阪市、古くは河内国の中央部に当たり、中河内と呼ばれた地域です。今回は東大阪市への成り立ちを調べました。1967年(昭和42年)に布施市.河内市.枚岡市の3市が合併し、東大阪市が誕生しましたが、それ以前は、村が合併し、町へ町が合併し、市へと発展した歴史背景があります。これを紐解きましたのでご覧下さい。まずは、布施市への変遷です。昭和12年に布施市が誕生してたのですね。左端の村々の名は、今でも地名とし
4月2日河内/石切から生駒山へ晴こぶしの谷生駒山を歩き始めてから(※)二度目の春を迎えた。昨年四月にこの谷を訪ねときはまだ梅の花が残り、桜は開花していなかった(※)。今年は‥‥遠目にも青空を背に桜色の映える一画があった。近づくと、幾株もの豪華な山桜が、開放的な空間を独占して悠然と構えている。そして、はや花吹雪が明るい陽射しに見え隠れしていた。
270年15代応神天皇即位から始まる王朝で応神天皇は皇族の正妃を持ち息長氏とは無縁となった天皇で技術革新と行政処理の向上を目指して多くの故地朝鮮から朝鮮族や中国系朝鮮族を招聘した。招聘された部族長には弓月君や阿知使主などがいて朝廷の確立などに尽力した。弓月君は秦氏となって太秦の語源ともなっていて、子孫には長宗我部や服部、羽鳥などがいる機織りなどの技術者集団と百済120県の人民を亡命させた。阿知使主は東漢氏と呼ばれ主に遠つ飛鳥ー現在の飛鳥檜隈を本拠地として子孫には坂上田村麻呂とかがいる。西文氏
発掘ふれあい館へ行ってみた。ブロ友のOSALOVERさんに触発されて、、、。『森の宮遺跡・貝塚から発見されたもの』年に数回、公開される森の宮遺跡の展示室ようやく行くチャンスがありました常時公開しておらず、年に5回の一般公開だそうで、春1、夏3、秋1回とのこと。時間…ameblo.jp東大阪市立埋蔵文化財センター発掘ふれあい館までウォーキングしました。この日の生駒山、晴れ渡り山上付近の視界は良好でした。わが家から
本日は、大阪府富田林市の企業様イベントにSweetsHERO登場しております🚙従業員の方やお得意様にヒーロークレープを可愛い移動販売車でプレゼントしております🎁企業様駐車場にて来客のお客様向けに無料でクレープを提供しております🙂一般販売はおこなっておりませんので予めご了承ください🙇※コロナ対策万全で対応させて頂いております♡近日、業種を問わず様々な企業様からのイベント問い合わせが増えてきております!クレープシーズンとなる為、なるべく早めのお問い合わせをオススメいたし
前の記事から続いています。奈良旅行第四話の3....................................................<<目次>>(3)「透けた向こう側を読み取り、予言する者」と、十二単(じゅうにひとえ)***カワチの意味/河内(大阪)と繋がり***河内(大阪)と、大神神社の巫女***下鴨神社と、十二単の意味と、カワチ***頭塔と同じ特徴を持つ、カワチの階段ピラミッド........................
2月23日河内/枚岡公園から生駒山中腹周回雨後曇ひさしぶりに生駒山麓にやってきた。標高差500mの山上までは今の“肺力”ではまだ難しいが、山腹を横切る道がいくつかあるのが有難い。今日は「らくらく登山道」を利用し、枚岡公園を拠点に周回した。豊かな照葉樹の森。そして曇天に黒いシルエットを見せる落葉樹の木立。生駒山の魅力を十二分に堪能することができた。
////奈良旅行第4話の2////この話しは、奈良旅行1話からつづいています。(2)ナスカ(ペルー)と、奈良を結びつける字「襲」頭塔とナスカの繋がりを語る前に、私が感じたベルーのナスカを知って頂く必要があります。明日香村の遺跡を初めて訪れて直ぐに、ラジオを聴いていると、この遺跡の事が話題に上がっていました。いつものように直ぐに周囲で現れます。酒船石遺跡の模様がナスカの地上絵と似ていると盛り上がっていた時、アシスタントの女性が、明日香(あすか)と、ナスカの
先週の土曜日、津ぎょうざ協会会員である津市芸濃町河内にある錫杖湖水荘へ行っていました。目的は月に1回開催されているスイーツDAYを楽しむため。毎月手作りのスイーツを低額で楽しませてくれます。上の写真の内容で500円。素晴らし過ぎます。さらにプラス200円でプリンを追加できます。このプリン、昔ながらのしっかりとしたプリン。めちゃくちゃ美味しいです。本来ならここで終わりですが、〆はやっぱりこれでしょう。(笑)津ぎょうざ。錫杖湖水荘の津ぎょうざは津市芸濃町名産のずいきが入っており、
