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BUCK-TICK櫻井敦司さん死去57歳-Yahoo!ニュース5人組バンド・BUCK―TICKの櫻井敦司さんが19日午後11時19分、脳幹出血のため死去した。57歳だった。同バンドの公式サイトで発表された。news.yahoo.co.jp↑嘘だろ??絶句した。爆竹、若い頃よく聴いていたし世界観好きだった。あっちゃん…(泣)あの歌声とルックスが素晴らしかったし人柄だって良さげだった。ゴスロリ好きな私は何回も何回も爆竹聴いてた。ショックすぎて言葉見当たらない。
10月23日(月)第4,083話こんばんは今日も素敵な1日を過ごされましたか?まずは1杯、今日の疲れを癒してくださいませDreamWorks&Keypersons株式会社-人材育成・営業研修、コンサルティング、セミナーなどを展開DreamWorks&Keypersons株式会社は大阪を中心にコンサルティング、人材育成・営業研修、セミナー・講演などをビジネスサポートを展開しています。dw-k.jp嘘だろう、嘘と言ってくれよ山﨑くん聞いてるか
買い物行かずにまだまだがんばっています😅今日はイタリアンちっくに…笑ホタテ(ふるさと納税の)のカルパッチョと無印良品で買いだめしてあったパスタソースのポルチーニクリームで…見た目悪すぎますが美味しいです😋けっこう前にいろいろ買ってました自称ムジラー😆そして鶏肉と冷凍ナスと玉ねぎでトマト煮込み…?それから余ったご飯でなんちゃってチーズリゾットお店で食べるような芯の硬さは全くありませんが簡単な割に美味しいんです♪ご飯を水洗いして牛乳とコンソメでちょっと煮てチーズをたっ
久しぶりに今朝日本のニュースを新聞サイトで読もうとしたらアリスの谷村新司さんの突然の訃報の速報が入ってびっくりまだ74歳人生100年と言われる現代まだまだ早すぎます50年近くの長い海外生活でのTV番組を観ることも少なく最近ご闘病中でいらしたことも全く知らなかったのですALICEといえば個人的に最初に衝撃を受けた曲はギター🎸とボーカル2人の力強いハモり♪おませちゃんだった中学生当時素敵な声に恋してしまった気がします海外赴任の家族と別れてミッションス
ちょっと早過ぎじゃないか。まだ65歳だろう。今度会う時は花山で呑もうって言ったじゃない。小学校の担任の先生に使い走りさせられたって話をもう一度詳しく話すって言ってたじゃない。難病指定の病気と戦って負けてなかったよね。癌は手強かったか。まだまだいっぱい話したかったのにまだまだいっぱい笑顔を見たかったのにまあ穏やかな顔して痩せこけてなくて良かった。あっちで何してるの。まだ越したばかりで忙しいか。落ち着いたら好きなつりでもしたら。あれ、つりとかできるんかいな。その
振り返って書いています。2022年4月「転移があり、手術は中止となりました。」インオペとなってしまったが、鈴木さんはお腹の傷が痛み辛そうだった。たくさんの管が繋がっているのも苦痛だった。土曜日になった。私はいてもたってもいられず、また無理矢理用事を作り、病院まで行った。コロナで面会はできない。「今日病院に寄るから、また談話室から下見てね。」突撃だ。前回の病院へ行った様子↓『膵臓がん手術を目指して』振り返って書いています。2022年1月膵臓がん、切除手術を目指して検査を受
振り返って書いています。2022年4月「転移があり、手術は中止となりました。」一番ショックを受けているのは鈴木さん本人に違いない。私は全てを受け止めると決めていた。どんな運命が待ち受けていても、パートナーとして最後まで一緒に走って完走する。鈴木さんにそう伝えていた。「わかりました。今は体をゆっくり休めてくださいね。」とだけ伝えた。どうしてこんなことになったのだろう。術前抗癌剤が効いていなかったということなのか。本当に開腹しないとわからないものなのだろうか。一気にステージⅣと
