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皆さま、こんにちは!OVERHEATTHERAINBOWのなかちゃんです☆彡思いがけず手元に届いた、「ねむの木学園」のカレンダー!!宮城まり子さんが描いた子どもちゃんの黒い瞳にみつめられるととっても優しい気持ちになります。幕開きは、太陽のスポットライトに照らされて新しい年のともしびが息吹き、こころ踊るよう・・・影絵人形劇団角笛にいた頃、毎年お邪魔していた「ねむの木学園」。緑の中の美しい美術館に並ぶ子どもたちの絵
保育士のmikoです。仙台から帰宅…家に帰るとこんなプレゼント玄関に飾りました。偉い人にならなくていい「偉い人なんかにならなくていいからね。泣いている人や悲しんでいる人がいたら、抱きしめてあげられる人になりなさい。」この言葉を聞いて思い出した言葉「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ」…ねむの木学園。宮城まり子さんの言葉「やさしいことはつよいのよ」宮城まり子さんの温かさに触れた、「ねむの木学園」への旅|朝日新聞デジタルマガジン&[and]スリランカと日本を
市川崑監督の1961年製作作品。脚本は妻の和田夏十。ポスターから連想する復讐劇が展開する。この内容が湿っぽくなく、しっかとジェンダー問題に抗うブラックユーモアを効かせている。船越英二演じるTV局プロデューサーの風(ふう)松吉が妻と愛人合わせて十人の女に懲らしめられる。船越英二のダメ男っぷりも山本富士子のいなせっぷりも岸恵子の疫病神っぷりも見事にハマる。宮城まり子の優しそうで残酷な未亡人も人間味溢れるキャラとして物語を豊潤にする。冒頭では語り部が彼女であったのに、どんどんその所在のバトン
引き続き、上野鈴本演芸場に出演中です。私が前座の頃から変わらない楽屋。襖から奥が、色物の先生方の楽屋で、手前が噺家の楽屋です。テーブル席は、理事の師匠方が座る場合が多いです。出番を待つ私。今日は何を口演しようか、内心、ドキドキです(笑)↓ご来場お待ちしています!【たけ平今日の一曲】~宮城まり子「ガード下の靴みがき」~生前、宮城まり子さんと親交がありました。お宅にも随分と遊びにお邪魔したこともあります。お仕事で、対談した時
静岡県掛川市にある宮城まり子さん(本名:本目眞理子)の拓かれた「学校法人ねむの木学園」には、何度か運動会に行ったりもしました。福祉事業家です。NHKの紅白歌合戦にも出場したこともあります。初めは吉本新喜劇の女優でした。―――――――――――――――――――MyFairPrisoners!?調書囚人番号:202103091556名前:お母さん懲役:93年服役した刑務所:東京府蒲田音楽:ディキシージャズ映画:若大将シリーズ、チャップリン本:「人間の証明/森村誠一」、私の子供た
静岡県掛川市にある「ねむの木学園」の創設者の方です。僕は、「ねむの木学園」で行われる運動会を観に行った事があります。お楽しみに!社団法人真色理事長現代アート作品「MyFairPrisoners!?」作家作家霊能者医師弁護士検察心理学部・医学部・文学部・哲学科・理系の5種類の学者(東京大学・京都大学・大阪大学・東北大学・筑波大学・名古屋大学・慶応義塾大学・早稲田大学の名誉教授)看護師石の彫刻見習い(教師:耳塚信博先生)病名命名屋・命名屋山下眞史
皆さま、こんにちは!OVERHEATTHERAINBOWのなかちゃんです☆彡あれは、中学生の時。宮城まり子さん出演のラジオドラマ、ミヒャエル・エンデ原作「モモ」を聞いた。畳に寝転がって、物語の世界に浸った至福のひととき・・・まり子さん演ずるモモが「カシオペ~ア~!!」と泣き叫ぶ声は、今でも忘れられません。そのまり子さんとお会いすることになるなんて、この時のなかちゃんは夢にも思っていませんでした。角笛作品への出演依頼の際、