昨日のお昼は津市芸濃町河内にある錫杖湖水荘から弁当をお願いしました。いつもどおりめちゃくちゃ美味しい。相変わらずクオリティが高いです。
三重県紀北町の大河内川の上流にある不動滝は地形図や道路地図にも掲載されている滝である。三重の滝紀行にも掲載されているので、10年以上前から知っていた。最近では、我流天晴さんが訪問された記憶があるが、もう2年前だ。「秘瀑」には茗荷谷と書かれているが、この付近は妙婦谷国有林であり、白滝橋から左に行く道も妙婦谷林道となっているので、著者の聞き間違えでないかと推察する。県道603号、いわゆる大杉谷海山線は現在、水呑峠以遠は通行止だが、今回の場所までは舗装道で通行に問題はない。駐車場所はカーブミラー
昨日は月2回、職場にカレーと津ぎょうざを出前することができる日。平行して弁当も出前することができるので、私は津ぎょうざと弁当を出前しました。錫杖湖水荘の津ぎょうざは津市芸濃町特産のズイキが入った津ぎょうざ。味付けはさっぱりとしており、ズイキの食感がたまりません。津市内のいろいろなお店の津ぎょうざの中で、「地元の食材」を売り出しているのはここだけではないでしょうか。私もこの錫杖湖水荘の津ぎょうざが大好きで、出前している他、時々お店へ食べにいっています。津市芸濃町河内にある錫
銭湯・日帰り温泉好きです。で、河内温泉センターに行く。ジェットバス、電気風呂、水風呂、遠赤外線サウナなどが備わってます。風呂の湯は私にとっては温めですが。料金は350円。都内の銭湯が500円なのを考えたら、安いもんダス。
関東から転居して6年半みかんの季節になると熊本に現れるみかん詰め放題。小粒蜜柑がおいしいんです。これは夢未来(河内)だけど玉名の天水みかんも好き。小袋詰め放題なのに大きな袋に入れるときさらにどさっと追加してくれる家に帰って数えたら30個。熊本の人は1度に7~8個食べると聞いたけれど関東出身はせいぜい3個がんばって食べます
12月1日河内/鳴川峠から客坊谷へ下る曇鳴川峠から谷沿いの道をひと下りしたところで、「どんぐりの路」と標識のある細道が分岐する。この辺りでどんぐりが生るのは、たいていコナラの樹である。中腹の森を横切るこの道を通る間、近くに、遠くに、コナラが黄金に輝いていた。
12月1日河内/生駒山頂から慈光寺へ曇今日は寄る予定ではなかったが、近くまで来たらやっぱり確かめたくなった。――二週間前に見た紅葉はどうなっているか――境内にはいってみると、まだまだ見応えがあった。青々した樹さえあった。でも、先日鮮やかな赤で目を奪われた山門の楓は、すっかり葉を落としていた(写真下)。ちょっと場所が違うだけで、紅葉の進み具合はだいぶ違う。
「W杯カタール大会は、闇の上に成り立ってるから見ない」などと言っていた私ですが、日本代表とスペイン戦は見てしまいました。大阪のホテルで、ベルギーとモロッコの好試合見てしまい、それが私の中の留め金を外してしまったようです。スポーツの「クリーニング効果」は私にも出ています。で、恥知らずにも書きます。権田はよく耐えた。まるで鎌倉の鎌倉宮の隅に安置されている「村上様」のようです。今年の流行語大賞候補に「村神様」がありますけど、本家はこっちです。権田選手の年俸のごく、ごく、ご~く一部
11月17日河内/暗峠から神津嶽を経て枚岡公園に下る曇夏に枚岡公園内の道を歩き尽くしたとき(※)、イロハモミジの植わっているエリアも心得た。下山してからその辺りをゆっくり巡った。公園のモミジも、青葉半分、紅葉半分、というところだった。
11月17日河内/枚岡公園から暗峠へ慈光寺曇境内の裏手からはいり、半分がた色づいた境内を見て回った後、表門の方へ石段を降りていった。すると、境内からは見えなかった豪華な彩りが待っていた。紅く燃え立つイロハモミジが数株。境内の淡い彩りに目が馴染んだばかりだったので、かなりインパクトのある光景だった。
