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良く思います・・誰が書いた?しかし、過去の自分に、共感出来る事は有り難い事です。その心を忘れては、ならない。今、良く無い事をしても・・駄目な人間であっても、過去から、未来に向かい生きて居る、活かされている自分は今が全てではありません。今しか見れない、自分で有れば、他人の事も今が全てになってしまう。それでは、自分も他人も活きて来ない。活かされない。それは、自然の想いとは全くかけ離れた考えです。今、人間が良く無い行為を繰り返して居ても、自然は人間にその時その時には、対処しません。
4月1日から5月末日まで🌟入会金0円🌟道着プレゼント🎁下市場公民館1F毎週土曜日初心者17:00〜18:00新設初級/中級18:00〜19:15上級/一般19:30〜21:00先ずはお気軽にお問い合わせ下さいませ😁国際正道-空手連盟正道会館清智會春日井市下市場公民館1F春日井市高蔵寺公民館2Fhttp://seidokasugai.jimdo.com080-8252-9792seido.kasugai@gmail.com
かなり前の、ブログに何方かが『いいね』をして下さいました。もう、ガツガツとした組手は、やりたくないですね。道場を始めた頃の志しは、勝ち負けに拘らない。試合偏重にならない。だったのですが、組手が楽しい子供達に流されて勝ち負けで評価していた自分を思い出していますしかし、悔しいと言う気持ちを、持つ事は重要です。相手をみての話しではありますが、その前に自分に勝たなければなりません。自分に負けない自分を、どうつくって行けるのか心風館での武道の在り方の大指針です。
例えば。気と言うものを味方に出来るなら、、刀を単なるモノを切る為の物として扱わない心が必要。木刀を真剣に変える心持ちをしる事は、とても大切です。物を物としてしか扱う事の出来ない心では、物を大切に思い大切に扱えない心では、気の存在を認識する事は無く、気を扱う事など、到底無理である事に気付くべきでしょう。幼い頃からの教育は、とても大切です。物事を純粋に捉え、身の回りの物、道具に、気を配り。自然の景色、緑や花の美しさ、海の碧さの変化に心を動かし。空の彼方の白さを見ようとする。太陽の輝き
私は、この春から道塾を離れました。もう、外部の人間です。宇城先生から武道の手解きを受けた事は、残念ながら一度もありません。宇城先生は、座波仁吉先生のモトで修行をされ気と言う、達成を私達に示して下さいます。私は、道塾でその基本となる考え方を学ばして頂き、柳生会新陰流の稽古や心風館での空手の稽古で、私なりに実践して来ました。柳生会では、坂さん、鈴木(英)さんの先代の一番弟子二番弟子の御二方からの教え、手解きを受けました。武道、武術の世界は、非常に心が狭いところがあります。閉鎖された世界です
何度か・・会っている・・今、居る現場・・吉根の平池の堤防の上・・。自転車乗りの少年・・・すれ違った時・・にっこり微笑みながら「こんにちは」と挨拶をしてくれる。この三週間で・・何度か、その少年が自転車の練習をしているのを見かけた。今日も、遠目にその子が・・・私の向かう先で‥自転車をくるくるとまわしている。向こうへ行った・・帰って来る彼とすれ違った・・。挨拶が予測された・・・私の微笑みを見ながら・・彼が微笑みを返してきた。「こんにちは。」「こんにちは。」と挨拶を交わす。私は
人間は、自然の一部で有る事を忘れてしまわない様に。地球の住民である以上、他の生物とは、ある意味同居人でなのです。そして、自然の中で生きて居る。都会に住んでいたって同じです。最近、道端に目に付くゴミが落ちていると、拾う様になりました。気になるから・・・拾わなくても良いから捨てない様に、心掛けたい。地球の住民として。生かされて居る、住人として。活かされて居る、使命を持って。いつでも、謙虚でいられたら素晴らしい。素直に話しを聞く心を持ち、素直に行動出来る自分でありたいと、節に願
先日、車の事で・・購入先のディーラーの系列会社を訪れた。その以前にも・・・なのだが・・年始に車検を受ける為に、購入先を訪れた折にも・・新人営業マンを捕まえて(私担当)・・なにか、しったかぶりの話しをぶちまけて帰ってきたし・・その他の車店でも・・自慢話的な話しをぶちかましている。さて、その系列会社の営業マンにも・・主な会話の後に・・知ったかぶりをブチ巻いてしまったのだが・・。どの営業マンの心にも、残ったのか・・見ず知らずのおっさんが・・ぶちまける話しに耳を傾けてくれる。それは
最近観たNHKの番組で・・マイクロプラスチックなるものの特集が組まれていた。川から海に流れ出した・・プラスチックゴミは波に洗われながら、小さな砂粒の大きさにまで・・・さらに・・小さな粒子となって・・魚の身体組織の一部に組み込まれていく。稚魚の時期に・・餌として捕食したものが・・魚の体内で消化されずに残り筋肉組織や・・内臓組織の一部になってしまっていた。その魚を人が取って食べる事により・・人体に及ぼされる影響は‥ガンなどの病気を引き起こす原因になるという。恐ろしい話なのだ・・
先月、今月と何度か尾鷲に出張に出かけた・・春日井からは、車で3時間位かかるだろうか。私は、年末から年始にかけて病気を患ったが、これは不思議な病気であまり症状が出ない。なので、定期的に病院に通い検査を受けていた事が功を奏したという処か・・年始以来毎日、実家で夕食を食べている。それほどに、食生活に気を付けなければならない、体重は昨年10月から13キロほど落ちて‥今は、スレンダー??余談はさておき・・出張時の食事にも気を使った・・サラダは、必ず摂るように心がけ・・糖質は避ける