市川崑監督久しぶりに観ましたがやっぱりいいですね。映画がはじまったとたん、ゾクゾク来る。クレジットタイトルに流れる芥川也寸志さんの音楽にもシビレる。もの凄くモダンでスタイリッシュな作品。シャープな画面構成、モノクロの映像が恐ろしく素敵です。お話。テレビプロデューサーの風松吉(船越英二)は美しい双葉(山本富士子)という妻がありながら他に、9人もの愛人がいる。妻の双葉は松吉の浮気癖にはもうすっかり
夏真っ盛り。今年もお盆時期とはいえ猛暑が厳しいですがそろそろやってみますか。まず1枚目は阿陀夢ひろし「大人達を責めないで」伊武雅刀さんの名曲「子供達を責めないで」のアンサーソングなのですが、ジャケの香ばしさに反して全く心に響かないコミックソング。歌っているのが子供…のような女性・・・のようなピッチシフターのような子供っぽくない子供声で正体不明(^_^;歌詞も「大人は気前がいいです」とか「いろんなことを教えてくれます」などなど上げといて下げる感じで結構皮肉というか風刺も効いてるんですが
川島雄三監督作品祝㊗DVD発売!!またまた手抜きのリブログ、、お許し下さいm(__)
東京での思い出は?あり過ぎて…楽しかった思い出もどっさりありますが…でもやっぱり最大級の思い出は東京大空襲!(東京下町の焼け跡)この写真を見るにつけ生き残って今ここにいるのが不思議ですどこもかしこも焼き払われたこの土地で生き残ったのが不思議ですどう考えても不思議です生き残っても嬉しくないのが戦争です≪ガード下の靴磨き≫宮城まり子YouTubeのコメント欄に“この歌を涙なしに聴きたいです。”とコメントなさった方がいらっしゃいます。私も同じ思い
東映が昭和33年10月公開日本初の総天然色長編漫画映画白蛇伝はくじゃでん中国に古くから伝わる「白蛇伝」白蛇の白娘〈パイニャン〉人間の許仙〈シュウセン〉のラブストーリー愛し合うふたりの間に魔物と決めつけて白娘を退治しようとする高僧法海(位の高い僧侶)白娘は許仙を愛し続けるため妖術を捨てて人間にしかし許仙は白娘を探して崖から落ちて死んでしまっていた。許仙を生き返らせる命の華を持って白娘は高僧法海のところへ妖術を使う白蛇だと思い込んでいるため
どうも。開催ギリギリで中止になるオリンピックは、後世への教訓として負のレガシー(遺産)になり得ます。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『白蛇伝』です。白蛇の化身である娘と、人間の少年の愛を綴るアニメ映画。1958年公開作品。監督は薮下泰司で、声の出演は森繁久彌、宮城まり子。東映動画スタジオが製作した、日本最初の総天然色長篇漫画映画です。NHK連続テレビ小説『なつぞら』の劇中に登場した『白蛇姫』の元ネタです。中国の民話を基にしています。事前情報なしで観れば、中国
こんばんはkokoanです。例年より早く梅雨入りということで、先日、出先でやっぱり途中から雨になってしまって。私は雨に濡れるの大嫌いなのですが、雨の中の植物たちって、生き生きしていて、きれいなんですよね。この植物、名前は知らないのですが、なんて不思議な模様のお花なんでしょう!真っ白な木綿の布に刺繍を施したようなイメージが浮かびました。ねむの木に花が咲いているのを初めて見ました。ねむの木を見ていたら、宮城まり子さんを思い出したんです。宮城まり子さんのねむの木学園…どうして学園の名前を
かつて「知恵遅れ」という言葉がありました。現在の知的障がい者を指す、その表現に「ねむの木学園」設立者の宮城まり子さんは、ずっと疑問を覚えていたと言います。「ねむの木学園」は、日本初の肢体不自由児養護施設。「どんな子にも"隠れた才能(能力)」があると、宮城まり子さんは信じました。知恵が遅れていると、捉えるのではない。本来、無限にある知恵が"ゆっくりゆっくり育っている"と見るのだ。その"お手伝い"をするのが教育ではないか?「ダメな子なんか、1人もいない」それが、宮城まり子さんの信念