振り返って書いています。2022年4月手術の翌朝。夜中に何回か起きて携帯を確認したが、結局朝になっても連絡はなかった。何かよくないことが起こったのか。いや、考えすぎに違いない。術後は動けないのだから、きっと連絡できないだけだ。取り越し苦労であることを願った。家事を済ませ、出勤の支度をしようと自室に戻るとLINEが届いていた。鈴木さんだ。「転移があり、手術は中止となりました。」最も恐れていたことが起きてしまった。その日を境に鈴木さんは変わってしまった。私達の澄んだ青空は
先日スマホが壊れた時に画像データが全部消えてしまいケータイデータ復旧サービスで一部の取り戻しに成功したんです『写真のお話し』『悲しい夜のお話しその1』寝る準備もほぼほぼ終わりそれぞれの時間を過ごす子ども達そしてアメブロが20時に予約投稿できてるか確かめそのままダラダラとスマ…ameblo.jpおかげでデータは戻ったものの順番がバラバラになっているのですごく古い写真が上の方にあったりして久々に写真を見返す機会になったんですそんな懐かしい写真のうちの
振り返って書いています。2022年1月〜3月抗癌剤が始まった。1、2回スキップすることはあったが、順調だった。副作用は翌日がピークだった。副作用の日は家で寝るしかなく、副作用のない日に、いろいろなところへふたりで出掛けた。美味しいものもたくさん食べた。この時の思い出は一生私の宝物だ。3月の終わりには桜が綺麗に咲いた。桜をバックに写真を撮った。毎年違う場所で撮って、これで3枚目。鈴木さんは嬉しそうに笑っている。抗癌剤の副作用で髪が抜けてしまった。髪がないのもセクシーでカッ
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。気づけばブログを始めて1か月たっていました。私の完全120%独りよがり独り相撲の文章を読んでいただき、ありがとうございます。拙い文章に恐れ多くもいいねをつけてくださる方もいらっしゃって、驚いております。同じように死別を経験された方、ひっそりと読ませていただき、涙を流すこともしばしばです。ああ、みんな同じなんだな、と。私だけじゃないんだなと。本当に本当にありがとうございます。過去に、ブログを書く理由というものを書きました。『このブ
振り返って書いています。2022年1月膵臓がんの切除手術を目指して入院、検査を受ける鈴木さん。「もし、手術ができなかったとしても最後まで完走するよ」「私も一緒に走ります」「涙」膵臓がんになってから、彼のLINEに時々『涙』という文字が現れた。だいぶ後で気付いたが、この字を書いた時、彼は本当に泣いていたようだ。聞いたわけではないが、そうだと思う。また絶食からおかゆへといつもの流れの食事。体調最高で元気いっぱいの彼はお腹すいたと繰り返しつぶやいていた。検査が終了、点滴がとれて「
振り返って書いています。2022.8.29鈴木さんがこの世界からいなくなって10日目月曜日、1週間が始まった。仕事がある方が楽でいい。朝起きて朝食を作り弁当を準備し夕食の下ごしらえ洗濯して干して子供を送り出して会社へ行く。ありがたいことに職場の人間関係が良い。鈴木さんが膵臓がんを告知された時、真っ赤に腫れた目で出勤した私を心配してくれた同僚。「話したくないなら、何も聞きません」と、その後も明るく普段通り接してくれて、本当にありがたかった。仕事の昼休憩にも鈴木さんとよくLINEをや
振り返って書いています。2022.8.28この世界に鈴木さんがいなくなって9日目日記早く死にたい。早くしないと、鈴木さんが私のことを忘れてしまうかもしれない。何十年もたってしまったら、おばあさんになって私のことがわからなくなってしまうかもしれない。死んだなんて信じない。日曜日だったので、家事を終えて、昨日の数字パズルをひたすらやった。頭脳全開足し算クロス2023年10月号【雑誌】【1000円以上送料無料】楽天市場夜になり、ふと音楽を聞こうと思った。音楽アプリで曲
振り返って書いています。2022.8.27鈴木さんがこの世界からいなくなって8日目2回目の土曜日。午前中は同好会に行った。見慣れた光景の中に鈴木さんだけがいない。全てが色褪せて平坦に見える。本当なら、楽しくとびきりの時間を過ごしているはずなのに。ドーシテダロー・・・つまらなかった。否、本当はつまらなくはない、私も大好きでとても力を注いでる活動だ。でも、楽しいとは思えない、やっぱり。何人かと鈴木さんのことを話した。彼を思って、彼の話をするのはとても癒やされる。だが、神経
