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午前の大宮西。参加4名。メニューは、①シャドウ、②組技技研+サンドバッグ、③マススパーで終了。クラスの後は黒道着の柔術家S君(←決して道場破りではない:笑)と、いつものように寝技スパー。「先生のディフェンスが前よりも固くなっています」とお褒めの言葉をいただくが、まぁ、前回までは、S君がどれくらいできるか分からない部分もあったので、半分はやらせてあげていたからね。でも残り半分は素でやられてる部分もあったので、今日はがっちり守らせていただきました。まぁでもこういう稽古も良し悪しですね。守る
●空手にとって、正中線から力を生み出すことは、それほど大事なことなんですね。こんにちは。川村義之です。沖縄空手の達人・本部朝基は、空手に必要なものはと聞かれ、ただ一言、「正中線」と答えそうです。空手にとって、正中線から力を生み出すことは、それほど大事なことなんですね。突きの、スピードを速く、キレを鋭くして、命中率を、上げることができます。空手をされているHさまの、初級第4回目の様子を、ご紹介します。初級第4回目は、正中線の強化法を、お教えしました。正中線の強化法によって、正中線か
沖縄空手の道場の先輩であるMアニキにお借りしました。一月近くかけて、じっくりと読ませていただきました。どうも、活字離れが著しいかつおでございます。内容は…本書の内容は、・私の唐手術(本部朝基著復刻)・沖縄拳法唐手術(本部朝基著復刻)・琉球及び手(ディ)史概論・琉球拳法(唐手術)の歴史という構成となっております。後半の歴史について詳細に記されている部分については、ネットの聞きかじりの情報しか頭に入っていなかったものが、しっかりと整理し直されたような感覚で、改めて異国文化との
インフルエンザ強制休暇で閑をもて余したので、久しぶりに船越義珍の『琉球拳法唐手』と本部朝基の『私の唐手術』を読んでみました。改めて気づくのは、今日の空手界で当たり前のように行われている「腰を切る」動作について、二師が一切語っていないこと。むしろ、「突きの極まる時は力を丹田に入れる」との船越師の記述からは、腰を水平方向に動かす身体操作が一切取られていないことすら窺えます。本部朝基も、突きにおいて腰に関して強調しているのは「腰を据える」こと。腰を細やかに小刻みに動かすことではありません。仮に腰
ついに手を出してしまいました、ナイファンチ。小生の通う道場の流儀では、立ち方は本部朝基先生の言う「八字立ち」ではなく、いわゆる「ナイファンチ立ち」で指導されました。どうも、和道流と松濤館流と沖縄空手のナイファンチ(鉄騎初段)を切り替えるのに難儀しておりますかつおです。三つ子の魂百までではありませんが、和道流のナイファンチが今回指導されたナイファンチに近しいものがあるため、しっくりと来ています。巻藁突きもナイファンチ?冒頭の写真は、本部朝基先生のナイファンチ…ではないんですよね。巻藁を
今日もマニアックな投稿をしていきたいと思います。師である山城先生が現在でも連載されている雑誌で以前、「武士の足」の事を書かれていました。ネットでその記事を探しましたが、探せませんでしたのでブログ著者の私の記憶で書かせていただきます。山城先生が子供の頃のお祭りの時のお話です。先代の継承者である御父上、山城辰夫先生が演武をされていたそうです。それを見ていたおじいさんが、「あれは、坊やのお父さんかい?昔の武士のような足をしているね。本当に凄いね。」と言われたそうで
一般的に『ナイハンチ』には、ナイハンチ初段〜三段まで3つの形があり、初代宗家古野先生の時代では、ナイハンチは初段から三段までを稽古していました。しかし、現在の古野流のナイハンチは初段のみを行い、ナイハンチ初段を『ナイハンチ』として稽古しています。その理由は、この本との出会いからです。『本部朝基と琉球カラテ』内容や色々な意見を言うと、多方面から反発されそうですので控えますが、本部先生の存在を知って、ナイハンチに対する考え方が変わりました。(恥ずかしながら、この本に出会うまで本部先生を存
