慶応3年12月8日、正午に開かれた朝議は夕刻に至っても結論に至らず、この日参内した尾張の徳川慶勝、越前の松平春嶽、芸州の浅野長勲(ながこと)の三者は宮中に留まり、議論の行方を見届けねばならなかった。徳川慶喜、松平容保、松平定敬ならびに老中たちは病と称して参内せず二条城で事態の推移を見守り、薩摩藩主島津忠義は明日の政変に備え、御所近くの相国寺に兵と共に陣取っていた。11月29日に阪神間の打出浜に上陸した長州藩兵は西宮に陣営を張り、上洛の許可が下りる時を待っていた。その夜更け、会議は長州藩主父子の官