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水曜日晴れ28/17度~~~~~~~~~~~~~~~~~~~東京下町で、中年夫婦が8才(人間でいうところの50歳)のワンコ女子に、ぶんぶん振り回される毎日の中で、思ったことや感じたことを気ままに綴っています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~週末のアサンポは、日本橋界隈へ東京トーチタワー付近です今の季節は紫陽花が主役ですね!
昨日の日曜これまたいい天気!暑くなる前にwalkingを今回は浅野川の反対側(常盤町側)から歩いてみることにまずは県青少年研修センターに向かって地下道?をくぐって拡大すると兼六中学校県青少年研修センターに到着昔ここで子どもの野球の卒団式をやったな〜坂を下っててくてく常盤橋前のときの反対側よりいい景色そして気持ちいい〜天神橋途中の公園で「浅野川三流し」カラフル〜後で調べると浅野川で行う灯籠流しの3回あるとのこと浅野川大橋にこっち側は「秋聲のみち」なんだ
那須正幹さんは『絵で読む広島の原爆』で、原爆がどのように開発されたのかを詳しく説明されている。多くの科学者、技術者、労働者はそれぞれ自分の仕事に熱心に取り組むが、では自分はいったい何を作っているのかをわかってはいなかった。そのようなことは今も世界の至るところで行われているような気がする。那須さんは原爆の仕組みについても事細かに説明されている。原爆は莫大な予算を投じ、当時の科学技術の粋を集めて作られたことがよくわかる。でも、できたものはこれ以上ない人殺しの道具だった。そして広島、長崎に原
6月に入りました。今日はまあまあの天気でした。明日の天気はだんだん悪くなり、大荒れのようです。帰りの写真です。
ボーノボーノ大手町です今朝の大手町です常盤橋公園には太陽が眩しい!ぜひぜひランチタイムにお声掛けしていますので食べに来てくださいねBuono!
先週の「散歩」で気分がよくなったので今週もそれと、もう少ししたら健康診断もあるし健康も兼ね今日は浅野川沿いに鈴見橋から出発路地に入る常盤橋に到着てくてく材木町に天神橋に「鏡花のみち」って言うんだ梅ノ橋に浅野川大橋に到着主計町お鍋食べによく来たな〜中の橋ここまでは来たことなかったで、引き返しててくてく彦三緑地っていっても中は広くないけど武蔵ヶ辻交差点地下にもぐる横安江町商店街懐かしい〜昔はCMでも「横安江町アーケード街」って宣伝してたアーケード
特に他意はないですが、九州を西回りに歩いて半周した記録です。良かったら読んでみて下さい。出発は、通説に従って「諸道の起点」とされる小倉の「常盤橋」としました。歩くルートは、ネット上にある「各種街道地図」や各地の「行政が発行」している「歩きマップ」に、準拠しています。「常盤橋」は、江戸初期「小倉の城下町造り」の一環として、手前の「町人町」と向こう側の「武家屋敷」を結ぶ橋として「紫川」に架けられました。以後「九州各地への諸街道の起点」とされましたが、明治に入り、他の場所に「近代的な
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は東京都中央区と千代田区を結ぶ『常盤橋』です。最寄駅は東京メトロ半蔵門線『三越前』B1とB2出口が東詰の袂になります。北西方向(画像左手)から流れてくる神田川の分流である日本橋川が東に向けてほぼ直角に曲がる地点に2本の橋が架かっています。画像の奥に見えるのが『一石
【高さ390m日本一超高層ビル】常盤橋プロジェクトTOKYOTORCH
江戸時代、九州の諸大名は、主要街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道など)を経て小倉/常盤橋へ。常盤橋付近の本陣で宿泊し、門司往還をへて門司の大里湊へ出発しました。JR小倉駅前の商業施設前路上に、「参勤交代往還路」の表示があります。この、飲み屋街のような道が、門司往還だったのです。(青竹:NO.3249)
伊能忠敬は、寛政12年(1800)55歳のときに土地測量を始め、「日本全国の測量と地図の作成」を成し遂げました。九州では、此処「小倉の常盤橋」から、測量を始めています。伊能忠敬の偉業を記念して、常盤橋の袂に、顕彰碑が建てられています。お江戸日本橋の九州版として、九州の中心に位置する「常盤橋」です。今も木橋で、昔の面影を残しています。(青竹:NO.3247)