●ああっ、こんな感じで、蹴れたことはないですね!こんにちは。川村義之です。相手が、突いてきたのを利用して、逆に、一方的に、優位に立つことができます。相手の最初の一撃で、相手を、絶対的に劣勢に、追い込むことができます。受けて、攻めて、また受けてという、よくある攻防のラリーを、断ち切ることができます。空手をされているHさまの、研鑽クラスの様子を、ご紹介します。今回は、受け即突きの、一調子の技を、練習しました。はじめに、ナイハンチの、波返しを練習しました。片足を上げても、頭を上下左右
【今日のアクティビティ】空手の稽古道場のFacebookページを父兄の方が作っていただき、小生の勇姿が一番にアップして貰いました。お陰で騎馬立ちの腰の高さが浮き彫りとなりました(笑)脳内イメージでは、本部朝基先生くらい腰を落としているのですが、こうして画像、動画を見ると毎回凹みますね…ᔪ꒰꒪ω꒪|||꒱大袈裟なくらいに意識しないと、やはり足りません。「やーりーすーぎーw」と言われるまで、先生に指摘されたことを強く強く意識して稽古していきます。__________________
合気道S.A.越谷の最古参の生徒さんは地域で様々なボランティアもされています。明るく楽しい性格の方ですので、人気者で多忙です。稽古も久しぶりとなることもあります。昨日は、久しぶりの稽古参加でしたので、ワンツーマンで幾つかの技術指導をしました。まず自己整体と漢方の食養のアドバイス。次に、高速移動のための身体運用法。そして、新しい交差法。この方は学生から空手をされている方で、つい最近まで、顔面プロテクターをつけるフルコン系空手の試合にも選手として参戦していました。空手の知識と深くて、
人が触れただけで相手が吹っ飛ぶ!そんなマンガみたいな技に憧れたヘンタイ中二病は多いはず。小生は修羅の門の「虎砲」に憧れて、干した布団の打ち抜きを練習しましたね(笑)よくよく調べると、似たような技は各国の武術に見られます。太極拳を含めた中国拳法、ジークンドー創始者ブルース・リーの1inchパンチ、そして空手の世界にも逸話がありますね。本部朝基先生は吊るされた木の板にごく短い間合いから突きをはなち真っ二つに割られたとか。仕組みはどうも然程複雑ではないし、程度の差こそあれゼロ距離からでも対象に
たまには他流派の動きを見てみるのも、新たな発見があって興味深いですよね。大塚博紀は、神道揚心流、及び為我流の柔術を大成した上で、船越義珍・本部朝基・摩文仁賢和に学んだ空手、さらには柳生神影流等の古流剣術の体捌きを加えて創始した。松濤館流、剛柔流、糸東流と並び、空手の四大流派の一つに数えられている。(Wikipediaより)誰も聞いてないけど…何を隠そう、小生は和道流空手出身であります。幼稚園の年長さん〜高校三年生まで、引越しの都合等で会派は3つほど変わりましたが、成長期真っ盛りな13年を和
第1回沖縄空手国際大会沖縄県立武道館8/2の様子動画がYouTUBEにアップされている。ありがたいことだ。「第一回沖縄空手国際大会」予選のYouTUBEの動画。型だけですが、6時間のうち、5時間程までは見終わりました。沖縄で行われたということで、自分としては、独特のカラダの使い方、身体操作クシ、チンクチ、ガマク、ムチミ、、、、などを重点的に評価し、またそういったところに留意した型の演武がたくさん見られるのでは?と思ったのですが、、、、、実際は、そうでもなさ
半年、、、いや、もっと1年近くも前でしたかね?!図書館でたまたま見つけたこちらの本。いつかブログに書きたいと思いつつ、なかなかきっかけがなくて、、。先日また借りてきて、再読中。で、今回の投稿ということで。いや~、この本、実に面白いですね。実戦唐手名人として名高い本部朝基に関する本ですが、中でも「本部朝基先生・語録」が面白い。最初のページだけ写させてもらいますが、そこからちょっと抜粋するだけでも、「5、当身の力の乏しい相手の攻めはいちいち、受けなくともよい。一気に攻
午前の大宮西。参加者6名。メニューは①移動、②寝技(ガードポジションからの十字絞め、ガード&マウントからの腕十字、スパー)、マススパー。Y君も定期的に来れてるね。元々、仕事柄、体力もしっかりしているし、覚えも早いし、稽古に来れば来るだけどんどん強くなってる感じ。ぜひこの調子で、頑張って楽しんでくださいね。夜の浦和は大宮西道場にて。参加9名。メニューは①大人子供一緒に基本。その後、大人と子供で分かれて、私は子供の指導。②膝付き投げ(スパー)、③立っての投げ(支えつり