2021年3月21日付の聖教新聞より抜粋かつて「知恵遅れ」という言葉があった。現在の知的障がいを指すその表現に、「ねむの木学園」設立者の宮城まり子さんはずっと疑問を覚えていたという。同学園は日本初の肢体不自由児養護施設である。どんな子にも「かくれた才能(能力)」があると、宮城さんは信じた。知恵が遅れていると捉えるのではない。本来無限にある知恵が“ゆっくり、ゆっくり、育っている”と見るのだ。その“お手伝い”をするのが教育ではないか。「ダメな子なんか一人もいない」。それが彼
1927年03月21日(月曜日)生まれ2020年3月21日(93歳没)結婚する人(パートナー):陰占にパートナー(戊:偏夫)の干があり、夫婦関係に注意が必要で、自分が相手を、または相手が自分を振り回す関係です。職場などではなかなか縁がなく近い人の紹介や引き合わせ、またはお見合いなどで縁があります。結婚後、パートナーは家庭的で役に立ち家庭との結びつきが強くなります。夫婦は剋しあい絆を育みあうものの、そこには情がない無情剋の関係になります。一本気で正直、怠けることを好まず目標
おはようございますこちらは雨模様です今日はランドセルの日、教育の自由の日です今日誕生日の人佐藤健、岩城滉一、平野レミ宮城まり子載舟覆舟(さいしゅうふくしゅう):人は味方になることもあれば敵にまわることもあるということ今日のことわざ兄弟は他人の始まり今日も一日頑張りましょう#感謝ペコとチャオの3分トークパワーサ
今はどうしているのか、ねむの木学園を創った話、今現在の話などをお聴きしました。お楽しみに!社団法人真色理事長現代アート作品「MyFairPrisoners!?」作家作家霊能者医師弁護士検察学者看護師石の彫刻見習い(教師:耳塚信博先生)病名命名屋・命名屋山下眞史
21歳で統合失調症になり外にも出れない僕でしたが42歳の時『特効薬と巡り愛』これまでの時間を取り戻すかの様に目標としている🌙🌃本出版に向けて発信しています詳しくはこちらの僕のプロフィールをお読みください👇ぼくのプロフィール立山準さんのプロフィールページはじめまして!九州の博多に住んでいるアラフィフ男子です。ぼくは、心の病を持っています。統合失調症です。21歳のときに発症しました。きっかけは、いろいろあります。高校生の頃に実の祖父が自殺しました。心に影ができ始めたのはこの頃です。大学
桜咲け達磨に目入れ験担ぎphoto五・七・五「調」2021-01-1806:30:00NEW!テーマ:ブログ大学入学共通テスト1コロナなか寒い中踏ん張ったね^^思い出しますdの時はこんな共通テストだとかは無かったけど試験は本当にやだね発表の時もやだねほんとうに会社の試験の時思い出したよ長い机で少し離れて座るんだったかコロナではないけどやっぱり試験はそうするんだねでも近くの人があのね凄い長いテスト用紙で英数いろいろ取り混ぜて何か10
栄誉賞大林宣彦小学生の頃から監督の作品を観ていたゆえにその偉大さに気が付かないでいたけど、忘れられない作品をたくさん撮っている人。「HOUSE/ハウス」「ねらわれた学園」「転校生」「時をかける少女」「少年ケニヤ」「天国にいちばん近い島」「さびしんぼう」「姉妹坂」「漂流教室」「異人たちとの夏」「ふたり」「可愛い悪魔」「麗猫伝説」…タイトルを見ただけで作品のシーンが頭の中に蘇る。優しい語り方も印象的だった。志村けんやっぱり子供の頃から見ていた人なので、その才能が当たり前すぎ