基本的に独りよがりのブログです。2023.9.30現在先週だったか?彼のいなくなった同好会帰り道の車中で曲が流れていた。yamaさんの『返光』ねぇ知ってるこの何気ない時間を幸せと呼ぶんだよでも呼んだら壊れるから知ってるだけでいいのきっとあたしが幸せと呼んだからアレがきたんだホラー映画のテーマ曲で、アレとはおそらくお化けの類だと思いますが、どうしてもアレ……膵臓がんに思えてしまいます。私は幸せを強く自覚していました。世界中の人に自慢したいぐらい幸せだと思っていました
振り返って書いています。2022年1月膵臓がん、切除手術を目指して検査を受ける鈴木さん。元気でしたが、会社、通院、会社、入院と休む暇もありません。癌保険の請求などの金銭面の対応や会社の手続きなどにも追われていたようです。仕事の引き継ぎも残業しながら進めていました。(普段は仕事は早く残業大嫌いで滅多にしません。)直接聞いてはいませんが、終活も始めていた様子です。悔いのないように、趣味や好きなことも精力的に取り組んでいました。「ふゆさんと会うと不安が少し軽くなるよ」そう言ってくれまし
振り返って書いています。闘病の期間を思い出すのは辛いです。2021年12〜2022年1月膵臓がんの診断を受けた鈴木さん。比較的初期での発見だったようで、切除可能か見極める為にたくさんの検査を受ける日々でした。この頃の鈴木さんは非常に元気で、どこも痛くなく、とても大きな病気を抱えているようには見えませんでした。入院、絶食で痩せてしまった体重もほとんど戻ったように見えました。「一瞬一瞬を大切に生きていくよ」そう言いました。運命に立ち向かう鈴木さんの姿が眩しかった。私達はふたりでい
https://kango.mynavi.jp/contents/nurseplus/dictionary/sagyo/shi/20230301-2159324/死の受容死を予告された人が死を受け入れること。またその過程、キューブラー=ロスによれば、死の...kango.mynavi.jp死の受容とは死を予告された人が死を受け入れること。またその過程。キューブラー・ロスによれば死の受容には、否認、怒り、取引、抑うつ、受容の5段階がある。否認↓怒り↓
振り返って書いています。闘病の話と前後すること、お許しください。2022.8.26旅立って7日目この日の日記。鈴木さんにLINE風のメッセージを書いていました。おはよう鈴木さん死んだなんて嘘だよね?!あー最悪だったーって言ってまたLINEくれるよね?待ってるよあの優しいLINEが大好き本当に大好きです早くー!とは言わないけど、いい子にして待ってるから、必ず戻ってきてねずっとずっと待ってます基本的に沈んで過ごしていましたが、時々、空元気のような躁状態の時もありました
振り返って書いています。2021年12月翌日、少し緊張しながら同好会を訪れた私。鈴木さんが既に来ていました。最初の入院から5kg以上痩せてしまった身体に胸がギュッとなります。いつも冬でも驚くほど薄着なのに、寒いと言って着込んでいました。会えてよかった。会の終了後、鈴木さんが予約してくれた、よく行くうどん屋さんへふたりで行きました。治療の経過、これからの見通しなどを教えてくれました。そして「ふゆさんはこれからの自分に付き合わなくていいんだよ。」と言われました。私は、「知ってし
振り返って書いています。2021.12月しばらくは涙を流す日々を過ごしていました。夜眠っても夜中に必ず目が覚め、なかなか眠れませんでした。1週間ほどたった土曜日の朝。休みの朝でも6時半には起きていますが、いつものように3時頃に目覚めてしまい、6時頃にやっとウトウト、気付いたら7時を過ぎていました。布団の中でスマホを見るとLINEが来ていました。鈴木さんからです。『!?』寝ぼけて目も開いていなかったので、『あっ、そうか、幻ね』と思いました。鈴木さんからLINEが来るわけない