義珍の拳に引き続き読みました。同じ時代で同じ師匠に習った義珍氏と、本部朝基氏、全く過去の人で区別も何もつかなかったのだが、今野敏氏の小説でくっきりとその特徴が浮き彫りになってきた。そして、平安の型の成り立ちや太極の型等、普段親しんでいる型についても詳しく知る事ができ、本当にありがたい。(これは義珍の拳の方で)本部朝基氏の強さは還暦を過ぎても保たれていたとか、なんだかうれしくなる。もちろん、鍛錬の賜物と言えるけど。。。紹介してくれた友人に感謝です。さて、次は
月刊秘伝2018年2月号の特集は・・・糸東流で読み解く!沖縄空手の神髄「ナイハンチとサンチンの"形"」我らが無想会・新垣師範も登場です!パチパチパチパチ!!でも・・・糸東流のナイファンチ理解=「ナイファンチとサンチンは同じ」を、ガッツリ批判・否定しているのが、我らが新垣師範。「ナイファンチとサンチンは同じ」と言える“ナイファンチ”は、糸洲安恒が改変したナイファンチ(膝を内に絞る)であり、松村宗昆やそれを受け継ぐ本部朝基らのそれ(膝は外に張る)とは異なります。【参考】(本部朝基
『本部朝基、「空手と拳闘」に感じる違和感』の続きです。本部朝基のインタビュー内容を再掲します。「空手を稽古して少し攻防の術をおぼえると、拳闘との仕合を問題にしたがるものであるが、空手の方がよほど割が悪いから、それはやらぬ方がよい。何故といふに、空手は手でも足でも自由自在に使ふところにその価値があるのに、拳闘との立合ひになると、すべて拳闘の規則でしばられることになるから、空手としてのほんとの実力を発揮することはできない。(中略)空手は手足の自由な活動が生命である。それを慣れぬ規則で束縛さ
最近、1934年刊の空手雑誌『空手研究』収録の本部朝基インタビュー記事「空手一夕譚」をたびたび紹介しています。【参考】・松村宗昆のナイファンチは、足を軽く平らに下ろす・ナイファンチ、松村宗昆は斜めに突いたやはり、本部朝基の著作やインタビューには、抜群の面白さと魅力があります。ボクサーらと戦って実証した圧倒的な強さと、沖縄空手史に残る偉大な達人たち(松村宗棍、松茂良興作、糸洲安恒)に師事した華麗な修行歴。その二つを併せ持つ本部朝基の言葉は、ある時は空手の実戦とは何かを考えるヒントを与え
まだ書き始める段階には達てしていないものの、近々書きたいなと思っているネタ。■空手モノ・空手:剣と柔の狭間にて日本列島の末端にある小さな島で生まれた武道・空手(唐手)は、なぜ世界にこれほど広まったのか。その秘密は、空手が、剣と柔の狭間を埋めた点にあるはず。・・・ということを、ウダウダ書いてみたいと思っています。・本部朝基と「受け」技大正から昭和初期にかけて無敵を誇った拳豪・本部朝基。名のあるボクサーすら子ども扱いしたとされる本部朝基の戦法は“先手必勝”。しかし、先手を取ることを重視
先月、『松村宗昆のナイファンチは、足を軽く平らに下ろす』と題した投稿をアップし、本部朝基が語った、松村宗昆と糸洲安恒のナイファンチの違いについて紹介しました。本稿は、その続編です。言うまでもないことですが、糸洲安恒は、琉球王国士族の武術だった空手(首里手)を体育化し、近代化の中で滅び去る運命を回避させた大偉人です。もしも糸洲の無かりせば、今日の空手はありません。しかし、糸洲安恒の体育化によって、空手(首里手)が大きく変質してしまったのも、また事実。その“証人”が、拳豪・本部朝基です。体
なぜか突然、先日の松村宗昆のナイファンチに関する投稿を英語でサマライズしてみたくなりました。へなちょこ英語ですが、まぁ、やってみました(笑)。Thisisasummarized&English-translatedversionofmypost"SokonMatsumuraputhisfootlightlyandflatlyinhisNaifanchiperforming".松村宗昆のナイファンチは足を軽く平らにおろすIgotareprint