少し前に録画していたNHKBSの番組「歓びの絵ねむの木学園48年の軌跡」を観ました。もとは2016年に放送されたそうですが今春93歳で亡くなった宮城まり子さんの追悼として再放送されたもの。宮城まり子さんは女優の役作りのために訪れた障害児施設の現状を見て衝撃を受け、私財をなげうって「ねむの木学園」という肢体不自由児養護施設を個人で作ったことで知られています。当時は「女優の売名行為だ」と声もあったそうですがもう50年以上生涯を捧げてきた宮城さんの
お彼岸期間という事で、今日はちょっと不思議な話を。半年前の3月21日に悪性リンパ腫で逝去された宮城まり子さん(1927年3月21日-2020年3月21日)は、生没同日の人でした。生没同日とは、生まれた日と亡くなった日(誕生日と命日)が同じ日のこと。日本では、戦国大名の加藤清正(1562年6月24日-1611年6月24日)昭和を代表する映画監督の小津安二郎(1903年12月12日-1963年12月12日)が生没同日に当たります。しかし、なんといっても有
今日(9/13・日曜日)の朝日新聞の朝刊、「天声人語」をご覧になりましたでしょうか?いやぁ、まさか天声人語で吉行淳之介さんの名前をみかけるとは意外でした。私がこのところ、吉行さん吉行さんとこのブログで書いてるからかなぁ?(そんなわけないっつーの)でも、ここに出てくるエッセイ、私は読んだことがないんです。天声人語を書いてる人、相当な吉行淳之介ファンなのかもしれない。そう思うと、なんかおかしいというか、嬉しいというか。ふふふ。それにしても、ここに書いてあるように、ノーベル賞作家の川端康
今年になってから、私が高校生の頃からずっと好きだった作家、吉行淳之介さんの足跡をたどる旅を続けています。その都度、このブログでレポートしてきましたが、6月:吉行さんが年少時代から成人するまで暮らした、市ヶ谷の街7月:吉行さんが高校時代(旧制)を過ごした、静岡の街8月:吉行さんが東大の学生だった頃、英語の教師のアルバイトをした、逗子の女子校…と、月に一度の割りで歩いてきたことになります。「月に一度」と決めたわけではありませんでしたが、そのくらいがちょうど良いペースだったみたいですね。で、
今朝、たまたまNHK総合テレビの「あの人にあいたい」を見たら今年3月になくなった宮城まり子さんを取り上げていた。彼女とねむの木学園のことはよーく知られているが、彼女の人生とねむの木学園の歩みがよく分かる番組であった。http://www.siinoki.net/nemunoki.htmよりねむの木学園たまたまある大学の4年生で、インクルーシブ教育のことを聞かれる機会があったので、日本における「共生・共学・共育」の運動や考え方を振り返る機会がつい最近あった。そのためか、この
4泳法、すべて泳げる?「クロール」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「背泳ぎ」は何故か、中学生の時はトップクラスでしたよ「バタフライ」は出来ませんね▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう写真は生麦貝ノ浜緑地公園にある看板です平成19年に設置?だとしたら、この子達はいま二十歳くらいになっているんだろうな。元児童たちは見に来ているだろうかさて、明日は終戦記念日ですね。曲は宮城まり子さんのガード下の靴みがき(1955年)戦後の名曲をカバーしています
こんにちは。今日は宮城真理子さん。歌手・女優・映画監督であり福祉実業家。障害福祉の世界で肢体不自由の方たちが学校へいく必要はないとされていた当時の風潮に対しどんな子も必要なケアを、教育を受けるべきと日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を作られた。このかたの本を、何冊も読んだことがあります。とても、あい深い方。パートナーシップにおいても吉行淳之介さんにも普通ではこうはならないだろうな、と驚いたのを覚えています。