今も木橋です。九州五街道の起点だった「常盤橋」。九州諸藩の大名は、参勤交代時、此の橋付近の本陣で一泊し、翌日、小倉城門司口から門司の大里湊へ旅立ちました。細川時代(江戸初期)。紫川の東側を東曲輪として開発する際、既存の城下町だった西曲輪と結ぶべく、此の橋を架橋しました。当時は「大橋」と呼ばれ、紫川の東西を結ぶ橋は、此の橋のみでした。元禄5~7年の工事で架け替えられ、「常盤橋」と命名されました。此の橋を起終点とする「九州五街道」は、長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還
小倉城下「常盤橋」は九州五街道の起点で、小倉が、「九州の咽喉地」と言われる所以です。九州五街道のひとつ「中津街道」を扼する小倉城「中津口御門」に有名な「大石」があります。小倉城「中津口御門」を設置する際、敵の侵入を防ぐため、「高さ約3m、幅約5m」の大石を設置しました。忠興自慢の大石だったと言います。此の大石を、大谷から運ぼうとしましたが、余りにも大きく、難儀をしていました。立腹した忠興は、監督者を惨殺。運搬人は恐怖し、運搬は、猛スピードで進んだと言います。後に、小笠原家第4代
5/13【もっとTokyo】日本橋出船&ガイドの解説付!神田川ジャングルクルーズ&日本橋老舗巡りと和食膳のお食事5月13日のみ「もっとTokyo」を適用いたしました。ぜひぜひご参加くださいませ≪予定航路≫日本橋⇒隅田川⇒柳橋⇒(秋葉原)万世橋・昌平橋⇒(御茶ノ水)御茶ノ水橋⇒(日本橋川)三崎橋⇒一ツ橋・常盤橋⇒日本橋※開催当日に天候や潮位の状況及び河川状況(河川の工事等)により航路変更を行う場合がございます。
TOKYOトーチ常盤橋タワーの常盤橋側の桜🌸ここから常盤橋を渡って江戸桜通りへ🌸日本銀行前の桜🌸江戸桜通りはライトアップされていて幻想的日本橋三越本店と三井住友銀行の間の桜通りは有名です昨日の東京は雨ですが人が少なくてこれはこれでまた良し🎵常盤橋タワーへ戻るとこんなポスターがとりのや本店丹波赤鶏出汁のおでんと丹波赤鶏の美味しいお料理が楽しめるに惹かれて🎵早めの時間だったので入れるかなと……聞いたら予約でいっぱい……金曜日だからなと思ったらカウン
小倉紫川の修善寺寒桜🌸
13日朝撮影3枚です。以上で終わります。以下、2023.03.10の撮影記録です。2023.03.10アップ記事今朝と昼休みに寒桜を愛でました。常盤橋修善寺寒桜は昨日からさらに開いてます。お昼はもう一本の寒桜を見に行こう。ここからはお昼。
小倉駅から小倉城に向かうと紫川にぶつかり、普通の橋に混ざって常盤橋という橋があります。長崎街道の起点です。そのたもとに寒桜が数本植えてあり、そのうちの修善寺寒桜が見頃です。美しいです。鳥たちが来てます。よる雨降ってたのが心配。ピンクが鮮やかで華やか(^^)近くの2本。手前も見頃のようです。奥はもうちょ
2022年12月スケッチ会メンバーから大晦日に描き納めをしようと誘われました。場所は、某メンバーの希望で、以前描いた常盤橋、日銀の前にかかっている橋です。参加するつもりだったのですが、急な所用で参加できず。仕方がないので、前々日日銀周辺の写真を撮ってきて前日の30日に家で2枚描いて描き納めとしました。今日は、そのうちの1枚MUSEACRYBROCKF6/透明水彩急激な物価高、長引く景気低迷、、、何とかしてよ!よろしかったらク
いつも神通川と北アルプス・立山連峰の景観ですのでたまには違ったものをお送りしようという企画です。常願寺川を手前に望むは立山連峰。撮影場所:富山県富山市大場DateTaken:February6,2023CanonEOS7DMarkII,EF-S18-135mmf/3.5-5.6ISSTMISO:200,Tv:1/800,Av:8.0,+1/3撮影場所:富山県富山市大場DateTaken:February6,
こんばんは。三味線の『雨の四季』の練習をはじめました!!!日本橋をはじめ、その周辺の橋の名前が出てきます♫その中に登場する『常盤橋』(先日、日本橋と間違えて通ってしまった)ん?何かひっかかる…そうそう。貨幣博物館に行ってお土産を買ってもらった袋!!!なんとこれは常盤橋ではないですか!?しかも橋幅を埋めつくばかりの巨大な犬が中央に!?ちなみに貨幣博物館で買ったお土産、まず、福沢諭吉タオルを次女に(ウケてました)。他に自分用