剣術の稽古は、主に活人刀を自得する事を旨とし、最上の位を身に付ける事に先ず稽古の目標を置く事である。殺人刀に対しての活人刀は、流祖上泉伊勢之守の考案した剣であるが、その思いは殺伐とした戦国の世を嘆いての事と、深く思う処が有る。稽古の上の心情としては、今、己が顕す事の出来る最上の心が技に通る事を常とすべく、稽古修養に励み、身心に自然の働きとして沁み込ませて行く事を慣行する事。新陰流では、そう言う全身全霊、気渾の籠った動きを「働き」と表現する。上級者、達者である打太刀は
お正月に、弟をここに呼んで話をした事はブログに書いた。「お前には、俺と同じ血が流れている、その可能性を眠らせるな・・」的な・・そして、もう一つある。それは、「祖父母のお墓参りに行け!」・・・的な事・・まあ、私の粗野さは幼い頃からなので‥弟も、その理不尽を嫌っているところはある。私は、正当性の中で、弟に物申すので上から目線になる事が当たり前になっている、そういうところは、わりと誰にでもそうなので‥気を付けなければならないがなかなか治らない・・病気なのだ。さて、春のお彼岸は二
名古屋、尾張新陰流・・厳長先生の亡くなられる3か月前に坂さんは柳生会に入会されました。厳長先生がお亡くなりになられたのは、昭和42年です。ですから、坂さんは柳生会在籍52年目になられます。当時は、制剛流抜刀術を習いに来る方が、ほとんどで・・どこかの神社の本殿をお借りして、稽古を行っていたようです。当時、兵法はほぼ稽古しておらず、前宗家の延春先生と免許を許され延春先生の後見となられた稲波先生が、厳長先生の前で兵法をたまに・・稽古をしているのを・・観る程度だったそうですが・・延春先生が代を継がれ
流派の理合い、教えは、その流派の存続の理由です。時間を掛け、お金を掛け学ぶという意識の中に伝承されていかなければならないものです。グローバルな社会であるから、どの様な情報でも入手できるかと言えば、それでは、その流派の存続に関わる事が起こる可能性があります。また、教える側にもプライドが必要です。自分のやって来た事を軽んぜられる様な事は、しない方が良いでしょう。私は、オープンにして居る処が、多くありますが、皆さんが・・何故?どうして?と思う様な所で・・その先は、成るべく明かさない様に意識していま
新陰流、相雷刀八勢法の中に水車勢という、刀をクルクル回す使い方があります、クルクル回しても、ぴったりと相手の顔に刀を付けていきます。素振りでも、肩の高さでピタリと留めます。これが、留め太刀、肚の養成です。腕力だけでは限界があります。相手に当てるだけなら・・勢い良く振り切るだけの稽古、据え物を斬る時も、下段まで振り切ります。新陰流の稽古には、ただ斬るだけの稽古はありません。何をどう使うのか・・刀の事、体・・手・足・肚・・・という事を常に意識した稽古をしなければなりません。これが、刀身一致・刀身
宇城憲治先生著「気でよみがえる人間力」より現在に見る生死をかけた生き方が教えてくれることF15イーグルというマッハ2・5で飛ぶ戦闘機があります。マッハ2・5という速さは桁違いで、東京大阪間であれば15分で飛ぶ速さです。最近、中国・ロシアといった隣国による日本への領空侵犯が頻繁に起きていて、とくに中国からは5倍くらい増えているそうです。航空自衛隊による専守防衛の下、国を守るために、領空侵犯してきた戦闘機に命をかけて対応するというその責務は重大で、常に危険と隣り合わせです。さらには戦闘機その
宇城憲治先生著「気でよみがえる人間力」より日本の心の発動を子供たちへかつて江戸時代には、今の小学校と同じくらいの数の寺子屋が各地にあり、その中でも圧倒的に多かったのが、家督を譲ってリタイアした武士が始めた寺子屋であったそうです。このように寺子屋が全国にくまなくあったことによって日本は世界に類を見ない90%以上の識字率を保ちました。そしてこの識字を土台として、当時の人たちは人間教育、心の教育をしていったのです。そこでは、単に知識を教えるという教育ではなく、人間力に支えられた高いエネルギーの
本日は、21日に当館で行う剣術稽古会に参加していただく先生の袋竹刀の袋を頂きに、各務原に午前中に伺いました。いつも、お世話になっている竹工房の亜岐社長に感謝しております。私は、良い先輩。大先輩方とのご縁に恵まれています。応援してくださる方々が、いてくださる。しかし、なかなか私はそのチャンスを活かすことが出来ずに、ここまで来ています。ある意味、ご縁を活かせていないのです・・・。私は何とか・・良いご縁を繋げて助けてくださる方々、応援してくださる方々の御恩に報いたいと感謝し、日
「観」は「かん」と読み、「見」は「けん」と読みます。「かんの目」、「けんの目」・・・とは、見極める事の出来る目と映るものを映す目。と・・いう簡単な解釈をまず示して於きます。見の目で見るという事は‥一般的で見えるモノや、見たいと思うモノを見るという事。観の目で観るという事は、先が観える、先を読む・・動きを集約して?凝縮して観る?そのような感性が働くモノと思われます。ですので・・観の目をどう養なうのか?と問われますと・・丹田を創る事と答えるしかありません。しかし・・この「観