11月17日河内/枚岡公園から暗峠へ慈光寺曇春に慈光寺の楓を見てから、秋の豪華な彩りを頭に思い描いていた。寺の裏手から近づき、境内が見え始めたとき、辺りの楓は青々としていた。まだ早かったか‥‥。が、境内に入って見回すと、青葉半分、紅葉半分、というところ。これはこれ、また風情のあるものである。
11月17日河内/枚岡公園から長尾渓を経て暗峠へ曇ブナが主役の広葉樹の森はほぼ落葉。これからしばらくは、近郊の低山の彩りを楽しむ季節となる。今年の初めから歩き出した生駒山系。秋に訪ねるのは初めてである。コースにもよるのだろうが、イチョウやコナラを中心に黄色の彩りが目立った。そんな中、今日のコースの眼目にしていたのが慈光寺の楓だった。
河内の霊場・紅葉めぐり<前編>|千世(ちせ)|note昨日、レキジョークル紅葉企画として、地元ほど近い「中河内」あたりを巡ってきました。京都や奈良の紅葉は確かに素晴らしいのですが、とんでもない混雑ぶりなので行くとなったら相当な覚悟を要します。今後また執筆する予定の過去3年以内に訪れた「梅小路公園」や「琵琶湖疏水」もそれはそれは素晴らしいものでしたが、人出の多さには正直のところ辟易して、それだけで疲れは倍増…note.com
そこは有明海に面した、みかんでも有名な港町にあります。熊本市から金峰山峠の茶屋を超えた40分程のプチドライブで出向きます。見下ろした写真の海岸沿いにその「寿しきよ」はあります。対岸は島原半島で、正面が雲仙普賢岳です。今年になって何回か訪れていますが、最初は迷ってしまいました。国道下の海苔工場の集まりの中にその名店はあります。12時台は大変多いので、いつも時間をずらして13時半前に入店します。ネットで見つけてお店を探してありついた、本当に美味しい海鮮丼です。最高のネ
『日本国記』ヤマトタケルと応神天皇の古墳3限りなく真実に近いアナザーストーリー【37A】ひじかたすいげつつづき単純に並べるとわかりにくいのでもう少し書き直すと、まず、26継体天皇は古事記にもとづけば527年に崩御している。そして、今城塚古墳に埋葬されているということが確かであるとする。そこを基準とすると次のようになる。13成務、13ヤマトタケル、14仲哀、15応神、16仁徳、17履中、18反正、19允恭、20安康、21雄略、22清
『日本国記』ヤマトタケルと応神天皇の古墳1限りなく真実に近いアナザーストーリー【35A】ひじかたすいげつつづきそして、百舌鳥・古市地区の前方後円墳のなかで最も古いのは河内古市地区の①津堂城山古墳で、4世紀の古墳である。ついで、河内古市地区の②仲津山古墳(仲姫命陵古墳)、③古室山古墳、④野中宮山古墳が4世紀のうちに作られているといわれる。5世紀前半には和泉百舌鳥地区の⑤上石津身三才古墳(履中天皇陵古墳)、河内古市地区の⑥二ツ塚古墳(応神天皇
『日本国記』ヤマトタケルと応神天皇の古墳2限りなく真実に近いアナザーストーリー【36A】ひじかたすいげつつづき13成務、13ヤマトタケル、14仲哀、15応神、16仁徳、17履中、18反正、19允恭、20安康、21雄略、22清寧、23顕宗、24仁賢、25武烈、26継体、27安閑、28宣化、29欽明、30敏達-各天皇の順に古墳を並べると、次のようになる。単純に天皇の代数をつけて比較した。古墳に代数がない天皇はヤマトに御陵がある天皇である。4世
大阪府東大阪市にお祀りされている枚岡(ひらおか)神社さん。こちらは河内の国の一之宮。御祭神は天児屋根命さま(アメノコヤネノミコト)比売御神さま(ひめみかみ)経津主命さま(ふつぬしのみこと)武甕槌命さま(たけみかづちのみこと)がお祀りされていて奈良の春日大社さんと同じ。同じというよりこちらから春日大社さんへワケミタマされたから。なので、『元春日』ともよばれているそうです。その創祀の地神津嶽本宮さん(かみつだけほんぐう)の例祭に
こんにちは先日太平寺へ行った際、時間があったので今町がいないか少し散策することにしました今町は今年東大阪市枚岡神社の先代河内太鼓台を購入されたとの事で、絶対に見にいこうと思っていた地区です以前の太鼓台よりひとまわりふたまわりも大きい太鼓を買ったということで初めに聞いた時は驚いたんですが、祭りの一週間前にお披露目され、今年からこの太鼓台で参加されました柏原小学校前で置かれていた太鼓台、やはり河内時代の面影を強く残していますといっても自分は先代河内を1、2回程度しか見てないんです