前回、日本橋で遡上は終わりと書きましたが、もうひとつだけ。。日本橋の次は「一石橋」です。こんな説明があります。この橋の南北にそれぞれ当時の有力者で同姓の「後藤」の屋敷があり、後藤をもじった「五斗+五斗」で「一石」としたと説明があります。両後藤家は、その前にあった橋が破損した際にその再建に尽力したとの説もあります。一枚目の写真の奥の橋「常盤橋」右手には。。今、話題の「日銀」があります。次期日銀総裁のニュースを見て思い出したので、ひとつだけ橋を遡上させてもらいました。
『東京駅の佐伯祐三と京橋MEIDIYA』京橋での少し遅めの仲間とのランチョンの前の時間を利用して、東京駅の「東京ステーションギャラリー」で先週から開催されている待望の「佐伯祐三展」に行ってきた。…ameblo.jp先週の「東京ステーションギャラリー佐伯祐三展」では、あと50点を残した時点で別件のため途中退出したので、あの感動が冷めないうちに再度訪問した。今回は、市営地下鉄で日吉乗り換えの地下鉄三田線大手町駅から地上に出て行幸通りを抜けて東京駅へ。平日の午後2時過ぎなので、
今日は午前中、晴れていましたが、夕方は雲が多くでてきました。夜は風が強くなり、雲は吹き流され、月がきれいにでていました。風がでていた分、寒く感じました。月曜日なので、ほぼ定時に引き上げました。1月は月日が経つのが早く、明日で1月も終わりです。
文豪森鴎外小倉時代のスポットを巡る旅文豪森鴎外小倉時代のゆかりのスポットを巡る旅。今日は3回目となりました。小倉駅小倉城口を商店街方面へ向かってあい仲通りと京町通の角に、鴎外が東京に赴任するときに送別会が行われた「三樹亭」(現在パチンコ店)の前を京町アーケード街をまっすぐに西へ、紫川方面に進みます。江戸期に8代将軍吉宗に贈られた像も渡った常盤橋に出ます。ここから長崎までの長崎街道の始点となります。この橋の袂に、当時のものと比べると小さい広告塔が建っています。「小倉の冬は冬と
日本橋川に架かる江戸城常盤橋門に通じる歩行者専用の石橋形式:2連鉄筋コンクリートアーチ橋
日曜日は海釣り断念、午前中はセンナ摘み。午後から一切予定無くオフだったので地元で探石。良い瑪瑙との出会いを「常盤不動尊」に祈願。メジャーな観光スポット「東山」から徒歩10分圏ながら訪れる人が先ず無い静寂の聖地、、、常盤滝も今や古びた砂防堰堤なのが時代の定め今季アユ釣りの神髄を教示賜った「常盤橋」に戻り思わず「落ち鮎」の魚影無きや!?と眼で追う自分の業に苦笑しつつ、、、ひたすら広河原を彷徨う限界点に至り、行きつ戻りつ、三往復、傍目から見れば変人の標本か、、、「南無常盤不動尊」!?
8月末のこと、ちぃさんと三越前で待ち合わせ。外堀通りを八重洲方面に進み、一石橋を渡る。ここは首都高の呉服橋出口。既に閉鎖され、撤去工事が始まっている。日本橋近辺の首都高の地下化工事の始まりだ。呉服橋交差点から、外堀通りの八重洲方面を望む。東京駅の丸の内側に続き、八重洲側の再開発も急ピッチで進んでいる。こちらは永代通りの大手町方面。目的の場所は、鉄鋼会館ビル南館の『サラベス東京』。「ニューヨークの朝食の女王」と称されるレストランの東京店。外堀通りから直接店に
2021.12.30江戸城常盤橋門跡①=江戸城常盤門跡=竣工1629年(寛永6年)江戸城枡形門の一つで、1629年(寛永6年)に築かれました。古くは浅草口・大手口とも呼ばれ、奥州街道に通じる重要な場所でした。田安門(上州口)、神田橋門(芝崎口)、半蔵門(甲州口)、外桜田門(小田原口)と共に江戸五口に数えられ、江戸城外郭の正門なので大手口とも呼ばれていたとも言われています。1873年(明治6年)に門は撤去され、残った枡形石垣の一部と常磐橋は関東大震災によって被害を受け、1933年(昭
2021.12.30①②=昌平橋駅跡=竣工1908年(明治41年)廃止1912年(明治45年)1904年(明治37年)12月31日に甲武鉄道は飯田町駅から御茶ノ水駅まで開業し、御茶ノ水駅から万世橋駅までの工事に着手後、1906年(明治39年)10月1日に甲武鉄道が鉄道国有化法により国有化されました。1908年(明治41年)4月19日に仮駅である昌平橋駅が開業しますが、1912年(明治45年)4月1日に万世橋駅が開業すると、仮駅であった昌平橋駅は廃止となりました。昌平橋駅は、仮駅