仲宗根源和編『空手研究』(初版:昭和9年)の復刻版を入手しました。空手史上、おそらく最初に発行された“空手機関誌”、その創刊第1号。第2号は発刊予告はされたもののどうやら果たされなかったようですので、創刊号だけの幻の機関誌です。執筆陣は豪華です。有名どころだけをざっと挙げても、・船越義珍・摩文仁賢和・本部朝基(インタビュー)・小西康裕(組手披露)・親泊寛賢・小杉放庵流派を横断しこれだけの大物を登場させたのですから、野心的な企画だったと言えるでしょう。読んでみると、互いに相反す
アジア大会の「その4」を投稿しないままだけれども、あんまり稽古日記が空くのも何かな?!と思い、、。17:00からの少年部。K君が休んで参加6人。メニューは基本、ミットで飛び蹴りの2種。スタート時からリーダー役のY君の気合いが大きく、皆もつられて(?)元気な稽古に。でもこういう時には、、、と思ったら、やっぱり不安的中。後半はちょっと無駄口が多くて締まらない稽古に。いつものことだけれど、なかなか難しいね。トピックスとしては最年少のS君がついに(?)前転をマスターしたことかな?!自
新垣師範の・・・いや、この場合は「新垣清」と呼び捨てにすべきですね。だって、司馬遼太郎のことを、司馬先生とか言わないですよね。司馬遼太郎は司馬遼太郎です。トマス・ピケッティだってそうです。ピケッティ先生なんて言いません。ピケッティ、です。即ち、作家としての新垣清は新垣清です。空手の師としての“新垣師範”とは、別。ということで・・・新垣清の『沖縄空手道の歴史』を再読しています。今回、30年ぶりに沖縄本島に足を運び、沖縄の地理や、王城としての首里城の雄大・壮麗な姿をこの目で確かめてきた
今日は祝日で道場休み。普段なら夫婦で出かけるのだけれど、今日はかみさん不在。まぁ、それはそれで自由を満喫という事で。朝食後、主夫業をいろいろしてからゴールドジムにて筋トレ。帰って来て昼飯を食べたら、少し昼寝をして、その後ネットや読書の合間合間に形稽古。何か休みの日でも結局普段とやってる事変わらんな。でも夜の稽古がない分、気分はリラックス。先日、図書館で借りてきた本も読了。形稽古をやるようになってから、自然と空手の歴史に(以前よりも更に)興味を持つようになりました。前に本部朝基について書か
9月17日台風18号の余波で混乱する那覇空港から本部会結成40周年イベントに参加するため大阪へ向けて飛び立ちました。きっと大雨や風が吹いているはず・・・とレインジャケットやらを準備していったらありゃりゃ・・・普通に曇り空でしたわ。17日は理事会のあと祝宴が行われ久しぶりに各地の師範の皆さんと楽しく会食しました。本部会は本部朝基先生から指導を受けた人が各地で、それぞれ朝基先生の技を指導していましたが朝基先生の御子息(本部朝正宗家)がいらっしゃるということがわかり本部会
当ブログの読者の大半は本部朝基をご存知のことと思われます。私が本部朝基を知るきっかけとなったのは『空手の理』(福昌堂)でした。同書には"本部朝基はナイハンチを最も重視していたといわれ、その影響を強く受けたのが大塚博紀先生であり和道空手は揚心流柔術とナイハンチが中核となっているといっても過言ではない"と記されていたので本部朝基と彼のナイハンチに興味を抱きましたが詳細については触れていなかったため、この時点では謎の空手家でした。その後『秘伝古流武術vol.6』(BABジャパン)に本部朝基に
(改題しました。原題は『無想会セミナーの“習いドコロ”①』です)沖縄武道空手・無想会の次回セミナー(東京会場5/13-14)に参加することにしました。無想会セミナーサイト週末2日間を丸ごと使ったこのインテンシブなセミナーに参加するには、息子をどこかに預けなければなりません。おそらく、幼稚園時代のママ友さんに1日、もう1日は父親(息子のじいじ)を呼び出して息子の世話をお願いすることになるでしょう。お世話をする側にも、息子にも負担を掛けて(息子は楽しみそうな気もしますが)、父親の趣味に没頭
糸東流空手の開祖・摩文仁賢和が、師・糸洲安恒による空手の形改変の事実を語る。近代空手の父・糸洲安恒が、実は空手の古来の形を改変していたこと。それ自体は、本部朝基が批判した(『私の唐手術』)ことによって、ある程度知られています。しかし、弟子によって糸洲安恒の形改変が語られたことは、ほとんど知られていません。(少なくとも私は知りませんでした!)とても興味深い「証言」です。(「本部流」さんには許可をいただいて紹介させていただきました。)