膵臓癌と診断を受けた鈴木さん。もう会えない。ほんのさっきまでとてもいい関係を築いていた大好きな人と突然会えなくなる。泣いて過ごしました。彼が天国へ旅立った時は涙を我慢した私でしたが、その時は涙に暮れました。いい歳して本当に子供で未熟だったと思います。まだ膵臓癌の本当の恐ろしさを実感できず、おままごとのようです。でも真剣でした。彼を失ってしまうかもしれない、それどころか死んでしまうかもしれない。このまま会えなくなって、そう遠くない未来に、風の便りで彼の死を知る…。そんなこと耐
膵臓癌もう会えない。涙が止まりませんでした。でも鈴木さんは何でも自分で決めて実行する、有言実行を絵にかいたような人です。こうと決めたことを曲げることはない。思考力、決断力、実行力が人並みはずれています。彼の言うようにするのが一番良い、全てがうまくいくことを私は知っていました。何より彼の負担になりたくなかった。彼がもう会わないというなら、それが良いのだと思いました。でも自分の気持ちだけは今伝えなければいけないと思いました。それだけは絶対。「ずっと一緒にいたかった」「大好
今日から『彼岸入り』と言うことで私の祖母のお話祖母が40代の頃ある尼僧さんに出会いその方のお人柄生き方(他人のために尽くす)に共鳴を受け弟子になり出家、修行、僧侶になってん。師匠であるその方は私の名付けをしてくれはりました。その後高齢だった尼僧さんが亡くなり祖母がお寺を受け継ぐことになってん。それから祖母はお寺に住むことに…。小さいお寺やったけどどんどん信者さんが増えていって…有名寺院になっていった。そうなるにつれ私のお婆ちゃんじゃなくみんな
振り返って書いています。2022.8.24茶飲み友達鈴木さんが旅立ってから5日目。寂しくなると写真を見ていました。写真だけではなく、動画を撮っておくといいと聞き、そのうち彼に撮らせてもらおうと思っていました。でも何か言い出し辛くタイミングを逃し、最期は会ってお別れもできなかったので、結局撮れずじまいでした。普段、私は写真の整理等が億劫で、だいたいが放置になっています。鈴木さんは病気が発覚する前に自分の写っている動画をいくつかLINEで送ってくれていました。開こうとすると全部期限切れ
私:サラリーマンを卒業(求職中)妻:介護福祉士父:軽度の認知症、実家で一人暮らし母:数年前に亡くなるご訪問ありがとうございます。本日もよろしくお願いします。母を一人で在宅介護していた父だけど、肉体的にも精神的にも限界が来て、もう母を抱えることも出来なくなったとき、母は、訪問介護に頼るしかなくなり、ヘルパーさんが家にあがることを許容した。今までは訪問介護を頑なに拒否し、介助のすべてを父に依存する生活だった。気持ちの上でも父に依存するしかなかった。父は出来る限
漫画家佐野菜見さん36歳がんで■才能ある若者がまた一人若い人の死が目立つ。漫画家・佐野菜見さんが亡くなった。36歳。闘病1ヶ月というから、相当早い進行のがんだったようだ。Kadokawaハルタ誌では、遺族からの「ファンの皆様へ」と記された遺族の書面も掲載。「娘の菜見は進行の早い癌により闘病1カ月という早さで8月5日に旅立ちました。ご愛読いただきましてありがとうございました」と、がんによる急逝だったとした。佐野さんの遺書の一部を抜粋して「この人生は楽しい人生だったわさ私は
こんなにはやくいってしまうのねあなたのそのえがおにいつもいやされてきたほんとうならきょうあえるはずだったのにあなたはとおくへいってしまったもういちどあのえがおにあいたい
昨年の10月末に高校時代の同級生N子が遠く離れたオーストラリアメルボルンの病院で亡くなった『心残りは親のこと』昨日はパン教室の後そのまま隣町に残り同級生M子との約束までにお昼を済ませようとアフタヌーンティーに入店ランチの後、前日決めていた待ち合わせ場所へ移動するつもり…ameblo.jpお兄様がメルボルンでお骨になったN子を半分日本に連れて帰りその後、N子の遺品の一部を向こうのパートナーから譲り受けて持ち帰ったらしい先日N子の新盆の法要に参加して来たと親友M子が2年と3